倉吉 アザレアのまち音楽祭
第27回 倉吉 アザレアのまち音楽祭2009
ごあいさつ

平成21年4月

アザレアのまち音楽祭は
紛れもない芸術をお届けする誠実な音楽の配達人!

アザレアのまち音楽祭 芸術監督 計羽孝之

 「音楽が恋するものの食べ物なら続けておくれ、堪能してあき果てるまで…」と記述したのはシェークスピアです。私たちは、音楽を聴くことで、心の中に豊かな世界を抱くことが可能です。音楽は人間の知性や魂の力に、そしてフィジカルな感覚にも喜びをもたらせたりします。しかし、その音楽が人間に語りかけられるためには、音楽を構成する「音階の組織」や「音程の組織」、そして「人間の感情組織」が十全にコントロールされなければなりません。アザレアのまち音楽祭に登場する演奏家たちは、専門性の高い特殊な技術を習得し続け、己の芸術的表現を目指して研鑽し、進化し続け、そのコントロール能力の高い芸術家たちだと信じています。
 「音楽は、人間の感情を系統化し、論理的な秩序に変えてしまう」という不思議な特質があります。私たちに内在する「喜怒哀楽の循環」をすべて体験させられた時、音楽は最高の満足感を与えてくれるのです。
 これまで幾度となく、崩れそうになった「生きる」という喜びや、あきらめにも似た脆弱な精神を、音楽の力によって、心のバランスを保った経験があります。私たちの心が感じる喜怒哀楽は、とても重要です。音楽の持つ喜怒哀楽の循環は、怒り、憎悪、そして愛、性、歓喜、ついには畏敬の念へと昇華して行くのです。私たちの生きる社会は、極端な喜怒哀楽の振幅があるからこそ成立しているとも言えるかもしれません。私たちは振幅を楽しみ、自分にない世界を求めるものです。感情とはその振幅の両極を保持することと思うのです。
 昨年の暮れ、私はかつて経験したことのない落胆と言うべきか、深い悲しみに陥りました。悲しみという感情は、別離であったり、正しくないと感じたり、手中に出来なかったものを欲する気持ちであったり、頑張りきれなかった自分を悔悟し、失ったものの大きさに嘆くのです。この悲しみは、音楽で言うところの自然回帰の流れなのです。自然倍音で唯一の純粋な和音、つまり長三和音に帰りたいという心の復元力かも知れません。悲しみは、「ドミソ」の「ミ」が、自然音程を人為的に半音下げた(短調)ために生じたものであり、その反動として自然な音列と一体になりたいと願う心なのでしょう。
 音楽は、「音」を「楽しむ」ことと考えてしまえる程単純なものではありません。音楽は人々に感情や意味を伝え、感動を与え、心を高ぶらせたりします。しかし、「音楽は芝居ではないし、風景を夢想するものでも、もちろん人生を哲学するものではない、ただ単に音楽があるだけで、耳で聴くことがすべてだ」とも言えます。音楽は、言葉ではないところの、思考の特殊な形であり、音楽そのものでしか表現できないのかも知れません。
 私自身がそうであるように、聴衆の皆さんも、「自分が求めているもの」を本当はご存じないのかも、と感じています。私たちは「どんな音楽が好きになれるか」と模索しているのかも知れないのです。本来、私たちは理想を現実にしたいと願い、生きると言う神秘を生活と言う常識の世界に持ち込もうとしているのです。音楽こそ、私たちの精神と生きる中で培ってきた感覚・感性とを融合し、無垢な喜びを携えた無限の時空間に誘うものなのです。
 私たちは、そんな「何かを求め」て思索する聴衆のために、紛れもない芸術をお届けする、誠実な音楽の配達人として、アザレアのまち音楽祭を存在させたいのです。





平成21年4月

「アザレアのまち音楽祭」は、
「協働」の模範であり、倉吉の芸術文化の誇りです

倉吉市長 長谷川 稔

 第27回目を迎える「アザレアのまち音楽祭」が、年も盛大に開催されますことを心からお喜び申しあげます。
 「アザレアのまち音楽祭」は、“音楽文化をとおしたまちづくり”をその使命にかかげられ、まさに倉吉の春の訪れを感じさせる芸術文化の風物詩として、すっかり定着しております。
 今日までの長きにわたり、音楽祭の開催をとおして本市の芸術文化の振興に多大な貢献をされてきた関係者の皆様の情熱と献身的なご尽力に対して、改めて深く敬意を表する次第です。
 山陰という地方で暮らす私たちの生活は、昨年から世界全体を覆い尽くす経済不況が急速に進行する中、その影響は日々深刻化し、事業者、個人を問わず極めて厳しい状況に立たされていると言わざるを得ません。
 戦後の長い間、経済的・物質的な豊かさを求め続ける中で、ようやくその物質的豊かさが、心の豊かさと同じものではないことに多くの人々が気づき始めた矢先に、この新たな経済的な試練に立ち向かわなくてはならない状況に立ち至っております。
 しかし、このような厳しい状況の中だからこそ、ともすれば見失いがちな自身にとっての人生や心の豊かさという生活の質を考え、感じる機会が一方では必要となり、それができてはじめて心のバランスが保たれるのだと思います。
 芸術文化は、私たちの生活にゆとりや安らぎ、さらに人生に豊かさをもたらすだけでなく、それが身近な生活の中に根付くことにより、まちへの愛着心やまちそのものの魅力を創り出す大切な力をも持っております。
 「アザレアのまち音楽祭」は、自分たちが生活する地域の中で、市民を主体とし、事業者及び行政がともに各々の役割を果たす“協働”の取り組みの模範的事例であり、倉吉の芸術文化の誇りであります。
 「魅力ある文化資源を活用した文化の振興」を目指す本市としましては、「アザレアのまち音楽祭」が今後とも末永く開催されるための環境づくりに引き続き努めてまいりたいと考えております。
 本音楽祭が地域に密着し、多くの市民の皆さまに愛され、ますます発展されることを心より祈念して、お祝いのご挨拶といたします。