倉吉 アザレアのまち音楽祭
接客セミナーテキスト

アザレアのまち音楽祭セミナー・テキスト

アザレアのまち音楽祭を成功させるための
マーケティングと コンサート・サービスについて

目 次

□はじめに…………………………………………………………2p
【T】お客(聴衆)さまをハッピーにする事とは………………2p
【U】お客(聴衆)さまは神様ではないことを知れ……………4p
【V】音楽祭のマーケティングとサービスについて知る事…5p
【W】お客(聴衆)さまの満足度を高めると言う事……………6p
【X】良い評価の声を増やす事…………………………………8p
【Y】評判の良いコンサートを作る工夫………………………8p
【Z】評判の良いコンサート、五つのポイント………………9p
【[】クレームの捉え方 ………………………………………13p
【\】クレーム対応の方法を磨く事 …………………………14p
【]】クレームはマーケティングの仕事 ……………………15p
【]T】コンサート・サービスの基本…………………………16p
【]U】最高のサービスを提供する …………………………16p
【]V】感動サービスを提供し、リピーターを作り出す …18p
□終わりに ………………………………………………………18p

アザレアのまち音楽祭接客マニュアル・セミナー
資 料

アザレアのまち音楽祭ディレクター 計 羽 孝 之
2006.8.22

アザレアのまち音楽祭を成功させるための
マーケティングとコンサート・サービスについて

□はじめに
 アザレアのまち音楽祭を創めて、来年は25周年を迎えます。何事も20年継続すれば、本物となると言われます。しかし、それはマンネリズムが軌道に乗り、偉大なる惰性に陥るだけかもしれない危険をはらんでいるのです。そんな折、聴衆の皆様から接客についてのクレームを頂き、私たちが目指している音楽祭のミッションを振り返るチャンスとなったのです。ミッションに謳っている「地域に芸術家が遍在し、更に優れた観客が存在する事」を実現するために、私たち文化活動者や文化活動団体が、音楽祭を運営する主体となって来たのです。しかし、音楽祭の規模が拡大するにつれて、コンサート・スタッフとしての活動に限界を感じる個人や団体が出始めています。音楽祭に出演者として参加しているから、その代償にコンサート・スタッフとして働いているという「ギブ&テイク」的な義務感を持つ活動者も見られます。ですから、音楽祭に参加しない場合は、コンサート・スタッフとしての協力は出来ないという発想が生じているのです。これが偉大なる惰性から生じる、亀裂の始まりとなり、組織が崩壊する一穴とも成りかねないのです。アザレアのまち音楽祭が誇るに足る特徴としてきたのは、文化活動者や団体が、全くの他人や他団体のコンサートに、スタッフとして運営参加している事実です。それこそが、誰も真似の出来ない素晴しさであり、美しい生き方を実践するアザレアのまち音楽祭の最たるものなのです。私たちは、文化活動者ではありますが、音楽祭にお出でいただくお客様をもてなすコンサート・スタッフでもあるのです。そのことを再認識しなければなりません。結論的に言えば、アザレアのまち音楽祭を成功させるには、音楽祭全体に「おもてなし」の風景が見られる様になる事です。その美しい「おもてなしの風景」の中で、音楽を堪能し、感動し、リピーターとなって音楽が生活の中に定着するのです。
  アザレアのまち音楽祭の成功とは、地域に芸術家が遍在し、芸術を愛でる優れた聴衆・市民が、共に暮らすたおやかな社会の醸成に貢献する事です。その実現を図るために、私たち文化活動者は人間としての美しい生き方を選択しなければならないのです。美しい生き方とは、私たち自身が音楽を感受し、その喜びを聴衆と分かち合う事なのです。その実現を図るために最も重要になるのが「マーケティングとコンサート・サービス」のシステム化なのです。そのシステム化を具現するために、13の項目に分けて考えてみたいと思います。

【T】お客(聴衆)さまをハッピーにする事とは

 いくら明るい声で挨拶しても、お客様に好印象を与えるとは限りません。お客様は、「いらっしゃいませ」と迎えられ、会場に入った段階で、何らかの判断をしてしまうものなのです。お客様は一度悪い印象を持ってしまったら、連鎖反応を起こして何もかも悪い事になってしまうのです。もし、受付の対応が悪かったら、コンサートの演奏も、その他の接客も、全て悪く感じてしまうものなのです。もっと大げさに言えば、コンサートは受付のわずかな時間が勝負です。お客様を幸せな気持ちになっていただくには、具体的な感動を生み出すサービスを実施する必要があります。
 アザレアのまち音楽祭の基本は、オープニングとファイナルを除いて全てサロンコンサートに設定している事です。時代の要請もありましたが、サロンを中心とするにはそれなりの理由を持っているのです。つまり、次のような理由です。一人一人の聴衆の気持ちや好みは、全く分からないものです。ですから、コンサート自体が個性を打ち出す必要があったのです。いかに個性的なコンサートを企画するかが、プロデューサーの力量です。つまり、個性を打ち出したコンサートに、好みが合う人たちだけが集まるという仕組みなのです。少数の集客でコンサートが成立するサロンの設定が生きる方法なのです。従来行われて来た様に、無限定な集客法との差別化を音楽祭サイドが打ち出さなければ、個性的なコンサートは出来ないと考えています。誰にでも受け入れられるというスタンスでは、個性的なものは育たないのです。お客様の心が、何を求めているかを見定め、クラシカル音楽という芸術を追求するライフスタイルを提案する事によって、各々の個性的なコンサートは、聴衆の心をつかむことが可能となるのです。クラシカル音楽を中心に据えたアザレアのまち音楽祭は、どうしても最終的に芸術の問題にぶつかります。ですから、芸術する生活の快感を、コンサートを通じて理解し愛好していただけるプログラムを提供する事が全ての原点かもしれません。
アザレアのまち音楽祭全ての運営に携わる事については、演奏家もスタッフも「素人集団としてのアマチュア活動だから、心に添わなくても許してね」との言い訳は、通用しないのです。私たちが「アザレアのまち音楽祭」を「クラシカル音楽という芸術を追求するライフスタイルの提案」をするのであれば、常に深い洞察力と清い判断力を持って、取り組まなければなりません。と言う事は、演奏家もスタッフも、共にプロとしての心構えで対応しなければ、レベルの問題はさておき、本物の音楽祭は構築できないと考えるのです。「プロになれ」とは言わず、「プロとしての心構え」と書いたには訳があります。プロフェッショナルという言葉は、もともと「profess=公言する・明言する・告白する」の意味から派生した言葉です。単にプロは知的職業に従事する事、本職としての芸術家や専門的に高い能力を持った方々を指しているとは考えないのです。むしろ事に当たる時、そのミッションを公言し、明言し、そのような生き方を告白する事だと考えています。ですから、職業的な専門性はなくても、プロフェッスという心構えと決心があれば、ことは成せると信ずるのです。
 更に言えば、アザレアのまち音楽祭が目指しているのは、クラシカル音楽による「癒しのくつろぎタイム」の提供ではありません。その辺りの見識が今、問われているような気がします。モーツァルト・ブームは、モーツァルトの音楽をα波の空気振動に変えてしまっています。クラシカル音楽を空気の流れとして、あるがままの自然の中で、時の流れに身を委ねるだけで満足し、俗社会の中で身も心もがんじがらめにされた鎖を解き放ち、真の安らぎを得ていると勘違いしてはだめなのです。そのようなことでは、音楽祭の意図は達成されないでしょう。物質的に豊かになり、その反動として心が疲れ、その癒しが音楽なんだという発想は、効率を求めてきたこれまでの日本人の生き方と少しも変わらない事になるのです。素晴しい音楽体験を積む事が、結果的に癒しになる事はあっても、癒しのために音楽芸術があるのではないことを肝に銘じて欲しいのです。
 音楽祭に来ていただいたお客様をハッピーな気持ちになっていただくためには、次のようなマニュアルにも配慮が必要です。
@コンサート・スタッフは、派手な服装よりも清楚な感じのするものを着るようにしましょう。
Aスタッフ同士が仲良くしている姿をお客様に見ていただきましょう。
Bスタッフは、楽しんで働く姿をお客様に見ていただきましょう。
Cお客様から見て、「アザレアのまち音楽祭の体制は、しっかり出来ているな」と感じていただきましょう。
○お客(聴衆)さまに対するコンサートの利便性を高める事
 コンサートにお出でいただくお客様の第一の目的は、素晴らしいコンサートを享受することに尽きます。従って、そのコンサートをより快適に迎えるための利便性を高める事が、まず望まれます。雨天の日、滴の垂れる傘への配慮。気楽にトイレが使えるための案内表示とその清潔さ。開場前のレスト空間の確保、混雑する受付を解消し、来場者にストレスを感じさせない等の工夫が必要なのです。
○お客(聴衆)さまに「快適空間(コンサート会場)」を演出する事
 コンサート会場は、常に会場自体が舞台だと考えなくてはなりません。わざわざお客様にお出かけいただく特別な場所としての位置づけが、快適空間を作り出す原動力となります。演奏がいくら良くても、会場の響きが悪ければ、コンサートは総合的に拙いと言う事になります。「これはすごい!」と感動させる響の会場選びが大切になります。
 開場してお客様をコンサート・ホールへ誘う時、席に着きやすい座席位置を用意する事や、当日の気温や照明が入った時を考慮して室温管理をしておくことが大切です。また、コンサート内容に応じた座席設定を、ゲネプロ時に音響チェックし、ベストな客席作りを心がける事は必須です。もし、スタッフの人数にゆとりがあれば、コンセルジュのようなコンサート・ガイドを配置し、お客様のニーズに応えれば申し分ありません。
○お客(聴衆)さまの「琴線に触れる雰囲気」を作り出すこと
 お客様の琴線に触れるためには、どんなコンサートを作るかが問題です。演奏家は、「自分がお客様に何を提供すれば良いのかが分かる事」が必要です。そして、感動とは何かについて、明確なポリシーを持っていただかなければなりません。感動とは、あくまで本物志向の中から生まれると言う事を知っていただきたいのです。演奏家から与えられる音楽を、ただ単に「良い演奏だ!」ではなく、「はて?」と首をかしげたり、「ちょっと待てよ!」と演奏された音楽について考えるようにならなければ、本当に良い音楽の峻別は出来ないでしょう。音楽を演奏するという基本的なところで、音楽を知らない演奏家も多くいる現実を知っておかなければなりません。演奏家の看板(コンクールでどうのこうの)だけでは、本当の値打ちはわからないものです。その見極めが大切なのです。優れた直観力と感性が必要なのです。そうして選ばれたコンサートであれば、きっと聴衆の心に触れる何かが存在できるのです。
 コンサート・サービスで大切な要素は、決して押し付けになってはいけないということです。会場を美しくしようと無為に花を飾ったり、凝った照明を使うことは、避けたほうが無難だと思います。アザレアのまち音楽祭のコンサートにお出でになるお客様は、クラシカル音楽の愛好家がほとんどであり、純粋に音楽を楽しもうとする方が多いはずです。シンプルで目にも耳にも優しい環境空間を作ることが、お客様の心に響くのではないかと考えられます。
アザレアのまち音楽祭では、既に演奏後の花束贈呈は取りやめています。お客様が持参されたお花も、会場内には持ち込み禁止とさせていただいていますが、苦情はなく概ね好評です。コンサート・サービスの基本は、お客様のクオリティーを上げる要素を持つと同時に、お客さまが気のつかないうちに形として見えないサービスを受けている「何となく気持ちがいい、なんだか感じがいい」と言う状況を作り出すことなのです。
○接客での会話の工夫をすること
 大きな声で明るくあいさつするのも大切ですが、さりげない言葉がけの方が、心に残る事が多いはずです。「いらっしゃいませ」の一辺倒から、さりげない「こんにちは」、「今日は暑いですね」、「風が強いですね」など、会話を工夫できるスタッフになれば、お客様はきっとリピーターとして定着するきっかけが得られるかもしれません。
 結局、アザレアのまち音楽祭は、お客様の心を扱うものだという認識が必要なのです。お客様の心を捉えるコンサートを工夫し提供する事で、お客様の心で感じていただき、体が自然に動いていく本物の感動をつかんでいただきたいのです。アザレアのまち音楽祭は、総合力の良さを求めなければなりません。総合力とは、「コンサートに良い雰囲気がある」「演奏も良い」「会場も良い」「わざわざ来た甲斐があった」と思っていただくことです。それらの事を提供出来るのは、コンサート・スタッフ一人一人が、より良くするためにはどうすればよいかを考えていただき、自主的に動こうとしていただかなければ、アザレアのまち音楽祭に明日はない事となるでしょう。

【U】お客(聴衆)さまは神様ではないことを知れ

 お客様をハッピーにする事とは、お客様を神様として祀り上げたり、王様にするためではありません。サービスはサーバントになる事ではないのです。既に第三次産業が主体となっている先進国では、サービスを提供する側も、提供される側も常に入れ替わる同一性を持っている時代なのです。無為無策に何でもかんでもお客様中心に考えることは、間違いであると認識しなければなりません。それぞれのお客様に対応したサービスの質を高めれば、何も問題はないはずなのです。
○お客(聴衆)さまと音楽祭スタッフは対等な関係である。大切なパートナーである
 私たちの音楽祭は営利目的ではなく、基本的にボランティアで成り立っています。しかし、たとえボランティアであっても、対価を頂いている以上、その額と同等かそれ以上のサービス提供を求められます。つまり700円と言う入場料と、音楽演奏の提供・その周辺のサービスを対等な立場で交換しているだけなのです。聴衆は入場料を支払って、コンサートと付随するサービスを買うのですから、コンサート内容とサービスに満足できれば良いのです。アザレアのまち音楽祭の場合、コンサート内容だけ見ても700円以上の値打ちを感じる上質な音楽を提供していますので、満足度は常に高い水準を維持しています。
○良いコンサートはスタッフのモチベーションしだいです
 
問題は、コンサートに付随したスタッフのサービスが、対価に叶っているかどうかということです。聴衆の皆様からも厳しく指摘されましたが、ボランティアでやってあげていると言う思い上がった意識は、逆効果を生みます。ボランティアは、「やってあげる」ではなく「やらせていただく」と言う意識でなければ、本来のボランティアにはなりません。サービスを受ける時、義務感を相手から感じたら、せっかくのサービスも台無しです。満足していたコンサートの感動が、一瞬に醒めてしまうことだってあるのです。私たちは、お出でいただいた聴衆の皆様に、満足と感動を持ち帰っていただくことを喜びとするモチベーションの有無がサービスの命なのです。
○質の低いお客(聴衆)さまは、時には縁を切ることも大切
 
誤解を恐れずに申し上げれば、コンサートにお出でいただくに不都合なお客様が存在する事は確かです。アザレアのまち音楽祭はクラシック音楽を提供するのがコンセプトです。クラシカル・コンサートの聴衆としてのマナーは、絶対的にお守りいただかないと、コンサートを邪魔してしまい、他のお客様の鑑賞行為を妨害する事になってしまうのです。最近のアザレアのまち音楽祭の聴衆は、大変素晴らしく、コンサートのレベルアップに大きな力となっています。コンサートは聴衆が創ると言われる所以がここにあります。
  アザレアのまち音楽祭では、基本的に夜のコンサートをメインとし、午後七時三十分開演と遅めのコンサートに設定しています。その理由の第一は、大人のためのコンサートにしているのです。ですから入場料は均一にして700円なのです。子どもは対象にしていません。乳幼児の入場はお断りする事にしていますが、10歳未満のお子様でも、音楽鑑賞を目的にお出でになった場合は、大人と対等に扱わせていただいています。
  音楽を市民広くに啓発したいと、聴きたくもないお客様やお義理のお客様の動員には一切組していません。しかし、そのようなお客様であっても、アザレアのまち音楽祭を体験される事によって本当に大切なお客(聴衆)さまに変わって行く現実も目の当たりにしています。私たちは、本当にサービスを提供すべき方たちを育成し、その方々にサービスを集中させる事がもっとも大切なのです。
  お客様とスタッフの関係が、今年のアザレアのまち音楽祭でも厳しく指摘されました。それは、どちらかが一方的に横柄だったり、服従を求められたりする状況があったためです。このような環境が存在すれば、質の高いサービスはもとより、コンサート・スタッフはモチベーションが下がってしまいます。
  音楽祭において「働く側(ボランティア参加)のモチベーション」はとても大切です。やり甲斐がないと、いい仕事は生まれません。「質の低いお客」が混ざると、音楽祭全体のサービス提供のレベルは確実に低下します。コンサートに例えると、演奏中に「おしゃべりはする、ガサガサと音を出すお客」が一人いるだけで、そのコンサートが台無しになることがよくあります。集中して聴いていれば、雑音に関係なく音楽が楽しめるという御仁もいますが、余程の集中力の持ち主か、余程の善人でない限り、無理な話しです。このような聴衆には、注意を促すのは当然として、社会性や協調性の無い場合は縁を切ることも大切です。つまり、アザレアのまち音楽祭にとって「本当に大切なお客様」に、本当のサービスを提供する事に集中すべきなのです。勿論、お客を切らざるを得ない場合には、正当で正確な判断を下す事は最も大切な事です。
@インフォームド・コンセントを十分にする事

 アザレアのまち音楽祭の主義主張、ミッションなどを、パンフレットに明記し、お客様に理解していただく努力が必要です。アザレアのまち音楽祭にお出でいただいたお客様が、コンサート初体験で、クラシカル・コンサートのマナーを知られない場合は大いに想定されます。パンフレットにコンサートマナーを明示し、説明と同意を得る事が何よりも大切になります。
A縁を切ることの大切さ
 そうは言っても、マナーが守れないレベルの低いお客一人のために、大切な本当の聴衆100人を失うことになるかもしれません。質の低いお客様の対応に取られる時間的損失、レベルの低いお客様によって阻害された音楽の芸術的な損失は取り返しがつきません。
Bお客(聴衆)さま教育が、コンサート・サービスの質を高める
 大事な事は、お客に「良い聴衆である事が、どれだけコンサートのレベルを上げるか」を丁寧に説明し、さらに高いクオリティーを目指していただけるようにすべきなのです。
 再度、誤解を恐れず申し上げれば、お客様を私たちスタッフと対等なパートナーとして認識し、聴衆を峻別すべきかもしれません。つまり、クオリティーの高いスタッフとクオリティーの高いお客様のコラボレーションで、初めて究極のコンサート・サービスが満たされるのです。

【V】音楽祭のマーケティングとサービスについて知る事

 接客はサービスの一部です。セールスはマーケティングの一部です。今までのアザレアのまち音楽祭には、この概念が欠如していました。
○マーケティング(お客さま=聴衆がどう考えているかを知る事)
マーケティングの目的には、次に示す重要な二つのテーマがあります。
@アザレアのまち音楽祭の存在(内容)を知ってもらうための広報への挑戦が必要
Aアザレアのまち音楽祭に来てもらいやすくする事
 具体的な取り組みによって、お客様がコンサートに対して心理的にも実質的にも何を望んでいるかを掴み、それに対応した施策を取ることで、具体的にどのような成果が現れたかを検証できる仕組みが必要です。それに準ずる行動がついていけばマーケティングは成功します。水を飲みたがっている馬を、川辺まで連れてくるのがマーケティングです。もっと積極的に、水が飲みたい状況を作り出す方法もありますが、エコノミックな世界ではなくカルチャーとしての活動には、この辺りが限界です。
○サービス(マーケティングの結果、コンサートに来ていただいた聴衆に、「素晴らしいコンサート」を提供する事)
 サービスとは、まず音楽祭提供者が、聴衆の満足を得るためには、どのようなコンサートを提供するかで決定します。聴衆の満足度は、コンサート内容でほぼ決定します。アザレアのまち音楽祭は、クラシック音楽に特化させ、更に山陰の地に在住する演奏家を敬愛し、愛好していただくミッションを掲げています。このようなミッションは、日本ではアザレアのまち音楽祭が唯一であり、既にそれだけでマイナーな事業だと思われています。経済的に豊かな基盤を持ったメセナ事業で無い限り、成立しないと思われていましたが、山陰と言う経済規模の小さな地域であるマイナス事情を逆転させ、小さいからこそ出来る方法を模索してきたのがアザレアのまち音楽祭の運営なのです。
  その方策が、アザレアのまち音楽祭最大の特徴であるサロンコンサートなのです。50人から70人を想定したサロンコンサートに、聴衆の満足感を促す秘密があるのです。その秘密とは、他のコンサートと異なり、圧倒的に演奏家との距離が近いのです。演奏家の生々しい息遣いや微妙に変化する表情が手に取るように伝わる距離感が、聴衆一人一人に語りかける音楽の力を倍化させるのです。しかし、演奏内容が悪ければ、音楽の力は逆に衰退してしまう危険性もあります。
そこで満足感を得るためには、より良い演奏家を起用する事が必須となります。
@出演者の選定は、常に地元でトップランクと目され、その演奏実績と能力を持つ演奏家に限定しなくてはなりません。
A出演者の選定は、喜んでコンサートを受託していただける積極的な演奏家に限定しなくてはなりません。
B出演者の選定は、専門的なレベルでの集中力と質的レベルが問える演奏家に限定しなくてはなりません。
このような状況作りが可能となる事こそが、サービスの原点であるのです。
 いくらコンサートに満足しても、コンサートを包み込む包装紙のようなサービスのデザインがなければ、感動は倍化したりはしません。そのサービスの内容によっては、コンサートの感動が消滅する事もあるのです。今年度の観客アンケートに「演奏の内容もすごく良いものだったのにも関わらず、最後のこの出来事で非常につまらない催しになりました。演目のみの満足度では《大変満足》ですが、トータルすると《とても不満》です。」とあります。このコメントがきっかけとなって、接客マニュアルの見直しとこのレポートの起点となったのです。
  企画実行委員会とコンサート・スタッフが、接客サービスをどのように考えているかが重要となるのです。そこで、復習が必要になります。マーケティングはアザレアのまち音楽祭の存在とそのコンサート内容を広く知らしめる事、そしてコンサートに行ってみたいと言う気持ちになっていただくことが、その役割です。サービスはアザレアのまち音楽祭のこだわりのあるコンサートを(サロンで聴く地元在住の演奏家)実際に経験していただきサロンコンサートの醍醐味を知ってもらうことが、その役割です。

□マーケティングVSサービス
 アザレアのまち音楽祭のマーケティングが上手くいってお客さんを集める事ができたとします。その場合はコンサートがとても魅力的で素晴らしかったと、お客さまはアピールしてくれます。それに誘発されるお客さまは、更なる宣伝や広報、主催者によるセールストーク(口コミ)によってコンサートに出かけていただけるのです。(現在のアザレアのまち音楽祭の隆盛は、このスパイラルによって確保されています)
 ところが、サービスレベルが低いとお客様はがっかりします。失望感さえ感じることになります。マーケティングでお客様をたくさん集めても、その満足度を満たす事の出来るコンサート・サービスがなければアザレアのまち音楽祭は成り立ちません。

□サービスVSマーケティング
 「演奏レベルは高いんだけれど、入場者が少ない」と考えている状況では、アザレアのまち音楽祭に危ない兆候が出ていると思っていいでしょう。「演奏が良ければ入場者は増える。」「お客の口コミで評判は広がり、お客様は後からついてくる。」と考えても、これまでの実績から見て、そんなことは有り得ません。テレビCMにもありましたが、少年が心を寄せるコンビニの少女に会おうと毎日出かけますが思いを告げられず、やがて少女は引越ししてしまうと言う話です。恋は、どんなに好きで、誰にも負けない情熱があっても、それを何とか伝えない限り、成就しません。「このコンサートは絶対素晴らしい」と心の中で思っていても、実際に素晴らしいものであっても、聴いていただけるきっかけが持てないのであれば、何の意味もありません。マーケティングの弱いサービスは、好きな人に思いを告げられない電車男なのです。
※問題点→マーケティングとサービスの両方が良くないと失敗します。アザレアのまち音楽祭の現状は、コンサート・サービスの良さはありますが、マーケティングは不十分だというのが実情です。まず、マーケティングに必要なことは、コンサートの良さを十二分に知る事に尽きます。
マーケティングを担当する人は、コンサート・サービス(コンサートの内容、演奏家の力量など)の良さを明確に、そしてはっきり分かるようにアピールする必要があります。伝えたいコンサート・サービスが明確で、本当に聴衆たるお客様や社会のために貢献できるとの確信があれば、楽勝なはずです。と言う事は、マーケティングは、いいコンサートがあって、初めて輝きながらアピールする事ができます。コンサート・サービスは、マーケティングの力によって、本当に提供したいコンサートが可能か、どうかが決まるのです。

【W】お客(聴衆)さまの満足度を高めると言う事

 アザレアのまち音楽祭の基本はサロンコンサートです。サロンコンサートに収容できる顧客数には限界があります。多くの聴衆を集める事、収益を増大させる事が実行委員会の目的ではありません。クラシック音楽という、どちらかと言えばマイナーな分野での音楽祭であれば、お客さんのニーズを的確に捉え、その方々の要望に合致したコンサート・サービスを提供する事で、お客様の満足度は高まるのです。
 そこで問題になるのが、アザレアのまち音楽祭のお客様とは、一体「何か」という問題です。「より多くの人にアザレアのまち音楽祭に来ていただきたい。」「どんなお客様のクレームにもよく耳を傾けなければならない。」「お出でいただいた目の前のお客様を大切に。」というのはごく当たり前の事だと思われがちですが、平等ではなく公平のサービスという観点から見ると、これは明らかに間違いなのです。
○マーケティングとサービスは表裏一体です
 サービスは、音楽祭スタッフがどのようにコンサート・サービスを考えているかが重要なポイントなのです。目の前のお客さまを大切にすることは重要ですが、目の前のお客様を大切にする価値があるかどうかを見極める必要があります。例えば、ホールコンサートは、クラシック音楽の啓発的な要素が強く、これまでクラシック音楽を聴くチャンスの無かった方々へのチャンスの提供であり、どんなお客様も大歓迎するのがコンセプトでもあります。しかし、サロンコンサートのコンセプトは、クラシック音楽の愛好者に、最高の環境で、当日の演奏を本当に聴きたいと思ってくださる方々に理想的な形でコンサートを提供する事に尽きます。そのようなコンサートをお望みの方をロイヤリティの高いお客様と設定しているのです。その見極めを誤ると、平等と言う名の多目的で、目的のないコンサートになる危険性が潜んでいるのです。
 音楽祭スタッフが、自分のサービスを受けて欲しい相手かどうか、話せば分かってくれるのか、分かってくれなくとも満足してくれそうなのかを、じっくり見る必要があります。
 ですから、クレームについても、耳を傾けるべきクレームとそうでないクレームがあります。多くの人に満足してもらう事より、満足してもらいたい人に満足してもらう方が音楽祭スタッフにとっては大切だと考える所以が、その辺りにあるのです。
○お客(聴衆)さまを選ぶという事(平等なサービスではだめ)→ロイヤルティの高いお客(聴衆)さまをあつめること
 平等のサービスとは、誰に対しても一律のサービスを行う事で、実は音楽愛好家のニーズを捉えていないのです。ショパンのピアノ音楽が好きな方に、いくら素晴らしいからと言っても、当日になってモーツァルトの音楽に変更しては、必然的に失望感を与えますしロイヤリティの高い方は二度とお出でいただけないかもしれません。かつて、プログラムに演奏するとして掲載していたショパンのスケルツォ2番が、主催者側に何も知らされず当日になって演奏家が勝手にカットし、お客様から大顰蹙をかったことがあります。お客様からは「スケルツォの2番が聴きたくて来ているのに…。」とお叱りを受けました。この事例は、お客様から音楽祭のポリシーを疑われ、音楽祭が逆にお客様より選択され、捨てられていく事になるのです。正に、公平なサービスの原点が忘れられた事例です。
 アザレアのまち音楽祭におけるロイヤリティの高いお客様とは、音楽祭のミッションをよくご理解いただき、アザレアのまち音楽祭の素晴らしさを口コミで広げていただける貴重な存在なのです。ロイヤリティの高いお客様には、「自分は特別」であると感じていただくことが重要なのです。(パスカードの実績あり)
○サービスの平等は、ロイヤルティの高いお客(聴衆)さまを失う
 平等のサービスを行っているだけでは、ロイヤリティの低いお客さまの、わがままに近いクレームに一喜一憂してしまうのです。そして本当に大切にすべきロイヤリティの高いお客様に対するサービスがおろそかになってしまうものなのです。ですから、平等のサービスのレベルアップに奔走していると、ロイヤリティの高いお客様は逃げていく事になります。ロイヤリティの低いお客様を追従しているだけのサービスは、音楽祭全体のサービスの質を著しく低下させるものです。したがって平等のサービスを行っている暇は無いはずです。
○平等ではなく公平なサービスを行うこと(公平なサービスとは、断る人、優遇すべき人を見極める)
 コンサート・ロイヤルティをベースとし、そのお客(聴衆)さまに合ったサービスを提供する事
 そこで大切なのは事なかれ主義からの脱却です。音楽祭事務局にとっては、悪いうわさが立ってお客様が離れて行くのではないかと常に心配しているものです。そして、誰でも、より多くのお客様を対象とした平等のサービスにしがみつき、衰退していくのです。
 公平のサービスを行うと言う事は、個々の満足感を達成させる事なのです。1しか求めない人に10は不要なのです。10を求める人に10を提供するのが公平の原則なのです。お客様のニーズをアザレアのまち音楽祭の中で提供できるサービスに特化し、その中で出来る事に集中して全力を注ぐことこそが重要なのです。そうする事が、スタッフの提供したサービスに対して、お客様の理解が深まり、口コミが拡大して音楽祭は盛況を見ることになるのです。
○悪い評判、批判はどんな場合でもあると知る事(そうであれば、批判を補って余りある力強い良い評判をとることに全力をつくそう)
 アザレアのまち音楽祭にとって悪いうわさとは、ほとんど誤解によるものか悪質な中傷の類がほとんどです。程度の悪いうわさを気にするよりも、沢山寄せられている「質の高いうわさ」を増殖することに力を入れるべきです。アザレアのまち音楽祭も24年と言う歳月を経過して発展してきていますので、かつてのように「熱心なスタッフ」に対するねたみを持つ人は減少傾向にあります。現在のアザレアのまち音楽祭は、かつて批判された言われ無き中傷も、それを補って余りある力強い「いい評判」を勝ち取りつつあります。アザレアのまち音楽祭は、確実に理解と協賛を得る時期にさしかかっています。公平のサービスという考え方は、一時、異端視されましたが、現代ではサービスを提供する目的が明確になると言う事で支持されているのです。

【X】良い評価の声を増やす事

 評価を頂くスタンスが二つあります。一つは、コンサートの演奏に関する評価です。もう一つは、コンサートを取り巻く様々な付随したサービスの評価です。
○「出来る事」「出来ない事」を明確に示す事
コンサート演奏に関することでは、地元演奏家と地元出身の演奏家によるサロンコンサートに限定している事をご理解いただくことです。したがって、中央の著名な演奏家の招聘コンサートのようなレベルの担保は出来ないと明言すれば済む事です。
コンサート環境に対するサービスについては、可能なものと不可能なものを峻別して示す必要があります。かつてどのコンサートでも提供していた飲み物サービスは、会場の多様化に伴い、倉吉信用金庫と倉吉博物館のみが可能となっています。それさえも、コンサート・スタッフの負担軽減で廃止論も出ていますが、「やりたくないサービスは、受けたくないサービス」だと肝に銘じるべきです。
○「良質な特別なお客(聴衆)さま」を増やし、評判のいい声を増やす事に集中する。
 
とかく低料金のコンサートの場合は、ロイヤリティの低いお客さまが増えるものです。そして、コンサートを聴きに来てやっているのだと言う増長した態度や、わがままな振る舞いが増えるものです。そうなるとコンサート・スタッフから笑顔が消えます。笑顔が消えればサービスが低下していると評判になり、クレームをますます発信してきます。音楽祭は、お客さまのクレームと期待に応えるべく、神経をすり減らすでしょう。そうなったら、マイナスのスパイラルが止まらなくなります。ですから、目先の評判に応えようとすればするほど、音楽祭スタッフの首を絞めてしまうのです。
  そこで必要なのは、期待に応えようとするお客様とは、一体「誰れ」なのかと言うことを考えることです。クレームばかり発信する客は、ほとんどアザレアのまち音楽祭の提供するサービスの価値が理解できない方や、提供するサービスとは別物のサービスを求めている場合なのです。
アザレアのまち音楽祭に好意的でコンサート・サービスに理解を示してくださるお客様こそ、良質な特別なお客様となるのです。コンサート運営サイドでは、クレームや非難の声を減らす事に敏感ですが、音楽祭にとって一番必要な「良質な特別客」を増やす事には無頓着すぎる気がします。本当に、考え抜かれた素晴らしいコンサート・サービスに自信を持って、そのサービスを必要としている人だけに精一杯提供することこそ、公平のサービスの真髄なのです。そうする事で正当な評価を得て、スタッフにも誇りが生まれます。

【Y】評判の良いコンサートを作る工夫

  評判の良いコンサート・サービスには、五つの感情レベルがあります。その中でレベルの高いものとは、「満足と感動」を提供する事なのです。別の言い方をすれば、「期待すらしていなかったサービス=感動」と「期待を上回るサービス=満足」となります。
@感動→この上ない快感を味わうサービスの提供です。
A満足→快感を味わうサービスの提供です。
B不満足じゃない状態→期待通りのサービスです。
C不満足→期待にそぐわないサービスです。
D強い怒りと失望の状態→不快感を持たせるサービスです。これはもはやサービスではなくなります。
 音楽祭に於ける評判の良さとは、@Aを目指すものとならなくてはなりません。コンサートにお出でいただくお客様の心理的快感や、精神的癒しを求めるだけでは、良質な顧客作りは出来ないでしょう。音楽祭を取り巻く様々な評価を高め、口コミで広がる要素を備えた音楽祭とすることが重要です。コンサートも然る事ながらスタッフの皆さんと会う事も、楽しみであったり、様々な情報が得られるからコンサートに通うと言うような、コンサートとは別のところでも評価を得るようにしなくてなりません。いい評判が立つと、連続されるコンサートの確実なリピーターになっていただけるのです。スタッフとお客様の情報交換が、ダイレクト・メール等でつながれば、きっとサプライズは生まれるでしょう。

【Z】評判の良いコンサート、五つのポイント

(1)接客のシステムを作る
 コンサートで良いサービスをされたと感じることのほとんどは、素晴らしい接客体験によるものなのです。東京サントリーホールの、ロビー空間の快適さは今でも評判が高いのですが、実は接客のプロ化が最も進んでいると言っても過言ではないでしょう。コンサートが終わって、帰途につきながらじっくりと、快感だと、感じたサービスを思い起こせば、ホールに入ってから帰るまでの2時間が、トータルにコーディネイトされている事が分かります。コンサートの内容は当然としてもプログラムのスマートな渡し方、クロークの親切な対応、洒落たウィスキー・バーの会話、すわり心地のいい椅子、気持ちのいいトイレ、美しいロビーの照明、そしてさりげなく置かれた美術作品のレベルの高さなど、その空間にいるだけで豊かな気分にさせてくれる圧倒的なサービスが仕組まれているのです。それも、マニュアル書に書かれているようなわざとらしさが全く無く、そこに在るべくして存在するような自然さが、快適空間を生んでいるのだと思います。サービスを人の力に頼るのではなく、効果的で効率的な、それぞれの場合に添ったシステムを考えなければなりません。
(2)対応はスピードが命
そうは言っても、評判の良さを作り出すのは、接客を担当するスタッフの能力です。能力の高い人というのは、二つの特徴があります。一つは、組織のポジションには関係なく、スタッフ仲間から頼られること。もう一つは、大変仕事が速いということです。仕事の速さは、能力の有無を決める決定的な要因なのです。依頼された仕事であろうが、自分でしようとする仕事であろうが、思いたったが吉日と「すぐやる」習慣が必要なのです。これは、お客さんが「いいサービスだな」と思う心理的な経緯とよく似ています。お客さんから見て、「遅い!トロイ」と感じさせることは、「サービスが悪い」と思わせるのです。その逆に、思いもしないスピードで対応されると、「サービスがいい」と感じさせる要素が生まれるのです。どんな場合でも、スピード感のある対応は、良い結果に結びつくものです。対応スピードが上がれば、「サービスが向上した」と感じてもらえます。そして、お客様の心理状態は、スピード化されることで、「自分のためにサービスしてくれている」という感謝の感情が起きるものです。
そこで大切な事は、スピード化の仕組みを考える事です。
@やらない事を決める
 効率化を図るには、何でもかんでも思いつくままサービスを提供していたのでは、混乱するだけです。そこで、このコンサートでは、「コーヒー・サービスはやめる」とか、「他のコンサートの挟み込みはしない」等というように、出来ることと出来ない事を仕分けすることも大切です。ローマのカラカラ浴場のオペラ会場では、「コカ・コーラ、ノンビール」と大声を上げる物売りがいましたが、売っていないのにわざわざ「ノンビール」と言うところに笑いを覚えたものです。
A便利な機能に頼る
 コンサート案内は、ポスター、チラシ、新聞報道と相場が決まったように思っていますが、最近はインターネットを活用した様々な方法が試みられています。最も代表的なシステムは、メールマガジンです。アザレアのまち音楽祭のアンケート用紙にも、かなりの数のメールアドレスが記載されています。安くて、スピード感のある便利な機能を、十分に活用する事が、今後の優れたサービスのキーポイントとなるでしょう。
Bマニュアルを見直す
 現在のコンサート運営マニュアルは、あまりにも対処方法が複雑で、分かりにくいというのが正直なところでしょう。当初は、何もなかったのですから、初心に帰って、本当に必要なものだけに絞ったシンプルなマニュアルにスリム化しなくてはなりません。そして、最終的には、マニュアルを必要としない状況が生まれるのが理想です。
Cアウトソースする
 先日、コンサート運営の仕事の仕分け一覧表が事務局長より示されましたが、大変な数の仕事があります。現在は、それらの仕事をスタッフが分担してやっていますが、限界を超えているとの声も聞きます。そこで、業務内容によっては、外部に仕事を発注する事が必要になります。現在アウトソースしているのは、ホールコンサートの写真撮影や印刷物の製作のみですが、今後は、もっと拡大する事によって、スタッフの効率化が図れるものと期待しています。
(3)予想もしない感動を売れ
 先日、大阪のフェニックスホールで、大変素晴らしいサプライズを体験しました。ビルの3、4階を吹き抜けにした小さなホールでしたが、ホールスタッフの物腰がやわらかくほのぼのとしていました。コンサート開演間際には、通常される放送も無く、ただ、美しい娘さんがちょっとお洒落なプラカードを掲げて舞台中央に立ち、プラカードをくるりと回します。そこには、コンサートマナーが書かれていましたが、聴衆はニコニコするだけでした。たったこれだけのことで、生音のコンサート前に、マイクで拡声された注意を受けるより余程上品で美しいと感じさせました。当日のコンサートはスーパー・カルテットという名称に恥じない、本当にスーパーなアンサンブルを楽しみましたが、二部の途中に今まで体験した事の無いサプライズが訪れたのです。演奏中の音楽を邪魔することなく、ステージの反射板が上に引き上げられ、前面巨大ガラスの外に御堂筋の夜景が透けて見えるのです。それが、音楽の楽想と合いまった演出効果を計算してのさりげなさが、予想もしなかった光景がパノラマされる感動は忘れがたいものとなったのです。このサプライズは、早速家族に電話し、親しい友人たちに口コミしていったのです。
  ところで、アザレアのまち音楽祭で最も大切な事は、コンサートによる感動を聴衆に提供する事です。音楽の素晴らしさは、同じ曲を繰り返し鑑賞したいという欲求を、常に持たせることです。そのためには、何よりも提供する音楽の質の高さが問われますが、それだけに終わらせない工夫が望まれるのです。そして、コンサートの中に、サプライズを演出する事も可能なはずです。さらに、コンサート・スタッフには、最高の接客による感動が演出できるはずだと、フェニックスホールの感動から学んだのです。
○感動はエンターテイメント
 常連のお客様の情報リストを作り、誕生日にはコンサートに招待するとか、諸々の記念日情報を得て、聴衆全員がほのぼのとした喜びを体験できる演出は可能なはずです。コンサートというものは、全く異なった個人の集合体が、一つの音楽を共同体験する事で、同じ感動体験が出来る可能性を秘めているのです。コンサートの全て(切符切りから、終了まで)がエンターテイメントとして、仕組まれなければなりません。ディズニー・ランドの感動は、正にエンターテイメントであり、接客サービスの究極をなしているのです。
○感動でワクワクさせる
 コンサート会場での一人の感動体験は、そこに居合わせたお客様全てのワクワク感に変質するのです。何となくワクワクして嬉しい気持ちは、誰かに話したくなるものです。それが口コミの原点なのです。予想しない感動ほど、ワクワク感は強く、それらの経験をされた方々がロイヤリティの高いお客様となるのです。
○エンターテイメントは仕組みに出来る
 感動するサービスは、スタッフの能力しだいと言ってしまえば実もフタも無いのです。しかし、サントリーホールだって、フェニックスホールにしたって、コンサート・スタッフ個人の能力に、頼っているわけではありません。感動を生み出すサービスを仕組みとして練り上げているのです。その仕組みさえ出来ていれば、どなたがスタッフになられても、感動するサービスは可能となるはずです。
○スタッフの感動を生み出せ
 しかし、しらけたスタッフが仕組む感動体験では、何事も起こらないでしょう。しらけたスタッフは、害あって一利無しです。スタッフの感動体験不足が、しらけた態度をつくるものです。アザレアのまち音楽祭スタッフは、「スタッフ自身が音楽を思いっきり楽しみ、自分の家族や友人に対して、素晴らしいから来るべきだ」と伝えるべきであり、そのこと無くして、本当に感動するサービスの提供は出来ないでしょう。その見本となるのは、何度も言いますが、ディズニーランドの空間全体がシステム化された感動サービスなのです。サービスを提供する側が、最高に楽しまなくては、お客様に何も伝わらない事になります。
○感動ストーリーを作り、伝説にする
 アザレアのまち音楽祭は小さな規模のサロンが中心です。ということは、常連のお客様がリピーター化しているということにもなります。かつて、ヒルトンホテルに宿泊したことがありますが、フロントで一度しか会っていない筈なのに、外出した夜の遅い帰宅でも、「計羽さま、お帰りなさい」と言って部屋の鍵を渡された時の感動は、未だに忘れられないものです。高輪プリンスホテルに一週間滞在した時も、ホテルスタッフは名前で呼んでくれたのです。
 コンサート・スタッフも、お客様の顔と名前を覚えて、マニュアルどおりのあいさつから脱却して、さりげなく、温かい会話が出来るコンサートにしたいものです。お客様のアンケートの中には、かなりの数の礼状が入っています。それらは、現在もホームページで公開していますが、さらにお客様の目に留まる工夫が必要だと感じています。音楽祭期間中のみでも、情報誌を工夫するのも一考だと思います。そうする事で、お客様は「自分もそのような感動体験をしてみたい」とお考えになるであろうし、その美談は伝説として語り継がれるきっかけとなるでしょう。
 アザレアのまち音楽祭は非日常的な感動を提供すべきなのです。その実践を決断するのは実行委員会自身なのです。
(4)お客(聴衆)さまの心理を知る
 アザレアのまち音楽祭はマーケティングに遅れがある事を既に述べましたが、音楽祭と言うプロダクションをどのように遂行するかと言う経営の理念にも疎いところがあります。しかし、難しく考えなくとも、音楽文化のあふれる環境を渇望している私たち自身の当たり前過ぎる心の置き場や、お客様として音楽を愛好する聴衆の存在とその心理を理解しているかどうかという身近な問題だと考えれば、分かりやすいものとなります。
 そして、その心理をちょっと理解するだけで、音楽祭にはお馴染みの聴衆やロイヤリティの高いリピーターは確実に増えるはずです。さらに、音楽に対するリテラシーの有無に関係なく音楽を渇望している市民は、そのほとんどが聴衆となるべき存在だと認識しなければなりません。
 注意しなければならない問題点が一つあります。ボランティアとして参加している私たちは、音楽愛好家との立場から、音楽祭を提供する立場に変わった瞬間、自分の思いや仲間内の都合に振り回されてしまう事が多々あるのです。「私たちは無償で奉仕してあげているのに」とか「もし失敗すれば経済的損失を私たちが補填する危険まで犯しているのに」などという、聴衆にとっては何のかかわりも無い「好意の押し付け」が拭えないものです。自分がお客(聴衆)の立場だったら、そのコンサートがどんな経緯で成り立っていようが気にも留めないはずです。内容が分からないまま、「良い、良い」と言われるだけでコンサートチケットを売りつけられるのもいやなはずです。その辺りの心理戦を、上手に戦わなければなりません。
@お客(聴衆)さまの顔を覚えて欲しい
 アザレアのまち音楽祭では、既にリピーター化しているお客様が沢山存在します。それらの方には、常連さんとしての特別な対応が必要だと考えています。毎回のコンサートに顔を出しているのに、初めて来たお客さんと同じ対応では、寂しさを覚えるものです。顔馴染みになったお客様には、「いらっしゃいませ」の一言より、「お久しぶりですね」とか「お元気でしたか」などという特定のお一人に話しかける待遇こそが、大切なのです。お客様の立場からすれば、ホテルスタッフが顔と名前を覚えていてくれる感動と同じように、スタッフに親しみを持っていただけるはずです。
Aスタッフは、全てお客(聴衆)さまのためと思うこと
 お客様はサービスと感じなくても、自分のために何かをやってくれる、心遣いを感じるという状況があれば、満足度は増すものです。
Bお客(聴衆)さまに対し、特別なあなただけの話が出来ること
 アンケートで、他のお客様との会話を聴いていた方より「関係者の方が、向こうの方が良い席、そこは良くない席…というような事を言われ」、不快感を持ったとのクレームがありました。これは、お客様の心理を十分に理解していなかったための失敗例です。本当は、誰でも大好きな「ここだけの話」に、なっていなかったためです。もし、これがこっそりと常連客だけに教えられるサービスと思っていただければ、効果は絶大です。こっそりと囁かれる「特別待遇」に、お客様は心を動かされるのです。そして、来てよかったと確信され、同行の人にも誇れる状況が生まれます。しかし、その扱いを違えると、自分は疎かにされていると感じて不快感を持たせてしまうのです。
Cお客(聴衆)さまを寂しがらせない
 お客様はそれぞれに、特別な待遇を望んでいると考えるのが一般的です。洋服販売店の誕生日お祝い割引のダイレクト・メールは、ほとんどシステム化されたサービスとして定着していますが、各地の音楽祭でも様々な取り組みが始まっています。「サイトウキネン・フェスティバル松本」は、チケットの争奪戦が激しく、その入手は至難だと言われていますが、それでも尚更に顧客開拓の努力を続けています。私自身の所へも、毎月定期便のようにマガジンメールが届き、遠く離れた松本市のコンサート情報を、県内よりも詳しく知ってしまうほどなのです。私は、一度もチケット確保出来ず残念な思いをしていますが、それでも情報の定期便は、私の寂しさを癒してくれます。松本の音楽祭と「繋がっている」と感じさせるからなのです。
 アザレアのまち音楽祭でも、このシステムは取り入れるべきだと考えています。お客様を、音楽祭が終われば来年まで忘れてしまうと言う事では、満足度は低いでしょう。一年が過ぎて、開催時期になってから無限定に広報したとしても、その間は「忘れられていた」と思われるだけです。決して「お客様を淋しがらせてはいけない」と言うことを忘れないで欲しいのです。
Dささやかでも、お客(聴衆)さまを得した気分になっていただく工夫が必要
 アザレアのまち音楽祭のコンサート料金は一律700円であり、十分にお得感はあります。しかし、聴衆は料金のお得感よりも、特別な付加価値を求めるものです。その工夫が今後の課題となるでしょう。(※特別なサービスを企画)
そして、コンサート・サービス最後の仕上げは、美しい余韻をお土産にしていただくことです。素晴らしいコンサート内容にいくら気を使っても、それは演奏家しだいです。しかし、コンサート会場を含む全体への配慮が欠けているコンサート・サービスでは、「美しい余韻」と言う名の有終の美は飾れないのです。つまり、マニュアルどおりの「ありがとうございました」よりも、「今日のコンサートどうでしたか」「すばらしかったですね」「雨が降っていますからお気をつけください」などというさりげない、温かな言葉の方が、お客様の心には残るはずです。コンサートの帰り際の、さりげない声かけで、心地よい気持ちになっていただけるのです。
  コンサートで得た感動は、誰かに伝えたいし自慢したいのです。それが安易に出来る仕組みを工夫することも大切です。ホームページ上に、感動体験コーナーの設置など、人目に触れるチャンスをつくりたいものです。そして何よりも、人間の心理として、特別なコンサート・サービスを受ければ、そのサービスを提供しているアザレアのまち音楽祭を知っていると自慢したくなるのは当然です。音楽祭に行けば、馴染み客として丁重に扱ってくれるコンサートへ、友人を連れて行き、「いいだろう、すごいだろう」と自慢したい心理は誰でも持っているのです。この戦略に勝利する事で、聴衆増大は必ず成功するでしょう。アザレアのまち音楽祭では、回数券を発行していますが、「残りチケットは次に使おう」「次は、友達や家族にチケットを譲ろう」などと言うお得感が浸透して来ています。そして、確実に聴衆は増え続けています。お客(聴衆)さまは、音楽を聴くためだけにコンサートに来ている訳ではないことを知り、お客様の心の内を知る努力と、プラス・アルファの秘密を模索することによって、ロイヤリティの高い音楽祭が可能になると確信するものです。
(5)コンサート会場に笑顔を絶やすな
 音楽祭を運営する中で必要なもの、それは「お客(聴衆)さまの喜び」と「コンサート・スタッフの達成感」、そして「演奏家の表現の喜び」を醸成することに尽きます。
○スタッフの心理は顔に出る
 何事も笑顔がないサービスなど存在しません。ボランティアで「お世話している」との奢りは、笑顔の敵です。コンサートの運営は、営利であろうと非営利だろうとサービス業に分類されるのです。直接お客様と接するコンサート・スタッフに笑顔がなければ、せっかくのコンサートの雰囲気が台無しになります。
 コンサート・スタッフが実行委員に不満を持っていたり、当日の担当者と折り合いが悪かったり、もともと好きでもないコンサートのお世話をしているんだと思っていれば、それは如実に顔に表れるものです。心の底から「おもてなし」の心が無ければ、笑顔は消えて、作り笑いや苦笑いになってお客(聴衆)さまに不快感を与えてしまうのです。私たちは、心で泣いて顔で笑うなんて器用な事は出来ないのです。いくら強い意志の力でロジックに自分に命令しようと、脳はそんな事に惑わされず、心の底にある本当のものを表現するよう神経に命令してしまうのです。だから、表情が歪むのです。コンサート・スタッフは、心の底から「おもてなし」の心を持って臨まなければ、何の成果も得られないばかりか、クレームの山を築く事になるのです。
○一生懸命は美徳ではない
 私たち日本人の特性として、心の底から「おもてなし」の心を持っていても、一生懸命になりすぎて相手のことを忘れてしまうミスを犯しやすいのです。一生懸命と孤軍奮闘は美徳ではないのです。優れたコンサート・スタッフのいる会場では何が違うかと言えば、それは「気負いのないリラックスした自然な対応」をしていることです。スタッフの表情にもゆとりのある笑顔があり、楽しそうに接客している事が大切なのです。間違っても、ピリピリした空気を作ってはなりません。
 私は再三アジアン・リゾートに行きますが、ホテルの洗練されたサービスは天国のような快感を演出してくれます。それは、働いているスタッフたちがまさにのびのびと仕事をしているのです。リゾート客の片言でブロークンな英語でも、分かろう・理解しようと努力してくれる対応で、自分の英語がちゃんと通じていると自信を持たせてくれますし、よそ行きでない家庭的な雰囲気を肌で感じさせてくれるのです。アザレアのまち音楽祭という音楽の楽園は、正にリゾートに身を置く快感を演出すべきだと考えます。
○三つのハッピーを作れ(演奏家の、聴衆の、スタッフのハッピー)
 楽園構想の基本は、誰もが幸福感を味わえる事です。
 三つのハッピーの根幹を成すのは、コンサートを直接運営するスタッフが、自分の任務の遂行がハッピーだと思えるかどうかなのです。アザレアのまち音楽祭は、近年コンサート・スタッフからの苦情が増えています。コンサートのお世話が、ルーティンワーク化されていることと、その回数が増え負担を感じている事に対する不満が噴出し始めているのです。また、コンサート・サービスを煩わしいと感じる人がメンバーに混じる事で、モチベーションの低下が連鎖しているのです。それは、ご自身が音楽活動をしていながら、他との協働体験が少ないからではないかと勘ぐっています。二十有余年間にわたる音楽祭運営の実績があっても、特定のスタッフに「おんぶに抱っこ」と肝心な仕事を委ねてきた付けが、顕在化してきただけなのです。第三次産業が支配する現代と言う社会では、サービスされる側もサービスを受ける側も同じスタンスにある人間という、ある意味での平等社会なのです。その理解が出来ていれば、芸術文化という人間の最も根源的な生きる喜びを分かち合うボランティアこそ、人間としての生きがいであり、生きる意味でもあるのです。そんな意味で、現代はボランティアの世紀と呼べるかもしれません。
 話が大きくなりましたが、結論は音楽祭の実行委員会とコンサート・スタッフが、コンサート・サービスする事をハッピーと思える状況を作り出さなくてはならないと言う事だけです。そこで、コンサート・スタッフにとって、自分の仕事が三つのハッピーをクリアしているかどうかを確認して欲しいのです。「演奏家の、聴衆の、スタッフのハッピー」の内、一つでも欠けるとサービスの質は低下するのです。どんな事があっても確保すべきハッピーは「聴衆のハッピー」です。しかし、これさえも、「演奏家・スタッフのハッピー」を蔑ろにして得ても、本当の幸福感はお客さまに提供できないのです。
 スタッフのハッピーは、ロイヤリティの高いお客様(聴衆)に、より良いサービスを提供し、それに似合うだけの喜びのお返しがあって、はじめてハッピーを感じるのです。スタッフが良い顔をしてコンサート・サービスすれば、お客様にも伝わるものです。実行委員会のハッピーは、企画自体をお客様に気に入っていただき、それ相当のお客様が入り、スタッフ同士が笑顔で対応する姿を会場に見ることでしょう。実行委員会のハッピーが、間違っても黒字追求になってはだめです。赤字を出さない事やむしろ利益を上げることを求めるようでは、サービスの進化は止まると考えるべきでしょう。なぜなら、アザレアのまち音楽祭のサロンコンサートは、プレゼンター制度を採っているため、集客の如何に関わらずスタート時点から赤字が出ない仕組みなのです。
 スタッフのハッピーは、聴衆のハッピーなのです。スタッフのハッピーこそが、現在のアザレアのまち音楽祭のサービスを変革する鍵を握っているのです。スタッフこそが、サービスの現場で、理想と現実の狭間で悩みながら幸福感を作り出すのです。

【[】クレームの捉え方

 ボランティアであろうとなかろうと、コンサート・サービスの仕事にはクレームはつくものだと考えた方がいいでしょう。どんなに素晴らしいサービスを提供していてもクレームをなくする事は不可能です。なぜなら、サービスを提供するのも、されるのも人間であれば、必ずミスはあるものです。それに同じサービスであっても、人によっては感じ方が異なるからです。ですから平等のサービスから公平のサービスに移行すべきであることは既に述べましたが、再度、心すべきでしょう。
 問題は、クレームの事実やその原因よりも、どう対応するかだと思います。それも、本当にやってはいけない対応をしてしまう失敗を無くすることです。やってはいけないこととは、クレームの原因となる犯人探しをして、スケープゴートを作ることです。この間違いを一度犯してしまうと、物事の責任転嫁がスクランブルし始めて、組織が崩壊する危険性があります。クレーム責任の擦り付け合いが始まれば、陰口がささやかれ、不平不満がつのり、コンサート・スタッフから笑顔が消えるのです。そのような悪循環を蔓延させないためには、次の三つのことを考える必要があります。
@クレームを無視してはだめ
 日本と言う旧弊の蔓延する社会では、自分が常に正しいと思い込んでいる者ほど、クレームを無視するものです。自分にとってたいした問題でないと判断すれば、相手が諦めてしまうまで無視し続けるのです。これは、私たちの身の周りで起こっている企業や行政の体質である「無駄な争いはしたくない症候群」だと思っています。もし、音楽祭に寄せられたクレームを最初から無視をすれば、お客様は二度とお出でいただけないでしょう。それだけならまだしも、音楽祭の悪い評判を口コミで膨らませる事になるのです。普通、人間と言うものは、不満があれば誰かに苦情を伝えなければ気がすまないものです。ですから、一人の苦情は少なくとも5〜6人の人に伝えると言われます。ということは、鼠算的にクレームの輪が広がってしまうのです。こうなると「アンチ・アザレアのまち音楽祭」の聴衆を、知らぬ間にふやすことになります。これは音楽祭運営マネジメントの稚拙さであり、やってはいけないことなのです。
Aクレームをお客(聴衆)さまの満足に変えること
クレームをつける人を「クレイマー」と呼称して蔑む風潮が日本にはありますが、クレームをありがたく頂戴して、お客様の満足度の向上に役立たせる事こそ、重要なポイントなのです。今年度の音楽祭で、コンサート・スタッフの間違った顧客対応に、厳しいクレームを頂きましたが、ホームページ上で素早い対応を示す事で、お客様の満足感を維持できたのではないかと考えています。その対応は、
@お詫びと指摘に感謝する言葉、
A指摘されて始めて問題点に気がついたことを率直に認める記載をした、
B指摘された問題点について直ぐに取り組む事を明言し、具体的には接客マニュアルの作成と研修会予定を明示したのです。
その結果、クレームを頂いた方より、「現状に満足しないことは、日常でも大切な事ですね。今後の発展を、お祈りします。」とか、「…その場面に直面した時、団体としてどういう選択をするのか。内輪で馴れ合うのか。新しいメンバーを迎え、新風を入れるのか。そこが存続の分岐点ではないでしょうか。今大会、および来年度の記念すべき25回の成功を、心よりお祈りいたします。ありがとうございました。」更に、「ご回答、心より光栄に存じます。…中略…私もできる限りの御協力をさせて頂きたく存じますので、今後のお知らせ等をお待ち致します。」とのお言葉を頂きましたが、これは絶大なる支援表明となっております。クレームを付けられた方が、最高のロイヤリティを持ったお客様になっていただけたのです。このクレームのおかげで、アザレアのまち音楽祭はよりレベルの高いコンサート・サービスが出来る可能性が広がったのです。
Bクレームに対する意識を変えること
 
そして、私たちはお客様の発言量を増やす事、特に音楽祭の素晴らしいサービスに対するご意見を伺う事に専念すべきだと考えるのです。アンケートには感謝の記載が90%以上ありますが、クレームに対応するサービスではなく、感謝されるサービスを目指して取り組んでいくべきだと考えるのです。感謝の声を増やす事には、大変重要な意味があります。感謝の声が増えるためには、お客様とのコミュニケーションのチャンスを増やさなくてはなりません。そのための努力がなされるかどうかが問題ですが、成功すれば絶大な成果が上がるでしょう。「ありがとう」の感謝の言葉を発していただける聴衆の皆様は、何も言わない方よりも、音楽祭について「分かりやすく」「親切に」「丁寧に」ご指導いただけるようになるものです。コンサート・スタッフにとって、コミュニケーションの取れた人間関係のある人からのクレームは、クレームとは感じなくなります。クレームでさえ感謝の声の一部としか思わなくなれば、コンサート・サービスについての意見を集める事(感謝の声を集めことに集中し、感謝されるサービスの内容を把握する事)が、ますますスタッフの快感となるはずです。
  感謝の声が増えれば、それと平行してクレームも増えるのが当然です。コミュニケーションの取れたお客様が益々親切に指摘してくれるからです。お客様はコンサート・サービスについて自分の考えた事や、かつて体験したことから得た良策を教えたいと思うし、何らかの形で貢献したいと思っていただけるのです。
結論は、アザレアのまち音楽祭を、感謝の声を集める事で全体的なクレーム対応を行うシステムを持ちたいと言う事です。

【\】クレーム対応の方法を磨く事

 クレームには様々な「時」と「場合」がありますが、その対応の方法を磨く事で、アザレアのまち音楽祭のファンが増え、コンサート・サービスのレベルも上がります。
○謝る事はクレーム対応でない(謝る事は対処である)
 接客の究極は言葉の使い方であり、最高の注意を払うべきなのです。アザレアのまち音楽祭でクレーム指摘されたのも、言葉の使い方に全てがありました。ホームページに寄せられたクレームについてディレクターが「申し訳ありません」と謝罪の言葉を申し上げましたが「謝罪ではなくこれからどうされるのか、ということをお返事頂きたかった」との投稿があり、事の本質(正論)を知るきっかけとなりました。それが【対処】ではなく【対応】ということでした。よく言われることにプロフェッショナルな方はクレームに「対応」するが、アマチュアと呼ばれるボランティア参加の方はクレームに「対処」しているだけだと言われます。つまり、一応謝っておけば良いとするのが「対処」です。最近のテレビで不祥事を起こした企業トップが「済みませんでした」と頭を下げまくっていますが、ほとんど「謝罪自動処理マニュアル」の人形になっています。この問題は、謝るなということではなく、謝ることが適切かどうか、ケース・バイ・ケースに使い分ける智恵や、対応の仕方をしっかりと研究しておく必要があると言う事です。この、使い分ける智恵が「対応」となるのです。
○クレームを見極める必要
 クレームの原因には様々な場合がある。「100%音楽祭側に責任がある場合」「どちらにも責任がある場合」「思い違いや、勘違いなど音楽祭側が責任を感じる必要のない場合」など、様々な場合が存在する事を知っておかなければなりません。特に気をつけたいのが「感情的なクレーム・アプローチ」か、どうかを見極める事です。単に「不平不満の場合」と「問題点を指摘している場合」とでは、対応の仕方がまるで異なるのです。これを知らないと初期対応を誤ってしまい、せっかくの「問題点を指摘するアプローチ」を見逃す事だって有り得るわけです。
○クレームのお客(聴衆)さまは、ロイヤルティの高いお客(聴衆)さまに変えるチャンス
 クレームを付けられるお客様は、もともとご自分の意志でコンサートチケットをお買いになってお出でいただいているのです。ですから、少なくとも最初から悪意があったり、敵対する関係はないはずです。たとえ、言葉の行き違いで感情的になっているような場合でも、対応さえ間違えなければ、その後「アザレアのまち音楽祭の対応は良かった」とか、「アザレアのまち音楽祭のファン」になっていただけるのです。更に言えば、このようなクレームを付けるチャンスが無ければ、コンサート・スタッフとちょっと顔を知っている程度のお客様のままで終わってしまうのですが、クレームをきっかけに「アザレアのまち音楽祭の良さ」を知ってもらったり、「ファン」になってもらう機会が出来たと、逆転の発想で優位に位相転換できるのです。前項でも事例を示しましたが、クレームに対する対応(お客様の誠意ある指摘に感謝し、改善への姿勢と取り組みの早さ)の仕方で、アザレアのまち音楽祭のファンになってもらえたのです。
○クレームの内容によっては、切り捨てる事も必要
 アザレアのまち音楽祭では体験した事がありませんが、その内容によっては全てを真摯に受け止める必要がない場合もあります。お客様の人格に起因する「どうにもならない」レベルでのクレームは、ファンになってくれる可能性があるとは言っても、切るべき場合もあるのです。
○クレームは無いよりあった方が良い
 クレームは無い方がいいに決まっていますが、有った方がよいと言う理由が二つあります。それは、
@音楽祭の内部からは、ほとんど見えないで気づかないことを、指摘してくれるクレームの効果です。
A実行委員会やコンサート・スタッフ内部では言いにくい事を、お客(聴衆)さまが代弁してくれる効果があります。
このような視点から、クレームの種類やその「対応」の方法を磨く事で、アザレアのまち音楽祭のファンは確実に増え、より良いコンサート・サービスが可能になるのです。

【]】クレームはマーケティングの仕事

 クレームをマーケティングの仕事と認識し、広報と営業、具体的運営に活かせば、集客アップに繋がると考えるべきです。
○クレーム処理はマーケティングの仕組み
 具体的なクレームで考えてみると分かりやすいと思います。
@接客態度が良くない。
A会場設営が良くない。
B演奏が良くない。
Cお客の中にマナーの悪い人がいる。
など、様々な苦情が寄せられるものです。これらのクレームは、偽らざるお客様の心理そのものなのです。来場いただいたお客様が何を考え、どうして欲しいのかの意思表明がクレームとして具現化されているのです。それらを汲み上げる対応をすることで、音楽祭戦略に反映させれば、立派なマーケティングの仕事になります。再度復習しますが、マーケティングは「お客様がどう考えるか」が重要です。サービスは「実行委員会とコンサート・スタッフがどう考えるか」が重要なのです。
○コンサートで提供する有形無形のサービスにどれだけ満足度を高めているかが勝負
 サービスと言うのは、目の前のお客様に満足度を高めていただくためのアクションなのです。そこで得られるはずの満足度が何らかの理由で不足した時に、クレームは発生します。そこでどう対応するかが重要なのです。
○お客(聴衆)さまが望んでいる事を知る事
 クレームに現れている事柄を、お客様が期待しているサービスであると捉えれば、自ずと音楽祭のサービスに何を望んでいるかが分かります。アザレアのまち音楽祭の場合でも、お客様と対面しているスタッフの言動にたいしてクレームを挙げておられましたが、優しい声で穏やかな態度であれば満足なのではなく、音楽祭全体の運営に対する見直しとその実践について意見を述べられていたのです。それに気がつかないと対応を誤ることになります。
 クレームをマーケティングと言う観点から考えると、「クレームをマーケティングにして、コンサート戦略に活かす」こと。「クレームのお客(聴衆)さまをアザレアのまち音楽祭のファンにしてリピートさせる」こと。「クレームはアザレアのまち音楽祭へのお客(聴衆)さまの思いやりである」と考える事によって、クレームは集客アップの切り札にもなりそうです。と言う事は、クレームを出してくれるお客(聴衆)さまに心から感謝しなくてはなりません。
 しかし、心配もあります。プロフェッショナルなコンサート・スタッフであれば問題ないのですが、まだまだ「やってあげる」レベルのスタッフでは、失敗がありそうで心配です。何度も言いますが、クレームと言うのは極めて心理的なものなのです。問題点として指摘した事実よりも、その場の言葉遣いや事後の対応で、怒りを増幅させてしまう場合が多々あるのです。ですから、単にクレーム事実を謝るだけでは何も解決しないのです。むしろ、指摘されたことで事例を改善し、他のお客さんからも喜ばれるという事実をつくりださなければなりません。クレームを感謝の気持ちで受け取り、マーケティングに生かし、クレームと言う形で様々な問題点を指摘してくれたお客様を音楽祭のファンにするのは、方法さえ間違えなければ、そんなに難しい事ではありません。その方法とは、「意見や事実の指摘」であった場合に、クレームを出していただいたお客様に心から感謝する気持ちを持ち続けることが大切なのです。クレームは「ニーズとウォンツ」を的確に教えてくれるマーケティングの原点かもしれません。

【]T】コンサート・サービスの基本

 端的に言えば、サービスの究極は接客に尽きます。と言う事は、接客はサービスの手段なのです。また、コンサート・セールスはマーケティングの手段なのです。この認識さえあればコンサート・サービスの方法を違えることは無いでしょう。整理して考えてみますと、サービスは=接客ですが、接客≠サービスと言う図式を再認識しなければなりません。接客は数あるサービスの手段の中で、「対人」を扱うものです。ほとんどのサービスは、コンサートの時空間の中で感動の大部分を得ていますが、それに付随する接客によって感動の余韻を増幅させているものです。と言う事は、接客がサービスの核心を成すものであることの証明でもあります。コンサート・サービスの基本を押さえる為に復習してみます。
(1)サービス→音楽祭実行委員会がどう考えてお客(聴衆)さまに満足を提供したいかが大切であり、その具体的な対応策に及ぶ企画が必要になります。
(2)マーケティング→お客(聴衆)さまが音楽祭に何を求め、どう考えているかを知る事が大切であり、その具体的内容を実行委員会のコンセプトとの擦り合わせが重要なのです。
(3)接客→サービス達成のための「対人」を利用した手段であり、音楽祭のポリシーをお客様に十分に提供して、感動体験と満足感を持ってもらう事なのです。
(4)セールス→マーケティング達成のための「対人」を利用した手段であり、音楽祭をお客様にもっと良く知ってもらい、聴いてみたい気持ちになっていただく事なのです。
ですから、「対人」関係を扱っても、その内容が異なる事を知っておくべきなのです。
なぜ、このような事をくどい様に申し上げるのかは、音楽祭経営意識の欠如したボランティア集団では、クール(美しい)な運営が出来ないと考えるからです。
○セールスは音楽祭というチャンスを利用して、コンサートに来ていただくことが目的なのですが、上手くその気になっていただくために、「接客」を手段にすることもあります。この段階では、接客による感動や満足を与える事よりも、コンサートに来ていただきやすい状態を作り出すことが重要になります。
○接客は、コンサートに来ていただくお客様よりも、その内容をはるかに良く知り、どのようにコンサートを提供すれば良いかを考え、その仕組みを計算したサービスを行わなければなりません。そうする事でコンサート・サービスは、お客(聴衆)さまの満足や感動を提供できるのです。単に感動してもらうだけでは、リピーターを生み出す仕組みは作れません。お客様の満足が感動の中から生まれる事によって、音楽祭は対価を得る事になるのです。その対価意識が無ければ、思い上がったボランティアになってしまうだけです。
 外部から見ると、セールスも接客もほとんど同じ事をやっているように見えるはずですが、その目的が異なる事を知っておく必要があります。つまり、サービスはお客様に「満足や感動」を提供する仕組みなのです。そのための手段が、接客と言うサービスに欠かせない要素が必要だと言うことです。と言う事は、セールスの要素やマーケティングの要素を熟知している人がサービスを行わなければならないのです。そんな人材に、私たちは成長しなければなりません。

【]U】最高のサービスを提供する

 最高のサービスを提供するためにはアザレアのまち音楽祭のサービス理念を明確にし、音楽祭としてのサービスの基準を見定めておく必要があります。
@サービス理念を明確にする事
アザレアのまち音楽祭の理念は、「地域に芸術家が偏在する幸せを求めること」としています。そしてミッションとして「アザレアのまち音楽祭によるまちづくり」「観客によって音楽祭は成長する」「アザレアのまち音楽祭を音楽創造活動の拠点とします」の三つを挙げています。このような抽象的な表記では、具体的なサービスの理念はつかめません。そこで、これらの理念や使命の目指す状況をイメージしてみましょう。
(1)「地域に芸術家が偏在する幸せ」とは、音楽家たちが市民に敬愛され、その演奏が愛好される状況を作り出すことです。これは、アザレアのまち音楽祭そのものが存在する事で大方の目標はクリアしているはずです。しかし、演奏家の掘り起こしとその選択については、聴衆たるお客様の意志が反映されているとは言いがたく、最高のサービスに至っていない状況ではないでしょうか。そのシステム化を急がねばなりません。
(2)「アザレアのまち音楽祭によるまちづくり」とは、地域に芸術家が遍在し、更に優れた観客が存在する事です。自称芸術家は巷にあふれていますが、一晩のコンサートをこなせる演奏家は稀なものです。それに、有料コンサートを維持できるだけの力量の有無を問えば、悲観的になるでしょう。しかし、ものは考えようで、体験のチャンスさえ提供できれば、その力量が育っていく事をアザレアのまち音楽祭は実証してきています。
もう一つ重要なのが、聴衆たるお客様の広がりをどのように作り出すかと言う事です。これは既にマーケティングの項で説明していますが、付け加えるとすれば、日常の生活に芸術を持ち込む習慣を付けていただく仕組みづくりが必要です。聴衆と言うのは地域社会そのものであり、美しいものを美しいと感じる感性こそが芸術の持つ社会性なのです。音楽(本能)は繰り返し鑑賞(体験)したい芸術(幸福感)であると認識さえすれば、具体的な方策が見えてくるはずです。
(3)「観客によって音楽祭は成長する」とは、観客の求める作品を、求める形で提供することも、一つの方法です。更に新しい価値観の提案をしながら観客の満足を促し演奏家は成長していくのです。その仕組みは、サービスの原点に叶うものなのです。
(4)「アザレアのまち音楽祭を音楽創造活動の拠点とします」とは、地域在住のアーチストが日常的にトレーニングし、表現活動をライフワークとすることでしょう。アザレアのまち音楽祭を創造活動の拠点とするためには、「演奏家の集中力の質を高める」ことであり、芸術の質的水準を問い付け続けることです。そのために、音楽祭は何をなすべきかを考えなければなりません。
アザレアのまち音楽祭の24年間の実践は、既に優れた表現者が地域に存在するという状況を、作りつつあります。人口の5%しかクラシック音楽の愛好家がいないと言われる現代にあって、アザレアのまち音楽祭はよく健闘して来たとも言えます。しかし、統計がどうであれ、クラシック音楽の持つ普遍性は確実に堅持されています。来年25周年を迎えるアザレアのまち音楽祭で、最高のサービスを提供する仕組みづくりが急務だと考えるものです。
A最高のサービスはお客様の峻別から生まれる
ロイヤリティの低いお客様(「冷やかしに覗いてみようか」と言うような)を切り捨てる話もしましたが、そのような方を大いに歓迎する事も大切な要素です。冷やかしで覗いて満足されたら、しめたものです。更に感動を体験していただければ、確実にリピーターになっていただけるロイヤリティの高いお客様に変身できるのです。
話の視点が錯綜しますが、再度申し上げます。接客で最も重要なのは「誰が聴衆なのか」という認識なのです。先ほどの話と相反するように思われるかもしれませんが、大変重要な問題です。今年のアザレアのまち音楽祭では、お客様(聴衆)の要求に応えて、クラシック音楽専門の音楽祭にポピュラー音楽のコンサートを導入して、とても大きなクレームが発生しました。お客様の要求にそって、どんどん他分野の催しを導入して、スーパーマーケット的な音楽祭にしていくのが良いのか、クラシック音楽に限定した音楽祭というスタンスを堅持するのが良いか、現在はその分岐点に立っていると思います。全国的な傾向から見ますと、総合的な「何でもあり」の催しはレベル低下とロイヤリティの高いお客様を失っている現状があります。各地で成功している音楽祭は、こだわりをもった特殊な領域に限定したものです。お客様のニーズを限定する事で、「誰がお客様か」が明確になります。そして、明確になったお客様に最高のサービスを提供しやすくなるのです。誤解を恐れず申し上げれば、アザレアのまち音楽祭にとって不必要なお客(聴衆)さまを見極める事、最高のサービスを提供すべきお客さま・聴衆を見極める事が成功の秘訣なのです。この問題は長い目で見ればロイヤリティの高いお客様を増殖させるものであり、時代の流れに左右されない普遍的なサービスが可能となるのです。
サービスの理念は、コンサート・スタッフ一人一人が、一生懸命に提供すべきサービスを考え、自らが決定していく事なのです。コンサート・スタッフの理想は、自分たちの思いを理解してくれるお客様に、「誠心誠意のサービスを提供したい」。音楽祭スタッフの思いを中々理解してくれないお客様には「音楽祭の良さを丁寧に伝えて、もっとロイヤリティの高いお客様になって欲しい」という願いと行動が必要なのです。

【]V】感動サービスを提供し、リピーターを作り出す

アザレアのまち音楽祭を成功させるための最終目標は、お客様をハッピーにすることだと述べてきました。そのための方策を様々な角度から検証して来ましたが、結論は音楽祭の中で感動体験を積み重ね、恒久的なリピーターを作り出すことに尽きます。それは、感動的なサービスを体験していただく仕組みづくりによって、リピーターは確実に生まれるはずです。そのために大切な要素が、コミュニケーションの質と量なのです。
○お客(聴衆)さまにとって「良いコンサート」の条件とは
 何はともあれ最大の条件は、良質の演奏を提供することです。しかしその問題は企画の段階でほぼ決定するものであり、コンサート・スタッフの条件にはなりません。では次に何があるかと言う事になります。
お客様がコンサートにお出でになり、受付を経由して客席に着きます。環境の整った会場で最高の音楽鑑賞をしていただき感動を得て頂くのです。コンサートが終了すれば、感動の余韻に包まれながら帰途に着くのです。その一連の流れの中で充実した満足感を味わっていただくことで、リピーターになっていただけると言うものです。この流れの中で、コンサート・スタッフはどのような接客があり、どのようにコミュニケーションをとるべきかが問題なのです。コンサート・スタッフに出迎えられる最初の出会いであるコンサート・スタッフとお客様とのコミュニケーションの質と量によって「良い感じ」を与えるかどうかが決定されるのです。お客様は自分の特別性を感じたいものです。既に述べましたが、私たちの社会では平等である事を第一義とし、特別性を否定する習慣があります。これからのコンサート運営では、お客様の要望や期待に応じた公平なサービスが必要な時代だと思います。そのためには、スタッフが専門的に詳しい情報を持っている必要があります。お客様から聞かれたことに対し、専門分野のお話を分かりやすく、その人に合った知識を伝達できる力が必要なのです。
○お客(聴衆)さまに智恵を与える事で、ロイヤルティの高い聴衆に成長してもらう
 コンサート・スタッフが専門的な分野を深く知る事の目的は、自己満足ではありません。その専門的知識を十全に使ってコミュニケーションを図ることが目的なのです。そのコミュニケーションには二つの大きな意義があります。
@感動サービスの体験は、リピーターになる
 感動サービスは、コンサートの演奏の中身と言うより、それにまつわるコンサート・スタッフの意外性を持ったサービスである場合が多いものです。もし、全く予想もしなかったサプライズは、コンサート全体の満足感を高めますし、お客様の人生観の中にくさびを打ち込む事だって可能なのです。コンサートに何を期待しているかの見極めがあれば、それに対応する智恵はいくらでも考えつくものです。そのような中で、お客様がこの上ないメリットだと感じるサービスが出来て、感動を引き起こせば万々歳です。そのようなサービスを体験したお客様は、いわゆる「ごひいき」となり「確実なリピーター」になる可能性が高いのです。
Aどのお客(聴衆)さまにも、ロイヤルティの高い聴衆になってもらう
 お客様とのコミュニケーションによって、音楽祭の情報を提供しながら、コンサートの楽しみ方や、メリットの見つけ方などをお伝えするのです。そうする事で尚更「ごひいき」筋が増えて行き、クラシック音楽の醍醐味を堪能していただける環境が整っていくのです。このクラシカル音楽の醍醐味を、一度体験してしまうと強力な支持者となっていくのです。そうなれば、口コミで「アザレアのまち音楽祭は素晴らしい」と良い評判を広げてくださる伝道者になっていただけるものと考えます。
 シェークスピアは戯曲「十二夜」の冒頭で、「恋する心の食べ物が音楽なら、続けておくれ、堪能して飽き果てるまで続けておくれ」というセリフを書いています。コンサートで演奏される音楽がメインディッシュであるなら、私たちアザレアのまち音楽祭企画実行委員会やコンサート・スタッフのサービスは、お客様にとって「オードブルやデザート」にあたる予感と余韻の快感を提供する事に尽きるのではないかと思います。私たちは惜しげもなく自分たちの持つ人間性を発露し、お客様と喜びの共有を図らねばなりません。

□終りに

 音楽祭で最も重要なものは、そこで催されるコンサート自体の中身の良し悪しです。このレポートでは、コンサートの中身である演奏の質について全く触れていません。(演奏の中身については、別の機会にレポートします。) むしろ、それらを取り巻く諸々のサービスのあり方について言及してきました。アザレアのまち音楽祭実行委員会及びコンサート・スタッフとして参加していただく皆様に、このレポートをお読みいただき、マーケティングとコンサート・サービスのシステム化について、具体的な提案を頂くためのたたき台になればと考え、あえて詳細な提言は差し控えさせていただきました。企画実行委員会・コンサート・スタッフとしてボランティア参加されます皆様全員に、「アザレアのまち音楽祭は自分が運営しているのだ」とお考えいただき、事業推進を図ってくださいますよう願い、執筆させていただきました。ありがとうございました。

以上