アンケート・コメント08 スミレ旬間

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アザレアのまち音楽祭2008 アンケート・コメント

 回収されたアンケート用紙に、コメントされていたものをご紹介します。
 満足度は、回収されたアンケートによって集計したものです。

スミレ旬間(6公演)

5/22(木)【伊賀奈ゆりピアノ・コンサート】
5/23(金)【御座所コンサート大西瑞香箏曲演奏会】
5/25(日)【打吹音楽倶楽部ブレーメン・コンサート】
5/26(月)【鶴崎千鶴ソプラノ・コンサート】
5/29(木)【木村恵理ファゴット・コンサート】
5/31(土)【西岡千秋バリトン・コンサート】

5/31 西岡千秋バリトン・コンサート
満足度 大変満足 65% 満足 30%  普通 5%  不満 0%  とても不満 0%

○ オペラの曲が楽しかったです。また聴きたいと思いました。(北栄町/女性/小学生)

○イタリアの詞、昔の詞、おもしろい詞でした。字幕、良かったです。歌声、良かったです。素敵でした。愛と死、昔の人の音楽、「みみずく」一番好きでした。鳥肌が立ちました。(北栄町/女性/20歳代)

○西岡千秋さんは今がまさにピーク、そして今夜がそのピーク…そう感じる素晴らしい演奏表現に感じました。稲毛さんのピアノも美しく、ダイナミックに、そして緻密ですばらしいです。レスピーギ、中田喜直の歌曲作品を聴くのは初めてでした。強く印象に残っています。(鳥取市/男性/50歳代)

○とっても楽しいコンサートでした。いつも楽しみです。(/女性/20歳代)

○初めて聴く曲ばかりでしたので、とても新鮮でした。字幕就きなのが良かったです。どんなことを歌っているのか良く分かったので。子連れだったので、子どもにもウレシイ演目があると嬉しいです。(勝手な要求ですが…) (北栄町/女性/30歳代)

○西岡千秋先生の歌はもちろん、あの笑顔がすばらしいです。曲も長くなくて、いいと思います。表情、動作豊かなオペラはいいですね。機会があれば、是非鑑賞したい! (湯梨浜町/女性/70歳代以上)

○とてもステキな時間がすごせ、良かったです。(北栄町/女性/20歳代)

○初めてお聴きしました。とても歌が楽しくて、又、聴きたいと思いました。(/女性/50歳代)

○セビリア、今までいろんなのを聴いたけど一番すごかったです!

○第一部の初恋は、良かった。二部の「みみずく」、最後の楽しいオペラらしいオペラはすごい。「月の砂漠」もいいネ。(琴浦町/女性/50歳代)

○「西岡千秋先生、やはり、オペラの曲が一番。オペラのその場面を思いながら楽しく聴かせていただきました。西岡せんせい、奥様と共にのコンサートはどうでしょうか。又、オペラ名曲コンサートの企画など、いかがでしょうか。」

ディレクターの回答
 北栄町がアザレアのまち音楽祭に参加していただく二年目となりました。今年も多くの聴衆の皆様にお集まり頂き、心より感謝申し上げます。北栄町のボランティア・スタッフの皆さんのご努力のおかげで、素晴らしいコンサートになりました。
 今回のコンサートでは、西岡千秋氏のアイデアで、外国語の歌詞で歌われるものに字幕スーパーが付けられました。アンケート・コメントにもありましたが、大変好評でした。
初めて、お聴きになった皆様からの感嘆の声もお聞きし、あらためて西岡千秋氏の充実した歌唱力に感服いたしました。ピアニストの稲毛氏も事故はあったものの、堅実な対応をしていたと思います。このレベルで伴奏が出来るピアニストは、なかなかいないものです。西岡千秋氏は今年の11月8日、倉吉未来中心で行われる鳥取オペラ協会のオペラ公演に出演されますので、その方も応援していただきたいと思います。
 「子連れだったので、子どもにもウレシイ演目があると嬉しいです。」とのご意見をいただきましたが、アザレアのまち音楽祭のサロンコンサートは、大人を対象としたコンサートのみを開催しています。その為、開演時間も7時30分と、子どもには遅めの時間設定をしています。また、料金設定も子ども料金はありません。どうぞご理解下さい。親子で楽しんでいただくコンサートは、日曜日にパープルタウンにて開催いたしました。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)
5/31 西岡千秋バリトン・コンサート

ホール→定員300名くらいでしょうか?七分位の入りでしょうか、郡部での男性声楽コンサートとしては大入りの部類でしょう。駐車場整理係付き(役場職員か)。照明、目をつむりましょう。

言い訳と反省⇒大栄農村環境改善センターのキャパは、400以上あるとのことでした。入りは六分程度(200人強)だったと思います。正確な数は、後日報告します。照明は、明暗のコントロールができない会議専用の作りになっていますので、あれ以上は大改装が必要となりますので、当分は無理かも…。

アナウンス→影アナ、副町長での紹介と同じ西岡氏のプロフィールを紹介、そもそも不要なり。しかも、伴奏者稲毛氏の紹介は一切なし(会場での町作成のパンフにも伴奏者のことは1字もなし)。また、アナウンスの最後に講演会みたいに「さあ、(演奏を)どうぞ」。これはない。アンコール後の、ご本人の最後の挨拶の時にも、終了アナウンスが。なのに、開演前に「コンサート・エチケット」についてのアナウンスは一切なし。今回のような、コンサートに馴れていない方の入場が多いと考えられる場合、絶対必要でした。今日も後ろの座席のおばさんたちに注意してしまいました。

言い訳と反省⇒コンサート慣れしていないお客様でしたが、エチケットはまあまあだと感じました。コンサート・エチケットに付いてアナウンスするのが良いか、掲示物で済ませるだけでよいかは、意見の分かれるところだと思います。理想を言えば、アナウンスは、何も無いのが良いと思います。しかし、まだまだ音楽鑑賞の啓発の段階ですから、アナウンスは必要だと感じます。問題は、その中身ですので、今後のあり方に付いて、検討してみます。

字幕→イタリア語の日本語訳が左側面に縦書きで(しかし、「セヴィリアの…」にはなかった)プロジェクターでしょうか、投影されていました。よいアイデアではあると思いますが(最近はよくある)、映画の字幕もかつては両側面に縦書きでしたが、現在はほとんど、テレビも含めて横書き、この辺りを考えていただきたい。普段の生活では、横書きがほとんどでしょう、役場の事務も含めて。不可能ではないと思います(楽ではないが、智恵を出しましょう)。

言い訳と反省⇒今回の字幕は、急遽、西岡千秋氏が試みられたものです。舞台での字幕スーパーの初期は、プロセニアムの上部にスライドで、横文字で投影していました。しかし、最近は、パソコンと表示機器の発達で、舞台両サイドに電光掲示板を立て位置に置き、縦の文字で標記するのが一般的になっています。特に原語歌唱のオペラの字幕は、縦で表示するのが常識化しています。カウベルホールでのオペラ、未来中心でのオペラ、外来オペラ団の公演でも日本語字幕は、ほとんど縦になっています。ご理解下さい。問題があるとすれば、文字が小さすぎる点だと思いました。これまで、一度だけ、未来中心小ホールでの「冬の旅」の字幕スーパーを横書きで出した事があります。

広報→事前に、専用チラシ有り、鳥取大学芸術文化センターのHPにも案内有り。

プログラム→プログラムもイタリア語と日本語の曲が数曲ずつ交互に、一般向けの親切なプログラムなり。ご本人の解説もあり。これがまた、オペラ慣れしている人だけあって、会場の雰囲気を受けて時々ジョークも交え、よい雰囲気を醸し出していた。イタリア語もそれらしく聴こえたし、なにせジェスチャーが自然。声は言うまでもなくすばらしい、が、若干疲れ気味か。

言い訳と反省⇒仰るとおり、西岡千秋氏は忙しく、ハードな毎日を送っておられますので、お疲れかも知れません。声にその様子が伺えました。

第1部→4曲目の高田三郎作曲の啄木歌曲集、ご本人の解説つきであったのだから、ついでに、「一曲(一首)ずつが短いので拍手はなしに」、の注意があるとよりよかったかな、と思いました。そんな注意があっても、不思議ではない気張らない雰囲気ではありました。5曲目の「初恋」は自分が大好きな曲で啄木短歌と越谷達之助作曲の名曲、西岡氏に歌い上げていただきました。感激。「初恋」は大切に。

言い訳と反省⇒拍手の件は、仰るとおりです。鑑賞慣れしていないお客様は、何とか盛り上げようと積極的に拍手するものだとお考えのようです。拍手する事で、音楽の流れを止めてしまうという逆効果があることをご存じ無いがためです。ですから、事前に、その事に触れておくのもよいことだと思います。以前、米子市のビックシップの開館記念にヴァイオリンのコンサートがあった時、前列に陣取っていたご招待の方々が、サラサーテの「中国の太鼓」の途中で拍手してしまい、演奏者があわてて拍手を静止しましたが、曲は台無しになってしまいました。曲が、いかにも終わったような印象を与えるデクレッシェンドどの後に短いポーズがあるのですが、そこで終わったと勘違いして拍手してしまったのです。拍手すべきところかどうか分からない方は、周りの雰囲気を感じてから拍手されれば、この様な失態は起こらないのですが…。今回も、曲間の拍手で、かなり興が褪めてしまいました。

第2部→レスピーギ3曲。そもそも西岡氏のキャラクターがイタリア人っぽいのか、よく合っていました。中田喜直の曲が4曲。ステージで「4曲通しでするつもりであったが、一曲一曲がかなりきついので、度々出入したんですよ」とジョークがある。圧巻は、ラストの「セヴィリアの理髪師」から「おいらは町の何でも屋」。有名な曲とはいえ、その雰囲気を十二分に出されていた。イタリア語で。情景の解説なしで。ただ、オペラ風に舞台の袖から始めますと解説。のりにのって、会場ものっておりました。大拍手でした。演歌しか聴かない人にさえ迫力と、オペラの楽しさが垣間見られたって感じ。
なぜなら、アンコールの「月の砂漠」が終わって退場しつつあった小学生低学年と思しき子が「あの最後の曲(セヴィリアの理髪師のこと)は「おもしろかったね」と母親に語っていたのです。その子、休憩時間にはつまらなさそうにしていたのです。

西岡氏のこと→鳥取大学の准教授でもありますが、みんなに混じって下仕事もなさる方ですし、オペラ向けのキャラクターをお持ちの方だと思います。三枚目とか悪役適任ですが。立派なエンターテイナーです。楽しいコンサートでした。

伴奏者→私までピアノ伴奏の稲毛氏のことに触れるのを忘れるところでした。ちょっと響きすぎるかなと思いましたがピアノと会場のせいでしょうか。ともかく、今回のコンサートでは徹底的に無視され続けた方(西岡氏以外には)でした。地元だから不要と考えられたのでしょうか。それにもめげず、じっくりと伴奏されていましたこと、付け加えておきます。

言い訳と反省⇒決して伴奏者のことを忘れているわけではありませんが、当日のコンサートの主役を盛り上げることにかまけて、配慮が足りなかったようです。今後は注意したいと思います。

雰囲気→ただ、サロンコンサートの方が雰囲気がいいな、と思いました。なんとなく、ロビーに出たときの雰囲気が「役場主催の講演会」の終了時のような気がしました。気のせいかな。

言い訳と反省⇒気のせいです。多分、お役所の職員さんが居られたことや、ボランティア・スタッフが大勢でお見送りしたためではないかと感じます。どうぞ、ご理解下さい。

5/29 木村恵理ファゴット・コンサート
満足度 大変満足 44% 満足 56%  普通 0%  不満 0% とても不満 0%

○ファゴットのソロは聞くチャンスが少ないので楽しみにして来ました。やわらかくて優しい音でよかったです。(鳥取市/女性/40歳代)

○とても暖かく柔らかな音色でした。特にフォーレが心地良かったです。ファゴット独奏曲はなかなか聴けません。来年も是非お願いします。 (倉吉市/女性/50歳代)

○初めて、ファゴットのソロを聴かせていただき感動しました。中学生の頃から…。きっとこの響きにとりこになられたのでは…なぜか私には「お父さんの声」のような気がしました。包み込むような、大らかな…。至福のひととき、ありがとうございました。「ふるさと」に感謝!! (倉吉市/女性/70歳代以上)

○ファゴットを近くで聴いたことがありません。是非聴きたいと思って来ました。私には、少しむずかしかったですが、説明をして頂くと、もっと分かりやすかったかも!笑顔の素敵なお二人でした。 (倉吉市/女性/70歳代以上)

○第2部が良かった!!ブラボー!! (鳥取市/男性/60歳代)

ディレクターの回答
 大変地味ですが、内容の濃いコンサートになりました。「私には、少しむずかしかった」とのコメントがありましたが、多分耳馴れない音楽だったせいかも知れません。しかし、とても大らかな演奏であり、こころを構えたりしないで、ぼんやり聴くだけでも気持ちを和ませる音楽の力を感じました。「説明をして頂くと、もっと分かりやすかった」とのご意見は、その通りかも知れません。ファゴットという何とも気難しい楽器の特性をお知りになると、演奏の難しさとその凄さを感じられることでしょう。また、バロック期の音楽について説明を聞くと、その曲の生まれた背景が分かり、音楽の特徴が感じられるものです。しかし、それが本当の鑑賞かといえば、ちょっと違うと思うのです。それは、お芝居のあらすじを聞いて、「その演劇が理解できて楽しめた」と言うのに似ています。演劇の鑑賞はドラマを知ることではなく、その中で演じられものの中に、己を鑑みることだと思います。ですから、音楽も同じことが言えます。音楽には、分かる、分からないという概念はそぐわないでしょう。どんな音楽でも、その中に己の心を解放して楽しめばいいのです。聞きなれない音楽には、なかなか心が開けないものです。初めて出会った人に、最初から腹を割った話ができないのと同じです。幾度か出会い、何度も聞いている内に音楽は打ち解けて来るものです。しかし、第二部の曲目は、私たちの耳には、優しい響きであり、すぐに馴染んだのではないかと思いますがいかがでしょうか。今日のお客様は、大変幸運だったと思いました。こんなに素敵なコンサートを、少人数のサロンで堪能できたのですから。このコンサートは、大変意義があるものですので、是非とも継続したいものだと思います。お聴きになった皆様は、「素晴らしかった」と口コミして下さい。よろしくお願いします。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)
5/29 木村恵理ファゴット・コンサート

「information」→「横書き」早速修正実行されていました。いかがでしょう。違和感はないと思いますが。と、プレゼンターの紹介は、ご本人が辞退されたのでしょうか。ならばかまいませんが。

言い訳と反省⇒休憩時間の表示は、ご指摘どおりに改善し、とても見やすくなりました。指摘があればこその改善であり、貴重なものだと考えています。今回のプレゼンターさんは、これまでもごあいさつを辞退されています。本当は、来ていただき、激励をしていただくのが嬉しいのですが、残念です。

貴重な機会→めったに聴けないファゴットのソロコンサート。貴重な機会でした。にもかかわらず聴衆が少なかったのが残念と言えば残念。しかし、聴衆は玄人筋が多かったように思いました(その割には、演奏後の拍手のタイミングが微妙でしたが)。シンフォニーではポイントポイントで重用されているにもかかわらず表に出ない楽器なのでしょうか。まあ、ピアノ・ヴァイオリン・フルートほどにはポピュラーではありませんが、それだけに好奇心があれば、聞き逃せないと思うのですが…。ファゴットの音色は優しくていいです。ドレスもステキでした。

言い訳と反省⇒仰るとおりです。どなたのコンサートでも、初お目見えの演奏家のコンサートは、いつも聴衆が少ないようです。もっと広報をしておくべきだったと後悔しています。もっと多くの人に聴いていただきたいものです。

演奏→さて、第1部、テレマンの「ファゴットと通奏低音のためのソナチネ」、どうでしょう、聴衆を見て逆に気負われたのでしょうか。チョットぎこちなく感じましたが…。素人が言うのはおこがましいのですが、トレモロなどが半端に聴こえましたが。次も、バロック、マラン・マレという人の「スペインのフォリア」。マレを知らなかったのですが、原曲はチェロかなと思っていたのですが違うようでした。で、無伴奏。この曲とリズムに馴れていないせいか、なんか変でした。でも音色は堪能しました。

言い訳と反省⇒音楽の評価とは、演奏家がするものではなく、音楽を聴く専門家である聴衆が行うものだと考えています。ですから、素人という「いい訳」はいらないと思います。演奏家が一番怖いのは、音楽に詳しい人ではなく、何の先入観も持たない素人と呼ばれる聴衆です。演奏の難しさや表現のためには膨大なエネルギーが必要なことを知っている方々は、その演奏に折り合いをつけて、あれだけ出来れば凄い、などと聴いてしまいます。しかし、「裸の王様だ」と何のこだわりもなく叫ぶ子どものように、聴いてしまうのが素人と呼ばれる音楽を聴く専門家なのです。演奏の善し悪しは、どんなレベルであろうと、聴衆に素晴らしい、楽しめたと、思わせてしまうことが出来るかどうかなのです。よく言われることばに、「素人の聴衆を騙せないような演奏家は、アマチュアだ」というのが在ります。この言葉が総べてであり、演奏の善し悪しを考える結論だと思います。
 実は私もマラン・マレの曲には、違和感がありました。それは、演奏が時代様式にかなっていなかったためかもしれません。テンポが安定せず、まるで酔っ払いのようにふらふらとして、アゴギーグの多用ではないかと感じています。それと、装飾音の付け方、(蛇足ですが島根大学の先生であったピアノの長岡先生が、バロック期の装飾音符の取り扱いに付いて本を出されています。既に絶版ですがもしかしたら図書館にあるかも?)ミストーンの多さも聴衆に「何か変だ」と感じさせたのではないかと思います。

演奏→第2部、ファゴットとピアノのための曲が二つ続きました。しっくりきて、とてもよかったです。第2部では木村氏自身の短い解説が入りました。サロンコンサートですからね、ディレクターのアドヴァイスでしょうか。雰囲気はよくなります。続いて、聴けば知っているフォーレの曲が2つ。これらは歌っていただけたと思います。仕上げはサンサーンス。やっとのっていただけましたか、という感じ。しかし、ファゴットは相当肺活量が要るのではないんですか。クラリネットくらいならまだしも、大きく、低音ですから。しっかり腹筋が鍛えられますか。だからスタイルがいいとか…。失礼。
 アンコールは「ふるさと」。「ふるさと」はアザレア室内オケ?の生演奏と長岡京室内アンサンブルのCDで聴いたことがありますが、いい曲だと思います。クラシックでいける曲だと思います。ファゴットの音域も合っているかもしれません。編曲もよく、いいエンディングになったのではないでしょうか。望月氏のピアノ伴奏も通してさりげないけどよかったのではないでしょうか、特に最初のテレマンは自然に聴こえましたが。
返す返すも、貴重なファゴットソロ演奏会をききのがした方々、悔やまれますよ。

言い訳と反省⇒二部の演奏は、とてもよい演奏だと思いました。お話を入れられたのは、ご本人の判断です。仰るようにフォーレでは、巧く歌って(訴えて)いました。ファゴット・ソロで、改めて聴いてみると、大変呼吸がしんどそうで、体力が無ければ吹けないだろうとついつい感心したりしてしまいます。次回には、もっと広報し、素晴らしさをより多くの人にお知らせしたいと思いました。

帰り→図書館前駐車場、また、逆走が1台。出口が近いとわからないではありませんが…、まあ、順走?の方は、一時停止を守り、気をつけることですね。

言い訳と反省⇒市に申し入れて、一方通行の標識を出してもらう事を検討します。先日、私も松江市の津田町内の駐車場で、車の後ろにぶつけられました。事故が起こらぬ前に、何とか対処しなければならないでしょう。

5/26 鶴崎千晴ソプラノ・コンサート
満足度 大変満足 88% 満足 12%  普通 0%  不満 0% とても不満 0%

○プログラム構成、声、演奏、素晴らしい出来で、皆さんも喜んでおられましたのが、とても印象的でした。武満さんの作品がこんなに素晴らしい事も再認識できました。大変感謝します (琴浦町/男性/50歳代)

○とても良かったです。是非また聴かせて下さい。(鳥取市/女性/50歳代)

○大変素晴らしかったです。また後日、感想を話しに行きます。(鳥取市/男性/20歳代)

○素晴らしい声で、感激しました。また聴かせて欲しいです。(鳥取市/女性/50歳代)

○とても素晴らしい声でした。(鳥取市/男性/専門学校)

○美しい曲を選曲されているなぁと思いました。鶴崎さんの表現力を発揮されていて、とても良かったです。ジプシーの生命力を感じました。チェコ語もお疲れ様でした。(鳥取市/女性/30歳代)

○大変良かったです、最高!!うっとり聞き惚れました。ピアノ伴奏も良かったです。来年のコンサート、楽しみにしています。(鳥取市/女性/50歳代)

○大変良かったです。(声がとても良く出ていました)とても素敵な声、とても幸せ感を味わえました。うっとりしてしまいました。ピアノ伴奏も、とても良かったです。来年も又是非聴きたいと思います。今日は本当に有難うございました。(倉吉市/女性/70歳代以上)

○ボリュム感のある歌声、優しい人間性あふれる楽しい一時を過ごさせてもらいました。(倉吉市/女性/60歳代)

○今日のコンサートには、是非お聴きしたいと思っていた鶴崎さんでした。とても素敵でした。ドレスのいいこと。ピアノもとても良かったです。三月のうた、カチューシャ、良かったです!! (倉吉市/女性/70歳代以上)

○こういう音楽を聴くのは初めてだったのですが、最初の曲から、とても衝撃を受けました。新しいジャンルに踏み入れたのも良かったです。とても感動でしたし、よかったと思います。(鳥取市/男性/20歳代)

◆ディレクターの回答
 先回に比べて今回のサロンは、全くレベルが異なるように感じさせる程素晴らしい出来だったと思いました。アンケート・コメントにも、素晴らしいとの声が多くあり、また来年も聴きたいとの声が上がっていますので、来年も是非お願いしたいと思いました。そして、ピアニストの力量が、並外れて巧いということも特記したいと思います。アンケート・コメントにこれだけピアニストが素晴らしいと書かれることは稀ですので、多くの聴衆の皆様も、同じ様に感じられたのではないかと思います。
 ところで、ドボルザークの「ジプシーの歌」が、六曲しか歌われなかったので、ご本人に聞いてみましたら、六曲目になった時、ピアニストがページを2枚一緒にめくってしまい、第7曲に飛んで演奏が始まったためだと言うことでした。それにしても、曲が飛んでも、とっさに何事も無かったように歌われた鶴崎さんの対応振りは見事でした。
 今回のコンサートの圧巻は、なんと言っても「カチューシャ」です。見事な編曲もさることながら、ピアノとの掛け合いの素晴らしさは、感動的でした。
 今回のコンサートのお世話をされたのは、百花堂声楽教室の皆様です。その中に平野先生(鳥取県の声楽界の重鎮です)が混じってチケット・モギリをされていましたが、頭の下がる思いでした。指導的な立場にいらっしゃるベテランが、コンサートのお手伝いにおいで下さる事に感服しています。本物の芸術家は、かく在らねばならぬというお手本です。忙しい忙しいといって、自分で忙しがって自分を鑑みることをしない人が多い中、人間として生きる値打ちを、何に見出すかの問題だとつくづく感じさせられました。有難うございました。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)
5/26 鶴崎千鶴ソプラノコンサート

今夜はすばらしい出会いのサロンコンサートでした。鶴崎千鶴ソプラノコンサート。
衣裳→司会者の紹介の中に、鶴崎氏の衣装はご自分の手作りだとあった。第1部は黒のレース状のカーディガン風をはおって、数枚の布を継ぎ合わせたようなスカート。スカートのデザインは私の好みではありませんでしたが、上着の上の「メノウ」のような緑系統の石のネックレスは素敵でした。いや、もっと大きなものでもよかったか。第2部の濃いピンクのサテンのようなドレスに、それをうっすらと覆う黒のレースのような「ガウン」(済みません、正式名称は知りません)、そして煌く首飾り、これはよくお似合いでした。

言い訳と反省⇒私も全くその通りだと思いました。鶴崎氏はオペラ協会初期の段階からオペラ活動に参画され、基礎がために貢献されています。そしてなによりも、バックステージでの仕事を苦にせずご協力される姿に、演奏家のスタンスを感じていました。衣裳については、それぞれご苦労があるようですが、その製作も楽しみとなれば素晴らしい事だと思います。他の歌手にも、ご自分で手がける人が幾人かいると聞いていますが、衣裳デザインは、大変難しいものだといつも感じています。

武満徹のこと→さて、今回のソプラノコンサートは多くの聴衆がとても感動されたのではないでしょうか。それは、第2部、あの現代音楽で世界的に有名な武満徹作曲の歌の数々ではないでしょうか。谷川俊太郎の詞もすばらしく、メロディに頼らず、しかしメロディにのった詞。武満氏の作詞作曲もありましたが、その曲はすばらしいにしても、さすがに谷川俊太郎の詞には及びません。かつてのポップスの永六輔・中村八大コンビにまけないくらいの谷川俊太郎・武満徹のコンビの曲の数々でした。これらがすばらしいのは、メロディと言葉とがそれぞれに媚びることなく独立し、しかも調和している、そのすばらしさです(私論を言えば、J-POP・フォークともその多くが演歌であり、そのルーツは浪曲。それは、歌が詞で成り立っているから。曲は極論すれば伴奏)。この地方の合唱関係者は武満徹の現代音楽のイメージのせいで、武満徹の合唱曲を食わず嫌い式に避けているのではないか、だから私たちが知らないのか、とさえ想像させます。同様に、今日の聴衆の多くが驚いたのは、あの武満徹が、こんな素敵なメロディをつくっているなんて…。という思いではなかったでしょうか。だから、それを表現しきった鶴崎氏のソプラノのすばらしさが一層引き立ったのではないだろうか。たしかに、武満氏はTVや映画のタイトル曲などは作っていたが、ここまでの歌を作っていたとはと、今日の誰しもが思ったことでしょう。詞+曲+声の調和がとれたときの歌のすばらしさを、鶴崎氏のソプラノによって披露していただきました。これなら著作権料も惜しくない、とか…。

言い訳と反省⇒武満徹の歌曲は、現代の日本歌曲として最も多く歌われているものです。ほとんどと言っていいほど、各種リサイタルで取り上げられ、人気のある歌曲です。むしろ、日本では、世界的な評価を受けたオーケストラ作品よりも、多くの人に愛聴されているのではないかと思います。往年のベートーヴェン学者・音楽評論家として一時代を築いた「山根銀二」によって武満徹の「ピアノのためのレント」が、「音楽以前だ」と酷評されましたが、来日中のストラヴィンスキーに「弦楽のためのレクイエム」が絶賛され、一躍現代を代表する作曲家として認知された経緯があります。そして、名前だけがどんどん一人歩きして「大作曲家」と社会的な認知を受けて行ったのです。しかし、武満の名前と評価を知っていても、多分お聴きになったことはないだろうと思います。あの有名な「ノベンバー・ステップス」にしても、なかなか演奏される機会は無く、CDで聴く事しか出来ないのが現状でしょう。
 武満徹の世界的評価を受けた作品は、ほとんど調性(長調とか、短調)を持たない作品ばかりです。しかし、歌曲は調性を持っており、いわゆる機能和声(ドミソの和音で作られた音楽)の範疇で書かれています。譜面の多くは、コードネームの標記のみで、奏者に任されていたりもしますが、短絡的に言えば、現代のポップス音楽と同じ書法だと言うことです。シューベルトで確立されたとする言葉の抑揚とメロディーの一体化は、日本では山田耕筰に受け継がれています。詩の美しい朗読が、更に磨きをかけられていったのが歌曲になったと言うことも出来ます。しかし、最近のポップス音楽では、メロディーが先にあり、そのメロディーの印象によって歌詞が付けられていくというのが主流になっています。クラシカル音楽の世界では、十二音技法であろうが無調であろうが、音楽が先に作られて、あとから歌詞が付けられた例を私は知りません。とは言うものの、最近では、既に存在する曲に、歌詞をつけて大ヒットしている曲などもあります。
 ところで武満の歌曲の魅力は、音楽もさることながら、歌詞の素晴らしさです。素晴らしさというより、お洒落といった方がいいかもしれません。その歌詞とメロディーがしっかり結びついている所に武満の凄さがあります。替え歌が乗せにくいのです。そのメロディーには、その言葉しか浮かばないという完全なオーダーメイドの関係です。
 県内の合唱団でも、武満作品は大人気です。武満の合唱曲を歌ったことのない合唱団は、多分いないほどです。ですから、「武満徹の合唱曲を食わず嫌い式に避けているのではないか」との危惧はあたりません。今度は是非、合唱でも武満作品を楽しんでください。また別の素晴らしさを発見されると思います。

■第1部・2部通して、鶴崎氏の軽い説明、サロンならではで、ほどよかったではないでしょうか。特に、第1部では、チェコ語あるいはスロヴァキア語に挑戦されたということで(もっともドイツ語でも理解はできませんが)、言葉の理解は出来ませんが、ソプラノを愉しめました。ただ、聴きながらチェコ語あるいはスロヴァキア語はあまり、ドイツ語のような舌を巻く音とか、無声音とか、発唇音とか口蓋音とかの無い、素直な発音のように感じてしまいました。ともかく美形の多い国です。?。鶴崎氏のソプラノは、何がどう、こう、との説明は私には出来ませんが、上手なソプラノの歌声に、何かの味付けがなされていて、それが氏のソプラノの圧倒的な迫力を産み出しているのだなあと、少しだけ日焼けされた氏の両の腕を見ながら思いました。

言い訳と反省⇒言葉の問題はとても厄介です。ヨーロッパは地続きですから、島国の日本のような言葉の隔離はされていません。ドイツ語圏は、「ドイツ」「オーストリア」「スイス」くらいだと私たちは思いますが、ドイツに近いオランダは、ほとんどドイツ語と同じだそうです。フランスとの国境に近い地方では、ドイツ語とフランス語の中間の様な発音になるそうです。大袈裟にいえば、スペイン語とイタリア語は、東京弁と大阪弁の違い程の差はないといいますし、チェコ語とスロヴァキア語はもともと一つの国だったりしますから、何処に住んでいたかで、かなりの方言が発声します。かつて、日本在住のドイツ人に、あるメッセージをドイツ語で翻訳し、読んでもらいました。その録音を現地に持っていったら、現地の人から、オランダ語のようだといわれた経験があります。実は、その方が、ほとんどオランダといえる国境の町に育った為のようでした。
 声楽家にとって、言葉の問題は悩ましいものです。口腔内で音を響かせ鼻腔に抜いていく発声法のヨーロッパ言語圏で育ったクラシック音楽の歌唱法は、日本の日常には全く存在しないのです。あえて言えば「が行」の鼻濁音のみです。ですから、ヨーロッパ圏の人が日本語で、♪「こーれ、なんでーすか」とよく響く声で話すのです。クラシカルの歌曲を日本語で歌うのは、日本人にとってとても辛いものになります。ですから、口腔共鳴を持たない日本語を、クラシックの歌唱法で歌えば、日本語に聞こえなくなるのは当然かも知れません。その問題を解決するために、声楽家は様々な努力をしているのです。今回の鶴崎氏の日本語は、響きを十分に保ちながら明瞭に歌われ、お見事というところです。
 蛇足ですが、東欧の女性に美形が多いという神話は、行って見た人しか信じないでしょうね。これ、ほんと。

■伴奏→兼田嬢。その姿のように可憐な伴奏。ただ、先日交流プラザで間近にピアノの響きを聴いたものですから、その響きの違いを感じてしまいました。同じ音が出てはいるのですが、クルマに例えれば、エンジンが1300ccの500ナンバー車と2000ccの300ナンバー車との違いと言ったらいけませんか、そんな違いを感じて、兼田嬢には気の毒に思いました。でも、伴奏の聴かせどころもあってよかったと思います。しかし、出入は気をつけましょう。入りのときは鶴崎氏の後だから、ピアノの後ろをまわるしかないにしても、帰りはピアノの前を通って行かれてもよかったのでは?そのくらい堂々の伴奏だったのですから…。また、可憐な方が、恥ずかしげな少女のような、ドレスでの小またの急ぎ歩きは見苦しいと思います。ドレスのすそいっぱいの歩幅で、背筋を伸ばして堂々とお歩き下さい。ツンとすます必要はありませんが、演奏に相応しい態度というのはあります。

言い訳と反省⇒ピアノ伴奏については、異論があります。兼田氏のピアノは天下一品だと思っています。中央には、海外留学して何処そこで学んだというレッテルばかり張ったピアニストがウジャウジャいますが、兼田氏のようにアンサンブルの巧い人は稀だと思っています。特に声楽でのピアノは、その抑制が出来るかどうかが判断の基準になります。これほど見事に、あの狭い会場で、それもピアノを全開にしてあんなピアニシモが弾ける人は、そうざらに居るものではありません。兼田氏が、まだ中村さんであった時代に、アザレアのまち音楽祭の常連としてピアノ・ソロをやっていただいていましたが、3,000ccクラスの重量感がありました。つまり、ソロコンサートの場合と伴奏の場合の演奏スタンスの違いだと思います。もう一つの要因はピアノの機種の違いです。倉吉交流プラザはフルコンサートのピアノであり、未来中心大ホールのピアノと同サイズです。それが、小さな空間で演奏されましたから、とてつもない重量感を感じられたのだと思います。倉吉信用金庫のピアノ(因みにあのピアノはアザレアのまち音楽祭の持ち物です)は、家庭用のグランドピアノでヤマハのG5型と呼ばれています。弦の長さもかなり違いますので、特に低音の響きの幅は薄くなり、音は軽量に感じるものです。車に例えれば、4,500ccもあるレクサスの高級車とカローラの違いだといえるでしょう。
 出入りの問題は仰るとおりです。エンターテイナーとしてのマナーというか、基本的な所作が未熟である事は否めません。この問題をご本人に、お知らせしたいと思います。

■倉吉信用金庫ホール→ずいぶん久し振りに来ましたが、天井のクロス、高いところにある配線化粧プレートを見ると、日中の生々しい金融の会議等で煙草のヤニが漂っていたのではないかと想像され、それだけに正面の焼き物?の飾り画、そしてソプラノの響きが一層美しくありました。本日の唯一の問題点は、たぶん駐車場。まわりに空きスペースが多く、駐車余地は多かったのですが、どこだと止めてもよいか、わかりませんでした。夜間、空きスペースだから無断で駐車してよい、と言うものではありませんし、都会では先ず考えられない、何らかの罰がやって来る。用件がわかっていても、無断駐車された方の気分はよろしくありません。第一、私有地侵入です。あらかじめ、こちらとこちらがお願いしてあります、との案内が必要だと思いました。駐車場協力者には招待券をどうぞ。田舎だけに通用するローカルルールはやめましょう。

言い訳と反省⇒駐車場の問題は、仰るとおりであり、数年前より、近所の病院の駐車場を、夜間コンサート客に使わせていただくようお願いしてあります。そのことに付いての、案内をしなかった事は、大きな反省点です。次回には、現場に係員を配置して、ご案内させていただきます。

■交通規制→さらに、小賢しい注文。演奏中、3,4台、ホールの前を車の音が通りました。できれば、小一時間ほどですから、ホール入口前分の路地を通行止めにできませんかしら、同じく招待券で。本日の鶴崎千鶴ソプラノコンサート、出色のサロンコンサートでした。紅茶もおいしゅうございましたよ。

言い訳と反省⇒この問題は、ほとんど不可能です。身近な市井でのサロンだという事で、ご理解いただけたらと思います。

5/25 打吹音楽倶楽部ブレーメン・コンサート

◆ディレクターの回答
 パープルタウンでのブレーメン・コンサートは、アザレアのまち音楽祭で、初めての試みです。一週間前には中学生達の吹奏楽が演奏しましたが、本日のブレーメンは、一味も二味も上質な音楽を演奏してくれました。まさに大人の音楽と言えるものです。
 なんといっても、各楽器がよく鳴っており、そのパンチの効いた金管楽器群の巧さが光っていました。演奏された曲はポップスばかりで、聴衆が体を動かしながら楽しんでいる姿が見られました。パーカッションが大活躍した「ミュージック・フォー・ドラムス」では、当日、この演奏会が終われば、ご自分の結婚式が待っているというドラム担当者の、はちきれんばかりの熱演が、大きな音楽のうねりを呼び込んでいました。また、「時代劇絵巻」でメドレー演奏した「水戸黄門」のホルンは、素晴らしいものでした。やはり、吹奏楽の魅力は、楽器が鳴り切っていることだと痛感しました。
 望むらくは、演奏曲順とお話のバランスなど、更に工夫されれば、益々その魅力は増大するものと感じました。

5/23 大西瑞香筝曲演奏会
満足度 大変満足 83% 満足 17%  普通 0%  不満 0% とても不満 0%

○ 45年ぶりに、「春の海」の生演奏に会い、学生時代を思い出した。ハロツロリチレチ……。全く、懐かしい限りです。(三朝町/男性/60歳代)

◆ディレクターの回答
 爽やかな五月晴れの午後、三朝温泉依山楼岩崎でアザレアのまち音楽祭二度目となる「御座所コンサート」を開催しました。ご存知のように昭和天皇の行幸時の宿泊所として作られた「三朝閣」は、岩崎の山肌に沿って作られた離れとして作られております。小さな、しかし格式のある建物であり、かつて昭和天皇がくつろがれた部屋を開け放し、30席を用意しました。今年度は、新聞広報が遅れ、それまでにチケット完売したという状況であり、折角お電話いただいた時には、お断りせねばなりませんでした。来年度は、発売日を設定し、先着順にしたいと思います。
 今回の演奏会には、尺八の名手「古屋輝夫氏」が参加され、大変聴き応えのある演奏会だったと好評をいただきました。天井は高いのですが三つの部屋の襖を開ききっての会場作りですから、音は響きません。生音のそのままを、本当に近い距離で聴くのですから、演奏の息づかいがもろに伝わりました。響きの豊かなホールとは、一味も二味も違った感興が得られました。本来の邦楽は、このような畳の間で演奏され、鑑賞された原点を体験する事になりました。本当の巧さ、本物の凄さをいかんなく感じさせる演奏会だったと思いました。
 遠くからご参集されました方もありましたが、ご来場頂きありがとうございました。三朝の、五月の風と光の中を、悠然と吹きぬける音楽の風が、とても爽やかでした。

5/22 伊賀奈ゆりピアノ・コンサート
満足度 大変満足 59% 満足 35%  普通 6%  不満 0% とても不満 0%

○ 力強さ、繊細さが表わされた演奏でした。最高!!来て良かった。(鳥取市/男性/60歳代)

○大好きなショパンの曲が聴けてよかった。もっとたくさん聴きたかった。あっという間に終わってしまいました。 (倉吉市/女性/30歳代)

○ 素晴らしい演奏を聴かせていただきました。是非来年も聴かせ下さい。(鳥取市/女性/70歳代以上)

○力強く大胆な演奏が良かったです。 (倉吉市/女性/50歳代)

○大変良かった。感動しました。ありがとう。 (/女性/60歳代)

○ 爽快感、透明感があり、ピアノの切れ味が良く、とても気持ちよく曲目に溶け込んで、穏かに聴き取れて楽しい一時を過ごすことが出来ました。久し振りに気持ちよいピアノ・コンサートでした。また、倉吉での伊賀奈ゆりさんの演奏を期待しております。(湯梨浜町/女性/60歳代)

○とても素敵で、感動しました。来年もぜひ聴きたいと思いました。(倉吉市/女性/)

○切れ味がとてもよかった。力強さ、繊細さを併せ持っている。あっという間に、時間がたってしまった。(湯梨浜町/女性/50歳代)

○久し振りのサロン・コンサートで、楽しかったです。交通の便がよかったら、もっと沢山聴きに来れるのに……。車を持たないもののひがみです。(湯梨浜町/女性/50歳代)

○いい音でした。(鳥取市/女性/20歳代)

○次回は、テンペストのラルゴ、アレグロ、アダージョと全曲聴きたいですね。ピアノが歌う演奏で、本当に良かったです。もったいないので、今度はスタンウェイピアノで発表して下さい。後半のショパンも大変でしたね。とにかくにも、お疲れ様でした。体に気をつけて、これからも頑張って下さい。応援しています。(倉吉市/女性/50歳代)

○すばらしいピアノ演奏でした。音楽を通して、心の優しさを感じる演奏会です。ありがとうございました。本当に、本当に素晴らしい演奏でした。

ディレクターの回答
 伊賀奈ゆりさんの明るい性格が、もろに溢れた演奏会になりました。アンケートコメントにもありましたが、力強さはこの上なく、繊細さは心の襞を震わせるものでした。私は、本日のコンサート直前に、ゲネプロを聴いていますので言えるのですが、ゲネはミスも無く紺碧の空を見るような演奏でしたので、本番でのトラブルが多少気になりました。しかし、それも想定許容範囲内であり、コンサートの出来は上々です。プログラムを確認していなかったため、テンペストの第三楽章がいきなり演奏された時には、びっくりしました。ゲネで聴いていた時は、何の違和感もなかったのですが、バッハの直後に、いきなりテンペストの三楽章が始まった時、何か落ち着かないものを感じました。アンケートでも全曲聴きたかったとの意向は、その通りだろうと私も感じました。プログラムの組み立ての問題というより、もしかしたら演奏の仕方かもしれません。バッハが終わった後、拍手も受けないまま、すぐにベートーヴェンに、それも三楽章の早いパッセージが演奏されたことへの違和感なのでしょうか。バッハの後、一呼吸おいて、聴衆の心からバッハの残像が消え、ベートーヴェンを聴くぞ、という心の準備が出来てから演奏されていたら、聴衆に与える感興はかなり違ったものになったと思います。今後も、アザレアのまち音楽祭に登場して欲しいものだと思いました。

アザレアのまち音楽祭2008内部評価委員のコメント・感想(M.O氏評)
5/22 伊賀奈ゆりピアノコンサート

演奏→サロン・コンサートならではの、ピアノの音の迫力。いつもCDを聴いている時のヴォリウムが、もっと上げてもいいのだ、と納得。家族の賛成は得られないにしても…。バッハを除けば、彼女の個性発揮の演奏のように思われました。こんなに叩いてもいいのかと思われるほど。かなり感情を乗せられる方なのですね。ただ、バッハは開始曲ということもあるのかもしれませんが、バロックの上品な軽やかさが感じられず、重い感じがしました。気のせいでしょうか。しかし、サロン・コンサートはいいです。ピアノのワイヤー(?)の響きまで聴こえたように思いました。前半のドレスも似合っていました。

言い訳と反省⇒サロンで聴く生の音楽の醍醐味を味わっていただけたようです。バッハの演奏については、「バロックの上品な軽やかさ」という概念は、現代ではかなり崩れています。ブーニンの弾くバッハは、これまでの演奏とはかけ離れていましたが、結構評価されています。演奏の様式は、時代と共に変化しているようで、短絡的に言えば、現代は何でもありの時代です。演奏様式も、その拡散が一段落すれば、やがて集束して新しい様式が生まれるでしょう。演奏様式には、個人様式(バッハ的、ショパン風、ベートーヴェン的等)、時代様式(ルネッサンス、バロック、クラシック、印象派、近代、現代)、材料様式(演奏する楽器による個性的な表現)など、様々なものがありますが、演奏のスタイル決定は、最後は演奏者自身が決めているのです。それが、いいか悪いかは聴衆が決める事です。賛同が多ければ、支持されるというわけです。当日の演奏は、確かに異論を挟む人はいると思います。しかし、あそこまで弾いてしまうと、個性の問題であり、いい悪いではなく好き嫌いの世界になると思います。私は、伊賀奈さんのピアノを小さい頃から聴いていますので、個性として好感が持てました。

■表示→幕間、「information」掲示板が出ます。「縦書き」はいかがなものか。書家なら「縦書き」でしょうが、「information」と上部に横書きがありながら、「縦書き」に時刻を漢数字で表現。アラビア数字のほうが判り易いでしょうし、「横書き」でも2,3行にレイアウト良く、分かち書きすれば見栄えもよろしい。

言い訳と反省⇒仰るとおりです。全く気がつきませんでした。次回から直したいと思います。

■コンサートの時間→些事ですが、ついでに。コンサートの時間は1時間強。正式なコンサートならば短いが、「腹八分目」のコンサートもまたよろしい。近くの人なら、終了後、「お茶でも」という時間帯だし、東・西部の方なら、10時までには帰宅できる。実際、伊賀奈コンサートでは、鳥取市の方がお見えであったようですし、鳥取・米子間の往復はしんどいが、東・西部から倉吉までなら、という方も多いのではないかと思います。地の利を活かした、東・西部の方のコンサートも可能なのですね。

言い訳と反省⇒この時間帯も仰るように、設定しています。何よりも倉吉の皆さんに聴いていただく事が最大の望みですので、大人の時間と人生を鑑みる世界を広げて行きたいと考えています。