倉吉 アザレアのまち音楽祭
コラム ボランティアの意味
新聞投稿に関わっての感想
ボランティアの意味

アザレアのまち音楽祭ディレクター


 去る6月10日、日本海新聞の投書欄にアザレアのまち音楽祭に対するコメントが掲載されました。大変、高い評価をしていただいているものであり、今後の示唆も頂いていますので、皆様にご紹介致します。


恒例音楽祭に名物曲を(投稿者T.B)

 私がアザレアのまち音楽祭を知ったのは、旅行者としてこの町を訪れた三年前のことだった。この小さな町でよくこれだけの音楽愛好家が集まったと感動したことを思い出す。
 今年は住民の一人として参加したが、会場で出会うお客さんが、老若男女の区別なく皆晴れ晴れとした顔で音楽を楽しんでおられ実に楽しかった。
 人口が五万人足らずの町で、音楽がこれだけ根付き育ったのは、音楽祭を組織運営する方の努力もさることながら、その中に個人、団体のスポンサーと称する資金援助者が数多くおられるのが大きな特徴であろう。
 これだけ市民に定着したのだから、毎年ウィーンで行なわれるニューイヤーコンサートでは必ずラデッキー行進曲が聞かれるように、アザレアへ行けばこの曲が聞ける、という得意の出し物を数曲、音楽祭のレパートリーに取り入れたらどうであろう。演奏団体や楽器編成が変われば雰囲気も変わり、お客さんを喜ばすことになろう。
(倉吉市上井/80歳)


勇気を頂きました!
 大変うれしいコメントをいただけたと、アザレアのまち音楽祭の運営を担当するスタッフ一同、感謝いたしております。このように言っていただける事が、スタッフにとっては何よりも元気付けられ、勇気を頂くことになります。ありがとうございました。
 「アザレアへ行けばこの曲が聞ける」というレパートリーの保持は、大変重要です。ディレクターとしては、演奏家にそのような注文を付けたいのですが、演奏家のプログラミングのスタンスもあり、安易に決めていただくことは難しいというのが本音です。かつては、アザレアのまち音楽祭の賛歌「アザレアの歌」を、それぞれの演奏家に合う編曲をして演奏していただいていましたが、当日のプログラミングを考えると不自然なことが再三起こり、現在では、特に依頼していません。演奏家個人が、ご自分のお得意とする曲を、毎回プログラムのどこかに入れていただくのであれば、可能性は充分にあります。検討してみたいと思います。
 さて、スポンサーの事については、おっしゃっていただいている通り、市民の皆様から寄せられた浄財が原資となっています。そして、初期運営に必要な資金を、ファンドで賄っています。すべて、ボランティア精神を持つスタッフによって運営がなされ、市民の喜びをボランティアの糧としているのです。特に今年度は、音楽祭に対してボランティア参加する意思を表明していただき、その業務に邁進する誓約をしています。その為、毎月の定例会議にはスタッフ全員が集まり、審議を重ねています。また月一度の実行委員会で対処できない緊急の問題や即断の必要な案件については、毎週水曜日(14:00〜15:30)に出席できる委員(会長、ディレクター、運営管理部長及び部員、事務局員)に参加いただいて役員会を持って対応しています。

ボランティアは自発性と無償性と連帯性が命!
 アザレアのまち音楽祭の基本となる活動は、ボランティアと言うことです。しかし、このボランティアという意味を理解していない人や、むしろ誤解している方が多々あると見受けられます。そこで、ボランティア参加していただく方に、アザレアのまち音楽祭としての基本的な考え方を述べ、共通理解していただいています。
 ボランティア(volunteer)とは、ラテン語のvoluntasからきたものであり、元々は「自発、決意、喜んで何かをする覚悟」のことです。ですから、ボランティアの前提として先ず大切なのは「自発性」であり「無償性」なのです。さらに「連帯性」や「先駆(せんく)性」「創造性」、「公益性」が求められるのです。という事は、自らの判断や責任で行動が起こせる人でなくてはなりません。しかし、ボランティアを単純に「奉仕活動」だと解釈し、ゆとりのある人が、「助けを必要とする人に奉仕してあげる」ことだけの方がままあります。ですから、時間が空いた暇な時にのみ参加すればいいとか、友人から頼まれ断り切れなかったから参加したなどと言う理由では、本当のボランティアにはならないのです。ボランティアの何に価値があるのかと問われれば、利他的要素だと答えねばなりません。利己のために行動するのではなく、他との連帯の為だとも言えます。つまり、ボランティア活動をする個人の自己実現のためなのです。アザレアのまち音楽祭のボランティア参加で得られる報酬は、音楽祭の基本理念「地域に芸術家が遍在する幸せを求めることやミッション「アザレアのまち音楽祭によるまちづくり」への貢献の喜びであり、共に連帯する喜びなのです。

ボランティアの効果を活かそう!
 私たちはこのボランティアによる効果を最大限に発揮する場として、アザレアのまち音楽祭を設定しています。その効果とは大雑把に五つに分けて考えています。
@音楽祭への無償サービス参加することは、かなりの経済的貢献をします。この運営が法人組織であれば、人件費が膨らみ経済的にペイする事は難しいでしょう。この無償サービスこそがボランティア効果の最たるものです。だからこそアザレアのまち音楽祭は25年も続けることが出来たのです。
A豊富なボランティア人材の、専門能力を活かした貢献が可能ということです。現在の実行委員会役員として参加しているボランティアには、事務能力に長けて人、プログラム開発や人脈の豊かな人たちがいます。それらの人たちが、損得勘定の支配しない音楽祭運営の中で、その使命に忠実で率直なプランの提示や、更に理想を語り合うという文化活動にとっては最も重要な貢献が出来るのです。しかし、時には利他的な行為が出来なくなる活動者も存在するものです。自分達の利益に固執して、自分の持っている専門能力を無償で提供できない仲良しグループ愛好者には、ボランティアという活動は無理なようです。
Bボランティア同士、有償のスタッフ等に対する文化活動の意義が教育できることです。この教育的意義は、ボランティア参加者の多様性がもたらす恵であり、大きな力となるのです。ある意味では、生涯学習の最も効果的な仕組みをボランティアは持っています。これは、人間が美しく生きていくための互助教育の場であり、ボランティアを受ける立場と行動する立場が常に入れ替わる仕組みさえ持つものだと思います。その教育システムこそが値打ちなのです。
Cボランティア効果の中で、いつも語られるのがボランティア同士のコミュニティの形成です。最も大切なのは、自分が属している立場やその利害を越えてコミュニティが作り直せるということです。スタッフ同士の触れ合いの中から新しい価値観を持ったコミュニティが生まれる事こそが重要なのです。それが新しい社会の価値観を創造して行くのです。
Dそして、ボランティアによる組織が地域社会との密接な接点になるということです。ボランティアは常に地域密着型であり、最大の効果を生むのは「口コミ」の効果なのです。その効果を使ってアザレアのまち音楽祭は拡大してきました。今後は、ボランティア参加の拡大をテーマにした活動をしなければなりません。なぜなら、その接点が、協賛者の拡大となり、市民に音楽祭事業の理解を広げ、意義の浸透を深め、コンサートへの勧誘力が大きくなるのは必定だからです。

アザレアのまち音楽祭とボランティアの関係
 アザレアのまち音楽祭は、倉吉文化団体協議会に加入している音楽団体の連合する音楽祭としてスタートしています。ですから、当初は各団体の活動を持ち寄り、互いの特性を生かしあいながら相互に協力して一つのコンサートを創りあげるという協働のスタイルだったのです。ですから、個々の団体は、自分たちの活動を行う場としてギブ・アンド・テイク的なスタンスだったのです。それは、テレビのショータイムと同じであり、各団体を紹介するレベルに留まり、聴衆のじっくり音楽を聴きたいというニーズから外れるものだったのです。
 そこで、細切れでなく一晩のコンサートをじっくり聴いていただく、そして幾日にも続いて繰り返される現在の音楽祭システムに移行して行ったのです。その中で、音楽祭に参加するという意義は、お互いがお互いのために協力し合う演奏者サイドの関係から、聴衆に美しい音楽を提供するボランティア集団へと変貌するのです。ところが、当初から聴衆を中心に据えた音楽祭のスタンスは中々理解されず、ボランティアとしての意識も皆無であったと思います。回を重ねるごとに、音楽祭スタッフに演奏団体や演奏者として登場しない方々が増えていき、音楽祭を聴衆にお届けするボランティアの形態が徐々に見られるようになったのです。
 とは言うものの、参加団体の多くは音楽祭のコンサートに何らかのかかわりがあったり、出演したりしています。だからこそ、実行委員として参加しているとの認識が根強かったのです。そのような方々の頭の中にはボランティアと言う意識はほとんどありませんでした。ですから、自分達の出番がなくなると、さっさとスタッフを退き、それまで培った協賛者とのつながりを放棄しても、平気でいられるのです。
 私たちのアザレアのまち音楽祭は、非営利の組織であり、より優れた音楽祭を創りあげるボランティア集団だと再認識して欲しいと願っています。アマチュアで文化活動するということは、個人的な自己満足の世界で活動していても始まらないという事です。社会性を持たなければ、文化として容認されないでしょうし、自己実現は程遠いものとなるでしょう。
 ボランティアと言う認識は、文化活動のミッションへの共感に始まり、他人との連帯感を持つ事がすべてかもしれません。ボランティアが持つ利他の意識、自己犠牲、奉仕、献身と言った意識が身に付けば、文化活動の社会的意義は充分に発揮できるはずです。しかし、ボランティアのマイナス要点は、「何かと、もっともらしい理由」をつけてやめてしまう人が多い事です。それは、ボランティア活動が楽しくないからなのです。
 そこで、アザレアのまち音楽祭というボランティア組織は、活動の意欲を持ち続けていただくための要因を提供し続けなければなりません。その要因とは、「組織内の好ましい人間関係」であり、「担当する業務へのなじみ」、「組織への参加意識」、そして「組織の中での自己威信、支配感」であるのです。その為には音楽祭のミッションを再確認する事と共感を持ってもらわなければなりません。つまり「アザレアのまち音楽祭」という理想の恩恵を信じ、奉仕感性を養い、美的な価値観を身に付けていただくしか方法はないと思います。

ボランティア・スタッフのあり方
 アザレアのまち音楽祭のスタッフとしてボランティア参加するとは、「何らかの能力を持って、自発的に奉仕する」と誓うことだと考えています。音楽祭のミッションに貢献する事が、その活動のすべてです。組織内での人事については、貢献あってのボランティアだと認識しなくてはなりません。それぞれのポジションで受けた仕事に対し、確実に実行しなければなりません。
 そこで注意しなければならないことが2点あります。それは「人間関係」と「その役務が本人にとって適切か」と言う事です。いくら意欲があっても、善意で行なおうとしても、経験や能力を考慮しなくてはなりません。当初から個々のボランティア参加者の条件を把握しておく事が必要になります。つまり、参加者の「健康状態」「貢献できる時間・期間」「希望する仕事」「本人の持っている能力」「ボランティアに参加する希望や目標」等です。そして、アザレアのまち音楽祭組織としてミッションを理解していただき、組織の現状とボランティアに期待している事と規約を了解していただき、参加していただく事が必須となるのです。
 いくらアザレアのまち音楽祭がボランティア組織だといっても、組織である以上はボランタリズムとビュロクラシー(官僚制)のバランスが大切です。前者は自律的で柔軟な組織であり、対等な関係と主観や感情など個人的な主体性や自由意志が働きます。しかし、後者は目的を達成するために合理的であり、機能的な要素を持ち、規則と支配関係が目的合理を求めて働くのです。相反するこの仕組みをバランスよく行う事とは、ビュロクラシーを音楽祭の成果を上げるためだけに貢献させる道具と割り切る事で上手くいくものです。

スポンサー・協賛者と言うボランティア
 ボランティアの「何らかの能力を持って、自発的に奉仕する」活動の中には、経済的な支援も包括しています。ボランティア活動で一番問題になるのが財務の健全化です。したがって、企業者、一般市民に「アザレアのまち音楽祭のミッション」を理解していただき、共感を求め、資金と言う資源でボランティア参加を呼び掛けなければなりません。その為には、財務管理の健全さをアピールし、音楽祭ミッションを実現するためのチャンスを、企業や市民に提供するのだという認識で、助成や寄付の要請をしなくてはなりません。
 しかし、その要請は、選択が必要です。ボランティアですから、喜んで支援していただかなければ意味がありません。「いやいや」していただく寄付ほど、受ける側の惨めさを増幅させるものはありません。個人への要請も、積極的な支援者は数多くあるものです。
 次に大切なのが、スポンサーや協賛者に、資金援助したボランティア活動を満足していただく仕組みを作らねばなりません。
それは第一に、「アザレアのまち音楽祭のミッションに賛同」していただく事です。そして次に、音楽祭としてミッションの重要性とその成果を報告しなければなりません。「…さまのご寄付が、このような成果を生み出しました。更になすべきことが残されています。今後もご支援を!」との報告は、継続した支援を得るためには必要不可欠だと認識しなければなりません。
 スポンサーとなっていただいたコンサートの報告と感謝を、文書とCDで行う事によって、支援者に対するアカウンタビリティが保障され、アザレアのまち音楽祭ミッションを共有し、協働することによって信頼を得なければなりません。そうする事が、やがて、支援者たる「寄付をして下さる方々」の「人生の生き方」が変わるかも知れません。最終的には、アメリカの様な寄付社会を構築し、ひとりでに寄付が集まってくる仕組みづくりが理想だと肝に銘じたいものです。そうなれば、寄付する行為が自らの自己実現となるのです。そんな意味でも、アザレアのまち音楽祭は、独自の信念に基づき、社会や人間を豊かにしていく力があるのです。
 再度申し上げれば、資金援助をしてくださる方々が満足し、感謝される仕組みを、私たちは作らねばなりません。

事業運営はレベルの高いスキルが必要
 アザレアのまち音楽祭の事業運営は、アマチュア・レベルの意識とスキルでは難しいと思います。ましてやNPO法人格を取得するには、強い信念でボランティアの真髄を行使できる集団でなければなりません。音楽祭経営を担うには、命令で動く仕組みの企業経営よりも、もっと高度な能力が要求されています。アザレアのまち音楽祭のように、高邁な理念を掲げ、芸術文化を求めようとする気概を打ち出した組織は、安易なアマチュアリズムのぬるま湯では何もできなくなるでしょう。
 今後、NPO法人化を実施し、市場競争していく道を選ぶ事は、運営に携わるものの高潔性と熱意がなければ、淘汰されて崩壊する危険性があるのです。したがって、アザレアのまち音楽祭のマネジメントは磐石を目指さなくてはならないのです。
 アザレアのまち音楽祭組織は、言わば多元的社会です。善意の個人の働きを超えて、結集し、組織の活動成果として社会貢献するのが目的なのです。