第40回 アザレア音楽祭2023
ごあいさつ
令和5年1月

40周年を迎えたアザレア音楽祭

アザレア音楽祭芸術監督 計羽孝之


 アザレア音楽祭がスタートしたのは、1981年のことです。当時、倉吉市の企画部長であった福井千秋氏が音頭を取って1980年に倉吉文化団体協議会が設立されました。その翌年からアザレアのまち音楽祭がスタートし、その後名称変更し「アザレア音楽祭」として現在に続いているのです。当初、最年少の副会長であった私が提案し、実行委員会が設立されました。その主要メンバーは音楽教師の山本喜三氏、当時野島病院の事務長をしていた大丸忠行氏、市役所職員であった波田野頌二郎氏等が参加していたのです。その後、役員の増減を繰り返しながら、よくも40年も続いたものだと我ながら感嘆の声を挙げています。
 当初、音楽祭の大きな目標にしていた鳥取県内の各地域にアーティストが遍在する時代の夢想は、既に達成されているように思われます。そして、県民の皆様に優れた芸術体験を提供する使命は、各種団体の積極的な活動で満たされる時代になっています。市民生活の中に、いつも音楽が流れることを夢みていましたが、アザレア音楽祭を40年間継続することで、その活動が他の活動に波及し、音楽環境の充実は、ほぼ達成されつつあると思えるようになりました。
 因みに、みささヴァイオリン美術館の「弦展」、とりアート、各文化ホールの自主事業、演奏家主催のコンサートなど、巷にあふれるほど音楽環境が豊かになっています。アザレア音楽祭の廉価版のコンサートの意義はすでに過去のものになっているかもしれません。しかし、その内容は、この40年間で著しく向上し、中央から招聘される音楽家と遜色なく素晴らしいものになっています。
 しかしながら、音楽祭の原資となるスポンサーの数は尻すぼみとなり、協賛者の数も伸び悩んでいます。アザレア音楽祭の生命線は、パトローネたるスポンサーの存在です。企業の方々からの支援の輪が、音楽祭の継続を可能にしていただいたことに深く感謝するものです。これまで支援していただいた企業の皆様、協賛していただいている皆様、そして今後ご支援いただけるであろう多くの県民の皆様に、ぜひとも音楽祭にお出かけいただき、音楽の喜びを共有していただけますればと願っております。私たちアザレア音楽祭実行委員会は、コンサートと言う最高のおもてなしを提供する所存です。
 私たちの地域社会に住まう多くの人たちが、豊かな感性の聴衆市民に育つことこそ、実り多い音楽の果実を得ることになると思います。より多くの県民の皆様に、ご支援とご支持をお願い申し上げます。






令和5年1月

演奏家と住民が心一つに

「アザレア音楽祭2023」の開幕に寄せて
倉吉市長 広田 一恭


 風薫る爽やかな5月を迎え、第40回「アザレア音楽祭2023」が、盛大に開催されますことを心からお喜び申し上げます。
また、音楽祭を通して、長きにわたり本市の文化芸術の振興にご尽力された関係者の皆様に心より敬意を表します。

 コロナ禍により、これまで多くの音楽イベントが制約を余儀なくされてきましたが、私たちは、様々な工夫や挑戦を試みながら、その機会を取り戻してきました。音楽は、人々の心に安らぎと勇気、明日への希望をもたらすものと再認識し、音楽のある当たり前の幸せを有り難く感じております。

 「アザレア音楽祭」は、毎年、市民の皆様はもとより県内外の音楽を愛する方々が心待ちにされている音楽の祭典です。市民自らが企画運営し、その卓越した企画力とマネジメント力により県内外で高く評価されています。
 記念すべき第40回の音楽祭は、5月14日のアザレア室内合奏団によるオープニング・コンサートに始まり、6月25日のファイナル・コンサートまでの1か月半、多彩な公演が予定されております。その多くは、山陰を中心として活動をされる才能豊かな音楽家による演奏であり、市民の皆様にとりましては、身近な場所で地域に縁のある方々の演奏を鑑賞できるまたとない機会です。多くの皆様が、音楽との出会いを通して、共に喜びを分かち合っていただけることを心より願っております。

 結びに、音楽祭のご盛会と、出演者、関係者、お集まりの皆様の一層のご活躍とご健勝を祈念して、お祝いのご挨拶といたします。




令和5年1月

不惑を超えて天命を知る

第40回アザレア音楽祭に寄せて
鳥取県音楽祭サミット 会長 四門 隆


 アザレア音楽祭は40回の節目、不惑の時を迎えました。
 迷わず、惑わないことが不惑と言われますが、アザレア音楽祭は草創期より運営コンセプトは一貫しています。しかし一つの理想を掲げて進もうとするといくつかの疑念が生じます、倉吉市民の参加率などが過去には課題になったこともあり、その原因を究明し適切な対策を講じ解決してきたのがこの音楽祭の才幹の高さです。
 そしてもう一つは運営体制です。倉吉市との協働の関係をしっかりと構築し市民のための音楽祭に成長させて来たことも大きな力となりました。
 アザレア音楽祭の知名度は高いものがあります、たとえ名称が出ずとも春に倉吉市でサロンコンサートが多く開催されていることを知る県民はたくさんいます。こうした県民が倉吉市の交流人口、関係人口を増加させてきました。
 さらに、令和7年春には県立美術館がオープンします。まさにこの倉吉の地で大正期より先人が取り組んできた斬新な美術や音楽等の文化活動の遺産をアザレア音楽祭が継承し、それが県立美術館へとつながる壮大な文化創造の流れが押し寄せているといえるのではないでしょうか。
 私の脳裏には、不惑を超えて天命を知るアザレア音楽祭の次の時代のイメージが浮かびます。
 40回目のアザレア音楽祭はこれまで通りサロンコンサートをメインに多くの市民に音楽の持つ魅力に触れて貰い、そして新鮮で感動的な鑑賞体験を提供します。