倉吉 アザレアのまち音楽祭
マネージメント

特定非営利活動法人アザレア文化フォーラム

アザレアのまち音楽祭のミッションを達成するための

マーケティング論

アザレアのまち音楽祭ディレクター 計 羽 孝 之

インデックス

1.アザレアのまち音楽祭のミッション……………………………………………………3p
2.アザレアのまち音楽祭で求めるもの「人生にとって積極的な時間」………………5p
3.アザレアのまち音楽祭と人生の拠り所「自己実現と共生」…………………………5p
4.アザレアのまち音楽祭とあたらしい市民社会…………………………………………5p
5.アザレアのまち音楽祭というあたらしい共同体………………………………………6p
6.アザレアのまち音楽祭市民として生きる手立て………………………………………6p

T アザレアのまち音楽祭が提案するスコーレ
T-1 高い志が必要 …………………………………………………………………………9p
T-2 アザレアのまち音楽祭の考える芸術………………………………………………10p

U アザレアのまち音楽祭マネジメントの考え方
U-1 目的は、音楽体験の提供……………………………………………………………11p
U-2 アザレアのまち音楽祭の新しいマネジメントの方法……………………………11p
U-3 アザレアのまち音楽祭の顧客について……………………………………………12p
U-4 熟年層はアザレアのまち音楽祭の最高の顧客点…………………………………12p
U-5 アザレアのまち音楽祭の顧客の80%以上は女性 …………………………………13p
U-6 アザレアのまち音楽祭鑑賞のメリット……………………………………………14p
U-7 アザレアのまち音楽祭は選択の欲求に応えられる………………………………15p

V アザレアのまち音楽祭のマーケティング展開
V-1 音楽祭ミッションの最大化がマーケティング……………………………………16p
V-2 戦略的なプランの遂行………………………………………………………………17p
V-3 アザレアのまち音楽祭経営のプランニング………………………………………17p
V-4 プランニング四つのステップ………………………………………………………17p

W アザレアのまち音楽祭マーケティング、三つの段階
W-1 顧客を見定める………………………………………………………………………21p
W-2 セグメンテーション…………………………………………………………………22p
W-3 ターゲティング………………………………………………………………………23p
W-4 ポジショニング………………………………………………………………………23p
W-5 顧客との信頼関係を築く……………………………………………………………25p

X アザレアのまち音楽祭マーケティング計画
X-1 卓越した成果をあげるマネジメントが必要………………………………………25p
X-2 NPOのマーケティング……………………………………………………………26p
X-3 NPOのマーケティングの特質……………………………………………………27p
X-4 戦略……………………………………………………………………………………28p
X-5 戦術……………………………………………………………………………………28p
X-6 財務……………………………………………………………………………………28p
X-7 寄付の要請……………………………………………………………………………29p
X-8 マーケティングのプロセス…………………………………………………………30p
X-9 アザレアのまち音楽祭の公演ということ…………………………………………31p
X-10 アザレアのまち音楽祭の場所ということ………………………………………32p
X-11 チケット販売のこと………………………………………………………………32p
X-12 アザレアのまち音楽祭のプロモーション………………………………………32p
X-13 顧客とのコミュニケーション……………………………………………………35p

Y 700円と言うコンサートの値段
Y-1 ローリスク、ハイリターン…………………………………………………………37p
Y-2 700円は高いか、安いか?………………………………………………………38p
Y-3 観客にとってのコスト………………………………………………………………39p
Y-4 チケット代金の多様性………………………………………………………………39p
Y-5 チケット価格の変動…………………………………………………………………41p

Z アザレアのまち音楽祭の顧客開発
Z-1 顧客懇談会的な集会…………………………………………………………………43p
Z-2 リピーターの育成……………………………………………………………………43p

[ インターネットを使った広報のあり方
[-1 アザレアのまち音楽祭におけるウエブサイトの利点と可能性…………………43p
[-2 アザレアのまち音楽祭のウエブサイトのあり方…………………………………45p

\ アザレアのまち音楽祭のブランド化
(1)アザレアのまち音楽祭のブランド力……………………………………………………48p
(2)アザレアのまち音楽祭のブランド力を支えるもの……………………………………48p

] 顧客ロイヤリティを創る
(1)顧客を作る…………………………………………………………………………………49p
(2)音楽祭の聴衆を広げる……………………………………………………………………50p
(3)鑑賞経験を豊かにする……………………………………………………………………51p
(4)顧客の満足度を高める……………………………………………………………………51p
(5)顧客サービス………………………………………………………………………………52p
(6)ディレクターの仕事………………………………………………………………………53p

特定非営利活動法人アザレア文化フォーラム

アザレアのまち音楽祭のミッションを達成するための

マーケティング論

アザレアのまち音楽祭ディレクター 計 羽 孝 之

 

1.アザレアのまち音楽祭のミッション

 かつて倉吉文化の新しい流れを創りだした運動に「砂丘社」(前田寛治、河本緑石等が参加)があります。その活動は、大正末期から昭和初期にかけて、美術、音楽にとどまらずあらゆる文化活動の原点となりました。私たちは先人たちが切り開いた文化活動を、今日に引き継ぐため、「アザレアのまち音楽祭」を25年間に亘って継続しています。この活動は、地域に在住する音楽家を支援する目的と、中部一円に留まらず全県的な規模で集客し、地域芸術文化の活性化に寄与すると言う使命を持っています。

地方行財政の逼迫した現在、私たちが望む「まちづくり推進活動」や「文化、芸術の振興活動」を、行政に依存するには限界があります。私たちの自立した音楽祭活動は、地域文化の振興に一定の役割を果たし、地域の芸術文化の発展と、豊かな市民文化の熟成を徐々に得て来たと考えます。

音楽祭の華やかな展開を支えているのは、市民から寄せられた浄財によって運営資金が担保されていることです。浄財によって運営してきた音楽祭事業にとって、企業、一般市民からの寄付金は、文化活動を支える大きな動脈であり、必要不可欠なものとなっています。そこで、アザレアのまち音楽祭運営組織を特定非営利活動法人化し、更に認定法人格取得を目指すことによって、企業等からの寄付金が得られやすい環境認定法人化することで、寄付金の税金控除が可能を作り出したいと考えています。

倉吉市行政との協働による音楽文化の振興が拡大しつつある現在、私たちはその活動拠点の存在を確固たるものにしなければなりません。そこで、アザレアのまち音楽祭25年の実績を踏まえ、運営組織をNPO法人化することによって、市民に開かれた、より大きな可能性を見据えた活動に変革しなければならないと考えます。市民の自由な文化活動拠点づくりを目指すことは、豊かな社会を目指す必須の条件です。行政府も経済界も、その目指すところは豊かな文化を持った社会の醸成であり、「生きる喜び」を享受できる社会の構築です。

私たちは、生活の質と心の豊かさを求めるようになっています。生活の質とは、社会の持つ文化力です。文化力とは、市民自らが新しい文化を創造することです。25年間継続してきた「アザレアのまち音楽祭」は、地域社会に芸術家を遍在させ、芸術文化の恵を受けながら、「美しい生き方」という感性を市民に啓発し続けてきています。

私たち倉吉市民は、文化活動において先取の気性に富み、新しい芸術文化の育成と伝統文化の継承に心魂を注ぎ込んできた歴史があります。

そこで、「アザレアのまち音楽祭」の運営を、市民誰でもが参加できる組織を作り、更なる芸術文化の恵を、私たち市民のものにしたいと考えます。多様な価値観を携えた市民参加によって、これまで出来なかった多彩な文化交流事業や市民参画による行政との芸術文化の共同事業が可能となり、やがて音楽祭は拡大され、多様な市民が多様な幸福を追求できる芸術の楽園につながるものと期待しています。

2.アザレアのまち音楽祭で求めるもの「人生にとって積極的な時間」

私たちは、美しいものに憧れます。美しい音楽を聴きたい人々は沢山います。ヒット・チャートに登場する音楽は、若者や子どもたちがこぞって愛聴しています。しかし、ヒット・チャートに縁の無いクラシック音楽というジャンルを提供しているのが「アザレアのまち音楽祭」なのです。クラシックとは、学校のクラスで扱うものという意味があり、つまり評価が定まった古典という枠が誤解を生んで、多くの人々を遠ざけてきたのかも知れません。音楽は、どんなジャンルであろうと美しさを提供し、聴衆の美意識を映し出す鏡なのです。

現代の日本社会は、経済的な豊かさを持ちながら精神的に貧しく、人生に苦痛を強いられているような仕組みがあるのではないかとも感じています。今という時代は、本当の自分を見失い、美しい「人生を生きる」ことから逃れているのかも知れないのです。「自己自身を欲しない事は、死に至る病である」と言ったのはキルケゴールですが、自分の夢を見失っても、自分の生きる道筋が見えなくても、それに気づかず何の不自由も感じないのが現代人なのでしょうか。私たちは、大切な何かを失っているのかも知れないのです。「かもめのジョナサン」は私たちに美しいという生き方を教えてくれましたが、今は誰もかもめのことなど忘れています。

私たち人間は、何を求めて生きているのでしょうか。かつて、ギリシャ市民たちの生きると言う事は、自由な時間を心豊かに過ごす事であったと言われます。その豊かさは、現代の欲望渦巻く経済中心社会の中で、物質的に豊かな生活をおくることだと誤解されていました。そして、経済的な豊かさを求める事が、即こころ豊かな生活を得ることだと錯覚し、折角得られた豊富な時間さえも見失いがちになっています。豊かな時間の流れに身をおくことが幸福だと分かっていても、人生の目的が、未だに立身出世の方法としての「仕事」であり、物質的な豊かさを得る手段が最大の喜びになっているのです。ですから私たちには、歪(いびつ)になってしまった「心の形」が見えないのかも知れません。

豊かな生活と言う「人生にとって積極的な時間」を、私たちは見つけなければなりません。私たちの住む社会では、仕事をしない事は怠惰だと言われます。しかし、ジョナサンの「美しいと言う生き方」から見れば、「人生にとって積極的な時間」を充実して過ごさないことの方が「怠惰」になるはずです。なぜなら、人間の尊厳にふさわしい美しい生き方を怠けていると言う事になるからです。

私たちは誰もが、「あの人の人生は芸術だった」と言わしめる美しい生き方をすべきなのです。有名無名に関わらず、認められようと認められまいと、美しい人生を生きる生活は、誰だって具現できるのです。その気になりさえすれば。美しい人生を歩むことを目指して自己表現し、己の美意識を磨き続ける人が芸術家であるのです。美しい人生を模索する生き方の実践者たちが、地域社会に増えることこそが、豊かな社会を作り出すのです。

音楽は人生の祈りなのです。音楽は私たちのこころに寄り添い、共に歩む力を持っています。音楽は、運がよければ私たちの心の奥深くに染み入って、何かを癒してくれるかも知れません。なぜなら、音楽は人が聴いて、初めて命を得るのですから。

アザレアのまち音楽祭のひと時が、市民の皆さんにとって「積極的な時間」となるように、そして、アザレアのまち音楽祭の中で、人生の拠り所を見つけられるような仕組みを作らねばなりません。

3.アザレアのまち音楽祭と人生の拠り所「自己実現と共生」

アザレアのまち音楽祭には、「美しいと言う感性に満ちた、幸福感に溢れた倉吉のまちを創ろう」というミッションがあります。市民が自立して得られる「積極的な時間」、それこそが自己実現の可能な社会なのです。積極的な時間を、「創造する時間」と置き換えれば、人が人たる所以が理解され、人は沈思黙考することが必要だと言えます。

しかし、私たちの住まう現実社会は、合理効率がコア・バリューとなった経済中心社会となっています。特に日本は、政治機能が経済発展に集中し、アザレアのまち音楽祭が求めるような人間中心の「幸福感の追及」に価値観を示さないで来ました。合理的原則で動く経済、平等の原則が幅を利かす政治、自己実現の原則を担う文化、そして最も大切な共生の原則である共同の要因がバランスを崩しているのです。現代では経済原則(要因)が政治要因と結びついて、社会全体の価値観を支配しているのです。だから人生の価値観は損得勘定で判断され、自分にとって都合が「良いか」「悪いか」、「損か」「得か」が、その基準になっているのです。価値判断が、「美しいか」「美しくないか」であるような社会を私たちは創りたいのです。経済が支配する現代社会の中で、自己を失いそうになって、彷徨しているのが「文化芸術」なのではないかと思います。

大袈裟に言えば、隅に追いやられている「文化芸術」と「共同」原則を結びつけ、本来あるべき健全な姿に回復させようとしているのが「アザレアのまち音楽祭」なのです。そこで問題になるのが、「文化」とは?「共同」とは何?ということです。

4.アザレアのまち音楽祭とあたらしい市民社会

現代の経済突出社会の病理をまず認識しなくてはなりません。経済が圧倒的な力で私たちを支配し、社会全体の価値観を一色にしています。私たちは民主主義の根幹を成す正義「効率、平等、安全、選択の自由、幸福」の追求だと学んできましたが、「選択の自由と幸福の追求」蔑ろになっています。 それは、明治維新以来、効率、平等、安全は追求されましたが、選択と幸福の追求は悪とされた歴史があります。私たちのアザレアのまち音楽祭は、調和ある社会の実現を図ることに貢献したいと考えています。それは、豊かな人間存在(幸福感)が可能になる文化や共同の機能を回復させたいのです。家庭を中核にした地域社会を、生活の場、共同生活体とする新しい市民社会を構築する原動力になりたいのです。

5.アザレアのまち音楽祭というあたらしい共同体

 私たちがこれまで持ち得なかった「自立と支えあう共同体」意識に、アザレアのまち音楽祭は目覚めています。そして、「市民」に根ざした共同体精神を持つに至っています。

 日本は市民革命を経験しないで民主主義を手にした稀な国です。歴史的に見ると日本には公共と言う理念が希薄であったのかも知れません。市民が自ら作り出していく「共」の意識は封印され、「公と共」は行政の手中にあったのです。江戸時代の公儀という認識が抜け切れず、「共」とは、社会秩序を破壊する自立した市民が自主的に連帯して活動する事であり、封建社会を崩壊させるものだと忌み嫌ったのです。民主主義の世の中になっても、未だ自由の表現と連帯する共生は革新なのです。「改革」、「改善」といった「改」の字は、暴力革命の「革命」と同義語と捉えられ、社会システムの改革でさえ抵抗が増すのが現代なのです。アザレアのまち音楽祭という「仕組み」は、常に改革改善をスパイラルさせながら、文化と共同の機能を回復させ、調和ある社会を培いたいと考えています。これまで行政任せになっていた「公共」を、公平の原則である「公」と市民の自立・連帯による「共」に仕分けし、文化と共同の意識を復権させる事があたらしい社会(現状を克服した『蘇生する社会』)」を築く事になると思うのです。仕組みとは、仕向けることであり、システムよりもさらに強固な結び付を意味します。それがアザレアのまち音楽祭の絆なのです。

 私たち「アザレアのまち音楽祭」は、社会関係資本と呼ばれる「市民の絆」や、その「強い精神性」の存在を結びつけた市民共同体でありたいと願っています。その共同体とは「公共的活動への積極的参加」「自発的協力」「連帯の精神」「信頼の精神」「寛容の精神」を持つものでなくてはならないと考えます。アザレアのまち音楽祭市民の自立に基づく相互の信頼と絆で、あたらしい共同体を作りたいのです。

6.アザレアのまち音楽祭市民として生きる手立て

  アザレアのまち音楽祭市民とは、音楽祭に、聴衆として、スタッフとして、演奏家として参加する総ての人たちを指します。アザレアのまち音楽祭を通して、私たちは社会のあり方を、人間のあり方を、幸福追求のあり方を提示したいと考えています。

@アザレアのまち音楽祭を生きる人間としてのあり方

 民主主義社会で最も大切な個人主義が、私たちの社会では未だミーイズム(Meism/自分の幸福や満足を求めるだけで他には関心を払わない考え方。自己中心主義)と誤解されたままです。ですから、今更などといわず「人間とは何か?」を、音楽祭を通じて市民に問い直したいのです。そうでなければ音楽芸術は、私たちの生活に馴染まないことになります。人間の本質は、自由にあるのです。自由と言う責任ある選択をすることが、人間である証なのです。「アダムとイブ」の教訓は、リンゴを食べるという「選択の自由」を行使したにもかかわらず、その責任をなすり合い、エデンを追放されるところにあります。これは正に「人生に於ける自らの生き方」を問い続けることであり、その中から本当の自己実現を探り出すことに他ならないのです。

A自己から逃れてはアザレアのまち音楽祭は成り立たない

 現実の社会は、アダムとイブの子孫ばかりです。本当の自由を得た人間として、責任を伴う生き方から逃げている者の多さは、日本の独自性かもしれません。責任を伴う自由は、私たちには「重荷」かもしれません。歴史的に見ても、常に誰かに支配され、指示されたとおりに働き続けて来た人間には、責任が存在しなかったのです。その影響は現代でも、「お上」の言いなりになったり、会社の方針に支配されたり、常に誰かの指示に従っていれば安泰に過ごせるという「コタツ社会」からの脱却は、難しいのです。自らが望んで新しい自由を得ようとしても、たやすく得られないという不安によって打ち砕かれてしまうのです。そして、会社共同体と言う組織に所属しておれば、不安や不安定から開放してくれる、更にそんな環境に服従している方が安心して暮らせると思うのです。ですから、「自己を確立」し、責任を伴った「主体的選択」を通して、充実と連帯を見出す成熟社会を放棄しても、心が痛まないのです。その事が、自我や個性の成長にストップをかけ、固有な存在としての「自由から逃げだし」、自己を失っていても気がつかないというのが現代なのかも知れません。現代では常識的な生き方として、個人が自分自身であることを止めてしまっていても、それに誰も気が付かないのです。ですから、こうあるべきという強い指導性を持った文化的な鋳型に、簡単にはめ込まれる事を善として受け入れてしまうのです。型にはまった生活の中では、個人的・社会的な関係において見出す確信と賞賛、成功体験、あらゆる気晴らし(ギャンブルからカラオケまで)、遊興、会社共同体の付き合いなどによって、自己満足させられているのです。「自己を確立させることが出来ない」という不安定な自身の感情は、ぬくぬくとしたコタツ社会の中で、ただ癒されているに過ぎないのです。集団の流れに自分の行動規範を合わせ、「自己を失う」ことで評価を受け、安定した経済生活を得ようとしているだけなのです。

キルケゴールは「自己自身を欲しない事は、死に至る病」だと著作していますが、その哲学は今日的です。もしかしたら、現代という時代は、市民としての自己を見失っているのが当たり前なのかも知れません。アザレアのまち音楽祭は、人間の生き方として「自己自身を欲する事」が、人間の主体性に根ざした「アザレアのまち音楽祭市民の確立」が可能になるものと考えています。

Bアザレアのまち音楽祭は癒しの空間か?

 現実の社会では、経済的な基盤が生活の安定を支えています。それはごく当然であり、その安定がなければ、何も始まらないと考えられています。近年のパソコン社会は、職場を個人単位の仕事量を増やし、公的な休暇さえ取り難くしています。昨今の調査では、年次有給休暇の実施率が50%を下っています。一体、仕事とは?余暇とは?何でしょうか。

 キリストの「山上の垂訓」では、「生きると言う事」を労働だと考えない記述があります。労働が民主主義の根本理念だと考えないのです。民主主義社会の原点であるギリシャの市民にとって生きるとは、スコ―レ(余暇)と言われる自由時間を豊かに過ごす事であったようです。スコ―レとはスクールの語源であり、人格や教養(プレイ・アーツ)・文化に関わる人生の最も大切な要素と考えられていたのです。

 アリストテレスは、「幸福は余暇(スコ―レ)にある」と言い、「余暇を得んがために仕事がある」とまで言い切っています。しかし、私たちの社会では、人生の目的が「仕事」中心の会社共同体であり、そこで余った時間が「余暇」だとされるから、自己を失っていても何の不都合もないのです。もし、人生の目的が「スコ―レ(余暇)」中心の「人生にとって積極的な時間」だとしたら、私たちの生活は一変する事になるでしょう。私たちの社会では、仕事をしない事は怠惰だとされます。しかし、スコ―レ中心の生き方から見れば、余暇を充実して過ごさないことも「怠惰」になるはずです。なぜなら、人間の尊厳にふさわしい美しい生き方をしないで怠けていると言う事になるからです。

 余暇には三種類あると言われますが、第一の「休息」と第二の「娯楽」は、明日の仕事のために身体を休ませ、疲れた頭の気晴らしのためなのです。私たちが最も大切にしたい第三の余暇が「スコーレ」なのです。スコ―レとは「目に見えないが私たちにとって肝心なもの」「なくてはならない人生の拠り所」として存在する時間の事だと考えています。その時間を生活の中心に据える生き方こそ、人間復活の第一歩となるものだと思います。私たち「アザレアのまち音楽祭」は、市民の皆さんに「目に見えないが私たちにとって肝心なもの」をお届けするプレゼンターになりたいのです。

Cアザレアのまち音楽祭は自立した人間を目指す

 物質的な豊かな生活に心奪われて、人生に対する感動を忘れてしまっていることへの反省が、今こそ必要であると思います。私たちは、物欲が満たされると名誉が欲しくなります。そして益々経済的な成功への思惑が肥大し、複雑な人間関係への気遣いにおぼれ、「本当の自分、本当の人生」を見失うのかも知れません。これではスコ―レ(なくてはならない人生の拠り所)を否定する事になるのです。自立した人間とは、「自己自身」であり続けようと、自分を問い続ける者のことだと肝に銘じなければなりません。そうしなければ私たち市民は、「死に至る病」で留まらず、「市民の死」を迎え入れる事になるでしょう。なぜなら、市民の存在しない衆愚社会は、市民の怠惰な意識の中に何時だって潜んでいる危険があるからです。

アザレアのまち音楽祭では、音楽の感動を体験していただく事で「生きる目的」を考えるチャンスを提供したいと考えています。しかし、仕事が人生の中心課題である現代の風潮の中では、もしかしたら仕事も芸術になるのかもしれません。生活の基盤は、経済活動である仕事ですが、単なる生活を賄う金を得るだけが目的ではないようです。より高い報酬を得るために優良企業に入るというより、企業コミュニティに所属する安心感と企業文化に包まれることを望んでいるようです。そして、自立する事よりも、組織の一員として生きることが目的になってしまうのです。

動物的本能から考えても、働かなければ生命の維持はできません。誰もが、労働は金を得るために必要不可欠だと言います。その通りですが、なぜより多くの金を求めるのでしょうか。至極当然のように、豊かな生活を得るためだと考えます。豊かさとは何か、と問われると、金で買えるすべての幸福が確実に手元に置けることだと答えるでしょう。やがてお金では買えないものの存在を知り、精神的な豊かさを求めるようになるのです。豊かな生活とは、生きる事に潤いがあることであり、それは精神的な豊かさを持つことです。精神的な豊かさとは、Play(何かを行動する事であり、遊びであり、何物にも変えがたいアート)を持つことに尽きます。もっと端的に言えば、Play Arts(芸術と言う遊び)こそが、豊かな人生を送るためのアイテムかも知れません。豊かな人生を、よりよく生きるためには、どんなに仕事が忙しくても、決して手放せない大切なものを持つことです。それは家族であったりもしますが、命がけの情熱でPlay Artsを抱く事だと思います。

アザレアのまち音楽祭は、市井の人々が人間として止むに止まれない心の奥底から出てくるPlay Artsを提供し、芸術のある豊かな生活を渇望する皆様に応えたいのです。

 

T アザレアのまち音楽祭が提案するスコーレ

T-1 高い志が必要

 仕事を定年退職し、年金生活に入ると実感することがあります。それは、拘束されない時間や、制約されない思考、どんな行動でもできる自由があるということです。しかし、これは年金制度が破綻しないで存続するという条件がつきますが。それにしても、仕事に忠誠心を燃やしてきた人たちにとって、定年後の生活設計は重大な関心事です。そして、生活時間そのものがすべて余暇であることに愕然とするのです。やがて趣味として何かを「嗜む」ことになります。ある程度こなしてくると「披露」したくなり、発表会に出たりします。そこで問題なのは、「嗜む」程度では自己満足に終わり、本当の意味での「遊び(Play)」にはならないことです。要は、志しが持てるかどうかなのです。心の中では、あわよくば、芸術を志したいと思いながらも、「芸術」という大仰な言葉に圧倒されて、「芸術なんて」という卑下した態度しか取れないのが私たちかもしれません。しかし、私たちは生きていく中で、押さえ切れない喜びや訴えずにいられない悲しみを持っています。それが「表現」の欲求であり、「芸術」の原点なのです。

 人間には三つの本能があるとされます。その本能が満たされれば人生は豊になるのです。満たされなければ欲求不満でわびしく貧しい人生になるのです。現代の経済的規模から考えると、過去はあらゆる面で現在より貧弱であったはずですが、人生の豊かさは個々の問題であり時代の問題でも社会の仕組みでもない事が分かります。三つの本能を食欲、性欲、芸術欲と設定すれば、生活の中に芸術欲を如何に満たすかが大きなポイントとなります。誰でもが安易に得られる芸術欲を満たす方法は、受身の姿勢です。

 美しい身だしなみを作り出すアンサンブル能力の有無は、ブランド製品に頼りがちになり、シャネルやルイ・ヴィトンを身に付けることで満足感を買っています。美しい音楽的空間を創造する鑑賞能力の有無は、評価の固まった著名な演奏家と同じ空間に同席した事実で満足感を得ています。しかし、誰かの判断を鵜呑みにするのは、鑑賞満足の代替のような気がして、何か違和感を持つものです。

 アザレアのまち音楽祭が提供しているコンサートは、「美しい音楽的空間を創造する鑑賞能力」を高めるよう仕組んでいます。一般的に考えると、音楽を聴いて「何が面白いのか」「何が凄いのか」が、サーカスを見、大道芸を見るようには、感じられないものです。音楽会を聴いて、どう楽しんでいいのか分からないと言うのが本当の所でしょう。しかし、本質的に、サーカスもコンサートも、楽しむということは、同じだといっても過言ではないでしょう。サーカスを自分でやってみるには危険が予想されますが、芸術は安全です。「やってみる」ことが、その楽しみを知る道かも知れません。そのためには「嗜み」ではなく、芸術を遊ぶ決心が必要でしょう。

アザレアのまち音楽祭は、倉吉市民であればどなたでも出演参加できる仕組みを持っています。余暇を人生の中で「余った時間」ではなく、最も大切な「積極的な時間」とし、「芸術を遊ぶ時間」だと設定する事で、芸術は日常に根付くものだと考えます。芸術が日常に根付く事とは、多様な生き方を許容する社会を作ることであり、個人の尊厳を大切にする、新しい価値観を創る社会システムが誕生する事につながります。それこそがアザレアのまち音楽祭の美しいまち創りであり、芸術によるコミュニティの創造だと考えます。

芸術は健全な国家にとって欠かせないものだという認識は、誰にもあります。「衣食足って礼節を知る」と言われますが、衣食住は人間の身体的な幸福に欠かせないだけかも知れません。大袈裟に言えば「人間とは何か」を古代から追求してきた哲学の進展は、時代を先読みし、時代と併走しながら「芸術」という哲学の実践を繰り広げてきました。その実践の果実こそが、私たちの人生にとって、「社会的」「精神的」な養分として芸術を享受していたのです。

 ところが明治以来の芸術に対する対応の仕方は、「芸術の崇高さ」や「文化的な重要性」を教養として受け継いできた歴史があります。しかし、アザレアのまち音楽祭でのコンサートは、芸術の楽しさを、ワクワクしながら体験することを中心に据えています。芸術を教養として楽しむのではなく、音楽の美しさに共感し楽しみ、結果的に娯楽であり、リラクジェーションになれば、そのミッションは達成されると考えています。

T-2 アザレアのまち音楽祭の考える芸術

 アザレアのまち音楽祭の聴衆は、何かを学びたいと言う方より、のんびりと音楽の海に身を浸したい、コンサートの雰囲気を楽しみたいとの意向が圧倒的です。当初は馴染みのある作品が演奏されることを望む方がほとんどでしたが、近頃では、初めて耳にする音楽に心躍らせる聴衆が増えています。コンサートという「生の舞台」は、機械で増幅された人口的な波動ではなく、演奏者から直接発せられる気波動に身を委ねるのが魅力であり、同じ空間で、聴衆が一体となり、心地良くなりたいのです。

 アザレアのまち音楽祭の聴衆は、50歳代以上の女性が圧倒的多数です。コンサートを体験するのに、芸術的な意義など無縁です。しかし、聴衆の中には、知的好奇心と素養レベルの拡大を望んだり、コンサートの充足感を過剰に期待し、音楽芸術に「栄養」を要求されたりもします。そして、単なる娯楽になってはだめだとの批判もあります。クラシカル音楽は、楽しむにも努力が不可欠であるとの言い分が、エリート主義を助長しています。更に、高学歴ほど芸術への愛好度が高いとも言われますが、これはまったく当りません。中高大で10年間英語教育を受けても、実社会で実用できる人は稀な事と同じです。最も大きな要因は、経済中心社会が芸術を求めていないからです。欧米の経済界では、芸術がコミュニケーションの潤滑油となり、クリエイティブな仕事の源泉になっているにも関わらず、です。

 ところが、最近の若者に限らず、自由時間の多く取れる職業を選ぶ傾向が出ています。彼らは、自己を主張し始めているのです。自分の人生に密度の高い、後悔しない満足度を、何かに求め始めているのです。それは、娯楽かも知れませんが、要は密度の高い経験への要求が強い事だと思います。それらの人々に、芸術と自分の人生をどう捉えるかの提案をするのがアザレアのまち音楽祭だと考えています。

 

U アザレアのまち音楽祭マネジメントの考え方

U-1 目的は、音楽体験の提供

アザレアのまち音楽祭の最大の目的を一言でいえは、市民に「音楽芸術体験を提供」する事です。音楽祭に登場する地域在住の演奏家と聴衆との間に「一体感」を作り出すことだと考えています。その為のマーケティングとは、市民の行動をアザレアのまち音楽祭に向けさせる技術かも知れません。アザレアのまち音楽祭は四半世紀にわたって継続しているにもかかわらず、市民参加率(8.6%/人口比率)の低さは絶望的ですらあります。その要因は、マーケティングの拙さだったと認識しています。地元演奏家中心とした売り込みは、従来からあったオールド・エコノミー型の、聴衆を追い求めるスタイルが、時代の要請からずれている事に気がつかなかったためです。

 私たちは、まず市民のニーズを把握し、その要望、芸術に対する認識、行動様式、好み、そして満足度のあり場所を理解しなければなりません。そうする事が、知名度が高くなった「アザレアのまち音楽祭」に観客を誘う障害をなくす事となります。具体的なコンサートは、提案型から聴衆との協力型に移行させねばなりません。そうする事が、ただ椅子に座って聴くだけの聴衆が、その場を主体的に選択した鑑賞者となり、その協力でコンサートに新しい価値を生み出すのです。この体験をより多くの市民に経験していただく事こそ新しいマネジメントの使命なのです。私たちは、アザレアのまち音楽祭を忘れられない経験の場としなければなりません。「忘れられない経験」とは、いささか個人的なものでありますので、各々の立場に立って仕組まれた「経験」を作り出すことだと考えています。

U-2 アザレアのまち音楽祭の新しいマネジメントの方法

 アザレアのまち音楽祭は、これまで実践してきた方法がオールド・エコノミー型だとは考えもしませんでした。つまり四つの「P」と言われる主催者サイド中心のマーケティング手法です。端的にいえば、優れたコンサートを作って売ることが中心になります。

@Product/ベストな演奏家を提供するコンサート(一流と言われる演奏家)

APrice/演奏家のギャラに対応し、ペイできる入場料設定(安く押さえるためには補助金等の基金が必要)

BPlace/想定する顧客に合致する会場(ペイ出来る為には多数の入場者確保が必須)

CPromotion/観客動員を図るための広報(有効な広告が必要となり、経費拡大)

このような方法は、アザレアのまち音楽祭でも、過去経験してきていますが、現在では、ニュー・エコノミー型と呼ばれる顧客中心主義に移行しつつあります。

そして四つの「C」(顧客価値)と言われる顧客が求めるコンサートを提供するスタイルに変革しています。

@Customer/顧客価値(顧客が望むコンサートを提供)

ACustomer Cost/顧客コスト(顧客がリピーターとして求める入場料設定)

BConvenience/利便性(顧客にとって都合のいい時間帯、場所)

CCommunication/コミュニケーション(顧客との意思疎通を図る)

アザレアのまち音楽祭では、鑑賞者を単なる観客と見ないで、表現的な聴衆と捉えています。音楽鑑賞という体験に付随した感動やエステティック(美学的)な高揚感は、何時の時代でも持っているものだと認識しています。アザレアのまち音楽祭のアンケートには、コンサートを体験する事で、「自然にその魅力に惹き付ける力がある」と述べられたりします。

U- アザレアのまち音楽祭の顧客について

 アザレアのまち音楽祭の入場者の61%50歳以上の熟年層であり、尚且つ、女性が80%に達しています。それらの聴衆は活気に満ちています。統計によれば、日本人の全資産の3/4は50歳以上が支配していると言われます。そんな中で、アザレアのまち音楽祭は現在の顧客を中心にした経営戦略をとっています。特に団塊の引退世代と重なり、新しい人生モデルを提案しなければなりません。この世代は正に若々しく、最も経済的に豊で健康であり、最高に意欲的なのです。彼らにとって経済力の豊かさは、新しいスタートを切りたいとか、これまでと異なる自分に変えたいと願う意欲を持っているのです。まだ、現役としての意識はあるが、新しい生き方を捉え切れないで(おび)えている人たちも多いものです。その怯えは、無為に年を取る以上に、創造力が衰退し、新しい挑戦が出来なくなることです。私たちは、「よわいを重ねるのは、悪くない」とワクワクする期待感新しい価値観を提供し、コンサート聴衆の拡大を図ろうとしています。

U- 熟年層はアザレアのまち音楽祭の最高の顧客

 熟年層の生活は、自由に使える時間と金にゆとりがあります。人生を折り返した人たちにとっては、ほとんど物質的な欲求は薄れています。人生を充実させるために、精神的な充足感や満足感を体験したいと望んでいます。ですから利己的な価値観から開放されて、利他的なものに高い価値観と満足度を示すのです。地域に在住する見知った演奏家を支援し、その成長を見守る充実感は、子育てにも似て人生に喜びをもたらすものとなっています。しかし、コンサート行動について、同伴する誰かがいないと、何もできないと言うのがアンケート調査では顕著に表れます。そこで、同好の士が得られる出会いの場として、アザレアのまち音楽祭が機能する仕組みを作らなければなりません。その仕組みは、コンサートのプレ・トークであり、コンサート後のサロン座談会など、今後の課題にしています。

 若い人たちの顧客形成率は、大変低いものです。彼らの持つ自由な時間と金は、「車」「娯楽」「旅行」「コンピュータ」「服装」に使われ、芸術鑑賞へはほとんど使われません。現代のミージェネレーション(自分中心の生活態度や考え方をもつ世代)は、野心家であり、自己のスタンスにこだわる資質を持っているようです。この世代は知名度の高いアーチストと同じ空間にいることを好んだり、その場にいることを誇りにしたりする気質を持っています。ですから、地元在住の無名の演奏家には、まったく興味を示さないのです。

 明日の聴衆を育てたいと子ども達を対象としたコンサートは、大変重要です。子ども時代の体験は、一生を支配するほどの影響力を持つものですから、コンサート体験のチャンスを増大させねばなりません。その為に、アザレアのまち音楽祭では、こどもをターゲットにすると言うよりも、その親たちにまず体験していただきたいと考えています。

U- アザレアのまち音楽祭の顧客の80%以上は女性

 アザレアのまち音楽祭のコンサートは、聴衆はほとんど女性です。男性は、誘われてお出でになった方がその大方です。ご夫婦の場合、コンサート・チケットの購買意思決定は女性が80%だそうです。コンサートに行くかどうかを決めるとき、女性の方が慎重で他人の意見を尊重する習性があるといわれます。沢山のコンサート情報発信の中から、自分の好みを詳しく調べ、多くの選択肢から選ぶ事が得意だそうです。という事は、女性に支持されるためにコンサートは、出来るだけ優雅に想像力を刺激しなくてはなりません。アザレアのまち音楽祭は、正に選択肢が多く存在し、その多様性も満足してもらえています。そんな訳でアザレアのまち音楽祭の顧客セグメントを女性に設定しています。

 アザレアのまち音楽祭では、様々な情報を友人と共有し、様々な感性に訴えかけるディレクター・コメントを提供し、口コミしやすいようにセットされた情報をメルマガで発信するなどして、「アザレアのまち音楽祭ブランド」の差別化を図っています。口コミを操作する第一は、主催者サイドのスタッフと顧客の感性が必然的に似ていなければなりません。似ている事はコミュニケーションがしやすく、阿吽の呼吸が可能になるということです。スタッフが発信した口コミをまったく同じ情報で伝達してもらうのが狙いなのですから。第二は、口コミしていただける顧客の組織化です。そして、同好の士を招いたサロンの実施等で、その絆を強固にしなくてはなりません。そして、ぜひとも女性の皆さんに団結していただき、新しい顧客の皆さんを誘発していただけるコミュニティを作りたいのです。アザレアのまち音楽祭は人と人を引き合わせ、様々なアイデアや好奇心をくすぐり刺激し、音楽芸術を語り合うコミュニケーションの場にしたいと考えています。

U-6 アザレアのまち音楽祭鑑賞のメリット

 音楽鑑賞を「メリット」と言う視点から考えると、顧客形成率の低いクラシック音楽のマネジメントが間違っていたのではないかとの疑義を見つけることができるはずです。これまでのアザレアのまち音楽祭においても、メッセージの発信が曖昧であったとの反省があります。アザレアのまち音楽祭に出演する演奏家は、基本的に地域在住の方々であり、「我こそは…」というプロフェッショナルの確信に満ちた自信と誇りは、社会的な通念としてあるプロとアマの実力の乖離という幻影に支配されて、謙遜し、自虐的となり、やがて、自己防衛の自尊心に守られたアマチュアイズムを甘んじて受け入れてしまっています。ですから、決して自分で自分の演奏を聴いて欲しいとは言えないのです。その為、発信する情報は、いつも抽象的で何を言わんとするか分からないものが多いのです。

アザレアのまち音楽祭の公式パンフレットでは、演奏家のセールスポイントをディレクターズ・コメントとして必ず添付しています。その強いメッセージは、過大評価だと揶揄する向きもありますが、相対的ではなく絶対的評価基準をもって行えば、常に、誰だって肯定的評価は可能なはずです。

それでも尚、多くの市民が芸術鑑賞に足を運んでいただけないのが現実です。演奏家のスタンスからすれば、よい演奏を提供できれば、自然に聴衆は集まるとの信念があります。しかし、アザレアのまち音楽祭のこれまでの実績から考えると、それは、主催者、演奏家の立場であって、一番肝心な聴衆になるはずの顧客の立場を、まったく理解していなかった事に気がついたのです。顧客にとってコンサートは、貴重な「積極的な時間」を費やすための選択肢の一つに過ぎないと言う事なのです。もっと言えば、自分の時間を楽しむことの、手段に過ぎないのです。沢山ある選択肢の中から、アザレアのまち音楽祭を選んでいただかなければならないのです。

そこで問題になるのが、広報のあり方だと考えます。顧客が聴衆になるかどうかは、理屈にかなったスタンスの有無ではなく、ほとんど直感的な判断をしているものです。誰かに誘われるか、強い衝動に駆られて行きたいと判断するものです。そのいずれにしても、コンサートの中身が分からないままお出でになる方はほとんど存在しません。聴衆のアンケート調査では、八割方の皆さんが内容を事前に知ってお出でになっています。更に話を伺ってみると、その内容によって直感的に決定しているとの事です。私たちは、どんなコンサートを提供するのか、出来るだけ詳細な内容とその特質を示さなければなりません。また、コンサート自体を「退屈させない」方法や、初めての聴衆を「場違いな所」だと感じさせてはなりません。その為の工夫が必要となります。それは、コンサートに一緒に出かける仲間作りのお手伝いをする事と、音楽は理解などしないでただ楽しむ事だと感じていただければいいと考えています。ですから、プログラムも確実に楽しむための導入にしなければなりません。

コンサートに行くか行かないかの判断は、直感的なものです。そもそも直感と言うのは、過去に体験した事柄が先入観として蓄積されたものが、インプットされた情報に素早く反応する事です。最近のアザレアのまち音楽祭の顧客は、アザレアのまち音楽祭のポスターを見ると、今年も楽しみがやってきたと回数券を購入してくれます。固定協賛者は、全公演に使えるパスカードを手に入れます。四半世紀に及んだアザレアのまち音楽祭を聴き続けていただいた良い経験が、先入観として固定し、瞬時に「今年も楽しもう」と判断し意思決定が出来ているのです。未だアザレアのまち音楽祭を体験していない顧客に対しては、ロイヤリティの高い経験者から口コミしていただくのがベストだと思います。その為には、情報をより多く提供するため、コンサート・アンケートの全てを公開しています。

 アザレアのまち音楽祭の公式パンフレットは、音楽鑑賞のメリットを感じていただくよう編集しています。アザレアのまち音楽祭は27公演という多彩なプログラムを用意し、顧客の好みに応じた音楽の美しさを提供しています。また、コンサートの楽しみ方をツアーとして提案し、その和やかさや楽しさ、親しさ、新鮮さを感じていただこうと仕組んでいます。そしてパンフレットには、感動の累積を観客メリットとして期待していただくものへと改善しています。

 そもそもアザレアのまち音楽祭の提供するクラシカル音楽のメリットは、かなり重層的なもので、様々な価値観を内包しています。友人・家族を聴衆として楽しませる「チャンス(機会)」としての価値、社会に於ける個人的なつながりを育てたり維持したりする「インターレスト(利害関係)」の価値、ヒーリングやいやしの価値もあるかもしれません。また、音楽には人間教育的な価値が高いものですが、アザレアのまち音楽祭では、あえてメリットを設定していません。なぜなら、音楽祭の結果として必然に存在するからとの判断です。

U- アザレアのまち音楽祭は選択の欲求に応えられる

 アザレアのまち音楽祭のコンセプトの一つに、聴衆の「選択の欲求に応える」ことがあります。そのためにはあらゆる機会を捉えて情報発信せねばなりません。アザレアのまち音楽祭では、顧客の欲求について、次の四つにまとめています。

@変化の欲求(これはコンサートの多様性や、知識を得たいとか鑑賞の創造性を発揮したいと言うものです。)

A参加の欲求(「積極的な時間」を家族や友人と過ごしたいと言う欲求であり、社会生活としてのコミュニケーションの場に加わりたい欲求なのです。)

B自由の欲求(これは、個々人の違いを容認したいとの欲求であり、そのチャンスを求める欲求なのです。)

C安定の欲求(毎年、アザレアの季節にやってくる多彩なコンサートを楽しみたい、そしてコンサートの仲間たちとくつろぎたいと言う欲求)

この欲求の底辺に流れるものは、コミュニケーションへの期待であり、人と人のつながりへの渇望だと感じています。コンサート顧客の大半は、音楽から得られる感動体験を友人と共有したいとの思いのようです。ちょっと大袈裟に言えば、ご自分の人生にとって大切な人たちと、「積極的な時間」を共有したいという本能的な欲求なのです。これまでのアザレアのまち音楽祭は、より多くの人に地元の演奏家を売り込みたい、聴いていただこうとのマネジメントであった様です。顧客が欲求しているのは、「精神的な充足感」であり、いやされる思いであり、友人関係のよりよいコミュニケーションであったのです。そして私たちは、聴衆が音楽を通して「自己認識するレベル」を高めたいと望んでいたことを、知らなかったのです。

 アザレアのまち音楽祭では、顧客を単にチケットを買っていただく方、コンサートを聴きたいと思っていただける方のみを聴衆と考えるのではなく、多くの潜在的な観客をも聴衆の一部と考えています。常に芸術に関心が高く、音楽鑑賞が生活の中で不可欠な要素になっている方々は、ロイヤリティの高い顧客であり、熱心に文化活動を行い、誰かのために役立ちたいと考えるボランタリーな人たちが多いはずです。潜在的な観客とは、レスポンダー(応答、対応)と呼ばれる方々であり、誰かが誘ってくれれば参加したいと思っているのです。音楽祭のマーケティングは、まさにこのレスポンダーを対象とし、コンサート・セールスを仕組まなければなりません。この潜在的な観客に必要なのは、誰かに誘われる事です。この「お誘い」をシステム化するには、積極的な活動者というイニシエーター(複製開始するもの)を発掘し、彼らを通してコンサートへの誘いを試みるより方法はないのです。

 顧客とは何かの、認識がまだまだ不足していると自覚していますが、経済中心主義の現代社会の文化砂漠に、アザレアのまち音楽祭というオアシスが存在する事を知っていただき、高価な「なんとか還元水」でなくても、私たちの身近に存在する音楽の泉に誘う事が重要だと考えています。

 

V アザレアのまち音楽祭のマーケティング展開

V-1 音楽祭ミッションの最大化がマーケティング

 アザレアのまち音楽祭の、マーケティングの基本は、音楽祭事業のメインであるコンサート提供のサービスが、顧客に対する今日的な意味を最大化することだと設定しています。今日的な意味とは音楽祭のミッションであり、人間の生き方にスコーレを持ち込むことに尽きるのです。NPO法人アザレア文化フォーラムの事業展開は、ミッションを重要視するものであり、利益が目的ではないため、その成果を図るのが難しいのです。

 アザレアのまち音楽祭を立ち上げた直後から、私たちは市場変化に気がつき、その予測の元に少人数でコンサートが成立する「サロン方式」を取り入れました。NPOであれば、利益は求めないが、負債を抱えることを最も警戒します。その結果、赤字を出さない工夫として「コンサート・プレゼンター方式」に取り組みました。つまり、出演者に対するギャランティは企業支援に依存し、入場料収入で運営する仕組みです。当初はコンサートの絶対数が少なく、縁故を頼った5〜6人の篤志家でスタートし、現在は約30のスポンサーと小口支援の協賛者150人で運営しています。

 問題は、観客動員とプログラム選定の難問が残っていると言う事です。サロン・コンサートでは、観客動員の予測が立ち、総定数をクリアしています。しかし、大ホール公演では、観客動員の見込みがまったく立たず、苦戦を続けているのが現状です。

 アザレアのまち音楽祭組織のジレンマは、その経営サイドが財政的な事柄を優先させ、観客動員数の最大化を求め、安全なパイ作りを求めようとすることです。そして、ミッションを純粋培養するアート・ディレクターの「音楽レベル・芸術的な卓越性」の理念と相容れない「場合と時」が出現するのです。

V- 戦略的なプランの遂行

 問題は、健全財政とコンサート・プランの充実が求められているのです。アザレアのまち音楽祭の長期的な展望とその意義について、プランニングが必要です。現在、直面している問題は何かを、早急に掘り起こさなければなりません。その為には、音楽祭組織内のコミュニケーションを密にする必要があります。リーダーからの一方通行ではなく、双方向のディベートが可能な環境を作り出さなければなりません。双方向のディベートが可能になるには、双方が対等に近いレディネス(基礎条件となる一定の知識・経験などがある状態のこと)が必須です。組織運営の目標を定め、評価基準を作ろうとしても、組織論の方程式がバラバラでは、因数分解は不可能です。組織改善や音楽祭経営管理を改革するためには、組織の進むべき道を明確に共通理解しなければなりません。

 私たちは、コンサート提供のサービスが、顧客に対する今日的な意味を最大化させなければならないと言いましたが、これまでのコンサート経営の価値観を、顧客中心に価値移動する手順を踏まえなければなりません。それは、アザレアのまち音楽祭ミッションを実践するに当たり、顧客や音楽祭環境をどのようにすべきかを考えなければなりませんでした。更に、アザレアのまち音楽祭25年の実績を評価し、今後のあり方について有効なのか、変革が必要なのかを見定めなければなりません。既に私たちは変革の必要性を共通理解し、現在のNPO組織を立ち上げているのです。顧客にとって最も重要な優先事項である「今日的な意味を最大化」することを目指し、今出来ること、今は出来ないが近い将来実現せねばならぬものを目に見える形にしなければなりません。それは、アザレアのまち音楽祭の価値観を高める事であり、市民がアザレアのまち音楽祭を誇りに感じ、参集していただける仕組みを持つことに他ならないのです。

V- アザレアのまち音楽祭経営のプランニング

 アザレアのまち音楽祭のプランニングとは、次のようなことです。まず、アザレアのまち音楽祭ミッションを実現するための「目的」を明確にし、音楽祭の望む方向性を明確にし、その目的達成の手段として「戦略」を立てています。そして、音楽祭を具体的に実施するに必要な「原資」を、市民から得ようとしています。原資とは、コンサート運営財源であり、運営スタッフや地元演奏家を含めた人材だと考えています。この過程を明確に示し、コンサート結果を分析しています。芸術性を縦軸に、集客性を横軸としてマトリクス評価し、目標達成のための「事業環境評価」の一つとしています。

V- プランニング四つのステップ

 プランニングの要素である「目的」「戦略」「原資」「評価」を、具体的にどのように取り組んでいるかをまとめてみます。

(1)アザレアのまち音楽祭ミッションの目的の分析は、これまでの組織「文化活動団体」のボランタリーなものから、NPO法人化した社会性のある組織に変革させるため、これまでの組織の持つ強みと弱みを認識しなければなりません。

(2)アザレアのまち音楽祭ミッションを達成するためには、その目的と具体的な目標を決定し、その戦略を策定しなければなりません。その戦略を実行するための詳細な予定と戦術がマーケティングです。

(3) 音楽祭の中核となるコンサートを、どう実行するかがマーケティング計画であり、それに沿ってどこまで実施できるかが、組織の評価になります。それは正に原資(財源の問題であり人材確保)の問題でもあります。

(4)アザレアのまち音楽祭をどのように管理するか、コンサート実施をどのように評価するかが、ミッションの達成度を測る基準となるのです。その為には、常に評価を繰り返し、必要に応じて戦略や戦術を対応させていく柔軟性が求められます。

 更にこの問題を深く考えて見ます。

1】アザレアのまち音楽祭目的の分析

 アザレアのまち音楽祭のミッションは「地域に芸術家が遍在する幸せを求めること」であり、その目的は@「アザレアのまち音楽祭」によるまちづくり A観客によって音楽祭を成長させる Bアザレアのまち音楽祭を音楽創造活動の拠点とすることの三点です。これらを実現させるための組織は、単なるボランティア集団では解決しません。アザレアのまち音楽祭25年の運営実績から得られた成果は、この事業にどのように取り組むべきかの示唆に富んだ人材論です。

アザレアのまち音楽祭の経営で、一番大切なものは人材の確保です。その人材とは、

@物事をやると決意できる人

A目標・目的を持つことの出来る人

B段取りを考える

C成功意識が持てる

D仕事を貫徹する

E感動体験を持つ人でなくてはなりません。

人材に必要なもの(エンパワーメントの有無)は、何よりも幸福感の追求を喜びとする事です。幸福の要因は、満足の行く仕事に従事することです。そして、豊かなネットワークを築くこと、感謝の気持ちを持つこと間違いを許すことなどの人間性も必要だということです。そして最も重要なのが、楽観主義だったのです。

そこで、アザレアのまち音楽祭組織の強みとは何かを考えると、組織に参加している個々人の連帯感が強いことが、まず挙げられます。また、各自の文化団体活動の体験から得られた行動力は、組織の持つルーティン・ワークを遥かに凌駕しています。更に、ひも付きでない活動実績から来る、団体としての責任感の強靭さは、アザレアのまち音楽祭を動かす原動力となっています。しかし、それは裏を返せば弱みにもなるものです。NPO法人化する事によって、各自の団体から離れ個人となった場合に、意見は出すが行動を伴わない、言動に責任が取れないという場合もあり、自立した役務の遂行が危惧されます。

 アザレアのまち音楽祭事業環境の分析は、まず、チャンスの拡大とマイナー要素を設定しなければなりません。事業環境のチャンスは、未だほとんど手が付けられていない未開拓の状態だと認識しています。現在、手にしているチャンスは、地元演奏家のボランティア・シップによる協力支援、地元企業と住民による浄財の寄託倉吉市行政の施設使用料減免、そして文化活動者の組織参集です。しかし、まだまだ音楽祭組織を拡充するに十分な市民の潜在的能力は、私たちの発掘を待っていると思います。問題なのは、マイナー要素の陰湿さと頑固な対応が脅威です。最も危惧するのは、ボランティア参加している演奏家に対するやっかみ、妬み、嫉みが恨みとなって中傷し、音楽祭を壊そうとする音楽人の存在です。もう一つの問題は、寄付金・補助金等をいただく時、社会が媚びる事を強要する風土が残っている事です。この問題については、後述します。

2】戦略の策定について

 アザレアのまち音楽祭は、社会に対して何をもたらすのかと言う、問いかけがあります。また、アザレアのまち音楽祭は、一体誰のものか、何を達成させようとしているのか、との問いがあります。「アザレアのまち音楽祭は、地域に芸術家を遍在させるもの、芸術を愛する市民のものであり、より多くの市民が芸術を楽しめる社会にすること」と、既にミッション・ステートメントしています。アザレアのまち音楽祭の企画実行委員会という組織の実行と管理は次のように行っています。

@計画の作成時

 まず、恒例となっている音楽祭の基本路線の確認と、改革すべき事項のディベートから始めます。前年度の顧客アンケートの集約及び組織の全ての委員からの意見を集め検討します。それと同時に、幅広いスタッフを毎年公募します。そうする事で予測されるほとんどの問題が具体的に話し合われ、その戦術と戦略は出揃います。

A実行時の問題点

 問題点には、人的なものと資金的な障害があります。最も重要なのが人材の問題です。音楽祭のスタンスが正確に理解できないで、改革改善に否定的な考えを持つ人の抵抗です。単純に変化を嫌う事が、何かにおびえる恐怖となって抵抗するのです。この問題を解決するには二つの方法があります。簡単な方法は、抵抗勢力を排除することです。しかし、アザレアのまち音楽祭では、その手法は取りません。なぜ、改革に否定的なのかを、明確に論じる方であれば、まったく問題はありません。なぜなら、改革改善がなぜ必要なのかを、説得すれば、力強い味方になり、事なきを得るはずです。スタッフ一同が新しい方向性を支持していることは、強い説得力を後押しするものです。何故と言う論陣は張れないが、感覚として否定的になる方は厄介です。感覚として物事が判断できるほどの経験も学習もない人の判断は、ほとんど無知から来るものです。ですから、学習していただくより方法はありません。戦略を実行するに必要な能力を持った人材を確保しなければ進展しません。NPO法人を動かすには、イノベーション(革新性)アントレプレナーシップ(企業家精神)が不可欠なのですから。

B戦略に必要なもの

 戦略の立案と実行について、最も重要な事は人材不足と運営資金の不足は失敗に直結するということです。アザレアのまち音楽祭は、かろうじて現状を維持するための人材と資金は確保していますが、更なる展開を望むものであれば、適切な人材の導入と資金を投じる事に躊躇してはならないでしょう。

C評価を適時行うこと

 適時の評価とは、戦略を立て、戦術を策定し、適切な対応を調整し、その実績を各評価ステップと設定する事に尽きます。

 この四つの視点を踏まえて、課題を明確化し、音楽祭プログラム戦術を考えています。その課題とは、新しいコンサートジャンルの開拓新人演奏家の登用チャンスの拡大、アザレアのまち音楽祭の知名度アップ、演奏家・スタッフ・聴衆が三位一体のコミュニケーション設定、そして最後に音楽芸術愛好者の裾野を拡大するための教育システムが求められています。

 この音楽祭プログラム戦術を実施するために必要なことは、まず有能なスタッフの囲い込みで組織の統率力強化、そして管理体制の改善は外せません。次に必要なのが大口寄付の獲得です。最後は新しい顧客(潜在する聴衆)のためのキャンペーン策定と実行が欠かせないのです。

3】財政の健全化

 幾らが大口寄付か、と言う問いもありますが、全国最下位の人口と、最下位部に位置する年収平均や県行政の財務状況から考え、更にアザレアのまち音楽祭の規模から考えると、現在のプレゼンター5万円の寄付は、大口であります。アザレアのまち音楽祭が地域企業の浄財を得るようになって20数年が経過しています。その間、資金提供者が継続していると言う事は、アザレアのまち音楽祭が目標とする地域社会の文化状況と、そのポジショニング戦略(サロン・コンサート中心主義)地域企業の思惑と合致していたからだと思います。また、行政(倉吉市)と一体となった(協賛関係)音楽祭事業連携が、地域の住民の支持を得て来たからだとも言えます。

しかし、新しい四半世紀に向けて、現状維持の守りの姿勢から、新しいミッション形成を可能とする資金確保のプランが必要になります。アザレアのまち音楽祭のボトム・ライン(核心部分)は目標達成の評価が全てです。その目標達成は「利潤目的」ではなく「ミッション」のクリアであるのです。その理解が寄付者に今後も得られるかどうかが問われることになります。

アザレアのまち音楽祭は、寄付のカテゴリー分けから再出発しなければなりません。

企業カテゴリーにおいては、企業人の動向分析や経営姿勢により、各企業にメセナとして参加するベストなチャンスを提供しなければならないのです。企業が助成金を出す目標設定をし易くするプランを提示しなければなりません。その為には、まず、アザレアのまち音楽祭資金計画書を、詳細な内部資料用と助成金を得やすくした外部用の二つが必要です。特に外部用の計画書は、浄財を求めるためのパンフレットと考え、音楽祭の質の高さを表現しなくてはなりません。そして、洗練されたグラフィックや演奏写真等をふんだんに使い、アザレアのまち音楽祭のイメージを創りあげる情報を忘れてはなりません。そして、資金提供者の浄財がいかに有効に使われ、地域文化の育成に役立っているかを知らせ、感謝と敬意を払い、更なる支援継続の、或いは新規の支援をしたくなる意欲を勝ち取る努力が必要です。

アザレアのまち音楽祭では、コンサート・プレゼンター、協賛者と言う浄財提供者をボランティアと設定しています。ボランティアとは、「何らかの能力を持って、自発的に奉仕する」活動のことです。ですから、経済的な支援が出来ることも包括しています。音楽祭活動で一番問題になるのが財務の健全化です。したがって、企業者、一般市民に「アザレアのまち音楽祭のミッション」を理解していただき、共感を求め、資金と言う資源でボランティア参加を呼び掛けなければならないということです。ボランティアですから、喜んで支援していただかなければ意味がありません。「いやいや」していただく寄付ほど、受ける側の惨めさを増幅させるものはありません。個人への要請も、積極的な支援者は数多くあるものです。 大切なのが、「プレゼンターや協賛者が資金援助するボランティア活動に満足」していただく仕組みを作らねばなりません。そうする事が、やがて、支援者たる「寄付をして下さる方々」の「人生の生き方」を変えることが出来るかも知れません。最終的には、アメリカの様な寄付社会を構築し、ひとりでに寄付が集まってくる仕組みづくりが理想だと肝に銘じたいものです。そうなれば、寄付する行為が自らの自己実現となるのです。そんな意味でも、アザレアのまち音楽祭は、独自の信念に基づき、社会や人間を豊かにしていく力があるのです。

個人による助成カテゴリーについては、団塊世代以上の方からの助成申し込みが増えつつある現在、個人プレゼンターとしての意義を明確に示し、その行為が芸術文化を慧眼することであることを伝えなければなりません。小口寄付の協賛者に対しては、そのメリットを提示することです。

第三者への具体的な対応として、アザレアのまち音楽祭が、その持続性と創造性のバランスを巧くとる健全な財政運営を行い、芸術上の柔軟性とバランスをとっている組織であることを知らしめるのは当然の帰結です。

 

W アザレアのまち音楽祭マーケティング、三つの段階

W-1 顧客を見定める

これまでアザレアのまち音楽祭のマーケティングは、どちらかと言えば積極的ではありませんでした。方法論としては従来と同じですが、その方法を更に進化させねばならないと考えています。これまでは、サロン・コンサートの顧客誘導についても、漠然としたものであったとの反省があります。そこで、新しいアザレアのまち音楽祭の運営を、次のように考えています。

@セグメンテーションと言う考え方

 セグメンテーションとは、音楽祭の顧客を様々な要素で区分けし、それぞれに応じた対策を採ろうとするものです。邦楽を愛聴しても、ピアノ音楽は聴かないとか、声楽は好きだが器楽は聴かないなどという顧客の特徴を把握することから始めなければなりません。コンサートごとの顧客名簿を分析すれば、一目瞭然です。

Aターゲティングすること

 ターゲティングとは、特定の分野を戦略的に育成する事であり、狙うべきセグメントを選択し、顧客定着を図らねばなりません。

Bポジショニングする

 ポジショニングとは、アザレアのまち音楽祭のスタンスを固定する事であり、又はより適切な位置を探る事です。狙いを定めたターゲットに、アピールするよう組織と音楽祭プログラムを位置づける事です。

 アザレアのまち音楽祭25年の中で、様々なステップを体験してきましたが、現在は、個性化の時代に対応して、サロン中心の音楽祭と設定しています。そして、基本的に中高年の熟年層をセグメントし、ウィークデーの開演時間を1930分に設定し、料金を一定(子供や学生チケットの設定なし)にしています。そして、倉吉地区以外の出演者については、一晩のコンサートを一定のレベルで演奏し、聴衆に感動を提供できる力量の持ち主に限定しています。アマチュアの発表会的なコンサートは、無料公演とし、そのポジショニングを維持しています。

W-2 セグメンテーション

 この問題はアザレアのまち音楽祭の顧客をどう捉えるかが全てです。一人ひとりの趣味性は異なります。多くの異なる顧客に対処するに一つの固定した戦略では対応できません。アザレアのまち音楽祭のアンケート調査では、かなりの部分まで推測が可能です。顧客の関心事、コンサート習慣、普段のライフ・スタイル、そして性格、好み、音楽祭との関わりや行動など、コンサートの参加性とロイヤリティで判断できるものです。

 顧客がコンサート鑑賞で得られるメリットは、重要です。そのメリットの要因は、心理的や社会的な欲求の充足感です。そもそも一般的に言って、欲求を満たすものとは生理的なものであり、また社会的欲求として持つコミュニケーションや社会への所属意識、そして自尊心を得たいと言うものなのです。ですから、顧客に対しては、コンサートにおいて社会的なメッセージを伝える事です。そして、何よりも自尊心を得ていただくには、コンサート会場にお出でいただく「その場にいる」というスタンスの重要性を強調するよう設定しなければなりません。(依山楼岩崎三朝閣の御座所コンサート等)特別な意義のあるコンサート設定は、人目につく事であり、自分は特別だと感じられる指定席の提供などで対処できます。

 アザレアのまち音楽祭は、顧客の満足を満たす事で、ある種の安らぎを得ていただき、心の内の何かを動かして欲しいと願っています。芸術鑑賞体験の特性は、自己探求を可能にしていきます。鑑賞とは観察であり分析であるのですから、自己意識を高めるのは当然かも知れません。自己意識を高めると言う事は、結果的に自己実現を目指すような生き方がライフワークとして定着するのです。そして更に自己意識を高めるために美しい風景に尊厳を感じ、コンサートを聴くという体験に浸ることによって、私たちの生きる世界をより深く理解していくのだと思います。

 顧客のコンサート参加には、四つの段階があるといわれます。まず一番重要なのが、アザレアのまち音楽祭を知っていただいているかどうかと言う認識(awareness)です。そして音楽祭が提供するコンサートにどの程度の興味(interest)を持っているかであり、コンサートに行きたいという欲求(desire)をどう持ち、実際に行動(action)を起こさせて来場していただくかと言うものです。セグメンテーションの集約は、アザレアのまち音楽祭を知ってもらう事、コンサートに興味を持っていただくこと、そして潜在的な顧客にコンサートを聴きたいという欲求を高いレベルに変質させる工夫なのです。

W-3  ターゲティング

 アザレアのまち音楽祭が目標とする音楽市場をどう選択するかが、ターゲティングなのです。私たちは、より多くの市民の皆さんに支持を得たいとして、無限定なマーケティングであったと反省しています。顧客セグメントもせず、ましてやターゲットを絞り込むなど思いもよらないものでした。当初よりアザレアのまち音楽祭は、クラシカル音楽の祭典を目論んで、市民全てに愛好していただけるという幻想を持ち、無謀なプランだとも気付かなかったのです。クラシカル音楽の愛好者は、人口の0.5%だと言われます。もともと市場が小さいのです。

 鳥取県の人口比率から考えて、クラシカル・コンサートの動員率は、都市部と比べてかなり高いと言われていますが、アザレアのまち音楽祭の場合だけを考えても、動員率は9%弱もあります。結局、誰を「アザレアのまち音楽祭」の顧客にするかが問われるのです。現在は、既に熟年層をセグメントし、ターゲットを団塊世代に絞っています。そのニーズや興味・満足感を満たせるかが、今後の課題となっています。

W-4  ポジショニング

 ポジショニングは、アザレアのまち音楽祭のイメージやコンサート・プログラミングを、ターゲットとした顧客にアピールするためのスタンスを示す事です。アザレアのまち音楽祭では、地域に芸術家を遍在させたいとするミッションとして、「地域に優れた演奏家が存在」する事、コンサートという「生音の魅力」を、最も強くアピールし、その特徴を主張してきました。アザレアのまち音楽祭のスタンスとは、「他とは異なる」と言う事であり、「価値ある」鑑賞体験が出来るということであるのです。アザレアのまち音楽祭に出演していただく皆さんは、ルーティン・ワークにおちいった方はいません。地域在住の音楽家は、概してそのレベルが低いと言い切る傲慢な輩もいますが、地元演奏家がライフワークとする使命感を持ち、熱い演奏を繰り返している現実が知られていないだけです。たっぷり一年間の準備期間を費やし、アザレアのまち音楽祭という真剣勝負の場で演奏することは、演奏者にとっても聴衆にとっても「価値ある」ものなのです。アザレアのまち音楽祭のサロンの醍醐味は、とても近い距離で、豊かな響きの中で聴く気波動の快感なのです。コンサート経営の立場(より安い経費で、最大の利益を上げたい)から言えば、とてもペイ出来ない、一見無謀なアザレアのまち音楽祭スタイルのコンサートは、他とまったく異なり「差別化された特徴」を顧客に認識していただいています。つまり、私たちが考える「本来あるべき理想」的な状況を作り出しています。

 アザレアのまち音楽祭の他と異なる特徴とは、次のようなものです。

@フランチャイズした優れた演奏団体を毎年継続して出演していただき、その力量を高めている事です。特にアザレアのまち音楽祭を冠にした「アザレア室内オーケストラ」のハイレベル化は、最近とみに注目されています。アマ・プロ混成のこのオーケストラの名声は、指揮者のカリスマ性とともに、他県からの招聘委託演奏(「国民文化祭ふくい」にてオペラ公演に参加)など、スタンダードな評価を得ています。

 また「アザレア・ミュージックファクトリー」は、フルート、ヴァイオリン、ファゴット、ピアノの編成で、18世紀から19世紀にかけて家庭で音楽を楽しむための演奏スタイルを再現し、プライベート空間での楽しさをプログラミングしています。最近は、モーツァルトの交響曲をこのカルテット用に編曲し、楽しませて頂いています。正にミュージックファクトリーだと思います。その他にも、フランチャイズしているものに、アザレア弦楽四重奏団、アザレア・サロン・オペラなどがあります。

Aプログラムを多彩にしています。古典曲は勿論ですが、現代作品も必ずプログラミングしています。そして、出来るだけ聴いた事のない、今までアザレアのまち音楽祭では無名であった曲を取り上げていただくようにしています。

B地域在住の演奏家を花形になっていただくよう仕組んでいます。地元住民から敬愛され、ファンとして固定した観客層の形成が、既に幾人かの演奏家に出来ています。

Cメイン会場(倉吉未来中心)の良さは中国地区唯一のものだと自信を持っています。大ホールは、新しく出来たホールがその時代の最先端であるため、普遍的なものは得られにくいのですが、サロン・コンサートの会場(倉吉交流プラザ視聴覚ホール)の良さは、今後も変わらないでしょう。正方形で天井が高いホール(移動席150を収納し)の一角をステージ・エンドとし、その角に反射板を設置してフルコンのピアノを置き、客席を70席に制限した空間は、客席容量が16㎥の何とも豊かな響きを生み出しています。

Dアザレアのまち音楽祭の評判の良さとイメージのブランド化が進行しています。毎回のコンサート終了後には、聴衆からいただいたコメントを、ホームページに掲載しています。問題点の指摘やお褒めの言葉など様々ですが、音楽祭ディレクターがその対応コメントを掲載し、コンサートの質の問題について信頼を勝ち得ています。出演される演奏家たちにとっては、このコンサートに出演選択されることが喜びとなり、ライフワークの支えとなり、音楽祭の持つ「地元演奏家を支援」するとのイメージが高められています。

Eアザレアのまち音楽祭は、他団体との連携を喜びとしています。現在は、三朝町と北栄町との協働が進んでいます。

W-5 顧客との信頼関係を築く

 これら、三つの段階(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)は、究極的に顧客の利便性を高める事なのです。集約すれば、まず音楽祭の目標とする顧客群を選び、顧客が音楽祭で満足するための目標を選ぶのです。そして、顧客にとってアザレアのまち音楽祭が特別な場所、積極的な時間となるよう想定しなければならないと言う事です。現在は、50歳以上の熟年層をターゲットの中心とし、クラシック音楽に親しみ、楽しむこと。その為には親しみやすいプログラミングの工夫や、プレ・トークや事前解説などで、個々の必要に応じた対応が出来る工夫をすることを目指したいと考えています。コンサートに行くという経験の中に、その音楽や作曲家、演奏家たちとの幸せな出会いを設定しなければなりません。その為の情報提供は、HP等で対応し、再び聴きたい人のためと、コンサートを聴くチャンスを逃した人のために、CDライブラリーを公開(倉吉図書館と市内の茶房「混智恵流都」)しています。

 芸術鑑賞に積極的な時間を割いていただく顧客のニーズに、最高のソリューション(ニーズを満たす質の高いコンサートで解消する)を提供し、音楽祭を運営するスタッフは心からの敬意を持って接する事で、顧客の琴線に触れる事を目指さなくてはなりません。顧客のニーズは、ただただ音楽を純粋に楽しむことに尽きると思います。それに対応するには、提供するコンサートが演奏者自身の集中力の質を落とさない」ものであり、「芸術の質的水準」が担保されなければなりません。

 アザレアのまち音楽祭では、既に各種コンサート毎の顧客データー・ベースを所有しています。そして、ピアノ音楽、弦楽、声楽などの仕分けによる顧客群リストを作っています。顧客がどのようなコンサートに足を運んでいるかを集計する事で顧客の好みをつかんでいます。更に開催曜日によって、お出でいただける方などの分析が今後の課題になっています。顧客ターゲティングをする事で、お客様お一人お一人に、音楽祭事務局から直接接触して、コンサートに誘う事が出来ます。私たちは主催者から一般聴衆へ無限定にチケットを売る活動(vertical)に対して、顧客と水平に向き合うラテラル・マーケティング(lateral)を充実させたいと願っています。

 

X アザレアのまち音楽祭マーケティング計画

 

X- 卓越した成果をあげるマネジメントが必要

既に述べたとおり、「アザレアのまち音楽祭」の事業展開をするには、組織とマネジメントは不可欠です。特にNPO組織は、善意の個人が社会的貢献を図ろうと結集している組織です。アザレアのまち音楽祭組織の構成員は文化活動者(音楽関係)や専門家と言われる方々です。一番問題になるのは、専門家としての資質とマネジメントの能力とは別物であるとの認識が薄いことです。組織のトップは、マネジメントする事こそが仕事の中心なのです。言い古された事ですが、アザレアのまち音楽祭のマネジメントは、MOSTECフローで考えています。次の通りです。

Mission        使命………………地域文化の創造、まちづくり

Objective       目標………………地域に芸術家を遍在させること

Strategy       戦略………………目標を実現させるためのWhat to do.

Tactics         戦術………………             その方法論 How to do.

Execution      遂行………………方法論に則って実践すること

Control        評価………………このフローが適切に流れているかを管理する

 しかし、フローの運用に関しては、一般企業のような顧客ニーズからの出発する機能に固執せず、NPO独自の対応も必要となります。単に顧客志向で顧客満足を得ることのみに偏らず、クライアント(受益者)のニーズに応えられる「卓越した成果」を挙げなければ、マーケティングの意味はありません。

X-2 NPOのマーケティング

 私たちアザレアのまち音楽祭は、地域社会における人間の真の自由と社会の調和を得るためのミッションを表明し、「地域に芸術家を遍在させる」という目標を持っています。その目標達成に最も有効な事業形態として音楽祭を設定しています。音楽祭の顧客たる市民のニーズを見極め、音楽祭使命と合致するコンサート様式を作り出すことで新しい「価値」を創造しています。それはやがて、聴衆と演奏家の間に自発的なコミュニティを作り出します。

ここで重要なのは、幾ら市民に喜ばれ支持されても、その実態がミッションと乖離していては、何の成果にもなりません。飽くまで私たちは、音楽祭事業のミッションを実現させると言う信念を持って、人の生き方や社会のあり方を変革していくのだと言う気概がなくてはなりません。顧客たる市民のニーズに沿いながらミッションの実現を図る努力が必須となるのです。

X-3 NPOのマーケティングの特質

 マーケティング遂行していく中で、必要不可欠なのが「ボトム・ライン」の設定です。

ボトム・ラインとは、目標達成評価の基準値のことです。私たちは、時として利潤追求に走ってミッション達成目標を見失ったりします。アザレアのまち音楽祭も例外ではありませんでした。経営がトントンになると赤字不安が蔓延し、顧客満足としての対価を得たいと考えます。しかし、NPOにあっては、対価が得られないと考えるべきです。アザレアのまち音楽祭は、最初から純粋にコンサート提供の対価を得てきていません。ですから、その解決策を原資の提供者(プレゼンター等)に求めるのです。

しかし、明確に認識しなければならないことは、@顧客に対するNPO組織の次元とA原資の提供者に対するNPO組織の次元は異なると言う事です。この二重性を理解しておかないと、私たちは誤った方向に舵を切ってしまう危険があります。@の問題は、アザレアのまち音楽祭組織が、地域住民に対するサービスの提供者であり、その対価は感謝だと言う事です。Aの問題は、ミッション遂行に必要な原資を得る資金開発システムがアザレアのまち音楽祭組織ということになります。そして寄付者に要請し、その対応として寄付者の貢献行為が働くのです。

X-4 戦略

 アザレアのまち音楽祭事業が発展してきたのには、明確な原則がありました。その原則を定めるのが戦略なのです。アザレアのまち音楽祭の大原則は、次の通りです。

@演奏家に支払うギャラは、すべてプレゼンターに依存する。

Aコンサートは、有料の会場をなるべく使わない。

Bホール・コンサートは、音楽愛好者を啓発するものと考える。

Cサロン・コンサートは、顧客満足度の高い良質な演奏とする。

D決して赤字を出さない。

 この原則を貫くために、アザレアのまち音楽祭では大きな二つの車軸を設定しています。一つは、アザレアのまち音楽祭の事業ドメイン(領域)を、地域在住の演奏家によるものと定めています。更に、コンサート形式は、70席を基準としたサロンとしています。もう一つの車軸は、「アザレアのまち音楽祭」事業を、アマチュア音楽家の発表会ではなく、アマ・プロの範疇を超えた「卓越した」コンサートになるよう人選しています。卓越した音楽の提供は、演奏者自身が自らのテクニックを鍛えることであり、正に演奏者自身の集中力の質を落とさない」ことなのです。

 アザレアのまち音楽祭の二つの車軸によってエクセレンス(卓越した)な資源を求める差別化戦略を持っています。私たちの組織の強みは、ミッションに沿った組織形成の流れがあることと、顧客との一体感が得られやすいNPO組織であるということにつきます。

X-5 戦術

 アザレアのまち音楽祭におけるマーケティング戦術とは、音楽祭事業を理想的に実施するための具体的な手段の事です。その戦術展開には四つの要素が一般的に言われています。既に述べていますが四つPproductpriceplacepromotion)がバランスよくあることが肝心です。

 これまでのアザレアのまち音楽祭は、このバランス上で調和を取ってきましたが、これからは四つのCCustomercustomer CostConvenienceCommunication)を戦術の中心に据えたいと考えています。

X-6 財務

 アザレアのまち音楽祭の経営資源は、四つあります。「人」「物」「金」「情報」です。

 「人」とは人材の事です。各種文化活動団体から、実行委員とて参加していただいている方々であり、組織ミッションに賛同し意欲を持って活動参加していただいています。しかし、法人を動かしていく力量の有無を問われると悲観的にならざるを得ないのが現状です。財務諸表が理解できるほんの一握りの方による、実質的な運営では、未来はありません。運営に参加していただいている方々の学習以外に、好転させる手立てはないとの判断で、各種セミナーを開催し続けています。アザレアのまち音楽祭の財務がしっかりしていれば、ミッションの実現は大いなる可能性が膨らみます。しかし、その財務が十分条件ではありませんが必要条件であることを忘れてはなりません。

 毎年、音楽祭終了後、ミッション尺度を縦軸に、経済尺度を横軸としたマトリクス評価を行っています。ミッション尺度が高く経済尺度も高い場合がベストの評価となります。その逆もまた然りです。ミッション尺度が高く経済尺度が低い場合については、採算均衡の努力が必要となるのです。その逆は利益中心主義となり、NPO法人の理念から大きく外れる事になります。

 アザレアのまち音楽祭の全公演について、顧客評価、スタッフ評価をもとに個々のコンサート毎にマトリクス評価を行ない、その評価を元に次年度事業の戦略策定に役立てています。ミッション尺度が低いコンサートはほとんど見られませんが、例外がない訳ではありません。経済尺度の高いものが45%、低いものが35%、バランス位置にあるものが20%ですので、今後、努力が必要だと言う事になります。(アザレアのまち音楽祭2007年度統計)

X-7 寄付の要請

 アザレアのまち音楽祭の財務を健全化するには、企業や市民からの浄財を、満足感を持って寄付していただける仕組みづくりが必須です。その為には、音楽祭ミッションへの共感を求め、その意義ある事業に浄財という資源で参加をしていただくように呼び掛けています。寄付を懇願すると言うスタンスから、「地域に芸術家の遍在を目指す」ことや「まちづくり」というアザレアのまち音楽祭が持つ崇高なミッションへ参加するチャンスを提供していると言う認識に立っています。現状は、寄付者が「協力してあげる」との垂直志向から、「協力させていただく」というラテラル(水平)志向に変わりつつあります。その為に、次ぎのような対応をとっています。

@個人への要請

 現在個人協賛と言う寄付金支援者は150人程度ですが、将来的には倍増する必要があると認識しています。たとえ小口(一口5,000)でも安定した浄財なのです。現在は、まだミッションを共有する協賛と言うより、スタッフとのつながりで「お付き合い」協賛であったり、その特典(全公演無料のパスカードの取得)目当てだったりします。私たちはミッションを共有し、連帯できる潜在する協賛者を掘り起こさなければなりません。アザレアのまち音楽祭の素晴らしさと感動体験を伝える手立てと、アザレアのまち音楽祭ミッションの重要性は、きっと理解されるはずです。その努力こそが、寄付金の増額となり、ボランティア・スタッフへの参加につながり、コンサートへの伝道者となって積極的な支援が期待できるのです。

A寄付者に満足していただく

 ご寄付いただく時、アザレアのまち音楽祭の場合の呼称は、プレゼンターと協賛の二種類です。プレゼンターが大口寄付で協賛が小口と設定しています。そして、何れの皆さんにもアザレアのまち音楽祭組織のミッションに賛同していただき、一企業では出来ない、一個人では不可能な意義のある大きな活動に参加している実感をつかんでいただいています。その事が、篤志家の皆さんに満足感を抱いていただき、20年以上も継続して大口支援を続けている企業が現在の半数もあります。この実績を培うためには、二つの基本事項があります。

○ぶれないで継続するミッションを明確化し、それがどのような成果を挙げてきたかの検証と改善活動が全てです。

○ミッションの重要性の理解とその成果を、篤志家にフィードバックする仕組みを作らねばなりません。プレゼンターの資金助成が、正しい(美しい)成果を生んでいる事を、具体的な事実として篤志家に報告し、感謝の意を伝えなければなりません。アザレアのまち音楽祭では、プレゼンターとなっていただいたコンサートの記録CDを感謝状とともにお送りしています。何よりも大切な事は、アザレアのまち音楽祭という文化活動行動に信頼を寄せていただく友人作りが究極の願いです。アザレアのまち音楽祭という音楽の持つ温かいこころと、たおやかな社会を期待するそのミッションがつながり、篤志家の生き方まで変革したいものと願っています。結果的に篤志家の皆さんは、自己実現を具現される事になると思います。

B寄付者はパートナー

 これまでの文化活動における寄付要請は、アザレアのまち音楽祭を含めて懇願方式であったと認識しています。ですから、寄付集めの実践は、著しくモチベーションが下がり、屈辱感に苛まれると言ったものだったようです。これからのアザレアのまち音楽祭は、懇願方式を止め、寄付要請を私たちと同じ価値実現を図るためのパートナーシップであると理解していただかなければなりません。地域社会の芸術性の高揚は、美しくて豊かな時空間を作り出すものだと共有する価値を見出してくれます。そのために原資である浄財を、喜びをもって応答していただける関係を作りたいのです。

聴衆発掘のマーケティングと浄財拠出していただくためのマーケティングの二重性を、アザレアのまち音楽祭ミッションを核として結合し、強化されたミッションベイスト・マネジメント(組織の使命をどこにおき、その達成のために、サービスや人材をいかに配分していくか。マネジメントの全体像を作り上げる)を達成させたいと考えています。

X-8 マーケティングのプロセス

 アザレアのまち音楽祭では、顧客価値を見出すことを中心にマネジメントしている事は既に述べています。私たちは顧客価値理解し、それを定義し、実現させて、顧客にその価値を提供するのです。そしてその価値をお互いに伝達し合い、価値の維持に努めるのです。そのプロセスこそが大切であり、どの過程を見失っても顧客価値の形成は叶いません。

 顧客価値とは、音楽祭のコンサートに来た聴衆一人一人が感じた音楽鑑賞のメリットだと思います。私たちは、アザレアのまち音楽祭に何を求めて来場されているかの分析に取り掛かっています。現時点での結論を言えば、自分のお気に入りの音楽を「ただ楽しむ」だけだと言う事です。ピアノ・コンサートにお出でになるのは、ピアノそのものに興味があるのではなく、そこで演奏されるモーツァルトやショパンの音楽が聴きたいだけだというのが大半です。最近の顧客傾向には、地域在住演奏家に対するファン的な聴衆が増加し始めています。アザレアのまち音楽祭の初期段階では、音大を卒業したての娘さんを地域に紹介する披露宴コンサートの様相を呈した事もありますが、現在では皆無です。地域にとってまったく無名の演奏家のコンサートにも、アザレアのまち音楽祭ブランドを信頼して、お聴きくださる顧客が増えています。

 聴衆が音楽を鑑賞する場合、自分にとって望ましい経験となるか、満足感が得られる経験が出来るかを求めます。聴衆のセグメントによって異なりますが、その音楽の芸術性知性、感動、楽しみ、コンサートという社会的な経験を求めています。その要請に応えてコンサート・ビルドするのがディレクターの仕事だと認識しています。その為に、ディレクターは、芸術的真価を発揮する音楽祭プログラムをどう構築するのかが問われます。芸術性が高いからと言って聴衆の満足度が高くなるという類いのものではないのです。そこが大変悩ましい所でありますが、芸術性も顧客満足度も高いのが理想です。アザレアのまち音楽祭組織のミッション、組織の力量、その限界をどのように絡み合わせるか、地域のニーズと興味にどう対応するかなどを考慮し、やはり芸術性の追求とこれから私たちが創りあげる聴衆の満足度を、バランスよく求める事に尽きると感じています。

 元々芸術は、刺激的であり、挑発的なものです。聴衆に媚びるようなものではないのですが、娯楽性がない訳ではありません。これまで娯楽と芸術は別物との認識から、芸術は楽しめないもの、努力しなければ理解できないものとして、遠ざかる傾向があります。確かに、クラシック音楽を提供するアザレアのまち音楽祭は、芸術的視点に重点をおいています。そして、芸術愛好家の満足を得るためと、初めての聴衆の意欲を掻き立てるために、様々な挑戦をしてきました。そんな中で実感したのは、「芸術を愛好する聴衆は、芸術の娯楽性がとても高い事を知っている」と言う事でした。

X-9 アザレアのまち音楽祭の公演ということ

 アザレアのまち音楽祭でのコンサート公演は、地域在住演奏家と観客のコミュニケーションの場だと考えています。公演の芸術性を失わない限り、聴衆に感動を与えるチャンスは継続すると考えています。概述していますが、これまでは、アザレアのまち音楽祭運営組織としての視点でしか、ものを考えていなかったと反省しています。最近の顧客アンケートの意見集約の結果、顧客の観点やその他関連する活動からの視点でものを見ることによって、可能性が拡大する事を実感しています。

 とりあえず、当初は顧客の好奇心をそそる事、コンサートを芸術愛好のコミュニティにする事を通じて、顧客同志の交流の場として誘い合っていただく仕組みを作りたいと思います。クラシカル音楽の楽しみは、流行曲と違って奥が深い迷宮の楽園が待っていることです。アザレアのまち音楽祭は、音楽について楽しみながら、知らないうちに学んでいる状況を作り出したいものです。演奏家の皆さんには、曲を理解していただくための解説は止めて頂いています。曲の理解ではなく、音楽を楽しむ雰囲気を作り出すある種のエデュティメント(エディケーションとエンターテイメントの合成語で楽しみながら学ぶもの)だと考えています。

 アザレアのまち音楽祭に出演していただく演奏家の皆さんには、聴衆が本当に興味を持ってくれ、ワクワク感を喚起する明らかな芸術的意欲が伝わる演奏を目指していただいています。作曲家は、聴くものを魅了し、感動させ、時には慰め、心を夢中にし、生き方を刺激し困惑させ、想いを暖め、驚愕させるものです。それが、実際の演奏で表現できるかどうかが演奏家は問われます。その全てでなくても、演奏で何かを伝える事が素晴らしい演奏の条件です。アザレアのまち音楽祭は、実際の演奏でそれが伝えられると、聴衆のアンケートで高レベルの回答を得ています。

 アザレアのまち音楽祭のスタンスには、人々を音楽芸術の現場に誘う前に、音楽芸術を人々の生活する所に連れて行きたいとの願いもあります。アザレアのまち音楽祭システムの中に、今後はこちらから出向いて、音楽芸術が人々の生き方を変える事だってあることを示す活動をしなければなりません。

X-10 アザレアのまち音楽祭の場所ということ

 この場所とは会場のことであり、定員の事であり、チケット購入の利便性をも指します。この三つの意味は、@通常の公演場所Aホール以外で適した場所Bチケット販売の場所と言う事です。私たちの会場設定には哲学があります。

 サロン・コンサートは基本的にPAを全く使用しないでコンサートが成立する条件をクリアする会場設定をしています。その条件は響きが豊かで美しい事、そして利便性の確保です。

○サロン・コンサートの定員設定

  サロン会場の定員数の決定は、観客動員数と連動していません。70席限定は、常に大入り感を演出するためと、美しい音響効果を担保するためです。150席設置して、70人の聴衆では明らかに空席が多すぎます。空席が多すぎると聴衆は居心地の悪さを感じます。もっとも厄介な問題は、観客や演奏する方々の「音楽経験の質」に大きな影響を与えてしまうと言う事です。そうであれば最初から70席設定し満杯になったほうが、聴衆も演奏家も悪い気はしないはずです。予定された席に予定通りの聴衆が座り、一人でも想定を超えると補助席を出すと言う大入りの範疇になり、観客は華やぎ、感動的な気分さえ味わう事が出来るのです。(近年では平均でも70を大きく超えています)

X-11 チケット販売のこと

 アザレアのまち音楽祭では、前売りチケットの割引制度を採っていません。これは、当初からのスタンスです。従来のチケットは、コンサートという商品を事前に売り込む事を想定した4P(ProductPricePlacePromotion)の戦術です。そのプロモーションは、広報力の強さが決め手になりますが、事前に購入すれば1,500円で、当日売りは2,000円であり、500円もお得ですよ、との売り込みです。この考え方は、1,500円で6割入ればペイできるとの計算から算出されたものであり、当日、高くする根拠があるとすれば、想定数のチケットが売れなかった場合の補填の根拠でしかありません。想定数のチケットが売れてしまえば、当日券はむしろ割引するのが当然のはずです。前売りチケットより当日券が割高になるのは、日本独自の文化のようですが、アザレアのまち音楽祭は、当日お出でになったお客様に、罰金のような割り増し料金をいただくのは美しくないと考えています。

 アザレアのまち音楽祭のチケットには、四種類あります。

@一回券⇒どのコンサートにも一度通用するチケットです。700円。

A回数券⇒四回分のコンサート券が付いているチケットです。2,000円です。四枚で2,000円ですから、リピーターにとっては大変お得になります。

B単券⇒特定されたコンサートのみに有効なチケットです。700円ですが、他のコンサートには使えなくなりますので、お客様にとっては不利なチケットです。このチケットは、演奏者側の思惑で作られたものです。演奏者自身のコンサートにのみ限定して誘うためには、大変有効なものとなっています。

Cパスカード⇒全てのコンサートがフリーパスとなるチケットです。これは、販売していませんが、アザレアのまち音楽祭を支援するプレゼンターか、又は協賛者になっていただくと、支給されるものです。プレゼンターは高額ですが、協賛者になるためには、一口5,000円からの寄付でOKです。

 しかし、事前にチケットをどこで、どのように販売するかが今後の課題でもあります。先にも述べましたがアザレアのまち音楽祭は、無限定に使用できる回数券制度が好まれています。顧客は前もってコンサートを選択し、狙ったチケットを購入する必要がなく、常連客は回数券の利用率が高いようです。パスカードの取得は、顧客の貢献度感を高め、コンサートへの積極的な参加意欲やそのロイヤリティを高める事になっています。今後は、更に座席指定を一部導入することによって、ロイヤリティの高い顧客へのサービス向上を図りたいと思います。

X-12 アザレアのまち音楽祭のプロモーション

 地域住民たる観客とのコミュニケーションをいかに取るかがプロモーションの基本だと設定しています。音楽祭プロモーションたるコミュニケーションは、双方向と言うよりも、地域社会が私たちの発するメッセージをどのように受け取っていただけるかを主眼としています。ですから、むやみに情報を出し続けると言うより、音楽の楽しさや、コンサート空間の何ともいえない雰囲気の良さを、感じてもらうように心掛けています。

○近年は、全てのコンサート・ライブのCDを製作し、図書館やアザレアのまち音楽祭拠  点化サロンの喫茶店等に設置公開し、いつでも聴いていただけるようすることで、コミュニティ作りの一助にもなっています。

○また、パンフレットによるプロモーションも、アザレアのまち音楽祭独自の方法を取っ ています。毎年A5サイズ、50n、表紙のみカラーの美しいパンフレットを作り、事前に地域社会に配布しています。特に、音楽愛好家が集うホール・カウンター、図書館、喫茶店等にフリー冊子として置いています。昨年度より、その配布先を拡大し、観光センター、銀行、郵便局、役所関係、公民館など公の施設に置いています。更に有効なのが、病院の待合室、美容室、理髪店、レストラン、居酒屋、書店カウンター、楽器店、CDショップ、VTRレンタル・ショップ、プレイガイド、ガソリンスタンド、ホテル、旅館、スーパー、コンビニ等など考えられる限りに多様な場所に置き、聴衆を誘うための情報と説得力のある案内をしています。パンフレット作成のための指標は、次の通りです。

@アザレアのまち音楽祭のミッションを分かりやすく伝える。

Aアザレアのまち音楽祭の全容が一覧できるようにする。

B各コンサートの情報は出来るだけ詳細に具体的であること。

C演奏家のステージ写真を掲載すること

Dコンサートの誘いを、ミニ・コラムのスタイルで掲載すること。

E地域在住の画家や地元美術館(博物館)所蔵の作品紹介を掲載すること。

Fコンサートを楽しむためのミニ・ツアーを掲載すること。

以上です。この冊子製作は2001年度からスタートさせていますが、毎年増刷を繰り返すほどの評価をいただいています。この冊子を見れば、コンサート全ての情報が詳しく記載されていますが、更に詳細な情報を求められる人には、アザレアのまち音楽祭公式ホームページで対応しています。http://kura-azalea.hp.infoseek.co.jp/

○ホームページによるプロモーションは、現在もっとも力を入れているものです。詳細は、別項で紹介します。

  様々なコミュニケーションを試みながら、アザレアのまち音楽祭のミッションは地域住民に理解され、信頼感を勝ち得て来ています。しかし、サロン・コンサートは、これ以上聴衆が増えると、その卓越性が担保できなくなるというところまで、成果が最大化しています。地域住民の欲求とアザレアのまち音楽祭ミッションが一体化し、音楽祭の卓越性が認められ、ロイヤリティの高い顧客が固定してきている証ではないかと感じています。顧客の行動様式をアンケート等で分析してみると、アザレアのまち音楽祭がプロモーションした三つの要素が有効であったことが分かりました。つまり、顧客はコンサートに足を運ぶ要因は、ただ音楽を楽しむ事を求めているということだけです。その欲求に対応し、顧客の行動に影響を与える事が重要だと言う事です。

○つまり、情報をたっぷり伝達する事と、コンサートに行きたいと顧客自身が決心するよう促す説得が必要だったのです。そして、何よりも大切なのは、コンサートの楽しみを恒常化させ、無意識に鑑賞するという創造活動を日常化させるエデュティメント(楽しく学ぶ)教育が功を奏していたと思います。

○コンサートの基本的な情報といえば、まずプログラム、演奏曲の解説、そして出演者、そのプロフィールなどですが、聴衆にとって一番求めている情報は、音楽の楽しみ方なのです。特に、初めて生のクラシック音楽を聴く人は、その気波動の美しさだけでも感動してしまうものです。美しい俳優さんの顔を見ただけで感動するのに似ています。お芝居の中で、その俳優が演じる人生の葛藤が、観衆の感性に響き、心動かされる瞬間があれば、その人の人生は動く事になります。音楽の場合は、演劇と違ってかなり抽象的で、ロジックを好む聴衆には中々楽しめないものです。オペラであっても、その抽象性は変わりません。しかし、人間の本来持っている情感に訴える力は、音楽が一番です。ですから、訳が分からないがとても楽しいとか、何となく好きだという風に感じる事が大切になります。私たちは、物事を何でも理解しないと気がすまない性質を持っているようですが、音楽は理解ではなく「楽しむ事」、その楽しみ方の方法(ルール)を情報として発信しています

○楽しみ方を発信するとは、結論から言えば、顧客がコンサートに行きたいと思っていただくよう説得する事なのです。その方法はこれまで、広告、広報、対人販売、など、チケットを買っていただくよう顧客を説得するものでした。県内のクラシカル・コンサートで、満席を可能とする方法は、地方新聞で連日広告と広報によって、コンサートに行かないことが不自然であるかのような錯覚を覚えさせる説得を行うことです。このような方法が取れるのは、予算規模の大きい財団組織を持った組織か、広報の仕組みが自前である新聞社の営業部でしか行えないのです。問題なのは、素晴らしいコンサートだと煽って期待させてしまった観客が、宣伝されたような感動が得られない場合、観客は自分の感性が鈍いのか、自分にはそのコンサートを感受できない人間なのだと思わせてしまう危険性があるのです。少なくとも、そのような団体が催すコンサートは、質が低いはずはないのであり、楽しみ方が分からないまま、期待だけが膨らんでしまう弊害なのです。また、度を越して顧客の期待感を大袈裟に煽り過ぎ、内容が胡散臭くなってしまう事だってあります。

アザレアのまち音楽祭は、残念ながらそのような広告を新聞に出せるほど大きな予算を持っていません。私たちの広報は、聴衆がそのコンサートで感じそうな要点をまとめて、アピールする方法を取っています。つまり、その音楽はどのように演奏されるのか、その音楽を聴けば、どのように感じやすいか、そのコンサートは他のコンサートとどう違うのか、意外性のある楽しみ方を提案するのです。そして、コンサートで何を楽しもうとするのかを観客自身に決めていただけるように仕向けることを重要視しています。

○クラシカル音楽の理解は、そう容易い事ではありません。しかし、感覚的な楽しみと同時に時間をかけて学んでいただきたいと言う欲求は誰にもあります。音楽芸術を理解すると言う作業は、民主主義を理解するのに通じていると考えています。その関連に付いては、別の機会に回すとして、何れも膨大な情報を発信し、膨大な時間と努力がなければ、学べないのです。「学ぶ」の語意として、「真似ぶ」ことは、自分の考えてきた物事の意義や信念を変えなければならないほどの感動(じて心をかされてしまう)を得るということです。これまでクラシック音楽鑑賞の経験のない人には、自分の心や感じ方を動かされる事を嫌い、プロテクトする習性が多いものです。アザレアのまち音楽祭は、この教育という要素「楽しみながら学ぶ」ことに徹底しようとしています。

X-13 顧客とのコミュニケーション

 マーケティング活動には様々な要素があります。アザレアのまち音楽祭ではそれらを次のようにまとめています。不特定多数を相手とするものと、顧客と一対一の関係で捉える方法です。ポスター・チラシ等の広告、及び新聞広報は、不特定な方々に、音楽祭サイドの思惑を一方的に伝えるだけの事です。しかし、新聞報道は、確実な信頼性を持っているため、一般的な広報手段としては有効性が大だと思います。しかし、新聞は、事件性や斬新さがなければ、記事にしてくれません。新聞広告費をある程度負担することがない限り、恒久化しているアザレアのまち音楽祭は、取り合ってくれないのです。幸い、アザレアのまち音楽祭の仕組みは、セグメンテーションした顧客によって支えられているため、新聞広報への依存度は高くありません。

○一対一の関係

 音楽祭の啓蒙的な意義から、オープニング・コンサートの招待券を大量に発行したことがあります。この思惑は見事にはずれ、惨敗を経験しています。聴衆は、どんな価値観かわかりませんが、無料のものに価値を認めないようです。コンサートの内容は、大変レベルの高いものでありましたが、観客動員の増加は図れませんでした。

 ところが、ダイレクト・マーケティングの手法で、つまり一対一の関係として、貴方だけに向けられたメッセージを発信する事で、本当に聴きたいと思っている顧客を確実に囲い込む事に成功しています。つまり、これまでのアンケート集計のデーターの中から、セグメンテーションした顧客リストを、更にターゲティング作業を行う中でポジショニングして行き、必要とする方に必要とする情報を提供できるシステム化が出来ているからなのです。アザレアのまち音楽祭25年の顧客データーは、正に宝の山なのです。私たちの音楽祭組織は、他団体との連携で広報していますが、様々な芸術団体の境界に捉われない広報が、顧客を活性化させ、新しい観客の取り込みにも貢献しています。

○口コミ

 アザレアのまち音楽祭で最も重要視しているのが「口コミ」です。このバイラル・マーケティングといわれる方法は、社会を構成する過程と似て、顧客との一対一の関係が信頼感を増幅させ、音楽祭組織と対等な関係であることを確認し、組織がその顧客を重要視している事を知ってもらうのです。一対一で情報を受け取った顧客は、自分が組織と対等なマーケッターの立場である事を認識するのです。つまり、顧客にアザレアのまち音楽祭のメッセンジャーになっていただくのです。その権限を得た顧客は、自分を取り巻く人々の間で情報発信し、大きな影響を与える事になるのです。

 人間は、自分だけが知っている情報が大好きです。そして、誰かに話したくなるものです。この人間の特性を最大限利用するバイラル・マーケティングこそ、アザレアのまち音楽祭の真骨頂だと思います。アザレアのまち音楽祭のチケット販売は、企画実行委員、協力委員の対面販売が、売上の八割に達しています。実行委員や、協力委員が、「あのコンサートは凄い」とのメッセージを発することは、コンサートの信頼度となって広がり、「うわさ」を作ってくれます。このうわさは、友人関係や知り合い、地域社会で信用ある情報として受け入れていただけるのです。口コミする人が、具体的にその内容を熟知していなければ、それは浅薄な疑わしい情報となり、逆効果です。この「うわさ」を作る原点は、コンサートのレベルとその質が問われるのです。ですから、アザレアのまち音楽祭ではプレ・イベントとして、音楽の楽しみ方講座「アザレアのまち音楽祭はこんなに凄い!」と銘打った口コミのためのワークショップと体験会を行っています。その会では、記録CDを使って、今まで気がつかなかったコンサートの素晴らしさを、感覚的な反応として、体験していただくものです。その事によって、次回のコンサートへのワクワク感、期待感を上回る感動の歓びが潜んでいる事を体感していただくのです。これまでの音楽祭の経過の中で、その体験を得ている方のみが、役員を構成しているのです。そして、地域社会の中でアザレアのまち音楽祭のコンサートの良さを口コミで宣伝していただける方を、私たちはオピニオン(世論)・リーダーだと認識しています。この音楽祭の口コミを行なうことで、地域社会で信頼を得て尊敬される人物になるのか、集団の中で尊敬を集めているような方が口コミしていただくのか、その辺りは判然としませんが、とにかく影響力が強い事だけは事実のようです。顧客名簿の中に眠っているオピニオン・リーダーを発掘する事こそが、今後に期待される事だと思います。

○オピニオン・リーダー

 結論を言えば、多様な方法と多様な媒体を活用する総合マーケティングが必要なのです。アザレアのまち音楽祭では、寄付者であるプレゼンター、そしてロイヤリティの高い顧客でもある協賛者に、パンフレット配布を、一般配布より早く届ける事にしています。彼らは、アザレアのまち音楽祭が最も信頼し、敬愛するバイラル・マーケティング(お客様に口コミで宣伝してもらう戦略)の主であり、口コミの中心となるオピニオン・リーダーなのです。更に、これまでに蓄積された顧客リストをもとに、パンフレット郵送する計画を持っています。文化活動団体という枠の中では、マーケティングは経費として、削減の対象でしたが、私たちはマーケティングにかかるコストを投資だと考えています。四半世紀に及ぶアザレアのまち音楽祭の実績が、将来への投資を可能にしてきているのです。

 それはともかく、私たちは音楽祭のコンテンツを常に確認しながら、前進しています。「アザレアのまち音楽祭は常に質のいいコンサートとサービスを提供しているのか。」「コンサートとサービスは、常に斬新で際立っているか。」「提供するコンサートは、聴衆の生活を改善しているか。」これらの事を問い続けるのがマーケティングなのだと考えています。

 

Y 700円と言うコンサートの値段

Y-1 ローリスク、ハイリターン

 アザレアのまち音楽祭のお客様は、「どうしてこんなに安い値段でコンサートが出来るのですか」と再三質問をされる事があります。出演者が有名演奏家であろうが無名であろうが、コンサートを開催するに必要な経費は、そんなに違うものではありません。ホールの使用料、広報宣伝の経費は、大抵似たり寄ったりなものです。何が違うかと言えば、舞台づくりの経費です。つまり、演奏家のギャラが千差万別だと言う事です。かつてのアザレアのまち音楽祭(初期の段階)では、他地区の有名な音楽祭を模して、プロフェッショナルな演奏家を招聘していました。プロの室内オーケストラやオペラに至るものであり、料金設定に特別枠を設けて対応していました。人口5万の町で、コヴェントガーデン・オペラのガラコンサートを成功させるには、余りにもパイが小さ過ぎたのです。その結果は、見るも無残な大赤字であり、音楽祭の存亡が問われた程です。その反省から、音楽祭ミッションを考え直し、現在のミッション「地域に芸術家を遍在させる」の号令の元に、地域在住の優れた演奏家を掘り起こし、おこがましくも育て上げようとの思惑が、地域社会の様々な方々の賛同を得て「ローリスク、ハイリターン」の音楽祭システムが出来上がったのです。端的にいえば、赤字を決して出さない経営と、地域社会から敬愛されるコンサート群を成立させると言う事です。この仕組みが成立するには、三つの条件(優れた演奏家・ミッションを解するサポーターズパトローネ・訓練されたボランティアスタッフ)が必要ですが、それらがアザレアのまち音楽祭25年の歴史の中で培われていった事だけは確かなようです。

その条件の第一は、演奏家が、アザレアのまち音楽祭のミッションを理解してボランタラスな価値観をもって参加してくれるからです。常連音楽家の中には、倉吉市出身で京都市交響楽団在籍のホルン奏者O氏がいます。音楽祭が支払う交通費とギャランティは些細であり、伴奏者の旅費・宿泊費・謝礼は自腹を切っての参加です。ギャランティの高低ではない価値を、この音楽祭に認めてのご出演なのです。郷土出身のプロ演奏家は、案外いるものですが、1回だけの出演は協力してくれますが、常連として毎年出演してくれる方は稀です。しかし、アザレアのまち音楽祭の第一のミッションに該当する「地域在住の演奏家」の皆さんが、その意義を十分に理解し、積極的に出演してくれる事が、この音楽祭を盛り上げ、最大の成果を残す原動力となっています。しかし、問題がない訳ではありません。出演が常連化することで、モチベーションを高める方と、マンネリに陥る二極化が進んでしまいます。そのため、音楽祭企画書には次ぎのようなスタンスを示しています。

専門的なレベルとして演奏者自身の集中力の質を落とさない」こと。そして、芸術の質的水準を問い付け続けることです。自己研鑽しない音楽は、アザレアのまち音楽祭では提供しない、ということです。地域社会の中で、このスタンスを提示する事はかなり勇気のいる事です。しかし、現状は淘汰された演奏家が、地域の枠を超えて増加しているのです。

 第二は、アザレアのまち音楽祭のミッションを理解し、サポートすることに意義を見出している企業パトローネが存在する事です。最低限度必要な数のコンサート・プレゼンターが20年にも亘って継続支援している現実があることです。更に個人サポーターとして協賛する100名以上の方々も、継続が基本となっています。この個人協賛は、一般広報による募集ではなく、運営スタッフの面談依頼によるものがほとんどであり、地域コミュニティの協力理解が進んでいるものと感謝をしています。そして、この音楽祭の最大のパトローネは、会場提供(減免)してくれる行政と企業の存在です。

 第三は、訓練されたボランティア・スタッフの存在です。アザレアのまち音楽祭の運営組織は、当初、倉吉文化団体協議会に加入する舞台関係の活動団体が連合し、自分たちの活動発表を協働し、お互いが助け合おうとしたものです。一日に凡ての団体が集うガラコンサート様式の音楽祭であり、加入団体の代表者が集って企画実行委員会を構成していたのです。しかし、音楽祭がスタートして間もなくから現在の音楽祭スタイル(数週間開催)に衣替えし、加入団体のトップで構成するスタッフでは対処できなくなり、意欲のある方なら誰でも参加できるオープンな組織にしていきました。ところが数年前、安易な気持ちでボランティア参加する方と訓練されたボランティアの間に軋轢が生じた事があります。ボランティア活動が、善意の押し売りであってはならないとの問題がその要因だったのです。スタッフ同士の軋轢はモチベーションを低下させ、さらに観客の反発をも招く事体が起こったのです。そこで、アザレアのまち音楽祭のミッションを再認識しあいました。ボランティアであろうとプロフェッショナルの業務であろうと、スタッフとしての仕事は同じであり、音楽祭と言う社会的責任を果たすべきとの判断をしたのです。そのため、接客マニュアルをつくり、二時間のセミナーを5回繰り返すという長大な研修会を実施しました。その事が、結果的に様々な学習をするきっかけとなり、自己研鑽や毎回のコンサート直前に行うミニ・セミナーによって「訓練されたボランティア・スタッフ」の育成が功を奏したと考えています。

Y-2 700円は高いか、安いか?

 コンサートの値段はどのようにして決められるかとの問いが、組織の中でも議論されています。大きなプロモーターが開催するものであれば、ビジネスとして最終利益の最大化が出来れば大成功です。アザレアのまち音楽祭の場合は、最終利益が成功の基準ではありません。もし収益を考えるとすれば、その利益が、音楽祭ミッション達成のために、役立つ手段が増えるだけの事です。最も重要な事は、芸術的なビジョンが発揮できたか、より多くの観客に満足と充実した時間が提供できたかどうかです。てすから、自ずと価格の決め方は、独自の方法となっています。

ビジネスとしてのコンサートでは、それにかかる経費を予想される観客数で割り算して決めるのですが、その利益率をどのように設定するかで、チケット代金が決められます。アザレアのまち音楽祭はNPO組織が経営するものであり、歩留まり計算はするものの観客サイドの負担するコストを常に考えて来ました。

 観客にとってのコストとは、チケット代金だけのことではありません。会場に来ていただくためのコスト、それに付随する諸費用等を考慮すれば、リピーターとして観客を常習化するためには、チケット負担を最小限にすべきだと考えています。それを可能にしているのが、支出の低減化(諸経費の低額化)と収入の適正化(音楽祭開催に必要なだけの浄財)なのです。もし、このシステムがなかったとすれば、演奏家のギャラ+会場費+広報宣伝費+コンサート運営費=総経費は膨大になり、チケット料金はかなり高額になるでしょう。

Y-3 観客にとってのコスト

 観客にとってのコストには、チケット代金よりももっと重要な「鑑賞コスト」があるのです。つまり、精神的なコストです。コンサート慣れした愛好家であっても、当日のコンサート内容が自身にとって不案内であれば事前の準備もします。そして、そのコンサートが楽しめるか、同好の志がいるか、交通の便は、子供が預けられるかなどの問題です。

 アザレアのまち音楽祭の観客の多くは、コンサート価格に見合う内容であるかどうかはほとんど考えていないようです。それは700円と言う信じられない価格帯だからです。それよりもむしろ、午後7時30分からの一時間半の時間が、それに見合うだけのコンサート内容があるかどうかが、厳しく問われるのです。現代人のように時間に追われている人たちが、その「積極的な時間」をコンサート鑑賞に費やす事を選んでくれるかどうかが問題なのです。音楽愛好家は、価格の高低よりも「時間」が重要なのです。

 ブランド力の強いN響コンサートには、アザレアのまち音楽祭の10倍近い料金でも満足してチケットを購入する層がかなりあります。それは、過去の経験から、価格に見合った満足感が約束されていると思うからです。しかし、初めての観客は、過去の経験がないため、宣伝文句に頼って安い席を購入する事から始めます。アザレアのまち音楽祭は、一部の音楽愛好家をターゲットとするのではなく、「地域社会の芸術化」を目指していますから、様々な場合を想定しています。コンサートには行ってみたいが、料金が高すぎると感じる方々への障壁をなくすのが課題であり、コンサートにまったく興味を示さない方々については、値段の問題ではなく、音楽祭の存在意義の広報啓発が先だと思っています。

 アザレアのまち音楽祭への愛着を育てるには、まだまだ時間がかかると感じています。この25年間の成果として、毎回のサロンが満席になるよう安定した顧客が出来ただけです。これからは、新しい観客を求めて手ごろな値段設定を維持し、コンサート自体の雰囲気を柔軟にし、これまであまり興味を示さなかった観客の取り込みを、ある程度目指さなくてはならないと考えています。

Y-4 チケット代金の多様性

 昨年度より、一律であったコンサート・チケット代金を、2公演についてのみ高額設定を試みました。一つは、由緒ある会場でのコンサートです。もう一つはフランチャイズしたオペラ公演です。

@御座所コンサート「大西瑞香筝曲演奏会」です。このコンサートの会場は、三朝温泉のホテル「依山楼岩崎三朝閣」なのです。昭和天皇が全国行幸時の宿舎として建てられたものであり、三朝川を見下ろす山腹に、こじんまりとした佇まいの家屋です。現在は当時のまま保存されていますが、御座所との利用以外には使用されておらず、その特別な部屋でのコンサートなのです。この部屋に30人限定の観客を入れて、本来の姿で筝曲を楽しんでもらうと言う特別バージョンなのです。高額と言っても1,500円の入場料設定ですので、電話予約のみの申し込みに190人もの応募があり、抽選で対応させていただきました。

Aオペラ「アマールと夜の訪問者」です。このコンサートは鳥取オペラ協会の自主公演であり、基本料金は3,500円でしたが、親と子のためと銘打ち、親子券等の廉価設定もしていただきました。2008年度は、会場をサロンに移し「サロン・オペラ」を公演しました。

 2008年度からは、サロン・コンサートにディレクターズ・チョイス(10席程度)の指定席制度を導入して、多少高いがベストの席を事前に確保し提供する仕組みを導入します。

 運営組織内で、700円という価格はあまりにも安すぎるとの意見が多々あります。では、手ごろな値段として1,000にするのはどうかと具体的な提案もあります。しかし、観客にとって価格はあまり重要ではなく、コンサートで過ごす時間が充実していたかどうかがその価値判断となると言うことが分かってきました。コンサートに興味を持つ人は多少高くてもチケットを買います。ところが、聴きたいと思っても、連日のコンサートでは買えないという方の存在もあります。また、コンサートに興味を示さない人は、いくら料金を安く設定しても買ってくれない現実があります。固定された音楽愛好家だけをターゲットとするものであれば、価格設定は高くてもかまわないかもしれません。

 アザレアのまち音楽祭は、地域を音楽の楽園にしたいというミッションを掲げている以上、音楽芸術への愛着を育てなければなりません。この活動は気が遠くなるほど遠大な時間がかかるものです。新しい観客の掘り起しとは、これまで音楽鑑賞をしたことのない方々であり、手ごろなお試し価格と誰でもが取り付きやすい雰囲気を醸し出す必要があると考えています。アンケート調査によれば、アザレアのまち音楽祭のチケット購入を決める要因の第一は、聴きたいと思うコンサートへの興味関心です。そして、そのスケジュールが、自分の時間との調整が出来るかどうかであり、価格に関心が移るのは最後の段階です。チケット購入という鑑賞する決意を妨げるものがあるとすれば、それはコンサートに対する興味の有無だけなのだと言う事が分かります。

 価格設定で重要になるのが、チケット代金に似合った、又はそれ以上の価値を見出していただけるかどうかなのです。コンサート価格は、聴衆が感じる価値であり、過去に聴いた経験の中で培われた、期待との対峙から生まれるものです。ですから、経験豊富な愛好家には、チケットが安いと、コンサート価値も低いのではないかと判断してしまうのです。これまでも、中央までオーケストラ・コンサートを聴きに行く程のレベルの愛好家が、アザレアのまち音楽祭にはお出でにならない傾向がありました。それは、コンサートに行っても大した経験が得られないだろうと判断しているためです。最近は、多くの聴衆から、満足したとの声が澎湃と上がっています。その代表的な声は、「期待していなかったが、群を抜いている」「地元演奏家と思えない」「音楽が楽しめる」といった類いのものであり、価格から来る期待感を越えた価値を、見出していただいている証なのです。

Y-5 チケット価格の変動

 アザレアのまち音楽祭の企画には、三種類が包括されています。料金が低額に設定された「アザレアのまち音楽祭」本体と、料金設定が2,000円の「山陰の名手たちコンサート」「アザレアのまち音楽祭リサイタル・シリーズ」の特別公演です。これらの料金設定にはレベニュー・マネジメント(少しずつ価格設定を変える方法)の考え方を持って取り組んでいます。最近では、新国立劇場などが導入しているようですが、まだ日本では一般的ではないようです。また、その方法論だけを模倣した価格設定をしている組織もありますが、旧態全とした顧客囲い込みとしての機能しか期待していないのがその大半だと思います。

 コンサート・チケット価格を少しずつ変えるというシステムは、アザレアのまち音楽祭の初期段階から取り組んでいます。予想されるものや実際の需要と供給についての問題、事前に事業運営資金を得るために前売りチケットの販売促進の問題などから、TPOに関わって価格設定したりしています。

 アザレアのまち音楽祭本体のチケットに付いては、既に述べましたが、単一チケット700円ですが、4枚綴りの回数券は2,000円で発売しています。つまり、4回足を運んでいただければ800円お得というチケットです。逆にチケット代金が高くなる指定席制度もあります。ディレクターズ・チョイスした指定席は1,000円です。一回券や回数券は使用できないと言う差別性を出す事で、顧客にベストな環境と魅力的だと感じる場を提供するのです。

 「山陰の名手たちコンサート」や「アザレアのまち音楽祭リサイタル・シリーズ」は、音楽祭時期をずらしたシーズンに、特別なコンサートとして設定しています。「山陰の名手たちコンサート」は、山陰全域に遍在する推薦委員によって選抜された鳥取・島根両県に在住する演奏家が一堂に会するものであり、このコンサート以外では実現不可能なメンバーによるコンサートなのです。また、「アザレアのまち音楽祭リサイタル・シリーズ」は、山陰の名手たちコンサートの常連演奏家の中から、順次開催するものであり、聴衆の聴きたい演奏家として人気のある方が出演するものです。これらのチケット価格は2,000円です。高いものは高く、安いものは安くという割り切った設定は、まず価格ありきではなく、それだけの価値があるかを中心に考えています。ですから、「山陰の名手たちコンサート」や「アザレアのまち音楽祭リサイタル・シリーズ」は、滅多に得られないチャンスとして特別な経験を待望している方々の為であり、価格がネックになる顧客はお出でにならないようです。とは言うものの、リサイタル・シリーズに於いては、対象となる演奏家を地域に広め愛聴していただくため「CD○○○○ベスト・アルバム」を製作し、指定席券購入の方にプレゼントするなどのサービス向上に努めています。

 この考え方の基本は、幾度も申し上げますが、音楽鑑賞する顧客にとって最も重要なチケット価格を凌駕する新しい価値があるかどうかです。そこに集う聴衆が共に体験する音楽のワクワク感やこころが躍動する感動が得られるかなのです。アザレアのまち音楽祭本体の低価格設定は、音楽鑑賞に興味はあるが、料金が安くないと来られない方々を対象としているものです。初めての観客や、不定期ではあるが熱心な愛好家には、回数券を用意していますが、10回以上お出でいただく方に対しては、協賛制度をお勧めしています。つまり、音楽祭のサポーターとして5,000円以上の協賛金をご寄付いただくと、全公演に通用するパスカードを贈呈しています。毎年パスカードが170枚程度発行されますが、利用率は7〜8%です。

 チケット販売の項でも述べましたが、アザレアのまち音楽祭は前売り券の割引制度は取り入れていません。レベニュー・マネジメントの考え方からすると、当日になって余ったチケットは安くしてでも顧客に提供し、客席を埋めるのが常識だと思います。顧客満足感を醸成する要素に、会場を埋める聴衆がいると言う事があります。客席が埋まっていると言う事は、演奏者にとっても聴衆にとってもモチベーションが高まり良い結果をもたらすものです。ところが日本では、伝統的に前売りを買わせて、早い時期に顧客を確保したいと言う思いがあるようです。ですから、そのコンサートの評価に見合う料金設定は前売りチケット代金であり、当日来場する顧客は想定外となって当日売りチケットと称して追加料金を取るのです。これは明らかに、当日は来るなといっているようなものです。忙しい中で予定が取れず前売りチケットを買う決心のつかなかった者や、遠距離で前売りチケットを買う手立てがなかった人たちにとっては、当日努力を重ねてコンサートにたどり着いたとしても、不利な料金を要求されるなんて望ましい事ではありません。前売りチケットと当日チケットの料金差が一割程度であればまだ理解は得られそうですが、最近の設定は、二割は当然として三割近い差額を要求するコンサートも多々あります。こうなれば、当日になってからコンサートには来るなと言うものです。もし聴きたいのなら、前売りチケットを買っていなかった罪として三割高の料金を負担しろと言うものです。当日券でアップした料金を支払っても、その料金に見合う価値があるのかと言えば、何もないのです。あるのは、座席は選べない、他の観客には要求されなかった高い料金を支払いさせられたと言う屈辱感だけです。

 アザレアのまち音楽祭は、前売りはしますが、当日券も同じ料金設定です。当日、急に思いついて、お出でになったり、友人に誘われ、一緒に来てしまったと言う方々を大切にし、両手を差し出して迎え入れようとの思惑です。

 

Z アザレアのまち音楽祭の顧客開発

Z-1 顧客懇談会的な集会

アザレアのまち音楽祭は、この25年間の中で、かなり正確に顧客意識とその行動をつかんできました。それに基づいてマーケティング戦略を立てています。そして、毎年、いつものように原点に立ち返ろうとするスパイラルが働き、バランスの取れた運営が可能となっています。アザレアのまち音楽祭はクラシック音楽の祭典ですが、顧客の要請があるからといってロック音楽を起用し、大失敗した経験があります。観客のアンケート調査では、どうしても大衆受けする企画に陥りやすい問題が残ります。最大の脅威は、音楽祭のミッションが歪められてしまい、芸術的なミッションと音楽祭組織の健全な運営が阻害されそうになることです。

マーケティングとしてのアンケート調査にも、エデュメントの要素を取り入れたグループ調査としての小さなサロンの設定が必要です。これは、セグメンテーションと連動させるものであり、更に拡大したものとして顧客懇談会的な集会を設定する事も大切です。最終的には、組織スタッフが一対一の個別インタビューをする中でポジショニングは完了するものだと考えています。

Z-2 リピーターの育成

 アザレアのまち音楽祭の市場調査では、何を調査するのかの問題点を特定してから行います。アザレアのまち音楽祭の問題点は、クラシック音楽が生活にどの程度密着しているかであり、必要不可欠なものとして認識されているかどうかなのです。アンケート調査するということは、こちらの意図する方向に意識を誘うという目的が隠されています。その分析が重要であり、アンケート調査に回答しているうちに、意識下で音楽に興味がわき、聴きたいと言う潜在意識を植え付けることでもあるのです。その計画の策定が最も大切です。そしてデーターを収集し、分析し、結果をまとめて新しい提言を作り出すのです。その提言の実行が評価され、再び問題点が特定されると言うスパイラル思考を継続させています。

 アザレアのまち音楽祭では、顧客意識とその行動をかなり正確につかんでいると申しましたが、何に興味を持ち、お好みは何かをセグメントしていると言う事です。そのデーターに基づき、顧客をどのようにしたら鑑賞する気にすることが出来るか、顧客のリピーターを増やす方法、コンサート来場しにくい要因探しが今後の課題です。

 人口5万人の町で、一ヵ月半に27公演する音楽祭を考えると、主要な顧客層のリピーターとなる可能性と、その条件をクリアする価格設定は重要です。その対策を具体的な数値として図らねばならない段階です。

 また、27公演の中で、類似性と差異を明確にし、観客の動向を比較検討し、必要な場所に待望されるコンサートを設定すると言う事が今後の課題としています。

 

[ インターネットを使った広報のあり方

[-1 アザレアのまち音楽祭におけるウェブサイトの利点と可能性

 アザレアのまち音楽祭のホームページは、まだ地域に限定されたものとしてしか機能していないのが現実です。また、そのアクセス件数も決して多いとはいえない程度に留まっています。その要因は、アザレアのまち音楽祭の顧客セグメントが熟年層であることと、未だ知名度が低いためです。しかし、ウェブサイトのネットワーク接続が毎年増加し、70%を超えると言われる現在、若い世代で爆発的に広がっているこの現象は、間もなく世代を超えてオンラインで情報を得る時代が到来するものと考えられます。既に、日本人10人に一人が個人サイトを持つ時代になっていることを考えれば、必要不可欠なものだと思います。その利点を次ぎのように考えています。

@ダイレクトメールの利便性

印刷物による情報伝達のデメリットは、経費が高いということです。印刷費もさることながら送料の高騰化は、大きな負担を強いるものです。メルマガやウェブサイトを利用した情報発信は、印刷物の量を気にせず、より多くの情報を、顧客の求めに応じて選択供給できる利点を、最大限に生かして利用する事が可能です。印刷物広報に比べ、圧倒的にコスト削減が出来ることと、音楽祭情報の発信による観客動員の増加(アンケート調査では8%)が収益拡大の可能性を示唆し、広報費用対効果が高いことが分かっています。

Aウェブサイトのメリット

既に情報発信した物の更新も簡単であり、適時、アザレアのまち音楽祭ニュースやその情報を広めるには理想的なツールとなります。

BEメール通信の運用

アンケート調査では、必ずメール・アドレスを伺うようにしています。記載していただいた顧客には、メールマガジンをお届けし、特別な情報をお届けするなど、常連客としての位置づけをしています。音楽祭と個人的なコミュニケーションを可能とすることにより、ロイヤリティの高い顧客創造に貢献できるものです。更にウェブサイトやEメール・マーケティング等の運用で、新しい観客を開拓することによって顧客との交流改善が出来ると考えています。しかし、現段階では、そのシェアが低いのが問題です。

B地元や全国に向けての発信

アザレアのまち音楽祭のホームページは、2004年に開設しましたが、ごく一部ではありますが、全国からの問合わせも増えています。昨年も、ホームページを見ての問合わせが事務局にあり、会場への道筋を聞かれたのです。丁重に、最寄の倉吉駅から道順を説明するのですが、どうも話がかみ合いません。すると「倉吉駅って何区にありますか?」と問われ、電話の先が東京だと分かり、お互いがびっくりしあったものです。たまたまアザレアのまち音楽祭がヒットして、サイトを開いてみたら凄いことをやっている音楽祭だと興味がわいたとの事だったのです。既に認知度を高める事にウェブサイトは貢献し始めています。

Cサイト上での特典

インターネットの情報検索は、21時〜2時の間が最も多いと言われます。その時間帯にサイト・アタックする顧客のために、最新情報を更新したり、指定席チケット購入やさまざまな特典情報を提供することで成果が上がるものと考えます。サイト上には、現在、会場案内地図を載せていますが、交通手段や駐車場、レストランの情報など、さらに詳細なデーター発信をする必要があると準備しています。また、最も必要なのは、鑑賞の予定(鑑賞ツアー的な)を立てるのに役立つ情報を発信する事だと思います。幾つかのプラン設定は魅力的にしなくてはなりません。

(A)ミニ旅行の提案⇒県内外の他市町村からの来客のために、近在の温泉と連携したパック旅行のコーディネイトをする事です。近郊の温泉との提携で、割引制度を導入するなどアザレアのまち音楽祭ならではのサービスが大切であり、NPO法人アザレア文化フォーラムの事業として、将来的には鑑賞ツアーの設定と営業を可能にしたいと考えています。

(B)日帰りコンサート・プランの提案⇒アザレアのまち音楽祭の顧客分布(2007年度)は、倉吉市が48%であり、52%は外部からの観客です。その内、会場まで一時間以上かかる市町村からの顧客は、17%もあるのです。これらの方々は、自宅で食事を済ませてお出でになる方は皆無であり、早めに出かけて食事したり、コンサートの後に食事するというスタイルのようです。そこで、時間にゆとりのある方々を対象にしたコンサート鑑賞プランを提案し、街の賑わいを促すことも出来ます。美術館(市内の画廊含)との連動、街並み散策(土蔵群と赤瓦等)や名物レストラン・喫茶店を組み合わせた提案など。倉吉地区は「湯の花温泉郷」の中心であり、それらの温泉と連携した特定サービスの模索は、今後の課題だと考えています。

Dウェブサイトをアザレアのまち音楽祭の窓口に

アザレアのまち音楽祭に関する問合わせや、意見要望などを、ウェブサイトで受け付け出来る仕組みを作ることによって、顧客との連帯が得やすいものと考えます。2006年度には、サイト上で接客態度に付いて論争が起きました。それは、ボランティアであろうとコンサートの主催側に立って受付業務をやる以上、プロとしての接客術を身に付けるべきだと聴衆からの主張だったのです。この論争を千載一隅のチャンスと捉え、顧客要望にどう応えるかを真剣に考えたのです。そして、音楽祭スタッフとして参加されるボランティアの皆さんに、接客マニュアルの学習をしていただく仕組みを提案できたのです。この提案は、聴衆の支持を得るに、最もタイミングの良いものとなりました。面談での議論がし難い現状の中で、顧客が面と向かって言いにくい苦情の収集が容易に出来ることになりました。顧客からのクレームは、音楽祭運営にとって宝の山です。クレームに真摯に対応する事で、クレーマーはロイヤリティの高い顧客に変貌するものです。私たちは、顧客の満足度を高める事こそ音楽祭の命であると認識しています。

[-2 アザレアのまち音楽祭のウェブサイトのあり方

 現在のアザレアのまち音楽祭のウェブサイトは、過渡期にあります。インターネットを活用する意義を深く考えず、他もやっているからうちの音楽祭でもやろうという程度の発想だったのです。ところが、ウェブサイトには、双方向の情報交換が可能であり、紙情報に依存していたような一方的な情報提供では、顧客の支持が得られないことが徐々に判明し、その意義をじっくり考え、改善を繰り返す中で様々な要素が実感として分かってきました。そして、掲載すべき事柄は、アザレアのまち音楽祭全ての情報を、より詳細に記述し、サイト独自の情報を発信する事が大切だと知ったのです。具体的には、次のように考えています。

@アザレアのまち音楽祭組織の使命・歴史・アーチストやスタッフ、スケジュール、問合せ先、公演場所、地区、道案内、駐車場、協賛団体等の基本データーを掲載する事。その為には、掲載事項を整理し、分りやすい表示を工夫しています。

Aその他、コンサートに関する情報も、出来るだけ詳細に掲載しています。しかし、今後必要だと考えているものは、各公演に対する批評、上演時の写真、演奏された作品や出演者の様子を伝える記事。更に、アーチストへのインタビューや芸術に関係する話やクイズ的な情報など、エンターテイメント性のあるものも必要だと思います。音楽祭が始まると毎回、ディレクターのコメントを掲載しています。また、専門的なコメントや外部評価を毎日、或いは毎週掲載することも検討しています。上演する作品に関する情報を、書籍・CD・DVDなどの購入するためのサイトを紹介することもサービスに欠かせないと考えます。要は、パンフレットやチラシよりも、もっと詳細な情報がサイトには必要だということです。「ディレクターの部屋」のサイトでは、個人的で演奏にかかわり深い経験を、より早く、より簡単に提供する事も考慮中です。

Bウェブサイトのデザインは、出来るだけ簡単にすることが重要です。

  一時期、フラッシュやショックウエブのような機能に頼って、ホームデザインしたことがあります。しかし、注目はされても情報が伝わりにくいということが判明し、単純化しています。重要な事は、サイトアクセスし易くする事なのです。探している情報がすぐ見つかるようにデザインしなくてはなりません。簡単明瞭に情報が手に入るような仕組みを仕込む事や一度、サイトにアクセスしたら、その魅力で閲覧し続けさせる仕組みを作らねばなりません。飽きさせない工夫とは、興味関心を引き続けさせることであり並大抵の事ではありません。まず、サイトへのリピーターを増やす工夫として、毎日内容を更新することにより、サイトをいつも新鮮に保つ事だと分かっています。そうなれば、頻繁にアクセスしてくれるようになります。そのためにも多様性のあるサイトに、しなくてはならないと努力しています。

Cオンライン上でアザレアのまち音楽祭に、誘うための教育の可能性を追求する事も必要です。そのスタイルは、「音楽の楽しみ方講座」にミニ・コラムを継続して掲載する事であり、作品や出演者の経歴、プログラムノートと言った、踏み込んだ情報の提供は必須であると思います。また、そのような情報(プログラムノート等)を、ロイヤリティの高い顧客にメール送信することも有効です。そのためには、メール送信の計画が必要であり、戦略的なアイデアと独創的なプランを用意しなくてはなりません。より詳しい情報を貴方だけに届けるという価値の提供は、受信者に自分は特別だと感じさせるものであり、一つのメールによって、顧客に何か特別な価値を伝える事になるのです。

 

\ アザレアのまち音楽祭のブランド化

 アザレアのまち音楽祭のマーケティング機能は、最終的にそのブランドに力が有るかどうかが問題になります。そこそこの評価しか得られなければ、ローカルな評価に留まるでしょう。高い評価を望むとしても、一体どんな評価を得ようとしているのかが問題となります。

NHK交響楽団のブランド力は、全国的に浸透していますが、私の町での公演ではルーティン・ワーク的な演奏しか聴かしていただけない不幸があります。それでも、N響のブランド力は強く、五万人の地方都市で1500席のホールを満員にします。N響の室内オーケストラとか、N響の管楽五重奏団と銘打てば、聴衆は有り難がって集まります。ところが近年、サイトウ・キネン・オーケストラが凄いと評判になると、N響のブランド力は弱まり、定期会員が減少しているとの事です。もちろんオーケストラの技術的レベルは、世界的に見ても一流である事は変わりませんが、聴衆を惹き付ける特別な力が無くてはなりません。サイトウ・キネン・オーケストラには、「世界のオザワ」がついています。そして、その音楽祭では、シンフォニー公演とオペラ公演を柱としています。カラヤンがいみじくも言った「オペラとシンフォニーは、オーケストラの車の両輪」が実践されているのです。一年に一度、二週間の間だけ世界各地から集まった演奏家が、集中して演奏するアンサンブルより、毎日毎日同じメンバーで演奏するN響の方がアンサンブルは良い筈です。しかし、聴衆は、N響ではなく、サイトウ・キネン・オーケストラに熱狂するのです。これもブランド力の差異がもたらすものです。

私たちのアザレアのまち音楽祭は、どのようにひいき目に見ても、プロ集団の行なう音楽祭には技術的には敵わないと思います。しかし、技術的な演奏力という視点から、「音楽する」という事に視点を変えると、対等になります。音楽するとは音楽を創る事であり、その音楽の質が問われれば、一概に決め付ける事の出来ない微妙な問題に行き当たります。そこが、アザレアのまち音楽祭のねらい目であり、存在理由でも有ります。私たちと共に、地方に在住し、同じ空間で、生きていく仲間として認識される芸術家の演奏を、共に生きる者の訴えとして聴取する事に意義があるのです。この視点では、演奏力が超一流である必要はなくなります。なぜなら、700円のコンサート・チケットを買うのに、一万円は不要だという事です。

そうは言っても、アザレアのまち音楽祭を偉大なブランドに育て上げたいと考えています。アザレアのまち音楽祭が偉大なブランドになるためには、コンサートの質とレベルがどうしても必要です。アザレアのまち音楽祭のブランドを強固なものにするためには、地域在住演奏家の演奏力向上が必須でしょう。言い換えれば、演奏力が毎年向上するスパイラルに組み込まれているかどうかが問われるのです。顧客の無いものねだりは別として、期待される音楽的なレベルと個性、そしてコンサート・サービスを充実させる事がブランドを創るのです。ブランドとは、音楽祭組織と顧客(消費者)の信頼関係の象徴なのです。そんな意味では、アザレアのまち音楽祭ブランドは、この25年間の実践で、体現してきていると自負しています。

(1)アザレアのまち音楽祭のブランド力

 アザレアのまち音楽祭のブランド力とは、聴衆の意思に影響を与えるもので無ければならないと考えています。聴衆の心理に働きかける力が必要なのです。その力は、潜在意識の中に眠る一流好みや権威に対する妄信を打ち砕き、自己の主体性を強く意識させるものなのです。主体性とは、社会が与えてくれた地位やその見識が敬愛されているという自己愛を捨てる事です。アザレアのまち音楽祭のミッションは、聴衆と演奏家が対等な関係だという認識であり、お互いがその個性の違いを容認し合い、敬愛し合うコミュニティを作ることなのです。この信念をはっきりと持ち、自分自身がアザレアのまち音楽祭を通じて確認する事こそが、ブランドとして確立されるものと思います。つまり、聴衆の意識や価値観を変える事なのです。そして、生活の中での音楽観、その他の認識、ご自分の意見に影響を与え、行動さえも左右させてしまう事なのです。アザレアのまち音楽祭に参加していただくのは、音楽の溢れる中で人生を経験して欲しいのです。音楽家が聴衆と一つになり、緊迫感のあるコミュニケーションによって、芸術は普段の生活と一体になるのです。アザレアのまち音楽祭は、最も深遠な喜びや最も深い悲しみにも対峙できる力を持っています。その同質化の共感は、私たちの人生に無くてはならない何かを、計り知れない価値を発見させてくれるでしょう。これこそが、アザレアのまち音楽祭のブランドだと考えています。

(2)アザレアのまち音楽祭のブランド力を支えるもの

 抽象的なイメージでしかないアザレアのまち音楽祭ブランドは、より具体性のあるイメージを作らねばなりません。独創性に優れているか音楽祭に活力があるかが問われるのです。私たちは、総体的な目標として、音楽祭に登場するオーケストラ、オペラ、室内楽、各種ソリストが優れている事が必須だと考えています。これまで、アンケート調査では、期待と現実との乖離が指摘されてきました。それは、主にディレクターのコンサート案内文によって得られた期待の大きさと、現実との差異です。しかし、この辺りの問題は、大変悩ましいものです。誤解を招くコミュニケーションは、結局、失望を招き、ごまかされたと感じさせてしまうものなのです。その解決方法は、聴衆からの信頼を得るには、やはり率直であることです。聴衆の感情に訴えかけることでしか解決しないようです。

 アザレアのまち音楽祭のブランド力は、演奏者達が持つスキル・レベルの問題ではなく、高い志の有無だという事を示さなければなりません。この音楽祭に参加するという喜びを、この音楽祭を聴いたという喜びを打ち出さなければなりません。それは、アザレアのまち音楽祭の期間を、市民の皆さんに特別な日々だと、感じていただく事です。特別な日々とは、音楽芸術が自分たちのためにあると感じてもらう事につきます。そうなるためには、アザレアのまち音楽祭に寄せられた言葉の数々を整理し、分析し、討論しなくてはなりません。音楽祭スタッフが、それらをどのように分析し、討論し、何を見つけ出すかが、今後のアザレアのまち音楽祭を占う事になると思います。そのキーワードは次の通りです。

・わくわくする⇔威嚇されるように感じる

・さわやか⇔気取っている

・新鮮⇔難しそう

・親密で個人的⇔よそよそしい

・興味をそそる⇔馬鹿げている

・独創的⇔エリート主義

・スリルがある⇔奇をてらっている

・刺激的⇔挑発的

・メロディが美しい⇔年寄り向け

・音楽的⇔人間味が無い

・ドラマチック⇔演劇的

・華麗⇔視覚的な刺激

・ユーモアがある⇔未熟なだけ

・演奏が予測できない⇔予測できる

・大胆⇔安心できる

・ユニークなレパートリー⇔良く知った曲ばかりで平凡

・馴染みの無い演奏者⇔有名な演奏家を聴きたい

・料金が安い⇔一流は料金が高いがそれだけの価値がある

等などです。この問題は、今後の課題としてじっくりと検討したいと思います。

 

I 顧客ロイヤリティを創る

 私たちは、サロンと言う空間で、身近に音楽を聴きながら、最高の音楽体験をしていただきたいと考えています。巧い下手の価値判断ではなく、音楽の志が存在するか否かを問い続けてきているのです。そして、本物の音楽が、ワクワクするように、うっとりするような最高の状況の中で、演奏が繰り広げられています。この体験をするとリピーターが増殖し、様々に異なった音楽スタイルを愛好し始め、繰り返しコンサートを楽しめるようになるのです。そして愛聴する音楽のレパートリーが広がっていくのです。私たちアザレアのまち音楽祭は、そのような方を「価値ある顧客」と呼んでいます。

(1)顧客を作る

 アザレアのまち音楽祭の、顧客争奪戦の競争相手とは何かを、明確につかまなければなりません。セグメントしたクラシカル音楽愛好家の中でも、更に特別な顧客を創りあげることが望まれています。それは、顧客に特別な時間を感じてもらう事であり、アザレアのまち音楽祭の期間が特別な日となるよう、様々なお祝いを提供する事です。つまり、顧客に特別な日を、コンサート鑑賞で祝っていただける状況を作り出すのです。それは、お祝いのためにメリットやサプライズを提供する事に尽きます。顧客ロイヤリティとは、最終的に個人プレゼンターになっていただくのが、その狙いです。「貴方の記念日を、音楽祭サポートで祝いましょう」との呼びかけで、企業プレゼンタートと対等なサポート支援をしていただき、コンサートの冠に記念日のロゴをつけたり、該当コンサートの記録CDをプレゼントするなど、時を越えた価値を顧客に提供しているのです。そうする事で音楽それ自体も特別な意味を持って顧客の記憶に残るのです。音楽鑑賞を音楽祭と言う中で、特別な時間として体験する事で、顧客は音楽を自分たちのものだと喜びを持って感じるのです。音楽は、私たちの日常にインスピレーションを誘い創造力を刺激し、意識する世界を広げていき、音楽が私たちのものになる瞬間を知る事になるのです。

(2)音楽祭の聴衆を広げる

 音楽祭の鑑賞頻度を上げることが、まず望まれます。既に述べましたが、認識・興味・欲求・行動の要件が喚起させることが総てです。内容がよく分からなければ、コンサートに行きたいとは思わないものです。内容が分かっても、それに興味が持てなければ積極的にコンサートに行きたいとは思わないでしょう。私たちのアザレアのまち音楽祭は、既にセグメントされた顧客があり、認識と興味は持っているのです。その方々がリピーターとして二度以上の参加は、僅か15%です。85%の方々に、欲求と行動を促し、リピーターとなっていただくことが、現在最も求められることです。クラシカル音楽の愛好家をこれ以上拡大させるには、文化としてのクラシック音楽を生活習慣に定着させなければなりません。しかし、その限界は、無い様でいて厳然と存在する事を、アザレアのまち音楽祭25年の経験から学んできています。従って、新しい顧客開拓と平行してリピーターを増やす活動が今最も必要だと感じています。因みに顧客リピート調査では、次のようなデーターが示されました。アザレアのまち音楽祭27公演に、何度聴いていただいたかの調査です。

一回のみ参加⇒85%

2回の参加⇒8%

3回の参加⇒3.5%

4回〜9回⇒2.3%

11回の参加⇒1.2%

この調査で明らかになったことは、リピーターの可能性が高いと言う事です。そのリピーター(聴衆)の輪を拡大するには、次に示す四点の行動が必須となります。

@回数券による割引制度⇒アンケート調査によると、最も多いいコンサート・リピーターは、11回であり1.2%もあることに注目しています。これらの方は、音楽祭サポートたる協賛会員になってのパスカード使用や回数券購入者です。今後の対応としては、年度を越えた「チケット・マイレージ・サービス」を検討する予定です。

Aオーディエンス・ビルダー⇒聴衆個別の好みの把握し、コンサート案内を戦略的にすることです。アンケート資料では、全体の15%しか複数回のデーターしか得られませんが、アンケートコメントの分析で、ある程度の鑑賞嗜好別顧客名簿の構築は可能です。

B電話対応⇒年間を通じて定期的に顧客へのアタックをする事です。その方法として、電話対応を試みています。

Cツアーとの連携⇒コンサートを楽しむ事にプラスアルファする要素を組み込んだツアーの提案は、今後の課題です。美術鑑賞とセットしたコンサート例は、倉吉博物館やみささ美術館で行っていますが、倉吉の街並み散策を包括した鑑賞ツァーの提案が必要だと考えています。かつて旅行中にアザレアのまち音楽祭を体験し、その後、倉吉に移住して来たという方があります。現在、地方新聞の投稿欄に載せられた手記や、音楽祭スタッフにコメントいただいた二件のみですが、大変ありがたい事であり、音楽祭継続に大いなる責任を感じるものです。

 この四つの対応は、ある程度の成果をあげていますが、誠実で着実の実践を続けることでのみ顧客の信頼を勝ち得ると努力を続けています。

(3)鑑賞経験を豊かにする

 アザレアのまち音楽祭の顧客数は、安定しています。また、顧客レディネス(教育準備性)も一定のレベルを有しており、聴衆がコンサートの質を創っている実態があります。その要因はセグメントされた顧客だからこそ可能なのですが、音楽祭運営の基本としているリレーションシップ(顧客との良好な関係づくり)の考え方が、反映しているものだと考えます。顧客をアザレアのまち音楽祭に惹きつけ、つなぎとめ、喜びを提供するために、私たちは音楽祭で顧客が体験する総ての中に蜜を忍び込ませています。(詳細は別項の「接客マニュアル・テキスト参照」)つまり、コンサートを体験する総ての経験が、顧客総体であるという認識をしているのです。その蜜とは、顧客と知り合い、親しくなり、年間を通じて接触を続けることであり、そのニーズを察知し、先取りした提案をしていくことで信頼感を得ることに尽きるのです。それはやがて、顧客の高い評価を得ることであり、音楽祭の評判を高めることになります。

  鑑賞経験の豊かさは、自分の経験を何かに活かしたいと考えるものです。そして、自分の仲間に影響を与え、共に活動する支配権を手にするのです。そこに、鑑賞経験の豊かさが反映され満足感を得ていきます。やがて口コミが始まり、聴衆が拡大し、満足感を満たすロイヤリティの高い顧客が増殖し、鑑賞頻度が高まっていくのです。現在、私たちは、アンケートと言う手段で、出演者選択の提案をいただいていますが、今後は顧客を、コンサート・マーケティング経験の協同製作者として音楽祭に関与していただく仕組み作りをしたいと思っています。それは、今まで顧客からいただいて来た支援、友情、ロイヤリティ、敬愛にお応えし、音楽祭サイドから顧客に、同じものをお返しする必要があります。このリレーションシップが実現すれば、音楽祭ミッションは大きく羽ばたく事になります。

(4)顧客の満足度を高める

 @聴衆の場合

顧客が経験するコンサートとは、コンサートを意識した時に始まるものです。ポスターを見たりパンフレットを読んだりした潜在的な顧客が、音楽祭の存在を認識し、その内容に興味を持った時に総ては始まるのです。それらの人達は、自分は特別で、個人的な何らかのサービスを期待しているものです。常に自分は洗練されたセンスを持っていると自負し、それに相応しい対応を求めています。私たちは、一般的という対応ではなく、柔軟で独創的な対応をしています。それは、ウェブサイトやEメール、メルマガ、DMに始まり、チケット販売、コンサート会場の案内など、顧客と接する総てのチャンネルで満足度を高める努力をしています。顧客との間には、様々なトラブルのタネが潜んでいます。私たちアザレアのまち音楽祭スタッフは、たとえ不幸な出来事があったとしても、それを忠実で尊敬に値する顧客にメタモルフォーゼ(変身)する術を持っています。

 マーケティングの大原則は、「クレーマーは、ロイヤリティの高い顧客になる」と言う事を、25年の経験から学んでいます。例えば、不快な経験をした顧客が、その問題を解決した場合は、不快な経験をしたことのない人よりも、深い満足感を味わうと言われます。そんな体験の積み重ねが、スタッフのスキルを上げて顧客の不満を満足に変え、顧客は音楽の楽しみを益々深める錬金術を手に入れて行くのです。

  アザレアのまち音楽祭(クラシカル音楽)定量的な顧客数は、既に飽和状態であると考えるのが一般的です。ですから、新規に顧客を獲得するのは並大抵の事ではないのです。一過性のイベントで、人を集める方法はいくらでもあります。アザレアのまち音楽祭のように、25年に亘って安定した顧客数を確保するには、現在の顧客とのリレーションシップを育てる以外に無いと考えています。新規に顧客を増やすには、膨大なコストがかかります。そのコストを現在の顧客満足感のために使う事の方が、口コミ効果は絶大です。そして、顧客と音楽祭の関係が対等なものとならなければなりません。

 A篤志家の場合

またプレゼンター、協賛者と音楽祭が、現在は対等と言うより、助成金を与えるものと、助成金を貰うものに分断されているようです。音楽祭としては、与えられるとは思っていませんが、卑下した態度を強要される場合が、ままあります。私たちは、企業がその利益の一端を、社会還元する手助けをしている、との傲慢さを持っているわけではありませんし、頭を下げて、慈悲の心で浄財をいただいている訳でもありません。その関係が一番悩ましい所です。私たちは、篤志家の皆さんと、一対一の対等な関係を育ててきているはずであり、篤志家の期待を遥かに超える音楽祭の構築で、絆を深めてきています。しかし、篤志家の期待するものと、得られた満足感との乖離が、問題になり始めています。私たちは、篤志家の真に願っているものを察知し、対応することが急務だと思っています。コンサート・プレゼンターに対する敬意と感謝の念を、形として見えるものにすべき時期かもしれません。

(5)顧客サービス

顧客サービスに付いては、これまで経験的な戦略を持っていましたが、再認識する時期だと感じています。顧客に、予想を超えたコンサート演出で、何とか心に残る経験をしていただこうと、聴衆の意外性を感動に変える演出を試みてきました。接客対応とコンサート内容の良さだけでは満足感を高めるに不足する何かがあります。サロンであってもよりよい席への誘い、休憩時の飲み物サービス、終演後の演奏家の見送りなどで、コンサートの記憶作りを目指して来ましたが、今、求められるのは、コンサート・サービスで重要なものとは何かの模索であり、アザレアのまち音楽祭組織がどのようなサービス能力を持っているかを確認することだと考えています。サービスの良さとは何か?コンシェルジュ・サービス(総合的なお世話)が求められるが、その対応は可能か?ということに対する回答を求められていると思います。

(6)ディレクターの仕事

アザレアのまち音楽祭組織の指導者たるディレクターが、どのような戦略を構築するかが今後の課題だと思います。

ディレクターは、まず最初に、アザレアのまち音楽祭のスタッフへ、信じるに足る音楽祭のビジョンを示し、その実現に不可欠な接客ビジョンをやりがいのあるものとして提示しなくてはなりません。そして、スタッフとの個人的なかかわりに、フォロワーとしての信頼を得なければなりません。

スタッフは、個人として自立した判断力を持って行動しなくてはならないでしょう。それは、コンサート会場のみではなく様々な時と場所で、スタッフ自身による調査と報告、提案など、自主性が求められ、その対応によって顧客の信頼を勝ち得なければならないのです。また、スタッフ全員が、アザレアのまち音楽祭の価値を共有するために、旺盛なディベートが必要となります。そして、顧客とのラテラルな関係性を発揮し、サービスを受ける立場に立った提案なども必要となります。つまり、スタッフは、サービスのプロとして、顧客と対等な関係の中で、尊敬し合い品位のある対応が求められるのです。間違っても、プレゼンター、顧客のサーバントになってはだめなのです。アザレアのまち音楽祭組織は、誇りと喜びに満ちた、総てのスタッフがラテラルな関係なのです。ですから、スタッフは、総てのプランニングに関与し、その実践に参加する義務と権利があると考えるべきだと思います。スタッフ一人一人が自分の判断で行動し、顧客のニーズに対応できるのが理想的なのです。

また、ロイヤリティの高い顧客の創造とは、最高のパーソナル・サービスを提供する事であり、顧客情報の共有が必須となります。そして、顧客満足のために最大の努力をし、一人でも顧客を失う事があってはならないのです。スタッフと顧客との面談は、いつも笑顔で、丁寧な言葉、そして常に肯定的な話し方を、その身だしなみにも細心の注意を払い、誇りを持つことを忘れてはならないのです。

アザレアのまち音楽祭の運営に関わる私たちに必要なものは、「ビジョン」です。ビジョンとはあるべき姿を見ることであり、単なる方法論の模索ではないのです。それは、

1)自分のスキル、他のスタッフのスキルを高め合う事。

2)音楽祭の進展に想像力を膨らませ、好奇心を膨らませて創意工夫を拡大させる事。

3)失敗を恐れず、むしろ失敗を糧にすること。情熱を持って行なう自分の行動を信じる事。

4)飽くまで、その最高を目指す事。

5)それらが総て顧客のためであり、美しい人生を共に作ることにならなければならないのです。

私たちが求めているのは、マーケティングと言う手法ではなく、音楽を通して生き方を問う人間の洞察に重点を置くべきだと考えています。アザレアのまち音楽祭で、私たちが提供しなければならない事は、人々の人生に響くような志を持った最高の音楽なのです。その魅力ある音楽を内包した音楽祭こそ「アザレアのまち音楽祭」でありたいと思います。

アザレアのまち音楽祭のミッションに、聴衆の皆さんに心のこもったおもてなしと、コンサート会場の快適さを提供することを追加しなくてはなりません。そして、心温まるくつろぎと洗練された雰囲気を楽しんでいただくため、最高のパーソナル・サービスを提供すべきだと思います。最終的に、アザレアのまち音楽祭で経験していただくものは、聴衆の感性と感覚を満たす心地良さ、満ち足りた幸福感、顧客が言葉に出さない願いやニーズを先読みし、対応する究極のサービスを志したいものです。