倉吉 アザレアのまち音楽祭
山陰の名手たちコンサート


第8回 山陰の名手たちコンサート
ごあいさつ


 「= 軒下から手をそっと差し出す =

 プラバホール アートディレクター 副館長 長岡 愼
 本日はご来場を賜りありがとう存じます。
 今回は内田 樹(うちだ たつる)さんのブログから引用したいと思います。内田さんは、元神戸女学院大学文学部教授、合気道六段です。その稽古のとき…
 腕をまっすぐに伸ばして相手を制するときの身体運用のメタファーとして、「軒下から手をそっと差し出して、小雨が降り出したかどうかを手のひらで確かめるときの心地で」ということを申し上げたら、全員が一斉にみごとな動きを見せたことがあった。
 雨もよいの空を見上げて、見えない雨粒の予兆を手のひらで感じようとするとき、手のひらはどんな微細な入力にも対応できるように感受性を高める。精密な天秤で軽量の物体を量るときのように、体軸はただ一本の細い線となる。この「ごくわずかな入力にも反応できるほどに精密で繊細な構え」から発動する勁さと速さは人間が発揮しうるもののうちでも最高水準のものである。<2005年03月29日シリウスを見よ>より抜粋

 先月1日松江歴史館にて「羽衣」の上演がありました。なんと上述の内田さんが前解説をされると聞き、早々とチケットを購入し指折り待っていました。会場に入ってみると 「存在しないもの」との折り合いのつけ方 とお題の垂れ幕が。「こう来たか!」と思わず頬が緩んでしまいました。内田さんのご専門は「フランス現代思想」。能の稽古にも励んでおられ、現実と身体に即した知見は極めて明敏。不肖私は彼の大ファン、いわゆる「タツラー」です。当日のお話の中に「手のひら」が出てきたので、このブログを思い出し、引用しました。
 「精密で繊細な構え」から発動する演奏を「掌中の珠を愛でる」ような心地でお聴きになれると良いですね。
 最後になりましたが、本日の出演者は推薦者の慧眼によって島根、鳥取両県から選ばれた方々です。ご推挙いただきました先生方には、誠にありがとう存じます。
 それではごゆっくりお楽しみください。




 「音楽は透きとおった本当の食べ物

 アザレアのまち音楽祭 ディレクター 計羽孝之

 「音楽が恋する心の食べ物なら続けておくれ、堪能して飽き果てるまで続けておくれ!」との名セリフがある。若い頃、新劇に魅せられてずいぶんお芝居を観た。そんな中で忘れられないセリフの一つである。俳優座にデビューしたばかりの河内桃子の美貌に引かれて「十二夜」(シェークスピア)の観劇であった。それ以来、音楽は私にとって生きるための食べ物となった。
 そして、時が過ぎ去る毎に音楽は透きとおった本当の食べ物となり、元気のもとになり、幸福を感じる時間(とき)の流れとなった。
 それはいつも宇宙空間にいるような孤独を感じさせ、人間関係の渦巻く現実社会の中で「個」を意識させた。
 私たちの住まう世界では、孤独を忌み嫌う習性が身について、誰かと協調しないではいられない。だから、自分の主張や本心を明かさない「和」の習性が、やがて自己主張しない、自己を持たない人間を善としてしまう。しかし、人間関係に葛藤はつきものであり、ぶつかり合い火花を散らすものなのだ。自分をさらけ出すことによって誰かとぶつかり合い、拮抗作用が働いて弁証法を機能させない限り、芸術行動に進化はない。しかし、私たちの心には、進化よりも協調を尊び、自立を失っても気付かないふりをすることで生きる術を身に着けている。それは、芸術の幻想と現実のギャップに耐えられないからだろう。だから、生きながらにして死んでいる人間も多い。生きる目的を持たない人も多い。人から与えられた目的に甘んじている者が多い。
 そんな中で、芸術することの孤独、演奏することの喜び、鑑賞することの一体感をうみだすコンサートは、人間の楽園なのかもしれない。山陰の名手たちコンサートに登場する演奏家たちは、「個」に「他」というアンチをぶつけ、ジンテーゼをものしている。山陰の地にあって、音楽活動することの難しさを克服している演奏家たちに、絶大なる喝采を捧げるものである。