5/23 アザレア弦楽四重奏団演奏会

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プレゼンター:吉田内科医院

アザレア弦楽四重奏団演奏会

1stVn 伊藤 明 2ndVn 池上美穂子   Va 井川晶子 V.C 原田友一郎

2009年5月23日(土)19:30〜 倉吉博物館 700円

 プログラム                                             

第一部

@モーツァルト/弦楽四重奏曲第23番 ヘ長調K.590「プロシャ王第3番」

曲目解説

モーツァルトの最後の3曲の弦楽四重奏曲は、1789年から1790年にかけて、チェロの名手として知られたプロシャ王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世からの依頼によって書かれた。当初は6曲の曲集にまとめる予定だったが、経済的な苦境に陥ったために『苦労して書いた私の四重奏曲を、この状態では少しばかりのお金を手にするために、法外な安値で引き渡さざるを得ない』(1790年6月の手紙)として、3曲で中断された。しかし3曲の四重奏曲の澄明な音楽の中には、当時の困窮した生活の影がまったく落とされていない。

プロシャ王に献呈するために、王の受け持つチェロパートをソリストのように目立たせて、王の特権的な立場を誇示するように書く必要があった。しかし、そのために純粋な室内楽としての内面的な充実を犠牲にはできない。そうした制約を克服して両立させることは、彼がそれまでに数々の試行錯誤を経て弦楽四重奏曲の傑作を残してきたこととは別の意味で(手紙の中に記されていたように)たいへん苦労の多い仕事であった。

特徴としては、対位法を駆使していることや、曲の中での主要な楽想を関連づけて統一感を持たせていることが挙げられる。しかし最も重要な特徴は、こうした高度な作曲技法を使っているにもかかわらず、それらが高い到達点に向けての《努力やエネルギー》ではなく、高い到達点における《軽やかな飛翔や純粋な遊び》として聴こえるところにある。

この第23番は、モーツァルトの最後の弦楽四重奏曲であり、3曲の中で最も規模が大きく、充実した傑作である。晩年の作品に共通して見られる簡潔で澄明な音調には、「生への至福と悲哀に満ちた告別」(2楽章についてのアインシュタイン評)にも似た諦念が感じられる。

1楽章…第1主題は全員がユニゾンで主和音を分散和音で上がり、一気に駆け下る。その後、チェロがソロ的なパッセージで第1主題を繰り返した後、ハ長調の第2主題を歌い上げる。コーダは飛び去るように消えていく。

 2楽章…ハ長調。テンポは自筆譜ではアンダンテ、初版ではアレグレットに改められた。冒頭の静かな主題がほとんど全域にわたって繰り返され、やがて伴奏となり、さらに16分音符の装飾的なフレーズが絡んで、変奏が繰り返されていく瞑想的な楽章。

3楽章…メヌエット、へ長調。上の声部と低音部との対比に特色がある。

4楽章300小節を越える長大なフィナーレ。無窮動的で小さな渦巻きのような16分音符の主題がロンド・ソナタ形式によって執拗に繰り返され、最後はカノン風の手法を使って盛り上がる。

第二部『ウィンナワルツの楽しみ』

J.シュトラウス2世

@円舞曲「ウィーンの森の物語」作品325

曲目解説

シュトラウス2世の代表的なワルツとして親しまれている。前作のポルカ「雷鳴と電光」作品324と同時期、1868年に作曲された。ウィーンの森の名で知られるその美しい緑地帯は、現在もウィーンの人々の憩いの場であり、シュトラウス2世も「その自然の美しさに心を動かされてこの作品を書いた」と伝えられている。

踊るためのワルツというよりも演奏会用交響詩に近い形式をとっている。長大な序奏は夜明けを告げるような牧歌的な吹奏で始まり、小鳥のさえずりを模したカデンツァに続いて、のんびりとした序奏を経て、4つのワルツが続き、暖かく慕わしい気分が歌われてゆく。

Aポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324

曲目解説

初めは「流星」という曲名で着想されたが、後に曲名を「雷鳴と電光」に変更して1868年の2月にウィーンの舞踏会で初演された。3部形式で書かれている。急速で快適なテンポによってスリリングな興奮が高まり、明快でしかもユーモラスに曲は進む。チェロが急速に上下する音階進行が不気味な雷鳴を表し、中間部では突然閃く稲妻をヴァイオリンが表し、やがて雷鳴と電光がけたたましく交錯する。

B円舞曲「南国のバラ」作品388

曲目解説

1880年の発表したオペレッタ「女王陛下のハンカチーフ」がたいへん好評だったため、その中の旋律をメドレー形式でまとめられ、「南国のバラ」という曲名で国王に献呈された。

全般的には少し物思いに耽るような色調が漂っている。へ長調の第1ワルツは、優美な雰囲気の中に哀愁を感じさせる。続く第2ワルツでは内省的なA部分と、躍動的なB部分から成り、ト長調の第3ワルツから変ホ長調の第4ワルツを経てクライマックスに至る。結末ではシュトラウスの独壇場である陽気なファンファーレの旋律によって、最高の喜びが輝く。

Cポルカ・フランセーズ「クラップフェンの森で」作品336

曲目解説

急速なポルカ「雷鳴と電光」と違って、フランス風ポルカのテンポはゆったりしている。この曲では、ウィーン市民の憩いの場であるクラップフェン(ウィーンの北側にある小高い丘のある周辺)の森にいる小鳥たちのさえずりを中心に、のどかな田園風景を描いている。「カッ・コー」という鳴き声がユーモラスに表されるのが楽しい。

しかしこの曲は、実はシュトラウスが寒いロシアを旅行した時に書かれた。ロシアのペテルブルグ近郊の高級別荘地で「パヴァロフスクの森で」という曲名で初演されたが、ウィーンで演奏される時に現在の名前に変えられた。彼のポルカの中でも特に愛敬があって親しまれている。

D皇帝円舞曲 作品437

曲目解説

 1889年当時、シュトラウスの母国、ハプスブルグ帝国は内政と外交の両面で低迷しており、一方で宿敵プロイセンが建国したドイツ帝国は破竹の勢いで勢力を拡大していた。ハプスブルグ帝国(皇帝フランツ・ヨーゼフ1世)はヨーロッパで生き残るために不本意ながらドイツ帝国(皇帝ヴィルヘルム2世)と軍事同盟を結び、ベルリンに表敬訪問することになった。シュトラウスはその折、両皇帝の友情の象徴としてこの曲を献呈した。

しかし実はこんな裏話がある。ベルリンでは表敬訪問の少し前に「手に手をとって 」という曲名で既に初演されていた。その後、出版社が一計を案じてシュトラウスに提案し、予定していたドイツ皇帝への献呈を取り止め、曲名も両皇帝を指しているかのように改めて、双方の皇帝の顔を立てる形へと取り繕った。事情を知らない皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もウィーン市民も彼の愛国心を讃えたと言われている。

曲は、静かな行進曲による導入部に始まり、力強いクレッシェンドによってワルツの主部が予告される。随所できらびやかで荘厳に表現され、勝ち誇ったような気分と美しい曲調が華麗な雰囲気に満ちていく。

演奏団体プロフィール                                        

アザレア弦楽四重奏団

1988年結成。松江を中心に各地でのコンサート・イベント・ウェディングなど通算約700ステージの演奏活動を展開する、山陰随一の弦楽四重奏団。1991年からアザレアのまち音楽祭に出演(19回目)。1991年全国育樹祭で皇太子殿下ご臨席のもとで演奏して称賛を博す。1995年ねんりんピック開会式出演。2002年日英グリーン同盟植樹式で記念演奏。2005年島根県立美術館「名曲で飾るロビーコンサート」出演。クラシックから映画音楽・ポップス全般、歌謡曲や日本のメロディまで幅広いレパートリーを縦横に組み合わせた楽しい選曲、そして4人という自由気軽なアンサンブルのスタイルがリスナーから支持されている。

ご案内                                               

 このカルテット(四重奏)は、元々、アクエリアス弦楽四重奏団として松江を中心として活動していますが、アザレアのまち音楽祭に出演する時のみ「アザレア弦楽四重奏団」として名乗っています。と言いますのは、音楽祭のフランチャイズ団体として評価し、継続して出演し続けることが保証されているからです。アザレアのまち音楽祭への出演は、単なる依頼コンサートとは異なり、団としての演奏レベルを保持し、団体のポテンシャルを維持し、その可能性としての力を現実のものとする演奏努力が課せられているのです。そんな意味からも、毎回聴衆の鋭い鑑賞眼に晒されて、進化し続けたアザレア弦楽四重奏団は、アザレアのまち音楽祭の誇りです。

 私たちは、このカルテットによって、生演奏では聴く事の出来なかった様々な楽曲に対面し、多くの恵を授かってきています。弦楽四重奏は、音楽マニアの究極の到達点だともいわれますが、アザレアのまち音楽祭では日常的な音楽の楽しみになっています。昨年のボロディンなど、めったに聴く事の出来ない名曲にも出会い、お馴染みのベートーヴェン、モーツァルト、ドボルザーク等は定例化し、ファンが固定して毎回満席になるほどです。

 今年は、前半に定例のモーツァルトを、そして第2部にウイーンの香りたっぷりの贈物が用意されています。シュトラウスのワルツが満載です。今年は定番の倉吉博物館にもどり、芳醇な響きの音楽の楽園を作り出していただきます。どうぞ、お楽しみ下さい。