アンケート・コメント08 アジサイ旬間

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アザレアのまち音楽祭2008 アンケート・コメント

 回収されたアンケート用紙に、コメントされていたものをご紹介します。
 満足度は、回収されたアンケートによって集計したものです。

アジサイ旬間(6公演)

6/21(土)【辺見康孝ヴァイオリン・コンサート】
6/22(日)【小川彩子フルート・コンサート】
6/24(火)【佐々木まゆみソプラノ・コンサート】
6/25(水)【アザレア・サロン・オペラ『電話』(メノッティ)】自主事業
6/27(金)【中野隆尺八演奏会】
6/29(日)【ファイナル・コンサート 閉会式典とアザレア歌のコンサート(合唱と独唱)】
    第1部 合唱の祭典(女声合唱の部)赤碕女声コーラス「まどか」、ザ・ラニアルコーラス、コール・ウインドミル、倉吉女声合唱団、
    第2部 浦池佑佳ソプラノ・コンサート
    第3部 合唱の祭典(混声合唱及び児童合唱の部)混声合唱団コーラスはわい、三朝コールげんげ、混声合唱団みお・混声合唱団こさじ・成徳小学校合唱団・上灘小学校合唱団

6/29 ファイナル・コンサート アザレア歌&浦池佑佳ソプラノ・コンサート
満足度 大変満足 43% 満足 43%  普通 14%  不満 0% とても不満 0%

  

○浦池佑佳さんのソプラノ、初めて聴かせていただきました。表現力豊かで、高音の伸びやかな声に感動しました。又来年、アザレアのまち音楽祭の出演を楽しみにしております。 (八頭町/女性/20歳代)

○場内アナウンスの声が小さく、聞き取りにくかった。合唱で、ミュージカル風のスタイルがあり、楽しめた。(倉吉市/女性/50歳代)

○一部では、Bコール・ウインドミルが楽しく聴けた。三部、混声合唱、みなよろしい。将来のアザレアが楽しみだ。小学生は、別格でよかった!!途中の出入りが気になった!! (倉吉市/男性/70歳代以上)

ディレクターの回答
 コンサートで、演奏が始まってからの出入りは、しないのが当たり前です。しかし、アザレアのまち音楽祭では、遅れながらでも駆けつけていただいたお客様のことを考え、演奏団体の交代する短い暗転の時間に出入りしていただいています。今年度は、会場入口に「お客様へのお願い。コンサートが始まりましたら、ドアを閉鎖させていただきます。途中での入場は、係員の指示に従ってください。」と標記し、二団体が終わる毎に出入りしていただきました。本来のコンサートでは、休憩以外にドアを開けて入場させることなど、あり得ない事です。しかし、地方で開催される合唱のコンサートは、そのほとんどがアマチュアであり、定期演奏会でもない限り、コンクール形式の催しがその全てになっています。ですから、出演者が演奏を終われば聴衆となったり、出演者の家族が応援にお出でになるというお祭りの様相を呈して、聴きたい演奏だけ聴きにお出でになり、聴けば直ぐにお帰りになってしまうことがままあるものです。そんなことに慣れてしまっている聴衆の皆さんに、休憩時間以外には出入りを禁ずるのは無理かも知れません。ですから、会場は常に雑音を発生することとなり、本気で聴こうとしておられる皆さんには、迷惑を掛けてしまうのです。
 しかし、アザレアのまち音楽祭は、音楽を楽しんでいただくためのコンサートを提供していますので、開演時間に間に合うように来ていただき、最後までお聴き願うのが理想です。コンクールやフェスティバルといった催しと一線を画した、音楽を楽しむためのコンサートにしたいと考えています。ごひいきの合唱団だけお聴きになりたい方は、コンクール等で聴いて頂きたいと考えるものです。アザレアのまち音楽祭では、ご出演のどの団体も、じっくり聴いて頂き、それぞれの団体の良さを、その個性を楽しんでいただくことを目的にしています。どうぞ、ご理解下さい。特に、今年は会場内で、演奏中に鈴の音が幾度も鳴り響きました。どうしたものかと、悩ましい問題です。良い解決法がありましたら、お知らせ下さい。

○今年もアザレアのまち音楽祭のコンサート、楽しませていただきました。関係者のみなさま、本当におつかれさまでした。ありがとうございました。交流プラザに行くたびに、演奏者の方が見にくいと思っています。ひな壇を使うなど、工夫があってもよいかと思いますが、いかがでしょうか。

ディレクターの回答
 倉吉交流プラザ視聴覚ホールでのコンサートに付いてご指摘を頂き、ありがとうございます。実は、倉吉交流プラザの会場設定は、五年がかりで、やっと現在のベスト音響にたどり着いた所です。おっしゃるように階段席はありますが、当初はその階段椅子を出してコンサートしましたが、音響が著しく悪く、つまり響かないのです。どうしたら豊かな美しい響きが作れるのかを模索して、現在の設定になっています。ですから、椅子席を三列以上にはしていません。(定数設定70席の場合。/補助席が必要になったときに四列、五列を作ることがあります。)前の方々の間から、出演者が見えるように工夫(チドリ並べ)はしていますが、どうしても見えないこともあります。見えないといっても、演奏者から聴衆までの距離が6メートル範囲ですのでご理解いただきたいと思います。サロンでは、今後とも階段椅子は使いませんので、なるべく前の席をお選びいただければ幸いです。

○第2部、大変素晴らしかったです。先日、あるコンサートを聴きに行ったのですが、その方も若いソプラノの方でチラシに記載されている通り確かに大変美しい声でした。ところが、その他には、まるで何も心に訴えるものがない、不思議な位、とても空虚なものでした。美しい声と表現力はなかなか両立しないものかしら?と、その日はモヤモヤしながら帰ったのですが、まさかその数日後に、それが覆されるとは、夢にも思いませんでした。日本歌曲はもちろん外国語で歌われる曲も、まるでその情景が目の前に浮かんでくるようで、とてもワクワク(うまく言い表す言葉が見付かりませんが)しかしながら、聴かせていただきました。やはり、生の歌声は、美しい声にとどまらず、その場の空気感などもダイレクトに伝えてくれるので良いですね。第1部、第3部に出演された合唱団の皆さんの演奏も、それぞれに違った味わいがあって、とても楽しいものでした。本当にファイナルにふさわしい、素晴らしいコンサートでした。スタッフの方々のご尽力も大変なものだったことと思います。音楽祭の益々のご発展をお祈りしています。 (岡山県/男性/20歳代)

○毎年アザレアのまち音楽祭を楽しみにしている市民の一人です。ファイナルになりました。長年に亘る音楽祭の企画運営、県中部の音楽文化の向上に力を尽くされたことに敬意と感謝を申し上げます。NPO法人化、指定管理者制度公募化、その受託にも賛同します。来年のフォーラム(の活躍)を楽しみにしています。ありがとうございました。(倉吉市/男性/50歳代)

ディレクターの回答
 アザレアのまち音楽祭の運営団体が、NPO化したことにご理解を頂きありがとうございます。また、時代の潮流でもある指定管理者制度の公募に付いてもご賛同を頂き、心より感謝申し上げます。官から民への大号令で始まった行政改革の流れが、民間には受け皿となる力量がまだないとの認識で指名指定していますが、公募して運営のプロポーザルを競い合い、より優れた団体に指定するのが筋だと思います。行政が文化振興に熱心なのは大変素晴らしいことですが、民間の力を活用するNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)を、地域活動団体の力量を信頼していただきたいと願うものです。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント
感想(O.M氏評)VS言い訳と反省ディレクター
6/29 ファイナル・コンサート
アザレア歌&浦池佑佳ソプラノ・コンサート

第1部女声合唱の部→「まどか」 以前にも聴く機会がありましたが、スキルアップはしていると思います。声が整ってきたように思います。ただ、まだ肩で息をされている方があるようですので、も少し基本のマスターを望みたい。
 「ザ・ラニアルコーラス」合唱としてのまとまりが出来てきました。ソプラノの思いっきりのよいソロが出たとたん全体が引き締まった、というか、協力してコーラスを盛り上げている感じがしました。
 「ウインドミル」私的には、ユニフォームではない方が好きなのですが、今回はミュージカルみたいな衣装でした。全体にコーラスを愉しんでいる、という演出でした。各パートも、しっかりしていたと思います。ただ、も少し「音圧」があれば、と感じました。
 「倉吉女声合唱団」ソプラノに安定感が感じられました。「音圧(dB)」はもっと欲しい。

第2部浦池佑佳ソプラノ・コンサート→トレビアン!これぞ、ソプラノ。歌いきった感あり。「ディクション」もまずまず。プログラムの構成もソプラノを魅せるのに効果的ではなかったでしょうか。たぶん、聴衆は、この大ホールがあんなに響くものだということを実感されたことでしょう。このソプラノを、たった一人で、このホールで聴けたら幸せだろうなと思いました。

会場→しかし、こういうときに限って会場の方の悪さが目立つものです。まず、合唱出演者の演奏中の入場。出演者ならば、せめて1曲終わるまでドアで待つ気遣いが欲しい。「合唱の祭典」という会の聴衆のためなのか、あちこちで演奏中にコソコソ。誰某は何処其処の何某とか。床を靴で擦る音。キャンデーを含む匂い。フォルテシモのとき、着信音あり。歌い終わった瞬間にバタンと何かが倒れる音。外のドアの締まる音。小さな子が喋る声(子どもだけ→保護者の責任)。最初のおばさんのお喋りは注意しましたが、その後はもう止めました。曲と曲の間に出演者が引っ込んだのを終了と勘違いしてアンコールらしきの拍手。結局、気持ちのよいアンコールはできず。「合唱の祭典」だから仕方がないのか。演奏者に気の毒でした(でも懲りないで頂きたい。一流の声をナマで聴く機会は是非必要)。浦池氏は来年5月に鳥取市での歌劇『カルメン』のカルメン役が決まっているそうで、迫力あるカルメンが期待できそうです。

言い訳と反省⇒アザレアのまち音楽祭で最大の悩みが、音楽をお聴きいただくマナーの問題です。「合唱の祭典」だから多少の騒音は我慢しなければ、との意見もありますが、やはり音楽を楽しむためには、最高の環境で音楽を堪能して欲しいものです。サロン・コンサートでは、かなりの静寂が実現し、純粋に音楽を鑑賞していただける環境が整ってきていると思います。しかし、大ホールでのこの類いの音楽会は、どのコンサートでも似たり寄ったりの状況です。そこで、アザレアのまち音楽祭におけるコンサートは、他のコンサートとの差別化をはかり、純粋に音楽を楽しむための音楽祭にしたいと考えるものです。そのためには、いくら掲示物や印刷物、放送でマナーの注意を促しても、ほとんど効果がないのが現実です。来年度からは、コンサート前に「音楽を聴く楽しみレクチュア」のようなものを10分程度トークし、音楽鑑賞の環境破壊阻止活動をしてみてはどうだろうかと考えるものです。出演者の会場内への入り方に付いては、主催者サイドのミスでしたので、素早く張り紙で対応しました。やはり、音楽祭のコンセプトを再認識し、現実にあわせた運営ではなく、理想にあわせた運営をすることによって、音楽鑑賞のよりよい方法を定着させねばと思います。「芸術の掟は道徳の掟でもある」との言を、聴衆に理解していただくことこそが、アザレアのまち音楽祭活動の意義であり、社会に影響を与える芸術の意味ではないかと思います。
 途中の拍手の問題は、まさに仰るとおりであり、コンサートに不慣れな方が多かったためだと思います。しかし、考えようによっては、このコンサートで初めてソプラノの歌声に接し、感動された方が多かったためとも言えます。徐々に、コンサートの楽しみ方を、啓発していくのが、アザレアのまち音楽祭の使命でもありますので、来年度は、もっと緻密な計画を立てて、聴衆の皆さんに音楽の素晴らしさを十二分に堪能していただくよう努力いたします。

第3部混声および児童合唱→「はわい」親しみのある曲でした。練習の成果が見られたと思いますが、まだ地声が聞こえるようです。「生涯学習」の一環としては、よく練習されていると思います。指導者に感謝しましょう。
 「げんげ」こじんまりとしてはいますが、まとまりがあったように思います。高校の学園祭での合唱コンクールなら模範演奏になります。
 「みお」さすがに、曲への理解は深い、と思わせました。若干平均年齢の上昇に伴うものでしょうか、不安定感が感じられました。
 「こさじ」さすがアカペラを経ているだけあって、ハーモニーの感覚は他より優れたものがありました。豊かな「音圧」があればもっとすばらしい。

全般に→「50歳代を過ぎると、音域のバランスや音質のバランスを崩してしまう」という辺りを、どう修正するのか、指導者の技量になるでしょうか。そのためには、自分達の演奏を「客観的」に聴く、という作業が必要でしょう。即ち、自分達の演奏の記録を聴く、ということです。幸い、全曲が、主催者によって録音、CD化されるはずですので、是非それを聴いてチェックして欲しいと思います(是非、各人ご購入下さい…CM)。なるべく聴き手が「ヴォランティア」にならなくていいように…。それと、和声の優れた演奏を、自身の耳でじっくりと聴く、という作業がなされているでしょうか?このホールで他団体の演奏を聴いて、得意になっているようではいけないと思います。和声の心がわかれば、立場・持ち場の違い、その良さ、またその上で、合唱で和する(人生で和する)すばらしさが体験できると思います。他人の噂ではなく、自分の耳で確かめることです(『篤姫』みたいに)。

「成徳小」→2年生を含みながらもきれいな発声が出来ていたように思います、さすが。少し硬かったかな。中部地区にもまだ残っていますよと、ありがたく思いました。

「上灘小」→今時には「珍しく」男の子も何人か参加していました。元気いっぱい、歌うのが楽しい、という感じが伝わってきました。ただ、「COSMOS」などは中・高生のお兄さんたちも歌う曲 で、少し難しいのではないかと感じました。元気はいいのですが、声の力任せは、コーラスが汚くなってしまいます。普段から、合唱のときの声の出し方を勉強して欲しいと思いました、頑張ってください(なんかNHKFMの「楽しいコーラス」の解説風になってしまいました)。

音楽を楽しむマナー→どうしても身近な人の出演する演奏会というものは、マナーを知らない聴衆、あるいは演奏以外のことを話題、評価の対象にする聴衆が多くなります。演奏者がそういった方々から評判を聞かれたときに、それとなく諭すとか、あるいは演奏自身はいかが?と尋ねることでしか、解消できないかもしれません。
 「その国の人びとの生き方の表現がその国の文化」である、という言葉があります。「その人の生き方の表現がその人の文化(芸術)である」と言い換えてもよいかもしれません。倉吉を中心とするこの地方の文化がすばらしいものであることを願います。勝手なことを申し上げて参りました。身体で感じたままを、誠実に述べさせてもらい、私自身とてもよい勉強になりました。このような機会を与えて下さった全ての方々に感謝します。第27回目の「アザレアのまち音楽祭2009」がさらにすばらしい出来事になりますように。賢治・緑石とともに…。

言い訳と反省⇒先にも述べましたが、これが一番の問題なのです。今年は、途中の入場を制限したり、会場内に係員を配置して、整理につとめましたが、限界を遥かに超えたマナーの悪さを露呈してしまいました。これは、やはり主催者側の姿勢の問題かも知れません。演劇の「鳥の劇場」(鹿野町で活動するプロの演劇団体)には、幾度も足を運びましたが、県内では最高の公演活動だと感じています。上演レベルも運営レベルも、そして観客のレベルも高く、純粋に演劇が楽しめる環境を作り出しています。アザレアのまち音楽祭の運営も、プロフェッショナルに徹するようにならなければ、未来はないかもしれません。所詮、田舎のプレスリーだと言われたくないですし、問題を直視せず、現実に迎合し、自己満足しているようでは、賢治にも緑石にも笑われてしまうでしょう。
 まだ、スタッフ内では、聴衆が、聴衆がと言っていますが、本当はスタッフの生き方の問題かも知れません。「その人の生き方の表現がその人の文化(芸術)である」との言葉は、私たちスタッフに直接かかわる根本問題です。アザレアのまち音楽祭としての生き方を、より強固にすることでしか、聴衆を変えられないのかもしれません。
 内部評価委員を務めていただきましたO.M氏に対し、深甚なる感謝を申し上げます。議論を巻き起こすことが、まだまだタブー視されている中で、あえて様々な指摘をしていただき、今後の指針が見えてきたと感じています。どうぞ、今後とも、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。ありがとうございました。
                          アザレアのまち音楽祭 ディレクター 計羽孝之

6/27 中野隆尺八演奏会
満足度 大変満足 67% 満足 33%  普通 0%  不満 0%  とても不満 0%

○和楽器が聴きたくて今日に決めました。チケット持ってきたのに無料だったのですね。とても心がなごみました。よかったです。(湯梨浜町/女性/50歳代)

○中野さんは尺八を教えられていないのですか?そういう機会があったらチャレンジしてみたいのですが…。よろしくお願いします。 (倉吉市/男性/20歳代)

○尺八は風の音、お琴は水の音に聴こえ、色々な風景や動きが浮かんできました。生で聴く良さを味わいました。

○素晴らしく感動しました。 (倉吉市/男性/60歳代)

○感動しました。(倉吉市/男性/20歳代)

○今日の演奏会のCDが出来上がったら是非送って欲しい。(鳥取市/男性/50歳代)

ディレクターの回答
 今回のコンサートを聴いて、改めて中野さんの上達振りにびっくりしました。四年前に初めて聴かせていただいた時は、正直言って、まだまだ自信がないという様子が演奏に如実に現れていましたが、今回は演奏に自身が満ち溢れていました。本番の回数が重ねられ、知らず知らずの内に、力量が相当アップしているようでした。邦楽器で、ソロコンサートがやれる人は県内ではまれですが、尺八では中野さんただお一人とのことです。これは素晴らしい事です。今回は、本当に楽しめました。
 ところで、今回の演奏会で筝を担当された「山路みほさん」の音楽には、感服しました。大変な巧さだとかレベルがとてつもなく高いなどという形容では表わしがたい、音楽的な魅力がありました。中野氏の尺八を包み込むような、優しさにあふれた表情や、毅然としたリズムの持続が、格調の高い音楽を形作っていました。中野さんの音楽は、その中で自由に遊んでいるといった感じで、とても好ましいものでした。ますます、今後が期待されます。なんと言っても、本番のステージをこなすだけ力量がつくことを、中野氏は見事に実証されたものと喜んでいます。

6/25  サロンオペラ「電話」公演
満足度 大変満足 95% 満足 0%  普通 5%  不満 0%  とても不満 0%

○とても楽しくステキなオペラでした。(鳥取市/女性/50歳代)

○悪いコンサートではありませんでしたが、これで2千円は高いと思います。(兵庫県/女性/)

ディレクターの回答
 悪いコンサートでなかったという事は、多少でも楽しんでいただけた事だと思います。ありがとうございました。2,000円が高いとおっしゃる根拠は、理解できます。確かに一般公演でも2,000円は値打ちのある額です。その額に似合っているかどうかは、お客様がお決めになることですので、主催者サイドとしては真摯に受け止めなければならないと考えています。この入場料2,000円は、中身の値段というより、オペラ制作費をペイするために最低限必要な額だと踏んで算出しました。今回のオペラ製作にかかる総経費は、30万円弱程度だと見積もりました。当日の会場「倉吉交流プラザ視聴覚ホール」は、固定席、移動席合わせて150席です。それで単純に割り算し2,000円と設定したのですが、実は舞台をセットしましたところ一杯いっぱいでも100席をちょっと超えるか超えないかであることが判明し、急遽支出を抑える工夫をし、予算枠を20万円程度にまで下げて対応しました。階段席は75、平土間に移動席30を確保しました。その結果満席になってもペイできるかどうかが怪しくなっています。そう考えていただくと、2,000円が安いか高いかの判断が出ると思います。大きな会場で、沢山の聴衆を相手にすれば、もっと低価格で提供できるのですが、サロンという小さな会場でのオペラ公演としては、かなり安いとも思います。オペラ自体には、そのレベルから言って自信はあります。このレベルのオペラ公演が、マックス120席での公演が、2,000円は高いといわれてしまうと、公演自体が不可能となります。どうぞご理解下さい。

○おもしろい所やふつうのところがあって良かったです。きれいな声が出ていてすごかったです。また見たいです。(湯梨浜町/女性/小学生)

○こんなに間近で、素晴らしい歌声をきくことができ、大変満足しました。分かりやすい内容のオペラで、大変楽しかったです。またやって下さい。計羽先生の演技も初めて見られ、楽しかったですよ。新田先生もごくろうさまでした。 (倉吉市/女性/50歳代)

ディレクターの回答
 第一部は、本日のゲネプロになって、出演者の歌いたい歌を出し合い、ディレクターがつじつま合わせの打ち合わせをしただけで、ぶっつけ本番でありました。そのお陰で、稚拙なお芝居仕立てのトークショーを笑っていただき、楽しんでくださった事に感謝申し上げます。ありがとうございました。

○ぶたいセットがおもしろくしてあって、楽しくきけました。とてもきれいな声で、すごかったです。 (北栄町/女性/小学生)

○演奏、歌、演出とも、素晴らしいです!!その三つが合わさって、すごいパワーでした。感激しました!!久しぶりに育児から離れ、出掛けてきて、楽しい一時を過せて、うれしい夜でした。ありがとうございます。 (北栄町/女性/30歳代)

○たのしいオペラでした。ピアニストの方、おつかれさまでした。(//50歳代)

6/24 佐々木まゆみソプラノ・コンサート
満足度 大変満足 64% 満足 36%  普通 0%  不満 0%  とても不満 0%

○パンフレット丸めている男性の方、ため息つかれたり、大変迷惑でした。残念。 (倉吉市/女性/20歳代)

○ういういしくてよかったです。 (/女性/40歳代)

○初めて佐々木さんのソプラノを聴きました。とてもかわいらしい素敵な人で驚きました。とても素敵な歌声に、心惹かれるものを感じました。今までにない感動だったと思います。ぜひ、また佐々木さんの歌声を聴きたいと思いました。とても素晴らしかったです。 (倉吉市/女性/20歳代)

○まゆみさん、素晴らしかったです。又、聴きたいです。(倉吉市/女性/)

○美しい声に感動いたしました。ピアノもとてもよかったと思います。ドレスもすてきでした。明日も仕事、頑張れそうです。(米子市/男性/40歳代)

○アヴェマリア@バッハ/グノーAカッチーニ⇒ヴィヴラーとを押さえ気味にした方がよかったかなあ、と思います。最初の部分は、ノンヴィヴラーとでもいいのではないでしょうか。Bマスカーニ⇒もっと時間をとるべきところは、取ってもいいんじゃないでしょうか。(あっさり通過してしまった部分もあったように感じます。)Cモテット⇒顔の表情がもっと明るい方がいいと思います。全体的に喜びに満ちた曲なので、表情一つで損をしているような…。発声の兼ね合いもなかなか難しいと思いますが、この曲に関しては、よりピュアな、たたずまい、表情、声色を期待します。Dリゴレット⇒「グァティエール・マルデー…」のとこは、(場面をよく知らないので、間違っていたらごめんなさい)体中喜びいっぱいなんだけども、それを押し殺したような声の方がいいのかなあ、と思いました。やっぱり歌は、生で聴くのがいいですね。ますますのご活躍をお祈りします。むがんばって下さい!! (倉吉市/男性/40歳代)

ディレクターの回答
 とても声楽に詳しい方のようです。今回のようなご批評を書いていただけるのが、主催者としては喜ばしい事です。演奏者も具体的な指摘を受ける方が勉強になると、喜ばれるものです。ご指摘の点は、全くそのとおりだと思いました。まだ若く、これから一気に成長し、間もなく旬を迎えるソプラノですから、どうぞ温かく見守っていただければと思います。

○素晴らしいソプラノ、今後を期待いたします。(琴浦町/女性/70歳代以上)

○素晴らしいコンサートでした。これからも、頑張って下さい。(倉吉市//50歳代)

○オープンして、登場された佐々木さん、驚くほどの輝いた美しさには、オーラがあり、スター性を持ち合わせた気品と可愛らしさ…。第一部は、出だしが少し緊張されていたのか、声にのびがなかったけれど、後半は、調子が出てこられ、美しい♪の連続。第二部もゴージャスで、アザレアのまち音楽祭にふさわしく、小ホール(倉吉交流プラザ視聴覚ホール)では物足りなさを感じます。本当に技術も素晴らしく、透き通った歌声、容姿も美しく(衣裳もステキ!)ファンになりました♪来て良かったと、パワーと感動をもらいました。ありがとうございました。(鳥取市/女性/40歳代) 

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント
感想(O.M氏評)VS言い訳と反省ディレクター
6/24 佐々木まゆみソプラノコンサート

アザレアでのソプラノコンサートも3つ目である。しかし、印象は同じソプラノといっても、すべてまるで違う。

全体的なインプレッション→今夜の佐々木氏のコンサート、登場の瞬間会場からウエディングのようなドレスに感嘆の声が洩れた、これも好ましいことに思うし、第2部では、伴奏者も共に衣装替えがあった。で演奏は、最後のプッチーニ「ラ・ボエームより」がすばらしかった。氏の声の質と、のびやかさが十分に発揮された曲であった。迫力もあった。ソプラノの中音部の優しさ、高音部の男性ではいかんともし難い官能的なまろやかさ、これらが若さと共に表現された。

第一部→それに比べると第1部は宗教曲的構成で、モテットもあり、タリス・スコラーズ張りのソプラノのハイトーンの、聴けば三半規管の奥をくすぐられるような声を、そのプログラムから期待したのであったが、なにか不安定に感じられた。100分の1秒か1000分の1秒かそのくらいの程度ではあるが音程が不安定。綺麗な声、瑞々しい声、これは天性のもので間違いない。さらに言うなら、こういう曲ならもっと響きの長い会場が望ましい。美しい声がもったいない。

言い訳と反省⇒おっしゃるとおりです。この様な選曲をされたこと自体は、大変なチャレンジでよい事なのですが、歌唱力が要求される難しい曲なのです。アンコール・ピースとして、一晩のコンサートで、この中から1曲歌われることがあるという程度に、難しいものです。これが、並べられて歌われるには、相当の力量と自信が無ければ、まずしないことだと思います。そんな意味では、若さゆえの挑戦だったのではないかと思います。

ディクション→実は、今回の一連のアザレア音楽祭で、私には、なんか変、怪しいぞ、というのにドイツ語・フランス語・イタリア語・ラテン語等、外国語の発音がある。というのは、外国語の意味がわからない以上、その発音を正確に発音された「音」として鑑賞しているからである。例えば<It is>を<イット・イズ>と発音されたら堪らないのである(私たちが生徒のころ、英語の教員で平気でイット・イズがあったものだ)。「音」として不正確に感じるのである。しかし、英語・フランス語以外は発音がよくわからなかった。ので、インターネットで即席に要点を調べた。
http://sound.jp/bachchor/archives/elke.htm (ドイツ語)
http://www2.odn.ne.jp/row/sub2/hatsuon/latin/latin_c.htm  (ラテン語)
http://rui.ciao.jp/italiano/grammatica/001.html  (イタリア語)
結果からすれば、子音の発音が特に決定的と言える。即ち「f,v・l,r・n・」。「f,v」は、日本語以外はほぼ共通。やや強調気味でもよいぐらい。「l,r」の「r」は英語・イタリア語・ラテン語は巻き舌系、仏・独は喉チンコを震わす音系。ドイツリートのばあい、いくら「ニッヒ、イッヒ」といったところで口蓋音の「r」が発音されなければインチキ。ドイツ語の「l」は特別、などなど。逆にこれらを抑えればそれらしく聞こえる、ということである。スラブ語圏では口蓋音がとくに多いとも聞く。

言い訳と反省⇒この問題も、おっしゃる通りかも知れません。この問題を解決するには、その言語が使われている国に留学して、自由に扱えるようになるのが理想です。国内に在住するヨーロッパ人に、ディクションを受けても「眉唾」だと言われることもあります。それは、地続きの大陸に様々な国がひしめき合い、歴史的に国が入り乱れ、原語としての独自性は消えているとさえ言われます。ドイツに近いフランスの国境では、どちらともいえないような方言になっており、お互いの会話が通じるのです。同じ事が、あちこちでいえます。ラテン系の言語国は、一ヶ国語をマスターしておれば、後は方言だと解すれば、どこに行っても、何となく通じるといわれるほどです。ラテン語が多い宗教曲に於いても、ドイツ語訛のミサ曲が歌われたり、フランス語訛で歌われることは、ままあるものです。アマチュアの日本人が、ヨーロッパに行って第九を歌ったりすると、現地の方々は拍手大喝采します。それは、日本語訛のフロイデであっても、音楽の精神を所持しているためです。正しいディクションを受けるためには、現地の専門家に習うのが一番であることは分かっていますが…。

鳥取オペラの場合→どうも、鳥取オペラ協会ではそのあたりがあいまいなのではないのではなかろうか。聴いていて、「これ何語?」と思われる歌が多くあった。聴く方にとって見れば意味がチンプンカンプンなのだから、せめて発音が正しくなされないならば、作曲家の意図したものが正確に伝わらないことにはならないだろうか。そりゃ、方言もある。ドイツだって北・中・南で別れるそうである。しかしだ、日本語の「浜辺の歌」を大阪弁や東北弁で歌うだろうか?あるいはいかにも外国人っていう発音で歌うだろうか?以前に比べ、映像と音で、歌を聴く機会が多い。不正確な外国語はなんか変だな、と感じる感覚は育ってきていると思う。今日も会場で私の後ろでは英語でヒソヒソ話が聞こえた。また、先日の新聞には、下北沢で佐山真知子という人がシューベルト・シャブリエ・ショスタコーヴィッチ・モーツァルトなどの歌曲を林光訳など日本語で歌ったらしい。歌曲の場合、旋律と歌詞で「勝負」するのもあり、かな、と思ったりもした。

言い訳と反省⇒再びこの問題も、おっしゃるとおりです。特にオペラは、言語と旋律は一体です。原語で歌う場合は、本来、専門家に言語チェック(ディクション)をしていただきます。オペラ公演のセオリーには、そのステップが存在しています。しかし、鳥取オペラ協会の、これまでの公演で、原語上演したのは「ドン・ジョヴァンニ」のみです。「フィガロの結婚」、「コシ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」、「バスティアンとバスティエンヌ」「アマール」は、全て日本語で上演しました。その為、原語ディクションは受けず、原語体系のアクセントに似せた日本語で歌うことを目指していたのです。その為、オペラ協会としてはおっしゃるような研修はしていませんでした。もうそろそろ、原語上演をしたいのですが、聴衆の皆様の要請が、やはり日本語をお望みのようなので悩みは尽きないのです。歌手達は、原語で学んできていますから、原語上演の方が遥かに歌いやすいのです。そんな意味から、字幕スーパーのやり方を研究しています。(本格的にすれば、機械のレンタルだけでも100万円近くかかりますので、別の方法を模索中です。) 佐山真知子氏の翻訳詞によるコンサートは、多分自国語の方が聴けば、相当違和感があると思います。その違和感を失くすには、サザン・オールスターズの桑田氏のように、まるで英語のような日本語にして歌わなければならないのです。「フィガロ」を上演する場合は、まるでイタリア語のような日本語で歌わなければ、モーツァルトの書いた真意は伝わらないのです。というようなわけで、一概には言えないのです。オペラ「ジャンニスキッキ」(プッチーニ)にしたって、トスカーナ地方の方言を随所に取り入れています。それは、登場人物の役柄設定のためです。あの有名な「私のお父さん」の中で、最後に歌われるフレーズ「Babbo pieta pieta!」の「Babbo」は、トスカーノ地方の方言でお父さんの事です。また、オペラには辞書に載っていない隠語があちこちに出てきます。ですから、「フィガロ」にしたって、イタリア語が聞けたり話せたりするだけでは、ダ・ポンテの書いたフィガロの挑発は分からない事になります。そもそも、スペインを舞台にしたドラマをイタリア語で、それもドイツ語圏のモーツァルトが作曲しているのです。「マダム・バタフライ」にしても、私たちの目からするとまるで中国の風情に感じるものですが、いかがなものでしょうか。

今夜のこと→翻って、今夜のプログラムのプッチーニはイタリア語で、一番日本語が近い発音である。そのこともあって、すばらしかったのかもしれないと「r」の巻き舌は出来ていたと思う、佐々木氏の唇を見つめながら思った次第。トリビアにすぎる、といわれるかもしれないがアザレアでは要求されることだと思う。

本日の会場→多数の入場で、補助椅子が開会を遅れさせてまで用意された。(途中で追加することに比べれば)賢明な措置であったに思う。また、本日特製のプログラム、特に「コンサート・マナーの図示」は待たれたものがやっと登場といった感がある。ついでに言うなら、「交流プラザ(倉吉市立図書館2階)」というのも必要ではないでしょうか。それとこれは施設側ですが「エレベーター」の表示が目立たない。脚が不自由にも関わらず遠路おいでになる方もあるのに、です。でも表示はしてあります。
ともかく、佐々木氏の歌声はすばらしい。今夜の聴衆を魅了させたことは間違いないでしょう。来年は小ホールでしょうかね。

6/22 小川彩子フルート・コンサート
満足度 大変満足 72% 満足 14%  普通 14%  不満 0% とても不満 0%

○会場:かぶりつきの席からだと、演奏者との距離4m、少し耳の遠い私にはもったいないような素晴らしいステージでした。演奏:フルート、ピアノともにソリストの凄さ!!素晴らしい演奏を堪能いたしました。有難うございました。音楽の素晴らしさ、(このあと死んでも良いと思いました。涙が出ました。)(湯梨浜町/男性/60歳代)

○ピアノにフルートの音色を入り込ませるというのは、初めて知りました。素晴らしかったです。プーランクのソナタの思い出話も、演奏もとても素晴らしかったです。フルートとピアノの音色に感動しました。(倉吉市/女性/20歳代)

○@選曲が「鳥」にこだわっていた為か、耳馴れない曲が多かった。Aフルートの余韻をピアノにもたせる技法は、初めて聴いた。Good!!Bプーランクのソナタが良い曲と思った!!ビゼーの「アルルの女」が聴きたかった。※一部の中途で、客席の出入りがあったが好ましくない。 (倉吉市/男性/70歳代以上)

ディレクターの回答
 今回も沢山のお客様がお出でになり、本当に嬉しい悲鳴を上げました。サロンのベストは60席から70席として設定していますので、今回のように100人以上の方がお入りになると、聴衆の皆様から苦情があるのは予想しています。「一部の中途で、客席の出入りがあったが好ましくない」とのお叱りは、全くその通りであり、コンサートの流れを邪魔してしまい、折角最初からお聴きいただいている聴衆の皆様に多大な迷惑をお掛けするものだと大いに反省しています。しかしながら、遅くなりながらでも駆けつけていただいたお客様を、お断りするのは不本意ですので、演奏の中途で入っていただきました。どうぞご理解ください。この問題については、実行委員会でも検討いたします。
 今回のコンサートで、フルートの音をピアノに響かせるテクニックが初めて披露されましたが、いかがだったでしょうか。ピアノのペタルを踏んでストッパーを全開にし、フルートの音を共振させるものでした。ピアノがかすかに鳴り続ける音に耳を澄ます快感がお楽しみいただけたのではないかと思います。
 小川氏が門脇さんだった独身時代の華やかで奔放な音楽作りが、今回はしっとりと落ち着き、フルートの音がいぶし銀の風格を持っていました。やはり、並みの才能ではなかったと感じ入りました。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント
感想(O.M氏評)VS言い訳と反省ディレクター
6/22 小川彩子フルート・コンサート

プログラム→本日もよい気分です。最近コンサート慣れしたせいかろくにプログラムを見ないでコンサートに来てしまう。本日の小川彩子フルートコンサートもしかり。交流プラザ2F視聴覚ホール、2時開演。ホールは満員。2,3の知人に訊けば、大抵が演奏者の母上の知人・友人であった。もちろん「後期高齢者」である。が、補助椅子を出してもなお足らないくらいであった。多いにこしたことはない。事前パンフレットと曲が違っていた為に、カラーコピーのチラシが配布された。必要なことである。しかし、驚いたのはプログラムである。ほとんどが20世紀のフランスの作曲家の曲ばかり(後で調べました)。カザルス、メシアン、プーランク等々。昨夜の辺見康孝氏のコンサートでも現代曲が多く、堪能したばかり、本日もとは、プログラムを会場で見るまで気がつかなかった次第。意外(失礼ですが)にも愉しみなコンサートとなる。現代曲といっても旋律もあるし、音の組合せが新鮮といったほうがよいかもしれない。

言い訳と反省⇒本日のお客様は、小川氏の久々の里帰り公演であり、境港市からマイクロバスを設えて応援にお出でいただきました。有難うございました。そして100名を越える聴衆の皆さんが、純粋に音楽を楽しんでいただけたのではないかと、喜んでおります。倉吉や周辺の町からも沢山の方がお出でいただき、華やいだコンサートになったと思います。遅れておいでになるお客様についての扱いをどうするかは、大変悩ましい問題です。大きなホールであれば、桟敷席でひとつのステージが終わるまで聴いていただけるのですが、サロンはそういう訳には行きません。もし、聴衆の皆様の強い要請があれば、開演後の入場は一切しないとすることも可能です。ロイヤリティの高いお客様の確保のためには、セオリ通り、開演後の入退場は止めるべきなのですが…。

第一部→1,2曲、曲の終了と共にまだまだ聴衆が入場。若干集中がとぎれるか。4曲目のカザルスの「鳥の歌」くらいまでは少し落ち着かない。小曲が続く場合は、演奏者が中座(あるいは暗転)するタイミングでの入場がよかったかもしれない。また、そのときに一時会場の照明を明るくするのは不要だと思うのだが如何でしょう。さて、5曲目ムーケの「パン(牧神)の笛」から、ムーケは知りませんでしたがフルートでは有名な曲だそうです。気持ちのよい、新鮮な曲に思えました。第1部の最後はいよいよメシアン、「黒つぐみ」。演奏者の解説もあり、聴き慣れないリズム・音程にも想像力が湧く。さすがメシアン、初めて聴く曲でしたが、刺戟的でありました。

言い訳と反省⇒どちらかといえば、音楽愛好家にとっては願ったり叶ったりのコンサートだと思いました。コンサート鑑賞が初心の方には、ちょっと大変だったかも知れません。しかし、音楽の力でぐいぐい引っ張っていかれてしまい、いつしか音楽を楽しんでいるという風にお見受けできました。

第2部→イベール、ゴーベール、プーランクと続く。いずれも20世紀半ば、後半まで活躍した作曲家。第1部のムーケ以降は、小川氏も集中し、現代曲の鋭さが表現される。ほとんど影になっていたが伴奏者の中村麻里子氏、伴奏者に徹して、かつ現代曲はそれ以前の曲より素人「耳」には伴奏が難しいと思われるのに、さりげなく自然に伴奏、あるいは「伴走」でもよいかもしれないが、小川氏の現代フルート曲の演奏に合わせられていたように思う。ホントに慎ましい方だ。が、伴奏はしっかりされていたように感じた。
 イベールの「戯れ」は、その「戯れ感」が演奏されていたし、ゴーベールの「ファンタジー」は、それが小川氏の好みであるように感じさせた。最後はプーランクの「ソナタ」で、現代フルート曲の名曲だという、が初めて聴く。プーランクは個人的には好きな作曲家であるが、初めて聴いてもすばらしい曲であった。
 今日は、私の今までのフルートの演奏会のイメイジを変えさせたコンサートであった。また、聴きたいと思うプログラムであった。

会場内は→「後期高齢者」が多く、今回のプログラムに同意されるか否か判りかねるが、従来のフルートの演奏と異なるイメイジをもたれたことと思う。が、今日の演奏会でフルートの演奏のヴァリエイションを広げられたらと思う。小川氏は初めて拝ませていただいたが、気の強そうな、しかし夢を見ることを忘れない方と拝見した。それはゴーベールの「ファンタジー」と、アンコールのジュディ・ガーランドの歌で有名な「虹のかなたへ」の選曲と演奏で実感した。今日も「現代曲」を身体で感じられて幸せでした。今日も、ありがとうございました。

言い訳と反省⇒なんとなく「後期高齢者」と言われる事に違和感を持ちます。私たちは、年を重ねるごとに美しい人間になっていくと、私は信じています。現代の熟年層は、言葉通りに、さまざまな経験や体験を積み上げ、感性も磨きがかかっているものです。だからこそ、クラシカル・コンサートにお出でいただき楽しんでくださるのだと思っています。若い人達は、物を観る範囲が狭く、今そこにある興味にしか反応しないためかも知れません。私自身もそうでしたが、よわいを重ねると、知りたい事が益々増え、やりたい事がどんどん広がります。平均寿命など気にせずいつまでも生きたいと思い始めています。死んでなんかいられないとの思いは、益々強くなるものです。世界には、美しい音楽があふれています。何万人もの人生を生きなければ、聴く事の出来ない量の音楽が存在することを思えば、チャンスさえあれば、より多くの音楽に出会い、美しい時間の経過を楽しまなくてはもったいないものです。「後期高齢者」ではなく、「最高感性熟年層」という方が的確かも知れません。

6/21 辺見康孝ヴァイオリン・コンサート
満足度 大変満足 71% 満足 29%  普通 0%  不満 0% とても不満 0%

○辺見さん、とても楽しみにしていました。とてもすばらしかったです。 (無記入)

○大変素晴らしかった (三朝町/男性/50歳代)

○初めての生演奏を聴いて、感激しました。特に、ハープの音色が何とも言えない位心に響きました。倉吉という小さな町での音楽祭は、身近に音楽を楽しめて、とても良かったです。(三朝町/女性/50歳代)

ディレクターの回答
 今年のサロン・コンサートで最高の入りであり、固定席80に対し126人もの方がお出でくださいました。大変喜ばしい事です。当日は、三朝温泉に宿泊しておられた韓国のお客様が十数名来て頂けました。
 演奏は、相変わらずの達者なヴァイオリンであり、存分に楽しめました。聴衆の歓びを手繰り寄せる勘所を心得た演奏であり、安心して身を委ねることの出来る音楽だったと思います。アンコールの「チャールダッシュ」が終わった途端に、聴衆の感嘆の声がありました。これが、今回のコンサートの全てを語っていました。素晴らしかった。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント
感想(O.M氏評)VS言い訳と反省ディレクター
6/21 辺見康孝ヴァイオリン・コンサート

プログラム→今夜のコンサートは愉しいかぎりでした。なぜなら、予告に違わずプログラムが20世紀以降の、その多くがフランス人の作曲になるものだからです。 ちなみに、フォーレ・ギャレ・サルツェド・サティ・ドビュッシー・イベールがフランス、ケージ・ガーシュインがアメリカ、モンティがイタリア、アンドレスがスペイン、森田泰之進が日本、これらのうち、ギャレ・アンドレスの曲は5/18の松江市プラバホールのデュオリサイタル(前売り2000円ですぞ!)で日本初演、森田泰之進の曲は同世界初演。森田の曲名はパンフレットには「蝶々の夢」となっていましたがどうも「胡蝶の夢」らしいですが。

言い訳と反省⇒おっしゃるとおり曲名が間違っていたようです。「蝶々の夢」では、さしたる意味はありませんが、「胡蝶の夢」であれば、荘子の故事とつながり物我一体の境地を意味しますから、曲の意図と合致します。言われて初めて気がつきました。これは、鑑賞にとって一種の大失態です。毎年、校正の反省をしますが、なかなか完璧にはなりません。しかし、来年こそはと決意し、ミスプリがないよう努力いたします。
 辺見氏には、本当に感謝しています。急遽、駆けつけていただいた6/18のコンサートもそうですが、アザレアのまち音楽祭ならではの顔として、なくてはならない存在になっています。

会場→さて、今夜は典型的な梅雨、大雨。閑散とした倉吉市立博物館の玄関ホールを想像しながら入ったら(開演10分前)満席。かろうじて一人であったおかげで席を得る。補助椅子を前田博物館館長、根鈴副館長たちが揃え始める。なるほど「アザレア音楽祭の看板」のことだけはある。伴奏はハープ。これまた珍しい。しかも今夜の伴奏者松村多嘉代嬢は姉妹でハープのプロ、とくる。聴衆は120名くらいか?鉄筋コンクリートの吹抜けの会場が、満席でほどよい反響に抑えられる。しかし、それでもハープはよく響く。なにせ360度開放。二人とも若く、おしゃれで、辺見氏の胸ポケットのハンカチーフの青と松村氏の青のドレスがコーディネートされている。

言い訳と反省⇒主催者側も、実の所、この大雨の影響で、足が遠のくのではないかと心配していました。辺見氏の魅力が大雨に勝ったと言う感じで、喜んでおります。会場の博物館も協力体制が万全で、館長はじめ職員の皆さんのご協力が積極的であり、感謝いたしております。

内容@比較的無難にフォーレ。ギャレの「ノクチュルヌ」で会場は「ナンじゃこれ?」の雰囲気が始まり、J.ケージのノクターンにいたって異様な静けさに。こちらは一人堪能す。そこで、ハープのソロ、サルツェドの「夜の歌」、ハープだから聴衆は(現代音楽だが)「我慢」する。ハープそのもののソロにはいたくみな感銘している風。このあと、シューベルト・シューマン・メンデルスゾーンとドイツのロマン派の3曲が入って第1部終了。並みのヴァイオリン・コンサートならばここはクライスラーあたりで茶を濁すところ、ドイツロマン派でさりげなく済ましてしまうところがミソか。ただ、気のせいかここらあたりで、意図せずヴァイオリンの弓が弦に触れてか不用意な音が発生。気の緩みかな、と思ったりする。

内容A→第2部、サティの武満編曲の「星たちの息子」から始まる。個人的にサティは何でも好きだ。気持ちよい。世界初演を5/18に終えたばかりの森田の「胡蝶の夢」、能楽をイメイジしたものという。しかり。能管の音をヴァイオリンで再現させている。現代音楽。で、サティの影響を受けているドビュッシーの「夢」。続いてイベール、アンドレスの2曲。私は二人とも知らない作曲家であるが、つい最近まで生存していた作曲家の曲だけに共感する。「現代音楽」の理屈は知らないが、音・旋律(?)・和音(?)などが、身体にしっくりとくる。聴いた感じではイベールの「アントラクト」が辺見氏のヴァイオリンの音色の特徴をよく現していたのではないかと感じられた。その音は清澄というよりマイルドで、細いがしなやかで、感情よりも志向を載せやすい。

言い訳と反省⇒「現代音楽」と言ってしまうと、何か理解しがたい難しい音楽だと思いがちですが、今回のように、さりげなく演奏されてしまうと、まるで小鳥の歌を聞くように聴いてしまうものです。聴衆の皆さんが、ジョン・ケージや森田氏の作品を何となく楽しめてしまうのは、辺見氏の現代音楽に対する造詣の深さと表現力の高さを物語るものだと思います。(辺見氏の現代音楽のCDがリリースされていますので、是非皆さんにもお聴きいただきたいと思います。アザレアのまち音楽祭でも取り扱っています。)

アンコール→満場の拍手の中アンコールの1曲目はガーシュインの「サマータイム」。再度のアンコールはモンティと来た。至れり尽くせり。どこかのおばさんの鈴の音以外は文句なし!満喫。山陰の地で、しかも人口5万人足らずの倉吉で「現代音楽」が小品とはいえナマで聴けるとは。来年も是非。

コンサートの値打ち→アンコールが果てた時、コンサートではあまり見かけない北栄町の方々を見つける。後でわかったのだが、今夜のパンフレットの中に「道の駅大栄のディナーコンサート(食事つき4000円)」と「境港市シンフォニーガーデン(前売り2000円)」の、ともに辺見康孝氏と松村多嘉代氏のコンサートのパンフレットの案内があり、そのための来場のようであった。そこで、それぞれのプログラムをみると、今夜のプログラムの中の曲は、ハープのソロを除いてない。よりポピュラーなプログラムであり、今夜(現代音楽が多くて)消化不良の方々は改めていかれるとよいだろう。さらに、境港市シンフォニーガーデンのチラシのデザインは5/18の松江プラバホールのチラシそのままで、ゲストとプログラムを替えたものであった。そうしてみると、今夜の倉吉博物館での辺見氏と松村氏のコンサートは松江市プラバホール並みのプログラムであったことが知れる。プラバホールではどうだったか知らないが、ヴァイオリンの伴奏にハープはなかなかよいものだなあと思った。倉吉博物館玄関ホールでピアノ伴奏はないかな、と。ハープだからこそよかった面もずいぶんあるように思いました。これからも、辺見氏には現代音楽の提供を希望します。また、松村氏には妹さんの衣里氏とのデュオ・ファルファーレを期待します。

言い訳と反省⇒辺見氏のコンサートはあちこちで聴けます。因みに
6月27日(金) Aphids Reel Music Festival(オーストラリア、Melbourne)
6月28日(土) Aphids Reel Music Festival(オーストラリア、Melbourne)
7月10日(木) Bartok Festival(ハンガリー、Szombathely)
7月12日(土) 茶樹〜ティージュ(大阪、堺市)
7月20日(日) プレドール・ディナーコンサート(大阪、大阪狭山市)
7月21日(祝) ハープ協会関西支部発表会
7月23日(水) けやきホール(東京、代々木上原)
7月26日(土) プラバホール(島根、松江市)
8月 9日(土) 松江水郷祭(島根、松江市)
8月10日(日) 松江水郷祭(島根、松江市)
8月20日(水) ギャラリーC・親子のためのコンサート(島根、松江市)
8月22日(金) 道の駅大栄・ディナーコンサート(鳥取、北栄町)
8月23日(土) デュオ・リサイタル(鳥取、境港市)
などとありますので、県内のコンサートには、追っかけをしてあげてください。

聴衆の気持ち→帰りの駐車場、二人のおばさんたちの傘から洩れてきた小言。「室内で帽子被ったままなんて非常識だわ」「だいたい椅子の並べ方も悪いのよ」??帽子を被ったままの人がいて前が見えなかったための苦情でしょうか?おばさんたちの好きな「紀子さま」だって室内でもステキなお帽子をされてますんですがね。よくわからない苦情でしたが、お伝えしておきます。

言い訳と反省⇒この問題は悩ましいものです。この苦情はスタッフも聞いております。しかし、博物館の玄関ホールという特別な場所でのコンサートですから、何かと不備はあるものです。お互いが了解しあってお聴きいただくしか方法はないようです。ご理解ください。