アンケート・コメント09 スミレ旬間

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アザレアのまち音楽祭2009 アンケート・コメント

 回収されたアンケート用紙に、コメントされていたものをご紹介します。
 満足度は、回収されたアンケートによって集計したものです。

スミレ旬間(6公演)

5/19(火)19:30〜 倉吉交流プラザ   【道谷増夫サクソフォン・コンサート】
5/23(土)19:30〜 倉吉博物館      【アザレア弦楽四重奏団演奏会】
5/24(日)11:00〜 パープルタウン広場 【打吹音楽倶楽部ブレーメン・コンサート】
5/24(日)14:00〜 倉吉交流プラザ   【新田恵理子ピアノ・コンサート】
5/26(火)19:30〜 倉吉交流プラザ   【鶴崎千晴ソプラノ・コンサート】
5/29(金)19:30〜 倉吉交流プラザ   【前野佑実クラリネット・コンサート】

5/29 前野佑実クラリネット・コンサート
□満足度 とても満足 36%  満足 55% 普通 9% やや不満0%  とても不満0%

○とても瑞々しい演奏で良かったです。ますますのご活躍をお祈りいたします。 ( 北栄町 50歳代/女性)

○モーツァルトの三重奏はもちろん、とても素晴らしかったですが、アンコール曲の「手紙」には驚いて、とても感動して涙が出てしまいました。頑張って日々をすごそうという気分になりました。 (倉吉市/20歳代/女性)

○A管の音をじっくり聴く事ができて良かったです。良い音ですね。ヴィオラとの共演も新鮮でよかったです。 (女性)

○こんなに近くで、生の演奏が聴けて、とても幸せでした。楽しい時間をありがとうございました。クラリネットの音色、とても良いですね。 (三朝町/50歳代/女性)

三重奏がとても良かったです。ヴィオラの音とクラリネットの音のハーモニーがきれいでした。特に童謡が!夏のうたのメロディー、うっとりときいていました。ステキでした。アンコールに感動しました。(鳥取市/40歳代/女性)

クラリネットという楽器、改めて認識しました。三重奏曲、とてもすばらしかったです。(倉吉市/70歳代以上/女性)

1時間余りのコンサートに、中間休憩が20分間は、ちょっと長過ぎた様に思いました。(倉吉市/70歳代以上/男性)

【ディレクターの回答】

休憩時間については仰るとおりです。アザレアのまち音楽祭でも初めてのことです。これは、奏者の要請で20分間に延長しましたが、ゲネプロが17時開始で開場間際まで続いたため、疲労があったためです。どうぞご了解下さい。

今回のコンサートはクラリネット三重奏が好評のようでした。ヴィオラの生原幸太氏は、倉吉市出身のプロ奏者として東京で活躍中の方であり、見事なアンサンブルだったと思います。来年のアザレアのまち音楽祭にも、何らかの形で参加していただきたいものだと期待しています。

前野さんのクラリネットは、昨年度に続いての登場ですが、進化の後が見て取れる演奏だったと思います。サロンコンサートでのミストーンはとても気になります。当日は、リードの調子が悪く苦労していたようですが、リードの調整も実力の内ですから、細心の注意払ってミストーンを克服しなくてはならないでしょう。来年に期待したいものです。

アザレアのまち音楽祭2009内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)

【前野祐実クラリネット・コンサート】

■演奏⇒第1部、今年もか、と不安を抱くような不安定な立ち上がり。クラリネット本来の音が出て来ません。B♭管からA管の演奏に変わったときに、音色が戻った、かのように感じました。モーツァルトもA管好みであったとか…。

また、曲目を変えたという唱歌による「夏メドレー」。何らかの事情があっての変更でしょうが、何で?という感じでした。聴衆としてはその曲を知っているとか知らないとかは関係なく、クラリネットの「音」を聴きに来ているのであって、作曲者名を知らなくても、例えばライヒャ(レイハ)などベートーヴェンの友人でありながらあまり有名ではありませんが、クラリネットの持ち味を出した曲があったりします、そんな曲でもよかったと思います。

言い訳と反省今回のプログラム変更は、直前になって知らされましたので、音楽祭の主催者としてもどうしようもありませんでした。本来は、前もって公告したプログラムを変更する事はルール違反です。もっと以前に変更を相談されれば、ディレクターとして許可しなかったでしょう。相談されれば、次のように申しあげます。「曲目変更の申し入れの件ですが、既にプログラム印刷も終了し、各地に配布済みです。現段階でのプログラム変更は、主催者サイドとしては対応しかねます。せめて3月中旬の最終校正に間に合っていれば、変更理由が正当であれば問題はなかったのですが、既に時は過ぎています。どうしても変更されたいのであれば、あなたの責任で当日変更を行って下さい。アザレアのまち音楽祭のコンサートは、練習成果の発表会ではありません。事前にプログラムを提示して、その曲を聴きたいと思っている人に、異なった演奏を聴かせることになります。かつて、某さんが当日になって勝手にプログラムを変えて(ショパンのスケルツォをバラードに変えただけですが)演奏し、大顰蹙をかったことがあります。それ以来、倉吉でのコンサートを誰も望まなくなっています。演奏家の弾きたい曲を、なんでも黙って拝聴させていただくというスタンスはアザレアのまち音楽祭にはなじみません。音楽祭の立場からの妥協点は、当日演奏前に曲目変更を聴衆に断ることです。それをやっていただけるのであれば、後は演奏者の責任ですので、ディレクターとしては何も申しあげません。」ということです。

 今回は、コンサート内で演奏者が曲目変更の了解を取りましたが、聴衆を納得さることが出来たかは疑問が残ります。特に今回の曲目変更は、変更曲の選択に問題があります。現代音楽に多大な影響を残したルトスワフスキを聴きたいと思って来場された方に「夏メロディー」は、いかにも軽い選曲です。それにオリジナルのアレンジでもなく、アンサンブルとして不完全なものでしたので、ゲネプロを聴いて私もびっくりしたものです。シューベルトの二曲も、万全な演奏とは言えず、聴衆に不満を感じさせたようです。

■演奏⇒この日はプレゼンターの招待客が多いようでもありましたが、ふだんの「アザレアのまちの音楽祭」の聴衆はクラシックファンが多いと思います。学校まわりの演奏会とは違うと思います。選曲にも配慮されたいと感じました。また、曲目解説も短いほうがよろしいかとも。

言い訳と反省仰るとおりです。聴衆はなかなか騙されてくれないものです。よく言われることに、「素人を見事に騙せるのがプロの仕事」とのことばがありますが、よく知った曲をやれば、喝采してくれるというのは、アマチュアの考え方です。コンサートは、音楽の力で聴衆を騙せ(感動させ)なければ、音楽は存在しない事になります。

■演奏⇒第2部、モーツァルトのクラリネット三重奏曲「ケーゲルシュタット・トリオ」。ヴィオラの生原氏のアンサンブルのよさもあったが、前野氏本来のクラリネットの音が出ていたように思われました。こんな曲が揃えば、すばらしいコンサートになるでしょう。ぜひとも次回は、聴衆に媚びない、クラリネットをおきかせ願いたい。

第1部と第2部の休憩の間合いがいけませんでした。奏者との打ち合わせが悪かったのか、タイミングが遅すぎました。事情はわかりませんが、聴衆は結果のみです。空調も第1部は暑かったようです。曲間の入場も、静かにすべきでした。この日は良かったのですが、時折、司会者が歩きながら、静止しないで言葉を発することがありました。注意すべきだと思います。

言い訳と反省仰るこれも、仰るとおりです。二部のモーツァルトで、このコンサートは救われたと思います。しかし、ミストーンが多すぎます。今後の課題でしょう。休憩時間の問題も今後の課題です。アザレアのまち音楽祭の主役は演奏者ではなく、聴衆なのです。演奏者の都合で、聴衆の不興を買うようでは先が無いでしょう。今後は、是正します。空調の問題は、主催者サイドの判断ミスです。開演前に十分冷やしていましたので本番で切ったのが間違いでした。せっかくひざ掛けを用意していましたので、空調は維持すべきでした。曲間の入場は、再考が必要なようです。演奏家がステージに立っている間の出入りは、今後禁止いたします。

 

5/26 鶴崎千晴ソプラノ・コンサート
□満足度 とても満足 67%  満足 33% 普通 0% やや不満0%  とても不満0%

○よくも高音の響のすばらしさに圧倒感激いたしました。併せてピアニストの強烈な技能、大変感動的でした。ありがとうございました。( 倉吉市 70歳代以上/女性)

○大変すばらしいコンサートでした。歌はいやされます。(50歳代/女性)

【ディレクターの回答】

鶴崎千晴さんのコンサートは、毎年ぐんぐん進化しています。前半の日本歌曲「日本の笛」より7曲を演奏しましたが、完成度の高い歌唱だったと思います。表現したいという意欲と、それを支えるテクニックがバランスよくなって来ている。サロンという場を計算した抑制のある歌唱が、大いに効果的であった。ことばも明瞭、安心して聴いていられるゆとりさえ感じた。すばらしい出来です。

二部のトスティはお手の物であり、懐かしい歌ばかりで十分に楽しめた。今回のコンサートで唯一のオペラ・アリア「オテロ」より「柳の歌〜アヴェ・マリア」は、圧倒的な歌唱力を見せた。ピアニシモの美しさと悲しみを感動的に歌っていた。心の中の最も大切な言葉はピアニシモでしか表現できないと、しみじみ感じるコンサートだった。

アザレアのまち音楽祭2009内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)

【鶴崎千晴ソプラノ・コンサート】

先ず、奇抜な衣装に圧倒される、というほどでもないが、毎回アイデアに満ちた衣装で登場する人です。今回は、奥ゆかしい和服をまとった衣装。和服は、本人の思い入れのある着物らしい。着こなしは、本人の体型に合わせた実用的なもの。なかなか、衣装も趣のあるものです。余談ながら、ご本人のジーンズ姿をたまたま拝見した。なかなか軽やかで、意外といっては失礼になりますが、決しておむすび型であったり、ムーミン谷のモラン風であったりはしません。むしろ上半身に比重があるために活動的に見えるのです。次回は、そういうスタイルも取り入れられたら、よりご本人の個性に近くなると思いました。

■演奏⇒第1部は日本語の、北原白秋/平井康三郎作品。そして、團伊久磨作品。いずれも、思いきった歌い方で、曲によっては鋭さも感じられました。ただ、気のせいか「ハ行」の発声が何か引っかかったような気がしました。

第2部はイタリアのトスティの作品。やっぱり、千晴氏はイタリアタイプかなと思うくらい、伸びのあるソプラノを聴くことが出来たと思います。発声にも気を使われているらしく、「r」の音もそれらしく発音されていましたが、「f,v」の音については、もっとはっきり発声されたほうが、歌に感情が乗るように思われました。兼田氏のピアノ伴奏も一見大人しそうで、伴奏としてのギリギリのところまで主張されているように思われました。

仲間うちのソプラノたちが大勢詰めかけているなかでの演奏会でありましたが、そのプレッシャーのなかでの楽しい演奏会でありました。ただ、もっと伸び伸びとしたソプラノが聴けるものと期待しています。

言い訳と反省ご指摘のように、日本語の発声はとても難しいものがあります。これが、伝統的な長唄や、新内の類いであれば、日本人の体格と相まって問題なく日本語が歌えるはずです。日本歌曲の難しさは、西欧の伝統の中で培われた歌謡様式で作曲されていることです。そして、その歌曲も、西欧の伝統的な歌唱法を要求しているためです。世界中の声楽家といわれる方々は、その歌唱法を学んできています。オペラを歌うには外せないベルカント歌唱は、日本の文化の中には全く存在しない歌い方であり、そのような発声法を必要とする文化も皆無です。そのため、声楽を専門に学んだ人ほど、日本語による歌唱には違和感を持つようです。逆に、イタリア語やドイツ語の歌唱では、声楽を専門に学んだ人ほどよく響く声で、まるでヨーロッパ人のような歌唱が可能になるのです。実は、ヨーロッパ人と日本人では顔の骨格が異なり、口腔内の形状から声の響かせ方まですっかり違うため、日本人は苦労して声楽家としての発声法を身に付けています。

 日本歌曲の発声に独自な世界を作り上げて高く評価された「四谷文子氏」が芸大で教えていましたが、現在では日本歌曲と西欧歌曲をそんなに意識しないで歌いこなせる時代になっています。ホセ・カレーラスが日本人かと見紛う見事な日本語で歌っていたりする事例もあることから、日本歌曲をそんなにシビアに考える必要もないという主張もあります。日本人の言語生活の中には、鼻共鳴を伴う発音は「が行」程度です。しかし、ヨーロッパ言語には、重要な要素として鼻共鳴を無視する事は出来ません。その文化の違いが、発音の難しさの根底にあるのです。この問題は、大袈裟に言えば、社会構造の成り立ちにも関わる事であり、文化の再構築論に至る大きな課題であるかもしれません。

 そんなこんなで、二部のイタリア歌曲の伸びやかさは、ご理解いただけたと思います。私は、もっと自信たっぷりに歌われることのほうが、魅力が倍増するものと思います。

 ピアニストの件につき「伴奏としてのギリギリのところまで主張されている」との指摘は重要です。ギリギリとは、その一線を越えるとアンサンブルを壊すということであり、音楽の真髄を見透かした論評だと思いました。

 

5/24 新田恵理子ピアノ・コンサート

□満足度 とても満足 50%  満足 43% 普通 7% やや不満0%  とても不満0%

昔なつかしい「かっこう」「調子の良い鍛冶屋」、チェンバロでステキでした。メンデルスゾーンも心暖まる演奏、とても良かったです。ありがとうございました。歌まで聴けて良かったです。(アンコールで会場に居合わせたソプラノの寺内智子さんが2曲歌いました。)( 倉吉市 50歳代/女性)

○初めて生の楽器演奏を聴かせていただき、遠い昔のヨーロッパの時代のオルガンの音色を思い、楽しく聴かせて頂きました。色々な演奏にチャレンジされてるのにおどろきました。今日は有名なメンデルスゾーンのピアノ演奏を楽しませて頂きました。中学の時から50年、耳に残った名曲が忘れられず、とてもうれしく感動しました。長く続けて頂きたいと思います。文化の花を咲かせてください。 (倉吉市/60歳代/男性)

○本物のチェンバロが見たい。「かっこう」を知っていたので、おもしろかった。知っている曲が多かった。(琴浦町/小学生/女性)

○本物のチェンバロが見られなくて残念でしたが、オルガンの音とか変わったのが聴けてよかったです。「修道女モニク」が自分でもひいてみたくなりました。 (琴浦町/30歳代/女性)

○小さいチェンバロとピアノの違い、よくわかりました。まろやかなピアノの音にうっとり。すばらしいおまけ付で、幸せでした。(倉吉市/60歳代/女性)

○小さいことを気にすることは…と自分でも思うのですが、音がにごったりするところが少し多かったように感じました。チェンバロとピアノとの手や指の力のこともありましょうが、はじめから分かっていることなので、がんばって練り上げて欲しいと思いました。(鳥取市/50歳代/男性)

【ディレクターの回答】

今回のコンサートの仕上がりは、おっしゃるように中途半端な感じがします。コンサートのプログラムを練り上げるという作業は大変なものですので、時間をかけなければならないものです。しかし、今回の新田さんのコンサートは、とてもよく努力され、ここまで仕上げられた事に、感動すら覚えるものがあります。実は、三月末に自動車事故で、車に乗せていたチェンバロがぐちゃぐちゃに壊れ、車自体も廃車になるほどの損傷を受け、ご本人も強い打撲傷を負ってのチャレンジでしたから、本来の力が発揮できたとは言えないまでも、短期間でここまで仕上げて来た演奏に、音楽家魂を見ています。当日も、肩の痛みを押しての演奏でしたが、そんなことを微塵も感じさせない態度に、心からの拍手を送りたいと思います。

チェンバロとピアノの違いは、音の出し方が違うだけでなく、鍵盤の幅とタッチの感触がまるで異なるのです。チェンバロ奏者として著名な小林道夫氏でも、一晩のコンサートでチェンバロとピアノを引き分けるような無謀な事はしません。しかし、無い事はありませんので、今回のコンサートも冒険ですが、完成度の高さを気にしなければ、十分に楽しめるものになると思います。それが出来るのも、デジタル・サンプリングの電子楽器だからこそ可能だと思います。タッチもオリジナル楽器に似せてあっても、全くの別物であり、ピアノを弾くようなタッチでも、チェンバロの演奏としてのアーティキュレーションが担保される仕組みになっているからです。ですから、全く新しい楽器としてのスタンスで、今後演奏法が出来上がっていくことでしょう。

○大変すばらしかったです。有難うございました。(倉吉市/70歳代以上)

○新田さんのほのぼのとした気持ちの伝わる楽しいコンサートでした。(北栄町/60歳代/男性)

○生のチェンバロの演奏を初めて聴きました。バロック風というものを、本当に感じました。(倉吉市/70歳代以上/女性)

アザレアのまち音楽祭2009内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)

【新田恵理子ピアノ・コンサート】

第1部が(Rolando C-30 http://www.roland.co.jp/products/classic/c30/seihin/index.html

によるハープシコード演奏。第2部がピアノでメンデルスゾーン。おまけに会場内から寺内智子さんのソプラノ演奏をハープシコードと小型ポジティブ・オルガンの音色で伴奏。

■演奏⇒電子楽器とはいえ、ハープシコード特有のタッチ、「ンガッ」という鍵盤を離したときの音まで再現されて、バロック演奏を楽しむことが出来ましたし、なにより本人が楽しんでいるような解説でもありました。第2部ではピアノに切り替えメンデルスゾーン。後半の「序奏とロンドカプリチオーソ」では、本来の演奏を取り戻した迫力ある、真顔の演奏でした。おまけの寺内さんがよかったのはもちろんです。今回のこのプログラムはおそらく、本人自身が語りのなかで匂わせていましたが、本人に事情があってのプログラム、と理解しました。そのうえで、ハープシコードとメンデルスゾーンで、それをのりきった演奏会はさすがプロ、でした。なお、聴衆はこのサロンコンサートでは最高の入りで、入場できない方もあったようです。

言い訳と反省楽器は時代によってどんどん進化します。ホイッスルの原理で生まれた筒の笛が、リコーダーへ発展し、又パイプオルガンへと進化したように、様々な楽器は進化しています。竪琴(ハープ)を横に寝させてスティックで叩けばチェンバレンになり、鳥の羽軸で引っかく鍵盤装置でハープシコードなる。両方の特性をあわせてハンマークラビーア(ピアノ)が誕生しています。もともと木製のフルートだって、響の伝達の効率の良さを追求して金属製になり、当時発明されたメッキ技術を導入して美しい楽器に仕上げている。さしずめ現代のデジタル技術が、楽器の概念をガラッと変えたように、時代はそれらの進化を受け入れてきた。

そんな意味で、電子楽器による新しいハープシコードの出現は、私たちに新しい楽しみを提供してくれるものと期待されるのです。今回の第一部で演奏されたバロックの音楽は、オリジナル楽器で、あそこまでの演奏レベルを維持するのは並大抵の事ではないはずです。それが可能となったのは、電子楽器の優れた機能が存在したためで、その機能をいかに使いこなすかが、今後の魅力作りの課題になるでしょう。

最近では、N響のコンサートでも電子チェンバロやオルガンが使われるようになっています。電子楽器は、本物の楽器といわれるオリジナルの楽器に近づこうとする製作者の努力もありますが、全く新しいコンセプトを持った楽器としての地位を確立し始めています。ですから、この楽器があればこその、独自のコンサートが可能になる利点を私たちは期待しています。今回のコンサートをすべてオリジナルでやろうとすれば、大変な経費がかかります。二段鍵盤のハープシコードは、どんなに安くても300万円以上はしますし、小型のサロン用オルガン(倉吉未来中心に設置)でも500万円以上掛かります。更に、それらの楽器の調整調律に専門家の経費がかかり膨大な予算が必要です。いにしえの王侯貴族でないかぎり、現代では難しいことでしょう。それを、可能とするのが今回使われた電子ハープシコードなのです。

 

5/24 打吹音楽倶楽部ブレーメン・コンサート

アザレアのまち音楽祭2009内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)

【打吹音楽倶楽部ブレーメン・コンサート】

■演奏⇒いつもながら、鳥取県中部の数少ないアマチュア・ブラスバンド。当日、中・高校生の聴衆はけっして多くはなかったが、まちがいなく、中部在住の中・高校生の目標になっている存在だとおもいます。当日は幅広いレパートリーのなかから、ショッピングセンターでのコンサートを意識してのポピュラーな、年少児うけのプログラム。観客の中には、スタッフに、「あれは、プロのバンドですか?」とたずねる方もいました。

音楽ファンとしては、もっとじっくりとコンクールなみの演奏を聴きたいとおもいましたが、それはまたの機会というものでしょう。社会人のアマチュアバンドとしては、豊富な練習を積まれていると思いますが、個人の練習だけでなく、専門のレッスンを受け、レベルの底上げをはかることも必要に思いました。

言い訳と反省打吹音楽倶楽部ブレーメンは、倉吉市勤労青少年ホームの三階の大会議室を練習拠点として活動していますが、私の知る社会人バンドでこれほど練習熱心な団体はありません。コンサート前になるとほとんど連日、パート毎の練習が続けられていますが、好きなだけでは出来ない社会人バンドの使命感さえ感じさせるものです。演奏もポップスを中心であり、特にパーカッションの出来の良さは特筆に価するものです。

ところで、このようなコンサートの魅力は、音楽の波が途絶えることなく押し寄せる事だと思います。入場料を払ってのホールコンサートであれば、ブレーメンを聴きたいというファンの方々が選択して聴きに行きますが、パープルタウンでのコンサートは、不特定多数の方々を聴衆として取り組む事が大きな狙いになるはずです。そんな意味では、一時間のコンサートの内、おしゃべりと楽器紹介で半分の時間を費やすのはもったいないし、聴く方としてみるとその間に興味を失って立ち去る方もあるようです。次から次へと楽しい音楽を畳み込むように演奏するスタイルの方が、聴衆は魅了されると思います。毎回感じる事ですが、聴衆が何を望んでいるかよりも、演奏する側の都合で演奏したいようにしているだけと感じさせるのは何とかしなければならない今後の課題だと思いました。

レベルアップの事ですが、固定した指揮者は必須ですが、年に数回は全くタイプの違う指導者を導入するのがアンサンブル上達の秘訣です。しかし、アマチュアの悲しさは、レベルアップより、練習を楽しむ事が第一義ですので、自分の限界を乗り越える努力とその可能性はあまり期待できないのが現状だと思います。また、それがアマチュアの良さであり、長続きする喜びでもあるのでしょう。

 

5/23 アザレア弦楽四重奏団・コンサート
□満足度 とても満足 80%  満足 20% 普通 0% やや不満0%  とても不満0%

○目の前で四重奏を鑑賞させてもらったのは初めてで、全く感動いたしました。調子に乗って手踊りでもしたくなるような気持ち、更に演舞が加わったらすごく素晴しいという感じでした。有難うございました。( 倉吉市 70歳代以上/女性)

○昨年、初めてアザレア弦楽四重奏団演奏会を聴いて、ファンになり、今年も聴きに来ました。第2部のワルツはとても楽しかったです。間近で演奏を聴けて、とてもよかったです。(倉吉市/30歳代/女性)

○毎年楽しみにしているアザレア弦楽四重奏です。伊藤さんの大ファンです。ありがとうございました。 (倉吉市/50歳代/女性)

○楽しみに来ました。なじみのある曲が多くて○○しも入りやすく、弦楽四重奏の美しい生の曲を聴くことができてよかったです。(倉吉市/50歳代/女性)

○今夜も楽しませて戴きました。プログラムの構成や選曲(なじみのある曲などもあり)もよかった。「モーツァルトの弦楽四重奏曲とウィンナー・ワルツの夕べ」を心行くまで楽しむことが出来ました。昨年も、そして今年も、当四重奏団の熱演。その雰囲気を家へ持ち帰る。来年も楽しみにしています。(北栄町/70歳以上/男)

【ディレクターの回答】

身近で聴くクラシック音楽の醍醐味を味わっていただけたようで、嬉しい限りです。しかし、これまでの常連の方の顔が見えなかったのが残念です。当日は雨天だったということを差し引いても、聴衆がドラスティックに激減しているのは残念でした。

今年の演奏は、どう贔屓目に見ても練習が不足しているように感じました。各パートのソロの部分が出てくると、音程の不ぞろいが気になりました。トゥッティ(全員の合奏)は、ほとんど問題ないのですが、アンサンブルとしてみると、各パートの対話が不足しています。特にモーツァルトの冒頭部分のアンサンブルの乱れは、コンサート全体の雰囲気を台無しにしますので、注意が必要でしょう。2楽章以降はなんとか持ち直しましたが、コンサート全体にゆとりが感じられないというのが本当のところでしょう。

二部の「ウインナーワルツの楽しみ」は、トップ・ヴァイオリンの上手さが光る優れものだったと思います。今後は内声部の充実を期待したいものです。演奏は常に進化しないと、聴衆に飽きられてしまいます。この山を、乗り越えようとする意欲と努力が、今最も望まれます。

アザレアのまち音楽祭2009内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)

【アザレア弦楽四重奏団演奏会】

よく響く倉吉博物館玄関ホールでの開催。当日は雨。また、新日本海新聞社主催の「ドール展」の開催中で、開演5分前までその鑑賞者が残っていました。

■演奏⇒弦楽四重奏の楽しみは、ふだん素人がオーケストラ演奏ではなかなか聴き分け難い、第2ヴァイオリンやヴィオラの音色が堪能できることです。プログラムも、第2部ではワルツなどが用意され、第2ヴァイオリン・ヴィオラの心地よいアンサンブルが楽しめる構成でした。ただ、この日は、会場の響きのよさのためか、多少の差はあれ4本ともピッチのずれが気になりました。

会場の屋外、スタッフの帰るころ、雨降る階段などがとても暗かったのが、お疲れのうえに気の毒でした。

言い訳と反省今回の演奏は、カルテットとしての資質を問われかねない出来だったと反省しています。数年前までは、毎回新鮮な響を聴かせてくれていたのにと残念です。カルテットの場合、それぞれの奏者の粒が揃うか、リーダーの指導性が徹底するかのいずれかであれば、何とかなるものです。まず望まれるのは、メンバーの定着化です。今後を期待したいものです。

 

5/19 道谷増夫サクソフォーン・コンサート
□満足度 とても満足 100%  満足 0% 普通 0% やや不満0%  とても不満0%

○先回のアザレアのまち音楽祭の時から、サックスとピアノの音色のとりこになり、今日の来るのを指折り楽しみに待っていました。又、次回を楽しみに待ちます。本当にありがとうございました。 ( 鳥取市 70歳代以上/女性)

○適切な表現かどうかわかりませんが、変幻自在の音と演奏で、素人には耳新しいが多かったのですが、最初から最後まで楽しく聴かせていただきました。「コッペリア」が演奏曲に入っていたのは、アマチュア舞踏愛好者としては、楽しかったです。 (北栄町/40歳代/女性)

○二部の曲は、大変気に入りました。サクソフォーンで、ここまで演奏されることじたい驚きでいっぱいです。緻密な演奏に大満足です。ピアノもとても気に入りました。来てよかったです。 すばらしかったです。(倉吉市/50歳代以上/女性)

○初めてのサクソフォーン・コンサート、何もかも新しい感覚で聴かせていただきました。奏者と伴奏、見事に息の合った演奏にほとほと感激の至りです。自分にもっと知識があったら、どんなにか味わい深さがあっただろうと、自身残念と思われます。ありがとうございました。 (倉吉市/70歳代以上/男性)

【ディレクターの回答】

道谷氏のサクソフォーンを二年ぶりに聴きました。相変わらず表現力豊かで、聴く者をぐいぐい引っ張っていく演奏は顕在です。やはりと言うか、やっぱりフランス物には、他の追従を許さぬ確固たる感性が感じられました。今回のコンサートで唯一のオリジナル作品「サクソフォーンのための変奏曲」は、道谷氏らしい感性を聴かせるものでしたが、メロディーの運びとそのアーティキュレーションに日本語を強く感じました。無意識の中で私たちは日本語で話し、日本語で考える習慣が身についてしまっているのでしょう。それが私たちの民族性と言うものかもしれません。

ところで、音楽鑑賞に「自分にもっと知識があったら、どんなにか味わい深さがあっただろう」と仰っていますが、知識があればあったで、鑑賞を邪魔する場合もあります。基本的に音楽鑑賞に知識は不要だと思っています。音楽鑑賞には様々なTPOがあります。同じ音楽を聴いても、その時、どこで、どんな状況かでまるで違ってしまうものです。教養主義的に聴く場合は、知識が必要な場合もあります。しかし、そんな聴き方は、鑑賞とは言えないと思っています。ですから、何の知識も不要です。ただ音楽を全身で聴く事が出来、楽しめるかどうかが問題なのです。

そんな意味では、道谷氏の演奏ほど音楽に誠実で、聴衆に対して誠心誠意を尽くす演奏家はまれです。今後とも、道谷氏をご支援下さい。

アザレアのまち音楽祭2009内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)

【道谷増夫サクソフォーン・コンサート】

■演奏⇒サクソフォーン奏者としてよりも作曲家として認識していましたので、コンサートは初めて聴きました。アルト・サックスといえば、マルタの甘いやわらかな音色が浮んでくるので、道谷氏の音色は別でした。クラシック・サクソフォンの音色とはこんなものかと。そういう意味では不安定感が残りました。

だが、第1部などドゥビュッシーなどの曲は、本人編曲・作曲のためかもしれませんが、なるほどこの曲はアルト・サクックスでなければならない曲だなあ、と納得させられる曲と演奏でした。また、瀬川氏のピアノも、伴奏というより、サクソフォーンとのアンサンブルという趣きで、面白い演奏の出来上がりだと感じました。

言い訳と反省サクソフォーン奏者に、それぞれの個性があることはご存知の通りです。マルタの音色も、今でこそジャズの音になっていますが、学生時代は透明感のある音色だったと思います。しかし、今売れっ子の「須川展也」の音とも違います。クラシック・サクソフォーンの良い音とは、マルセル・ミュール(フランス/1901.6.24 2001.12.19)を頂点とする様式が確立されているといわれますが、生で聴いた事がないので何とも言えません。音色についても「甘い」とか「明るい」「暗い」「ヴィブラートが…」など、表面的な違いは見られます。しかし、音色以上に重要なのは音楽的な表現にその音色がどう関わっているかということだと思います。良い演奏には、必ず共通する基本的な奏法があるはずです。道谷氏の演奏には、それが、まずあります。その上で表現に必要な音色を求めるのであれば、リードやマウスピースの選択、そしてアンブッシャーの工夫、さらにアーティキュレーションの研究を深める事で表現力をつけることになるのです。「クラシック・サクソフォンの音色とはこんなものかと。そういう意味では不安定感が残りました。」との感想は、多分楽器の「鳴り」の問題ではないかと感じています。その「楽器のならせ方」は、個性に属する問題であり、聴く側の好みかもしれません。それにしても、ことば数は少ないですが鋭い指摘です。

最近は、ピアノ伴奏という言い方は少なくなっています。「サクソフォーンとピアノのための○○」という風に記載されるのが常態化しています。つまり、対等な関係の二重奏ということです。メロディーに和音をつけるだけの演奏であれば伴奏ですが、ほとんどの器楽曲は二重奏となっています。ですから、「瀬川氏のピアノも、伴奏というより、サクソフォーンとのアンサンブルという趣きで、面白い演奏の出来上がりだと感じました。」との感想は的を射ています。