倉吉 アザレアのまち音楽祭
アザレア弦楽四重奏団コンサート

1stVn伊藤明、2ndVn西原麻衣子、Va井川晶子、Vc原田友一郎
2014年5月24日(土)19:30〜 倉吉博物館玄関ホール 700円


 過去の演奏のご紹介
アザレア弦楽四重奏団 (第31回アザレアのまち音楽祭2013コンサートより)
♪ 弦楽四重奏曲第72番ハ長調作品74−1 1. Allegro Moderato(ハイドン) (wmaファイル 2.49MB 5分23)


第一部

@ モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジークK.525から第1楽章
モーツァルト(1756〜1791)は、父の死やベートーヴェンとの出会いを経て、歌劇『ドン・ジョヴァンニ』を作曲中の1787年にこの曲を作曲した。「小夜曲」と訳される曲名は、彼が自ら付けたもの。娯楽音楽としてのセレナーデの雰囲気を備え、出窓の下で愛を囁く恋人の歌のように小粋に夜を飾る、貴族のお楽しみの一品。ポピュラリティと作品自体の芸術性がこれほどまで高い次元で結びついた作品は珍しく、著名なモーツァルト研究家・ランドンは「18世紀文化のすべての美しさを代表し、古今のあらゆるセレナードの中で最も偉大な作品」と評した。(1楽章:アレグロ、ト長調、4分の4拍子)

A モーツァルト/弦楽四重奏曲第22番変ロ長調K.589「プロシャ王第2番」
モーツァルトの晩年、チェロの名手でもあったプロシャ王ウィルヘルム2世からの依頼で書かれた3曲は「プロシャ王セット」と呼ばれていて、チェロの活躍する場面が多い。しかもこの第2番では4人の奏者が自由に活躍できる手法が高められている。仕事として依頼に応えるレベルを遥かに超え、彼自身の内面的な感情がかなり注入され、孤独感や激しい感情も交えながらも根底には優しさが流れていて、彼自身の命を削って作曲しているかのように見える。不思議なことに、これほど内面感情を表現しているにも拘わらず、孤独な世界に閉じこもることなく、聴き手の心に浸み込むように入ってくる。人を拒絶することなく、音楽を愛する人に優しく微笑みかけてくれる。そしてこれらの3曲が彼の最後の弦楽四重奏曲となった。
●1楽章 Allegro
●2楽章 Larghetto 
●3楽章 Menuetto, Moderato ? Trio
●4楽章 Allegro assai



第二部

B チャイコフスキー/弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11「アンダンテ・カンタービレ付き」
チャイコフスキー(1840〜1893)は、1871年に親友ニコライ・ルビンシテインからの勧めによって自作のみの演奏会を開くことにした。小ホール向きのプログラムに適した曲が足りなかったため、演奏会の1ヶ月前に急遽この曲を作曲した。彼が生涯に残した弦楽四重奏曲はわずか3曲で、この1番が最も人気がある。特に第2楽章はこの楽章だけ独立して採り上げられることが多く、「アンダンテ・カンタービレ(歩く速さで歌うように)」という指示の楽語がまるで曲名かのように親しまれている。
●1楽章 Moderato e semplice
semplice(無邪気に)という指定はあるが、息の長い第1主題で始まる。この主題は珍しいリズム(8分の9拍子)でしかもシンコペーションで書かれていて少し不安定な雰囲気が漂う。この主題が様々な形に展開されつつ進んでいくと、やがて耳に付いて離れなくなる。

●2楽章 Andante cantabile
簡素な小品でありながら深い光を放つ宝石のような逸品。この楽章では各楽器に弱音器を付けるよう指示され、カーテンの向こう側から聴こえるような翳りのあるくすんだ響きが立ち昇る。作曲の2年前(1869年)の夏、ウクライナのカメンカという村に嫁いでいる妹の家に滞在していた彼は、村のペチカ(ロシア式の暖炉)造り職人が仕事をしながら歌っている民謡を聴いて、この曲に転用したという。歌詞は「ワーニャは長椅子に座って、コップにラム酒を満たす、満たしもやらずエカチェリーナのことを思う。」主題はゆったりした2拍子だが、途中で3拍子が入るのも民謡のような味わいである。
19世紀ロシアの大文豪トルストイは、同じロシアのチャイコフスキーの音楽をこよなく愛し、深い交流関係を持ち、音楽からも執筆につながる強いインスピレーションを受けていた。1876年(この曲の初演の5年後)にモスクワでの演奏会に招待されたトルストイは、チャイコフスキーの隣の席でこの曲に耳を傾けていた。2楽章が始まるとトルストイは宙を仰ぎ、次第に涙が頬を伝い、最後には座っていられないほど泣き伏していた。この時の手記によれば、『かの(2楽章の)神々しい調べが私の耳に響いてきた途端、私は至福を感じ、身震いした。いや、身震いというのは正しくない。何かを心の奥から吐露せずにはおれないような力が湧き起こり、今にも噴火せんばかりの、精神が揺れ動かされるような感覚に陥った。この調べが橋渡しとなって天上の神が私の心に入り、私は神のものとなった。』

●3楽章 Scherzo, Allegro non tanto e con fuoco
前の楽章とは対照的に鋭いリズムをもつ急速な3拍子の楽章。ロシア舞曲風の主題が何度も繰り返され、エネルギッシュに綴られていく。

●4楽章 Finale, Allegro giusto
最後にようやく現れる、晴れやかで勢いのある新鮮な音楽で、ロシア的な民俗舞曲の趣がある。展開部は各楽器が技巧的に活躍しながら進むが、全体的には古典的な均整が保たれている。



プロフィール

アザレア弦楽四重奏団


 1988年結成。松江を中心に各地でのコンサート・イベント・ウェディングなど、通算約700ステージ以上の演奏活動を展開する、山陰随一の弦楽四重奏団。1991年からアザレアのまち音楽祭に出演(24回目)。1991年全国育樹祭で、皇太子殿下ご臨席のもとで演奏して称賛を博す。1995年ねんりんピック開会式出演。2002年日英グリーン同盟植樹式で記念演奏。2005年島根県立美術館「名曲で飾るロビーコンサート」出演。2011年島根県指定文化財・興雲閣で嘉仁親王(後の大正天皇)の明治40年山陰行啓ゆかりの音楽を再現。クラシックから映画音楽・ポップス全般、歌謡曲や日本のメロディーまで幅広いレパートリーを縦横に組み合わせた楽しい選曲、そして4人という自由気軽なアンサンブルのスタイルがリスナーから支持されている。


ご案内

 今でこそ県内では「アザレア弦楽四重奏団」と名乗り、すっかり倉吉市の団体だと思われていますが、本拠地は松江であり、アクエリアスの名称で活動し著名です。25年も前に、初めてこの団体を知り、主宰している伊藤明氏の明晰なヴァイオリンに魅了され、アザレアのまち音楽祭に招聘したのですが、音楽祭のサロンの顔にしたく、音楽祭に出演していただく時のみ、「アザレア弦楽四重奏団」と冠を付けて頂いています。しかし、最近では、「アザレア弦楽四重奏団」の方が通りがよく、倉吉市の宝物だと敬愛されています。クラシック音楽の中で、もっとも地味であり、音楽通にならないと楽しめないと言われますが、今ではサロンコンサートの華として愛聴されています。今年のプログラムはモーツァルトとチャイコフスキーです。第二楽章のアンダンテ・カンタービレで有名なチャイコフスキーの「弦楽四重奏曲第1番」は聴きものです。響きの豊かな、まるで宮殿の中で時を過ごすような倉吉博物館で、只々聴くことに集中するチャイコフスキーの音楽は、人生を反芻させ、喜びや悲しみを結晶化させることでしょう。今年も、お楽しみください。