アザレアのまち音楽祭経営を考える
事業展開する人材に必要なもの
アザレアのまち音楽祭アートディレクター 計羽孝之
【1】はじめに
何事に於いても、新しい時代を動かしていく力は、これまでと違った新しい思考やアプローチです。そこで重要となるのが経済学者のダニエル・ピンクの言う「ハイコンセプト」「ハイタッチ」という理念です。(注/コンセプトとは、概念、観念、観点、考え方であり、特定の顧客集団にとり、他のものでは得られない特別の価値を指します。ハイタッチとは、発達した技術社会において求められる高密度な人間関係のことです)
○「ハイコンセプト」とは、パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴えて美を生み出す能力、人を納得させる話術の能力、一見バラバラな概念を組み合わせて何か新しい概念を生み出す力、などを言います。
○「ハイタッチ」とは、他人と共感する能力。人間関係の機微を感じ取る能力、自らに喜びを見出し、また他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、そしてごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力などの事です。
これらの能力は、ほとんど基本的に本来の人間の備わった資質なのです。産業革命以後、ずっとこれまで機能性を追及する「産業の時代」が続き、私たちが本来持っていたこれらの能力を忘れてしまったのです。その事にいち早く気が付き、誰よりも前向きに実践し、その能力を身に付け、マスターしていった人達が、よりよい成果を上げて行ったのです。
言い古された感もありますが、なぜ、これからの時代では右脳タイプの人が成功を約束されているかのように言われるか、あえておさらいしてみます。左脳と右脳の働きを見ると
@左脳は右半身を制御し、右脳は左半身を制御します。
A左脳は「逐次的に」物事を処理し、右脳は、「全体的に、瞬時に」処理する能力があります。
B左脳は「文」を、右脳は「文脈」の処理を得意とします。
C左脳は「詳細分析」し、右脳は「大きな全体像」として捉えることが出来ます。
つまり、左脳は順序よく推論し、分析能力に秀でていて、言語を操ります。一方右脳は総括的な思考をし、パターン認識や、感情や非言語的表現の理解に優れているのです。「二心ある」という表現がありますが、文字通り人間には二つの思考パターンが備わっているのです。そして、物事を見る時、本当の意味で「見る」ための秘訣は、「なんでも知っているぞ」という理屈を振り回して威張り散らして来た左脳を鎮め、もの静かで柔らかな右脳にこの仕事をさせることです。これまで軽視され、顧みられることがなかった右脳型の能力、つまり芸術的手段、他人との共感、長期的視野、超越して物を追及する能力、といったものの有無が、事業展開する中で高く飛躍できるか、つまずいてしまうかを左右することになると言われるのです。
釈迦に説法ですが、18世紀までは農業の時代で、19世紀は工業の時代、20世紀は情報の時代、21世紀はコンセプトの時代となっていくだろうと言われています。未来学者のアルビン・トフラーは現代を第三の波(情報の時代)として一括していますが、21世紀をコンセプトの時代とする捉え方は重要です。別の言い方をすれば、過去は、人々の労働(肉体的な)に頼り築かれていた経済から、現在に至る知的労働(左脳)に頼り築かれた経済社会へと移行して来たのです。しかし、今後は、情報を基盤としたコンセプト(右脳)に頼り築かれていくような社会になるでしょう。
私たちは、「コンセプトの時代」に向けて、どのような準備が必要なのでしょうか?それは、物の豊かさ、アジアへの生産拠点の移行、未だにオートメーションに翻弄されている世の中では、「左脳主導思考」はまだまだ必要です。しかし、もはやそれだけでは不十分であり、私たちは「右脳主導思考」に磨きをかけて、「ハイコンセプト、ハイタッチ」の資質を身に付けなければなりません。そして、欧米に習い第三次産業であるサービス・観光業界こそが先進国の中心産業となるのだという認識をすべきなのです。「右脳主導思考」を磨くためには、次に示す6つのセンス(感性)」が不可欠だと考えます。
@何事に於いても機能だけでなく「デザイン」としての美しさを求めるセンスです。提供する商品としてのソフトやサービス、あるいは提供される体験や再構築されるライフスタイルにおいても、もはや単に機能的であるだけでは不十分です。何よりも提供されるものが美しく、感情的に訴えかけてくるものを創ることは、経済面に置いても不可欠なことであります。私たち一人一人がデザイナーになるということが最終的には必要であり、その事が全てについての変化を生み出す、主体者になり得るということなのです。
Aロジックな議論よりは、「物語」を作り出すセンスです。今日のように、様々な情報やデータが溢れた時代ですから、考え方も生き方も全く異なる人々が共存するのです。ですから、如何に効果的な議論を戦わせても、それは十分ではないはずです。何故なら議論をすると言う共通の方法論として弁証法が誰にでも身についているとは言えないからです。必ず、どこでも誰かがあなたの議論の盲点を突き、反論のための反論をして来るものです。ですから論理的な説得ではなく、情に訴えた説得やコミュニケーションが必要になるのです。自説の説得で肝心なのは、「相手を納得させる話ができる能力」なのです。感情がこもって豊かになった文脈こそ、物を語る能力の本質になるのです。つまり、感情面に訴える処方がとれるなどといった能力が重要になるのです。
B個別よりも「全体の調和」を図るセンスです。これから世界で新たな価値が見出されているのは、調和と言うことです。そして最も重要になってくるのが、分析力ではなく総括力、つまり全体像を描き、バラバラなものをつなぎ合わせ、印象的で新しい全体像を構築する能力なのです。全く異なるものをまとめることの出来る人こそが、事業の成功を請け負えるのです。
C論理ではなく「共感」を得るセンスです。情報が溢れ、高度な分析ツールを使ったマーケティングリサーチ等が簡単に出来る時代ですが、論理だけでは、物事は立ち行かない時代である事は自明のことです。湯布院でも黒川でも、成功している人たちは、「何が人々を動かしているか」を理解し、「人間関係を築き、他人を思いやる能力」のある人達なのです。
D真面目だけでなく「遊び心」を持つセンスです。真面目でなければならない時が、ほとんどです。あまり深刻になりすぎるのは、仕事にとっても、満足の行く人生を送るためにも、悪い影響を及ぼすことがあります。何事も楽しんでやらないと、成功しません。その重要性は、ゲーム、ユーモア、遊びの三つの形に代表されます。これを忘れてはいけません。
Eモノより「生き甲斐」を求めるセンスです。これも言い古された言葉ですが、「物質的には豊かになったが、精神的な豊かさは衰退した」時代です。生活の利便性は向上し、日々の生活に苦しむようなことは無くなったといわれます。しかし、功利主義のはびこる現代では金が全てとなり、利便性の追求は金次第の時代でもあります。今こそ物質欲から開放され、より有意義な生き甲斐を求め、精神の充足を追い求める時代になったのです。
音楽祭を企画実行する人材に必要なのは、何よりも幸福感の追求を喜びとする方なのです。幸福の要因は、満足の行く仕事に従事することです。マイナーな出来事や気分に至ることを、私たちは心して避けなければなりません。そして、豊かなネットワークを築くこと、感謝の気持ちを持つこと、間違いを許すことなどの人間性が大切なのです。そして最も重要なのが楽観主義なのです。これらは全て右脳主導思考するに外せないポイントなのです。
【2】物事をやると決意できる人
音楽祭を企画運営する人材にとって、「音楽祭のやる決意」の有無は重大です。必要不可欠な最低条件は、まず「やる(Do)」という決意をすることです。どのように(How)やるかは、後でいいのです。音楽祭の方法と手段(How to)は山ほどあるものです。じっくり時間をかけて検討すればいいのです。音楽祭という単なる「思い」つきが、篤い「想い」になり、やがて「志」となっていき、ついに「決意」に変わるのです。そうすれば、自ずと方法と手段は見えてくるものです。
物事を決意する時に、先に述べた「6つのセンス」の違いが現れるものです。マイナーに事を考え、できるかできないかを問題にして後向きの判断をしやすいものですが、要は「やるかやらないのか」が全てであるのです。全ては行動から始まるのです。考えていても何も始まらないものです。やってみないと分からない事が実に多いものです。やってみると分かる事の多さに驚いたりするものです。実は、アザレアのまち音楽祭も、25年前には、到底、不可能だと言われていました。それは、あまりにも荒唐無稽に思えたからです。ですから、当時のスタッフの皆さんには、計羽孝之に騙されたと思って協力してくださいとお願いしたのです。チャンスというものは、何時だってありますが、平等の原則と同じで、誰にも何処でも何時でもあるようでいて、誰の目にも見えないのです。膨大な経済的リスクがある訳ではありません。ですから騙されると思ってやってみるのも、チャンスに強くなれる方法かもしれません。そもそもチャンスは、行動することから得られるものです。理由はどうでも良いから、まずやってみると決意しなければなりません。
【3】目標・目的を持つことの出来る人
目標(単に目当てとか、目印)が持てるということは重要です。目標は二通りに働くと言われます。一つは自分自身が目標を目指すようになることです。もう一つは、目標が自分自身に働きかけるということです。やれば出来る脳力は誰にだってあります。しかし、事業展開する時、一向に進歩しない場合があります。その原因のほとんどは、目標が明確でなく、その道筋が鮮明でないからです。よく言われるのは、「誰でも潜在能力があるのに、本当に考え抜くだけの努力をやっていないから能力が出てこない」と言うものです。考えることを表面的にやっていてはダメなのです。「考えるだけ」という事と「考え抜く」ことには大きな違いがあるのです。人は困らないと知恵は出てこないものです。そうは言っても、やることなすこと全てが、裏目に出る場合もあります。そんな時はコツコツと地道に目標への道を探していくことで、見つかるものです。その地道さによって、自ずと道が開けることでしょう。21世紀という時代は、このコツコツが成功のキーワードとなるでしょう。従って、目標を持って行動を起こせば、徐々に味方となって共に歩む者が現れるはずです。音楽祭活動として行動するためには、目標を設定することが必須であるのです。
目的(事を成し遂げようとする時の目当て)を持つと言うことはもっと重要です。音楽祭を成し遂げようとすることに生きる目的を絞れば絞るほど、人生を生きるという哲学に深みが出るものです。それは、商業行為でもボランティア行為でもなく、芸術行為の実践になるからです。誰の人生でもない、自分の人生として行動することになるのです。自分に正直になりたい、自分らしさを出したい、自分自身を見つめ直したい、結果が出ても出なくても素晴しい人生を歩んでいると考えることで、自分自身を段々と信じることが出来るようになります。そうすると、何が出来たかよりも、何を目指して来たかが明確になります。むしろ結果よりも、目的はなんであったのかが問われるのです。人生を芸術まで高める意義のあることをして来たとの自信が、成果よりも成長を楽しむこととなり、そこから、新しい人生の目的が見えてくるものなのです。
【4】段取りを考える人
仕事というものは何であれ難しいものです。意欲的に取り組んでも、失敗する時もあります。好きでやった事でも、挫折する事は多々あります。私たちがやる気を失う場合のほとんどは、最も難しい仕事に取り組んだ場合です。しかし、やる気になる場合も、最も難しい仕事に巡り合った時でもあります。この点がとても重要です。ものは考え方次第で、どうにでもなるのです。難しい事に取り組むほど、教えられる要素が多いのは既成事実なのです。ですから、取り組み姿勢ひとつで、問題が問題でなくなり、自分自身を鍛え上げる糧となるのです。常に正攻法が大切なのです。 そうは言っても、仕事は段取りが全てです。段階を踏まえた準備が出来てこそ、新しいチャレンジが可能なのです。準備が出来ていないと、ほぼ失敗します。最低限の準備は、いつでも必要だとの認識で事に当たらなければなりません。段取り八分に仕事二分とは、昔から言われている事です。準備が完全に出来ていれば、その事業はほとんど成功したと同じだと言われる所以が其処にあります。 段取りで最も大切な事は、決して経済的破綻のリスクを内包しない計画を作ることに尽きます。十分な資金が準備されず、システムとして、スタッフのモチベーションやノルマによって、やっと計画が達成できるような綱渡りの段取りは、間違ってもしてはなりません。段取りは、出来ることから手がけていくコツコツ型を基本にすべきです。
【5】成功意識が持てる人
成功イメージが持てることはとても重要です。成功イメージは、明確な目標とその鮮明なビジュアル化が可能である事が絶対的に不可欠な要素となります。常にプラス思考で、成功イメージを持たなければなりません。また、目標が曖昧であるとイメージがしにくいものですので、目標である「音楽祭を成し遂げようとする」具体的な項目を設定しなければなりません。
成功イメージが持てる人は、「あきらめない」という行動様式を持っている人です。その「あきらめない」の原動力は「執念」です。執念が必要だと言えば、いささか大仰ですが、成功を追い求めるに必要な資質だと思います。音楽祭と言う目標が決まったら、執念を持ってトコトンまで押し進めることが重要です。どんな場合でもそうですが、成功を勝ち取るための問題点は能力の限界ではなく、ほとんどの場合それは執念の欠如であるのです。能力の限界と言って言い訳したり、逃げ出す人は多いのですが、実はやる気という気持ちの問題であると気づくべきです。アザレアのまち音楽祭の初期の段階では、寄付金集めの困難さやコンサート運営の煩雑さに、何度か頓挫しかけた事があります。クラシック音楽のコンサートが、倉吉市では一年に数回しか開催されていなかった時代に、アザレアのまち音楽祭は一ヵ月半の期間に連日開催したのですから、当初に於いては尋常な事ではなかったのです。「コンサートが多すぎて選択できないから」とか、「コンサート数を減らすべきだ」とか、「たった60〜70人の聴衆のためにかかる人的負担が大きすぎる」から止めたいとか、諸々の問題点が噴出したのです。それを乗り越えたのは、リーダー集団のものを深く考える姿勢であったと自負しています。よく言われることに、「考えが進んでいる人は、困難な事態から得られるものの事を考えているが、思考が止まっている人は、失うものの事しかを考えていない。」ものです。ですから、ものの捕らえ方一つで、何事も変わって来るのです。いつも前向きの考え方になるように、普段から自分を仕向けておく習慣が必要です。
また、成功イメージを持つために一番効果的なのは、優れた人脈を持つ事です。アザレアのまち音楽祭の初期から今日に至るまで続けて来られた要因は、演奏家たちとの太い人脈であり、倉吉市内企業人との篤い信頼関係が人脈として存在し続けた事です。人脈を豊かにする事こそ、成功への鍵かも知れません。私たちは人脈をつくりたければ、まずは相手の人脈になる事を選択しなければなりません。それを煩わしいと感じてしまうか、新しい別世界が切り開かれたと喜びに感じるかで、確固たる人脈の命運は分かれるでしょう。相手となる人脈から、何かを貰うことばかりを考えていては、どうしようもありません。人脈とは相互交流なのです。与えるから頂けるのです。普段から信頼の置ける人脈を作る努力が必要不可欠です。
音楽祭を成功イメージで捉える事が重要です。成功させるためには、成功しているように振舞うことです。物事はそれらしく扱えば、それらしくなるという原則がありますが、形から入ることの重要性がここにあります。イメージが現実に近づけてくれるのです。イメージを作る時には、全体的なビジョンを創る必要もあります。アザレアのまち音楽祭でも、この手法を使ってブランド力を高めています。それは、河本緑石と宮沢賢治に由来する「アザリア会」と音楽祭を結びつけた「伝説つくり」の手法です。宮沢賢治という全国区の知名度を、アザレアのまち音楽祭に持ち込んだのです。そして、この音楽祭からオペラ団体が誕生し、宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」をオペラとして全国発信したのです。宮沢賢治が夢見た「農村芸術概論」の実践の場が、正にアザレアのまち音楽祭なのだとのイメージは、拡大し続けています。今年度の音楽祭時に、東京から電話がかかり、「倉吉は東京の何区にありますか」と聞かれて吃驚したものです。
アザレアのまち音楽祭でも失敗と成功を繰り返してきています。失敗は、失敗を怖がる人が大好きなのでしょう。失敗を恐れて集客力の確実な有名人に頼り、定性評価も定量評価も失敗を繰り返す場合が多々あります。その反対に成功は、そんな失敗を糧として、イメージ力を高めていく人が大好きなのでしょう。困難から逃げれば逃げるほど大きくなっていくものは、借金と失敗要因の問題だけです。何事も正面から向かっていけば、問題は小さくなってしまうものなのです。困難や問題点は逃げるから追いかけてくるのです。アザレアのまち音楽祭は失敗を重ねるたびに、より大きな成功が待っていました。逃げずに立ち向かうことで、チャンスは開けてくるのです。成功を重ね、成長すればするほど、より大きな難題や障害が生まれるものです。そして成功意識を糧として問題に挑むことこそが、より大きな成功を得る事になるのです。そしてそれは、成功者と言うよりも成幸者としての喜びを勝ち取る事になるのです。成功は、幸せになるための手段なのです。
【6】仕事を貫徹する人
企画が出来たら、その実践に全ての活動を集中しなければなりません。組織としてのエネルギーは、集中させてこそ威力を発揮します。そして、一人でやるよりもチームでやると信じられないほどの結果が出てくることを、私たちは今日までの体験で知っています。活動がレベルアップすると、今まで見えなかったものが、どんどん見え始めるのです。この感触は、多分やってみないとわからないでしょう。
しかし、未だに損得でしかものの判断が出来ない人も多くいます。赤字が出ない段取りがなされていても、赤字が出たらどうしよう、と思って、積極的に活動参加出来ない人もいます。そのような人は、やめればいいのです。それはやりたくないという心のシグナルだからです。赤字が出てもいい、と思ったら、やればいい、それだけの事です。それはやりたいことだからです。自分の心に正直になること、活動内容を素直に見つめること、そして決断したら後は思いきってやるだけです。決して中途半端な活動はしない事です。中途半端な活動は、結局何もしないと同じことになるからです。
仕事を貫徹させる要素は、ただ粘るということだけです。そのためには、粘りがいのある事業展開をすることが重要ですし、対象事業に対しては、徹底的にかつ躊躇せずに粘って、粘り続ける覚悟が無くてはなりません。粘ることとは、諦めないということです。何事も努力をし続けることで、全く違った世界が見えてくるのです。
【7】感動体験を持つ人
活動内容に感動した自分を感じる事が、最も大切な事です。音楽祭を運営する以上、音楽会での演奏に、感動した体験の有無は欠かせないものです。更に仕事に於いても最近感動したことが、あるかどうかなのです。昨今の仕事では、感動がないと思っている人がたくさんあるようです。しかしそれは、自分がただ気付かないだけのことかもしれません。音楽での感動体験の無い方は、一番身近な自分の生活の中で、何でもいいのです、よくやったと感動出来るものを発見してください。そうすれば毎日の生活のなかに、何かが発見でき、感動の思い出づくりが出来るはずです。
一度の感動で満足したと酔いしれてはいけません。事業の目標が達成されても、満足してはいけません。満足に酔いしれると、成長ができなくなります。一時の満足は自分を誉めるためには仕方ないかもしれませんが、それを何時までも引きずってはだめです。常に新しい目標に書き換えて、挑戦し続けることが大切です。手を抜いてはいけません。
音楽祭活動で幸せを生み出すことが、何よりも望まれることです。活動者自身が誰よりも幸福感を感受しなくてはならないのです。誰よりも幸せになる人は、誰よりも他人を幸せにしようとする人になるからです。幸せを届ける人が、幸せになるのです。幸せは回りまわって必ず自分に返ってくるものですが、それは何時か、何所にもどってくるかなど分からないものです。しかし、アザレアのまち音楽祭25年の歩みの中で、確実にその幸福感が巡っている事を実感しているのです。 感動体験は、何にもまして甘く魅力的なものです。極めて大きな感動と魅力的な想いが一つあるだけで、その他の欠点までもが魅力的に見えてくるものです。と言うことは、物事の欠点を克服するのも大切ですが、それよりも、もっと長所を伸ばす方に力を注いでみることが真理かもしれません。その方がラクで楽しいはずです。
感動体験は、あなたの全ての居所を舞台とするでしょう。あなたの舞台で輝いて生きること、今できることを今やること、そこから、人生が変わり、感動的な生き甲斐が生まれるのです。
2006/08/22