倉吉 アザレアのまち音楽祭
第36回 倉吉 アザレアのまち音楽祭2018
ごあいさつ

平成30年2月

誰が認めようと認めまいと
芸術を人生の伴侶としよう!

アザレアのまち音楽祭 芸術監督 計羽孝之


 芸術には完成が無いと言われます。推敲をどこまで重ねても終わらないのが、芸術を志す者たちであり、プロフェッショナルなのです。しかし、己の能力いっぱいに到達すると満足し、手直しをやめてしまうのがアマチュアだと言われます。いつまでも更に良くしようと努力するのが大切なことなのですが…。自分は出来るはずなのに出来ない時、出来るまでしつこくやれることこそが、ある種の才能かも知れません。このしつこさこそが、自分の演奏に完成は無いと、自覚する瞬間なのです。そして、常に高みを目指して精進できるかどうかが、芸術家として、一流となるか、似非となるかの分かれ道となのです。結局、芸術の厳しさを、面白くやりがいがあるものと感じるかどうかが問われるのです。技術的な進化には、際限がないものです。又、自己表現の欲求も無限であり「永遠の未完成」なのです。
 芸術を生きる糧とする生き方こそ、誰が認めようと認めまいと、それが「芸術家」なのです。音楽と言う純然たる芸術を、人生の使命として揺るぎない生き方をすることこそが芸術を志す者の喜びなのです。しかし、音楽と言う芸術を、単なる趣味と言う範疇に納める風潮が社会の趨勢です。音楽は、積極的に生きる上での必須アイテムであり、心の食べ物であることを知ってほしいのです。宮澤賢治風に言えば、「芸術は生きる力」そのものなのです。音楽に限らず、芸術を心の食べ物にすることで、私たちの生活は圧倒的に豊かな光を放つのです。キルケゴールは、「自己自身を欲しないことは、死に至る病である」と言っているが、自己を欲するとは主体的に心を磨く事であり、芸術家としての生き様を持つことに他ならないのです。
 芸術家の生き様と言っても、人それぞれですが、それでも共通したことがあります。それは技術的なレベルが高かろうと低かろうと、演奏家は「生きるか死ぬかの覚悟」で常に真剣勝負をしていることです。そのように刺激的で拮抗する音楽の命が渦巻く芸術空間が、アザレアのまち音楽祭だと念じているのです。音楽の作り手(演奏家)と受け手(聴衆)が混然として音楽を楽しむ空間に、えも言えぬ熱気が立ち込める瞬間に、芸術が生まれるのです。その場に立ち会うことの喜びを、皆様方と共有したいものです。





平成30年2月

倉吉で、質の高い演奏を
鑑賞できるアザレアのまち音楽祭!


倉吉市長 石田 耕太郎


 春の暖かな日差しで花々が芽吹きはじめる季節の中、今年も「アザレアのまち音楽祭」が盛大に開催されますことを心よりお喜び申しあげます。
 さて、倉吉市では第11次総合計画において「活力に満ち、豊かな心と文化が息づくまち」を基本目標に掲げています。より多くの市民が日々の暮らしの中で、優れた文化・芸術にふれ、自主的に活動に取り組むことで文化・芸術を楽しむライフスタイルの創造を目指しているものです。
 今年で第36回を迎えた「アザレアのまち音楽祭」は、市民自らが企画運営する市民音楽祭として歴史を重ねられました。才能あふれる演奏家が多数出演し、鳥取県最高の芸術祭として長年にわたり高く評価されています。あらためて関係各位の多大なるご熱意とご尽力に深く敬意を表する次第であります。
 今年度は、「アザレアのまち音楽祭2018ガラ・コンサート」を皮切りに、山陰を代表する演奏家による多彩な公演が組まれています。倉吉にいながらにして、質の高い演奏を安価で鑑賞できる演奏会であり、ぜひ、多くの市民がコンサート芸術を堪能し、心豊かな時間を共有できる機会となることを願っています。
 結びに、この音楽祭のご盛会と関係各位のご健勝を祈念してお祝いのご挨拶といたします。