倉吉 アザレアのまち音楽祭
スポンサー:社会福祉法人みのり福祉会
木村恵理ファゴット・コンサート

Piano 石川真美
2015年5月28日(木)19:30〜 倉吉交流プラザ 700円


 過去の演奏のご紹介
ファゴット 木村恵理 (第32回アザレアのまち音楽祭2014コンサートより)
♪ 歌劇「愛の妙薬」から 人知れぬ涙 (G.ドニゼッティ) (wmaファイル 1.79MB 3分51秒)


第一部

 @ ファゴットとピアノのためのプルミエ・ソロ   E.ブルドー作曲
J.S.バッハ作曲
 A シシリアーノ〜フルートとチェンバロのためのソナタ第2番 変ホ長調 BWV1031 から第2楽章
 B 憐れみたまえ、わが神よ〜マタイ受難曲 BWV244 第39番から
 C ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027
   T.Adagio
   U.Allegro ma non tanto
   V.Andante
   W.Allegro moderato


第二部

 D ウィーン わが夢の街   R. ズィーツィンスキー
 E 恋とはどんなものかしら〜歌劇「フィガロの結婚」から   W.A.モーツァルト
 F ファゴット協奏曲 ヘ長調 Op.75   C.M.v.ウェーバー
   T.Allegro ma non troppo
   U.Adagio
   V.Rondo(Allegro)


プロフィール

木村恵理
(きむらえり)Fagotto
 出雲市出身。島根大学卒業、同大学院修了。教育学部社会科研究室に在籍しながら数学も学び、大学院にて音楽の道へ。ファゴットを伊藤昇、井上俊次、岡崎耕治、吉田將の各氏に、室内楽を手塚実氏に学ぶ。バッハとその周辺について丸山桂介氏の講義を受講中かつバロック音楽の指導を受ける。国際教育音楽祭MMCJ2009、2010で室内楽、オーケストラの研鑽を積み、Leipzig(ドイツ)にてJ. M. Thome氏、Milano(イタリア)にてO. Meana氏、Riva del Garda(イタリア)にてV. Zucchiatti氏のマスタークラスを受講。
 これまでに出雲室内管弦楽団とヴィヴァルディの、ミンクス室内オーケストラ、出雲フィルハーモニー交響楽団とモーツァルトの、DNAフィルハーモニックと池辺晋一郎のファゴット協奏曲「炎の資格」を共演。2011年にはリサイタルを開催。音楽を軸とした交流にも力を入れ、2008年、Bethlehem(パレスチナ)での演奏を仲間とともに実現。活動は多岐に渡り、2014年度は出雲医療看護専門学校看護科非常勤講師として「音楽とリラクゼーション」の授業を担当。未来の医療従事者へあえて音楽を、という主旨から、宇宙と音楽、音楽と人間について伝える。出雲芸術アカデミー音楽院専任講師。出雲楽友協会音楽家会員。

石川真美
(いしかわ まみ)Piano
 和歌山市出身。神戸大学教育学部(現発達科学部)音楽科卒業。第17回和歌山県新人演奏会に出演。和歌山・堺市にて後進の指導に当たっていたが、岡山転居を機に「バッハの学校−岡山」と出会い、以来講師である丸山桂介氏に師事する。2012年、2013年と解説を交えたジョイント・コンサートを行う。2012年のジョイント・コンサート時の解説を、小論文『詩人ブラームス「歌」を歌う―ことばが結ぶ歌曲とピアノ小品―』として「バッハの学校」ホームページに公開。現在は、岡山県赤磐市にて後進の指導に当たるとともに、「崇高なる響き」を求めて研鑽中。また、オイリュトミーの伴奏等の音楽活動も行う。

ご案内

 木村氏は毎年意欲的なプログラムを組んでいますが、今年も楽しみです。私の知らない作曲家E.ブルドーの曲など、興味津々です。そしてウェーバーのコンチェルトは、幾度も聴いた名曲であり楽しみです。ところで、昨年から気になっていたのですが、いわゆる編曲ものについて、音楽的な完成度をどのように高めるのだろうかが、聴きものだと思います。編曲とは様式変更のことですが、木村氏の場合は材料様式、つまり別の楽器のために書かれた曲を、ファゴットに置き換えるというものです。バッハの時代は、楽器を特定しないのが一般的でしたが、それでも音域が近い楽器に変えるのが通り相場です。しかし、声楽曲を器楽に置き換える場合、音域が合わない場合が多々あります。ケルビーノのアリアはソプラノですし、ファゴットとは一オクターブ以上も異なってしまうのではないでしょうか。調性を変えて、ソロの音域にあったピアノ伴奏にするのであれば、ある程度、なんとかなりますが、オリジナルの良さは壊されてしまいます。ただ、メロディーの調性を変えて、ピアノをその音域の特性に合わせた曲に仕上げてくれば可能かもしれません。そんな意味で、どんなアレンジが施されてくるか楽しみです。若々しい少年(ソプラノ)が、お爺さんの姿にならないことを願っています。しかし、この頃は、様式をわざと壊すことによって、これまで体験したことのない魅力的な音楽が作り出される事がままあります。そんなこんなで期待しています。