○いつもながら、じっくり腰を割って音楽をつむぎ出す山城さんのスタイル。もう少し指が回ったらと思うところがあったり、パワーに余裕があれば、表現の幅が広がるのにと思ったりするが、技術的な器用さより音楽の表現、情感を大事にする山城さんの良さが出ていたと思う。特にブラームスの叙情的な楽章は美しかった。
(安来市/男性/50歳代)
○とても感動しました!!(米子市/女性/30歳代)
○演奏を始める前に、まず名前をおっしゃって挨拶され、そのようなパターンのコンサートはあまり経験がなかったので驚きましたが、とても新鮮に感じました。ふっと和んだ状態で、肩に力を入れることなく、ピアソラの世界の一部に触れたという印象です。高音の透明感のある繊細な響きに魅了されました。演奏中に、携帯の着信音、鈴の音など、関係者の方が色々ご尽力されている事を重々承知しているのですが、やはり演奏中の着信音は残念でした。少しずつ観客のマナーも向上するといいですね。(北栄町/女性/40歳代)
◆ディレクターの回答
まずは皆様方にお詫びを申し上げねばなりません。会場で携帯を鳴らせてしまったのは、ディレクター本人であり、お詫びのしようもありません。今後は、持参しない事と致しますのでどうぞお許しをいただきたいとお願い申し上げます。どう考えても、今回の大失敗は、気のゆるみだと深く反省しています。また今回の失態は、全くお客様には関係ないものであり、コンサートの責任者であるディレクターの不注意によるものです。北栄町のお客様のマナーは素晴らしいものであり、素晴らしいコンサートを作っていただけたと、ただただ感謝申し上げます。
○大変感動しました。又、来年の音楽祭に出演をお願いしたらいかがでしょうか。(大山町/男性/60歳代)
○始めて聴きましたが、とても良い音色でした。(境港市/男性/50歳代)
○山城さんの話もあったが、マイクがなく聞けなかった。伴奏(左手)も見たかった。天上(天井)に鏡があったら良い。舞台が殺風景だった…花があれば。身近な映画、学校で聞いた名曲が聞きたかった。(北栄町/女性/40歳代)
◆ディレクターの回答
クラシック・コンサートでは基本的にマイクは使いませんので、当日もご本人からその旨の申し入れがありました。しかし、最後列から聞いていましたがお話の内容はよく分かったように思いますが、お聞きになった位置が悪かったのかもしれません。また、音楽の演奏を見るのも楽しみのひとつですが、どちらかといえば見ることより聴く事の方が、楽しみが大きいかも知れません。ウィーンのムジークフェライン(世界最高といわれるコンサートホール)には、全くステージが見られない座席が存在します。音楽は見るんじゃなく聴くものだと割り切った発想なのでしょう。天井に鏡がついたコンサートは聞いたことがありませんし、鏡をつける意味もないと思います。又、コンサートのステージに花を飾るのは、特別な場合だけで、通常のコンサートでは、花をステージに持ち込まないものです。アザレアのまち音楽祭では、ステージ上での花束の贈呈もやめています。純粋に音楽だけを楽しんでいただこうと言うわけです。音楽の中には、様々な想像力をかきたてる要素が満載です。音楽を聴きながら、ステージいっぱいに空想の花を咲かせることはご自由ですが、人によって描くイメージは異なります。ですから、ステージに何もないのがシンプルで尚且つ空想力を翼を羽ばたかせるには好都合だと思います。曲目に付いては、おっしゃるような名曲を綴るコンサートも今後は企画したいと思いますので、来年にご期待ください。
○とてもすばらしいコンサートでした。普段、なかなか聞けないような、とても心に残るピアノの音色でした。(北栄町/女性/50歳代)
○スタインウエイのピアノからながれ、いや転がりいずる音色。この音の中へ引き込まれ、やわらかく、そして力強く、美しい響きが心に染み入りました。2005年のオープニング・コンサートで演奏されましたが、シューマンのピアノ協奏曲を、山城裕子氏のピアノで聴きたく思います。(北栄町/男性/70歳代以上)
アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント
感想(O.M氏評)vs言い訳と反省ディレクター
6/17 山城裕子ピアノ・コンサート
■姿勢⇒北栄町役場前には、「アザレアのまち音楽祭」の大きなポスターが県道に面して立てられている。取り組み姿勢として評価したい。今夜は松本町長の挨拶で始まる。
◆言い訳と反省⇒北栄町長のごあいさつは、倉吉との連携する音楽祭に感謝の意を述べられ、文化に対する思いが伝わり、感激です。先回は文化芸術に造詣の深い副町長にごあいさついただきましたが、行政のトップが、このような音楽会に来場していただく事は、とても素晴らしい事です。
■会場⇒この会場の夏場の最大の欠点は空調であり、その運転音である。幸い今夜は比較的涼しく、演奏中は空調を切ることがかろうじてできた。しかし、演奏者には暑くて不快であったかも知れない。
◆言い訳と反省⇒もともとこの会場は会議用に設えられているため、コンサート会場としては不備があるのは仕方ない事だと考えています。しかしながら、竹下内閣時代の一億創生事業で、このホールにスタインウエイのピアノを設置し、ステージに音響反射板を取り付けられた見識には頭が下がるものがあります。今にして思えば、空調も設置時にコンサート用のダクトを使用しておけば良かったのでしょうが、あとの祭です。しかし、昨年不備であったPAは改善されていますし、徐々にホール環境改善されることでしょう。照明も空調もオンとオフの切り替えしか出来ない構造になっているようですから、徐々に直されていく事を期待しています。今回は、始まる前までは空調をオンにし、演奏が始まればオフに、休憩になればオンにというような次第でした。
■第1部⇒もともとタンゴのピアソラの三つのプレリュード。バンドネオンの入ったピアソラのCDは持っているが、この曲は初めて。加古隆あるいはキース・ジャレットの類のジャズ・ピアノみたいである。そもそもピアソラの曲を、しかもピアノで、というのは田舎ならずとも聴くチャンスは少ないだろうし、並みのピアノコンサートを期待してきた向きには、意外あるいは理解し難い曲だったのかもしれない。しかし、その迫力ある演奏に圧倒された感があった。 三つとも根底にはタンゴあるいはミロンガが流れていたにしても、新鮮なリズムのピアノ曲として愉しめた。 発見したことが一つあり、それは、これらの曲の「楽節(?)」の終わりにピアノの弦の微妙な響きが残っており、それがその「楽節」の微妙な和音(?)として響板のところで共鳴していたことである。 次のブラームスには感じられなかったので、ピアソラ固有のものかと思われる。ピアノの弦が醸し出す微妙なハーモニー。発見でした。それにしても昨年は「展覧会の絵」、今年は「ピアソラ」と選曲に感謝したい。
■第2部⇒ブラームスの「ソナタ第3番」。開始のコールがあっても山城氏がなかなか出てこない。舞台裏で近くをJRの快速か特急か通過列車の音が聞こえた。そして始まった。主催者の配慮であれば、凄い。有名な曲であるにしても、約40分を要するこの曲を演奏会で聴く機会もそうそうないと思う。それが今夜は「アザレア」で聴くことができたのである。山城氏はほぼマイペースで、あるいは何かを想いながら弾いているように思えた。曲そのものが情熱的でもあるのだが、それ以上に彼女の想いが、何かは知らないが伝わってきて熱くなる(空調の所為ではない…演奏者は暑そうであったが)。会場の聴衆も圧倒された感じがある。何かを想って弾いている。聴衆に対し全然媚びる風がない。 アンコールに友人へ捧げたノクターンがあったが、その演奏でも、彼女の演奏には何かしら想いが乗り移っているようだ。お蔭さまで、会場での細々したこと(いびつな反射板とか、扉のキイ音とか)が横に置かれてしまった。
◆言い訳と反省⇒ブラームスのソナタを演奏会に乗せるのは、県内で初めてではないかと思います。やはりこのピアニストは巧いなあと感心しています。構成力が堅牢で、ダイナミックレンジも広くピアニシモの美しさもかなりのものです。
■演奏中⇒なにかどこかで小さくゴトゴトと音がするのでなんだろうと思えば、どうもペダルの音らしい。あんなに音がするものですかねえ。それと、タイミングのよすぎる「咳」、着メロ。これを除けば演奏は最高でした。 衣装も結構。昔は、女性がスカートの裾から靴を見せるだけで「下品」「挑発的」と言われたらしいが、脚が透けて見えても若ければいいじゃん!
◆言い訳と反省⇒着メロ音は、不覚にもディレクターのものでした。申し訳ないと言い訳してもどうしようもなく、穴があったら入りたい心境でした。もう、偉そうにマナーだ何だと言えなくなりました。大いに反省しております。お許しいただきたいと思います。