倉吉 アザレアのまち音楽祭
第28回 倉吉 アザレアのまち音楽祭2010
ごあいさつ

平成22年4月

プロの芸術家ってなんだろう?

アザレアのまち音楽祭 芸術監督 計羽孝之

 未だに世間では、「プロとアマには渡りきれない乖離がある」などと言っている。特に、プロと自認するする人たちに、その傾向が強い。それは、中世から続いてきたパトロンと芸術家の関係を、引きづっているだけのことだろう。
 一般的に生活を支えるための方策として音楽する人をプロと呼び、生活を支えるためには別の仕事をしながら音楽する人のことをアマだと言っている。食うための工夫として音楽する人と食う心配をしながら工夫して音楽する人との違いだとも言える。しかし、これだけで芸術が出来るわけではないし、プロとアマの判断基準でもない。
 プロの音楽家とは、とてつもなく高いレベルでの技術を持っていなくてはならないし、それだけでは単なる職人さんに過ぎない。それが芸術家になるためには、「情報操作の体系化」が、出来ているかどうかが問題となる。音楽を作るだけの、演奏するだけの技術を持っているだけでは、優れた音楽は作り出せない。分かりやすく言えば、技術と言うハードウエアだけではなく、それを操作するソフトウエアを持たなければならないことだ。情報操作するソフトウエアとは、聴衆に感動を与えるための方策なのである。聴衆の心の動きを事前に予想し、その動きを引き出したりするために、演奏家は、自らが共鳴する力量を、己の心の中に持つことが必須となる。音楽が発信しようとしている情報を、いかに聴衆に感動を与えることが出来るのか、様々な音楽的操作を行なうのである。その「技術の体系」を持たなければ、芸術は成立しない。
 現代はCD・DVD・デジタル通信など、音楽の情報が氾濫している。かつて「芸術」は「一部の人々に奉仕するもの」だったものが、近代社会の進展で「一般大衆のもの」になった。プロと呼ばれた方々は芸術を創る側であり、それを金で買うパトロンたちは、芸術が一般大衆のものになることに反発し、文化の上部(ハイ・カルチャー)を成すものと思われてしまった。しかし、芸術の大衆化が進むと同時にサブ・カルチャーが生み出され、芸術が隔離されてしまったとも言える。その事がやがて、大きな反動として、芸術のあり方を変えてしまった。アマと言われる大衆が、食う心配をしながら音楽する楽しさや苦しみを忘れて、まるでプチブルのようにマスメディアの音楽情報を食い散らすだけとなっている。このような芸術の民主化・大衆化が果たしてよいものなのだろうか。今では、ハイカルチャーの「芸術」(クラシック音楽)の残像だけが、大衆のスノビズム(流行を追う俗物根性)を満たしているだけかもしれない。
 本物の音楽家になるためには、ただ好きで音楽をやっているだけでは不十分である。また、音楽大学を卒業したからと言って音楽家になれるものではないし、著名なホールでリサイタルをやったからと言っても、だめである。本物の音楽家とは、音楽の裏側が見えなければならない。音楽の「表」がテクニックであり、裏側とは「演奏家の人間的な部分」であり、音楽で何を成すべきかを考えていることが重要なのだ。結局音楽は、テクニックの「上手い」「へた」の次元ではなく、その裏側が問われるわけだ。現代では「へたくそ」な演奏でも、演奏者の生き様や思想、さらに、今まさにそこに生きていると言うリアリティーが演奏の裏に見えると、「さすがプロだなあ」と思ってしまう。つまり、音楽を通して「自分の生き方を社会に問う作業」をしているかどうかなのだ。社会に問う作業とは、音楽によるコミュニケーションを考え、そして行動することに尽きるのだ。
 アザレアのまち音楽祭に参加される演奏家の皆さんは、社会とのつながりを求め、参集された方ばかりである。そんな意味で、地域に在住する音楽家は、新しい位置づけのプロの芸術家だと確信している。





平成22年4月

「アザレアのまち音楽祭」は“音楽文化をとおしたまちづくり”

倉吉市長 石田耕太郎

第28回を迎える「アザレアのまち音楽祭」が、今年も盛大に開催されますことを心からお喜び申しあげます。
 「アザレアのまち音楽祭」は、“音楽文化をとおしたまちづくり”をその使命の柱に位置づけられ、まさに倉吉の芸術文化を代表する春の風物詩として定着してまいりました。
 今日までの長きにわたり、音楽祭の開催をとおして本市の芸術文化の振興に大きな役割を果たしてこられた関係者の皆様の献身的なご尽力に対して、改めて深く敬意を表する次第です。
 さて、昨今のかつてないほどの厳しい経済状況が続く中にあって、精神的な豊かさを生活の中に追い求める人々は、世代の違いを超えて増えつつあると言えます。これは、物質的な豊かさのみで、心の豊かさを手に入れることはできないというごく当たり前の真実に、徐々に人々が気づき始めたからではないでしょうか。
 今や、芸術文化は私たちの生活に精神的なゆとりや安らぎ、そして人生に豊かさをもたらすだけでなく、それが身近な生活の中に息づくことにより、まちへの愛着心や住み続けたいという気持ち、さらに、まちそのものの魅力を醸し出し、人々が外から訪れたくなる力までも創り出すものとなってまいりました。
 「アザレアのまち音楽祭」は、発足以来地域の中で市民が主体の運営を貫きながら、多くの事業者や市民、そして行政が各々の役割を果たして支えてこられました。
 この音楽祭は、市民が音楽芸術に気軽に触れていただく機会であり、また、山陰を中心に音楽活動をされている芸術家の方々の活動成果の発表の機会として、全国的にも先進的な取り組みであり、市民が誇りうる音楽芸術の祭典であります。
 「魅力ある文化資源を活用した文化の振興」を目指す本市としましては、「アザレアのまち音楽祭」が今後とも末永く多くの市民に支えられ、開催され続けられるよう、その環境づくりに努めてまいりたいと考えております。
 終わりに、本音楽祭が地域に根ざし、より多くの市民の皆さまに愛され、ますます発展されますことを心より祈念して、お祝いのご挨拶といたします。