倉吉 アザレアのまち音楽祭
第35回 倉吉 アザレアのまち音楽祭2017
ごあいさつ

平成29年2月

自分の演奏に、舌鋒鋭い批判者になり得る自分

アザレアのまち音楽祭 芸術監督 計羽孝之


 今年のアザレアのまち音楽祭は設立35周年を迎えます。当初、音楽祭企画を倉吉文化団体協議会に提案したところ、「そんな夢物語が実現するはずがない」と揶揄されたものです。それを数人の同調者と共にソフトランディングさせながら、今日の音楽祭にまで育ったのは、市民の皆様の篤い支援と協力の賜物だと感じ入っています。そして、音楽祭に参加して頂いた大勢の演奏家の方たちの熱い思いが今日の隆盛を築いていったと感謝いたしております。しかし、そんな中で演奏家自身の自負心というセルフィッシュな情動が肥大し、芸術と言う生き方を失った方々も、残念ながら輩出してしまいました。それは、芸術活動の真髄である「歌(弁証法)」を忘れてしまった方々なのです。歌を忘れたカナリアは忘れ去られます。シューマン風に言えば(「音楽の座右銘」より)自分の欲するように聴いてくれる聴衆を選んで、批判を許さないと言う演奏家をアザレアのまち音楽祭が生み出してしまったことに後悔があります。そもそも、聴衆を選ぶような人には、演奏家たる資格はありませんし、存在しない方が世のためです。
 音楽の利点(特質)は、演奏した直ぐ後からどんどん消えていくことです。ですから、未熟な演奏をしても大して気に留めることもないのですが、録音と言う恐ろしい記録媒体がどんどん進化し、ハイレゾなどと言う正にその場に居合わせたような空気感さえ記録できてしまう現代に在って、安易な演奏は後世に恥を晒すことになります。絵画であれば、発表するまでに必要なだけ時間を費やして作品の推敲が出来ます。しかし、音楽の場合は、どんなに時間をかけても、これで「善し、と言う推敲」を続けていたら、一生満足する演奏は出来ずに終わることになります。ですから、コンサートの時点まで、ぎりぎりの努力をし、折り合いをつけて発表するしかないのです。ぎりぎりの折り合いとは、自分が演奏する音楽に対して、舌鋒鋭い批判者になり得る自分が存在していたかどうかに関わるのです。つまり演奏の中で、このアーティキュレーションじゃ何を言いたいのかわからないとか、この装飾音は無駄ではないかとか、テーマをもっと浮き上がらせなければ音楽があいまいになってしまうなどと、自分の演奏をコテンパンにし、やり玉に挙げるような自己分析メカニズムを己の中に持たないと、自分の演奏の推敲なんて出来やしないし、ろくな音楽にならないものなのです。
 では、どうするか。幸いにも音楽の世界では、師匠と言う制度があり、演奏家自身よりももっと厳しい評論で、演奏家を叱咤するのです。若いうちは、師匠に頼りっきりにする場合が多いのですが、年齢を重ねれば、己が師匠の立場になってしまうと言うパラドックスを克服しなくてはならなくなります。そこで必要になってくるのが自分自身で厳しく批判する力なのです。何だって同じですが、自分に甘い人は絶対に良い演奏家にはなれません。芸術には完成なんてありません。どこまで手直しをしても終わらないものです。良くしようと言う努力は、出来るまでしつこくやる根性かも知れません。常に上を目指して精進するのが芸術家であり、芸術の厳しさを、面白くやりがいのあるものと感じるのです。音楽という純然たる芸術を、人生の使命として揺るぎない生き方をすることで、音楽は人間の栄養素となり、生きるための食べ物になるのです。





平成29年2月

芸術文化による力強い活動こそ、
傷ついた多くの人々の心を癒す糧


倉吉市長 石田 耕太郎


 鳥取県中部を震源とする地震により被災されました皆さまに心からお見舞い申し上げます。本市においても人的被害や住家被害、農産物への被害が発生したところであります。また、御案内のとおり県中部地区の文化拠点施設である鳥取県立倉吉未来中心も甚大な被害を受けてしばらく休館となり、予定されていた舞台や文化芸術関連イベント等が中止もしくは延期を余儀なくされました。「倉文協だより」(No.329 2016.12.15)にて、計羽会長より「倉吉未来中心は、文化活動の拠点として第一に復旧させるべきである」と力強いメッセージが掲載されておりましたが、早期の復旧を渇望する市民の願いが届いたのか、予想以上に早く再開したことは喜びに堪えません。しかしながら、発災後数ヶ月が経っておりますが、被災された方の中にはまだまだ生活再建の途上の方もいらっしゃるところであり、市としてもできるだけ早く市民の皆さまに普段通りの生活を取り戻していただけるよう精一杯努力していきたいと思っております。
 そうした中、今年も「アザレアのまち音楽祭」が盛大に開催されますことを心よりお喜び申しあげます。今年で第35回の節目を迎えた「アザレアのまち音楽祭」は、その卓越した企画力とマネジメント力はもちろん、地元出身の演奏家が出演し、市民自らが企画運営する鳥取県最高の芸術祭として高く評価されている市民音楽祭です。行政が全てのニーズを一手に引き受ける時代ではなくなった今ではありますが、35年も前から先駆けて市民手づくりの音楽祭として運営されてきたことに対し、あらためて関係各位の御尽力に敬意を表します。芸術文化による力強い活動こそ、傷ついた多くの人々の心を癒す糧となることを信じてやみませんし、ぜひ、多くの市民がコンサート芸術を堪能し、心豊かな時間を共有できる機会となることを願っています。