○浦池佑佳さんのソプラノ、初めて聴かせていただきました。表現力豊かで、高音の伸びやかな声に感動しました。又来年、アザレアのまち音楽祭の出演を楽しみにしております。
(八頭町/女性/20歳代)
○場内アナウンスの声が小さく、聞き取りにくかった。合唱で、ミュージカル風のスタイルがあり、楽しめた。(倉吉市/女性/50歳代)
○一部では、Bコール・ウインドミルが楽しく聴けた。三部、混声合唱、みなよろしい。将来のアザレアが楽しみだ。小学生は、別格でよかった!!途中の出入りが気になった!!
(倉吉市/男性/70歳代以上)
◆ディレクターの回答
コンサートで、演奏が始まってからの出入りは、しないのが当たり前です。しかし、アザレアのまち音楽祭では、遅れながらでも駆けつけていただいたお客様のことを考え、演奏団体の交代する短い暗転の時間に出入りしていただいています。今年度は、会場入口に「お客様へのお願い。コンサートが始まりましたら、ドアを閉鎖させていただきます。途中での入場は、係員の指示に従ってください。」と標記し、二団体が終わる毎に出入りしていただきました。本来のコンサートでは、休憩以外にドアを開けて入場させることなど、あり得ない事です。しかし、地方で開催される合唱のコンサートは、そのほとんどがアマチュアであり、定期演奏会でもない限り、コンクール形式の催しがその全てになっています。ですから、出演者が演奏を終われば聴衆となったり、出演者の家族が応援にお出でになるというお祭りの様相を呈して、聴きたい演奏だけ聴きにお出でになり、聴けば直ぐにお帰りになってしまうことがままあるものです。そんなことに慣れてしまっている聴衆の皆さんに、休憩時間以外には出入りを禁ずるのは無理かも知れません。ですから、会場は常に雑音を発生することとなり、本気で聴こうとしておられる皆さんには、迷惑を掛けてしまうのです。
しかし、アザレアのまち音楽祭は、音楽を楽しんでいただくためのコンサートを提供していますので、開演時間に間に合うように来ていただき、最後までお聴き願うのが理想です。コンクールやフェスティバルといった催しと一線を画した、音楽を楽しむためのコンサートにしたいと考えています。ごひいきの合唱団だけお聴きになりたい方は、コンクール等で聴いて頂きたいと考えるものです。アザレアのまち音楽祭では、ご出演のどの団体も、じっくり聴いて頂き、それぞれの団体の良さを、その個性を楽しんでいただくことを目的にしています。どうぞ、ご理解下さい。特に、今年は会場内で、演奏中に鈴の音が幾度も鳴り響きました。どうしたものかと、悩ましい問題です。良い解決法がありましたら、お知らせ下さい。
○今年もアザレアのまち音楽祭のコンサート、楽しませていただきました。関係者のみなさま、本当におつかれさまでした。ありがとうございました。交流プラザに行くたびに、演奏者の方が見にくいと思っています。ひな壇を使うなど、工夫があってもよいかと思いますが、いかがでしょうか。
◆ディレクターの回答
倉吉交流プラザ視聴覚ホールでのコンサートに付いてご指摘を頂き、ありがとうございます。実は、倉吉交流プラザの会場設定は、五年がかりで、やっと現在のベスト音響にたどり着いた所です。おっしゃるように階段席はありますが、当初はその階段椅子を出してコンサートしましたが、音響が著しく悪く、つまり響かないのです。どうしたら豊かな美しい響きが作れるのかを模索して、現在の設定になっています。ですから、椅子席を三列以上にはしていません。(定数設定70席の場合。/補助席が必要になったときに四列、五列を作ることがあります。)前の方々の間から、出演者が見えるように工夫(チドリ並べ)はしていますが、どうしても見えないこともあります。見えないといっても、演奏者から聴衆までの距離が6メートル範囲ですのでご理解いただきたいと思います。サロンでは、今後とも階段椅子は使いませんので、なるべく前の席をお選びいただければ幸いです。
○第2部、大変素晴らしかったです。先日、あるコンサートを聴きに行ったのですが、その方も若いソプラノの方でチラシに記載されている通り確かに大変美しい声でした。ところが、その他には、まるで何も心に訴えるものがない、不思議な位、とても空虚なものでした。美しい声と表現力はなかなか両立しないものかしら?と、その日はモヤモヤしながら帰ったのですが、まさかその数日後に、それが覆されるとは、夢にも思いませんでした。日本歌曲はもちろん外国語で歌われる曲も、まるでその情景が目の前に浮かんでくるようで、とてもワクワク(うまく言い表す言葉が見付かりませんが)しかしながら、聴かせていただきました。やはり、生の歌声は、美しい声にとどまらず、その場の空気感などもダイレクトに伝えてくれるので良いですね。第1部、第3部に出演された合唱団の皆さんの演奏も、それぞれに違った味わいがあって、とても楽しいものでした。本当にファイナルにふさわしい、素晴らしいコンサートでした。スタッフの方々のご尽力も大変なものだったことと思います。音楽祭の益々のご発展をお祈りしています。
(岡山県/男性/20歳代)
○毎年アザレアのまち音楽祭を楽しみにしている市民の一人です。ファイナルになりました。長年に亘る音楽祭の企画運営、県中部の音楽文化の向上に力を尽くされたことに敬意と感謝を申し上げます。NPO法人化、指定管理者制度公募化、その受託にも賛同します。来年のフォーラム(の活躍)を楽しみにしています。ありがとうございました。(倉吉市/男性/50歳代)
◆ディレクターの回答
アザレアのまち音楽祭の運営団体が、NPO化したことにご理解を頂きありがとうございます。また、時代の潮流でもある指定管理者制度の公募に付いてもご賛同を頂き、心より感謝申し上げます。官から民への大号令で始まった行政改革の流れが、民間には受け皿となる力量がまだないとの認識で指名指定していますが、公募して運営のプロポーザルを競い合い、より優れた団体に指定するのが筋だと思います。行政が文化振興に熱心なのは大変素晴らしいことですが、民間の力を活用するNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)を、地域活動団体の力量を信頼していただきたいと願うものです。
アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント
感想(O.M氏評)VS言い訳と反省ディレクター
6/29 ファイナル・コンサート
アザレア歌&浦池佑佳ソプラノ・コンサート
■第1部女声合唱の部→「まどか」 以前にも聴く機会がありましたが、スキルアップはしていると思います。声が整ってきたように思います。ただ、まだ肩で息をされている方があるようですので、も少し基本のマスターを望みたい。
「ザ・ラニアルコーラス」合唱としてのまとまりが出来てきました。ソプラノの思いっきりのよいソロが出たとたん全体が引き締まった、というか、協力してコーラスを盛り上げている感じがしました。
「ウインドミル」私的には、ユニフォームではない方が好きなのですが、今回はミュージカルみたいな衣装でした。全体にコーラスを愉しんでいる、という演出でした。各パートも、しっかりしていたと思います。ただ、も少し「音圧」があれば、と感じました。
「倉吉女声合唱団」ソプラノに安定感が感じられました。「音圧(dB)」はもっと欲しい。
■第2部浦池佑佳ソプラノ・コンサート→トレビアン!これぞ、ソプラノ。歌いきった感あり。「ディクション」もまずまず。プログラムの構成もソプラノを魅せるのに効果的ではなかったでしょうか。たぶん、聴衆は、この大ホールがあんなに響くものだということを実感されたことでしょう。このソプラノを、たった一人で、このホールで聴けたら幸せだろうなと思いました。
■会場→しかし、こういうときに限って会場の方の悪さが目立つものです。まず、合唱出演者の演奏中の入場。出演者ならば、せめて1曲終わるまでドアで待つ気遣いが欲しい。「合唱の祭典」という会の聴衆のためなのか、あちこちで演奏中にコソコソ。誰某は何処其処の何某とか。床を靴で擦る音。キャンデーを含む匂い。フォルテシモのとき、着信音あり。歌い終わった瞬間にバタンと何かが倒れる音。外のドアの締まる音。小さな子が喋る声(子どもだけ→保護者の責任)。最初のおばさんのお喋りは注意しましたが、その後はもう止めました。曲と曲の間に出演者が引っ込んだのを終了と勘違いしてアンコールらしきの拍手。結局、気持ちのよいアンコールはできず。「合唱の祭典」だから仕方がないのか。演奏者に気の毒でした(でも懲りないで頂きたい。一流の声をナマで聴く機会は是非必要)。浦池氏は来年5月に鳥取市での歌劇『カルメン』のカルメン役が決まっているそうで、迫力あるカルメンが期待できそうです。
◆言い訳と反省⇒アザレアのまち音楽祭で最大の悩みが、音楽をお聴きいただくマナーの問題です。「合唱の祭典」だから多少の騒音は我慢しなければ、との意見もありますが、やはり音楽を楽しむためには、最高の環境で音楽を堪能して欲しいものです。サロン・コンサートでは、かなりの静寂が実現し、純粋に音楽を鑑賞していただける環境が整ってきていると思います。しかし、大ホールでのこの類いの音楽会は、どのコンサートでも似たり寄ったりの状況です。そこで、アザレアのまち音楽祭におけるコンサートは、他のコンサートとの差別化をはかり、純粋に音楽を楽しむための音楽祭にしたいと考えるものです。そのためには、いくら掲示物や印刷物、放送でマナーの注意を促しても、ほとんど効果がないのが現実です。来年度からは、コンサート前に「音楽を聴く楽しみレクチュア」のようなものを10分程度トークし、音楽鑑賞の環境破壊阻止活動をしてみてはどうだろうかと考えるものです。出演者の会場内への入り方に付いては、主催者サイドのミスでしたので、素早く張り紙で対応しました。やはり、音楽祭のコンセプトを再認識し、現実にあわせた運営ではなく、理想にあわせた運営をすることによって、音楽鑑賞のよりよい方法を定着させねばと思います。「芸術の掟は道徳の掟でもある」との言を、聴衆に理解していただくことこそが、アザレアのまち音楽祭活動の意義であり、社会に影響を与える芸術の意味ではないかと思います。
途中の拍手の問題は、まさに仰るとおりであり、コンサートに不慣れな方が多かったためだと思います。しかし、考えようによっては、このコンサートで初めてソプラノの歌声に接し、感動された方が多かったためとも言えます。徐々に、コンサートの楽しみ方を、啓発していくのが、アザレアのまち音楽祭の使命でもありますので、来年度は、もっと緻密な計画を立てて、聴衆の皆さんに音楽の素晴らしさを十二分に堪能していただくよう努力いたします。
■第3部混声および児童合唱→「はわい」親しみのある曲でした。練習の成果が見られたと思いますが、まだ地声が聞こえるようです。「生涯学習」の一環としては、よく練習されていると思います。指導者に感謝しましょう。
「げんげ」こじんまりとしてはいますが、まとまりがあったように思います。高校の学園祭での合唱コンクールなら模範演奏になります。
「みお」さすがに、曲への理解は深い、と思わせました。若干平均年齢の上昇に伴うものでしょうか、不安定感が感じられました。
「こさじ」さすがアカペラを経ているだけあって、ハーモニーの感覚は他より優れたものがありました。豊かな「音圧」があればもっとすばらしい。
■全般に→「50歳代を過ぎると、音域のバランスや音質のバランスを崩してしまう」という辺りを、どう修正するのか、指導者の技量になるでしょうか。そのためには、自分達の演奏を「客観的」に聴く、という作業が必要でしょう。即ち、自分達の演奏の記録を聴く、ということです。幸い、全曲が、主催者によって録音、CD化されるはずですので、是非それを聴いてチェックして欲しいと思います(是非、各人ご購入下さい…CM)。なるべく聴き手が「ヴォランティア」にならなくていいように…。それと、和声の優れた演奏を、自身の耳でじっくりと聴く、という作業がなされているでしょうか?このホールで他団体の演奏を聴いて、得意になっているようではいけないと思います。和声の心がわかれば、立場・持ち場の違い、その良さ、またその上で、合唱で和する(人生で和する)すばらしさが体験できると思います。他人の噂ではなく、自分の耳で確かめることです(『篤姫』みたいに)。
■「成徳小」→2年生を含みながらもきれいな発声が出来ていたように思います、さすが。少し硬かったかな。中部地区にもまだ残っていますよと、ありがたく思いました。
■「上灘小」→今時には「珍しく」男の子も何人か参加していました。元気いっぱい、歌うのが楽しい、という感じが伝わってきました。ただ、「COSMOS」などは中・高生のお兄さんたちも歌う曲
で、少し難しいのではないかと感じました。元気はいいのですが、声の力任せは、コーラスが汚くなってしまいます。普段から、合唱のときの声の出し方を勉強して欲しいと思いました、頑張ってください(なんかNHKFMの「楽しいコーラス」の解説風になってしまいました)。
■音楽を楽しむマナー→どうしても身近な人の出演する演奏会というものは、マナーを知らない聴衆、あるいは演奏以外のことを話題、評価の対象にする聴衆が多くなります。演奏者がそういった方々から評判を聞かれたときに、それとなく諭すとか、あるいは演奏自身はいかが?と尋ねることでしか、解消できないかもしれません。
「その国の人びとの生き方の表現がその国の文化」である、という言葉があります。「その人の生き方の表現がその人の文化(芸術)である」と言い換えてもよいかもしれません。倉吉を中心とするこの地方の文化がすばらしいものであることを願います。勝手なことを申し上げて参りました。身体で感じたままを、誠実に述べさせてもらい、私自身とてもよい勉強になりました。このような機会を与えて下さった全ての方々に感謝します。第27回目の「アザレアのまち音楽祭2009」がさらにすばらしい出来事になりますように。賢治・緑石とともに…。
◆言い訳と反省⇒先にも述べましたが、これが一番の問題なのです。今年は、途中の入場を制限したり、会場内に係員を配置して、整理につとめましたが、限界を遥かに超えたマナーの悪さを露呈してしまいました。これは、やはり主催者側の姿勢の問題かも知れません。演劇の「鳥の劇場」(鹿野町で活動するプロの演劇団体)には、幾度も足を運びましたが、県内では最高の公演活動だと感じています。上演レベルも運営レベルも、そして観客のレベルも高く、純粋に演劇が楽しめる環境を作り出しています。アザレアのまち音楽祭の運営も、プロフェッショナルに徹するようにならなければ、未来はないかもしれません。所詮、田舎のプレスリーだと言われたくないですし、問題を直視せず、現実に迎合し、自己満足しているようでは、賢治にも緑石にも笑われてしまうでしょう。
まだ、スタッフ内では、聴衆が、聴衆がと言っていますが、本当はスタッフの生き方の問題かも知れません。「その人の生き方の表現がその人の文化(芸術)である」との言葉は、私たちスタッフに直接かかわる根本問題です。アザレアのまち音楽祭としての生き方を、より強固にすることでしか、聴衆を変えられないのかもしれません。
内部評価委員を務めていただきましたO.M氏に対し、深甚なる感謝を申し上げます。議論を巻き起こすことが、まだまだタブー視されている中で、あえて様々な指摘をしていただき、今後の指針が見えてきたと感じています。どうぞ、今後とも、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。ありがとうございました。
アザレアのまち音楽祭 ディレクター 計羽孝之