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プレゼンター:(株)SMC

吉田章一バリトン・コンサート

2009年6月2日(火)19:30〜 倉吉交流プラザ 700円

プログラム                                             

WINTERREISE 冬の旅 W.Müller  ミュラー 詩 F.Schubert  シューベルト 曲

1.Gute Nacht         1.さよなら(おやすみ)
2.Die Wetterfahne      2.風見の旗
3.Gefrorene Tränen      3.冷たい涙
4.Erstarrung         4.凍結
5.Der Lindenbaum       5.菩提樹
6.Wasserflut         6.あふれる涙
7.Auf dem Flusse       7.川の上で
8.Rückblick         8.かえりみ
9.Irrlicht          9.鬼火
10.Rast           10.休息
11.Frühlingstraum      11.春の夢
12.Einsamkeit        12.孤独

休憩

13.Die Post         13.郵便馬車
14.Der greise Kopf     14.白髪
15.Die Krähe        15.鴉(からす)
16.Letzte Hoffnung     16.最後の望み
17.Im Dorfe         17.ある村で
18.Der stürmische Morgen  18.嵐の朝
19.Täuschung        19.幻
20.Der Wegweiser      20.道標(みちしるべ)
21.Das Wirtshaus      21.宿屋
22.Mut           22.勇気
23.Die Nebensonnen     23.幻の太陽
24.Der Leiermann         24.辻音楽師

あらすじ

1.さよなら(おやすみ)

主人公は,自分がどこへ行っても「よそ者」であることを感じ、恋人と別れ、冬の夜中に旅立つ。別れに、彼女の戸口に「おやすみ」と書く、あるいは、書くというの幻想を抱く。この詩では,別れの理由は読者にはわからない.「おやすみ」という語は,多義的である。

すでに眠った恋人に対し、「よく眠りなさい」という意味。自分が眠りにつこうとしている、という意味。旅立たんとする者が眠りにつくとするなら、それは死を意味する。この段階では、「おやすみ」の意味は多義的なままに捉えるのが妥当だと思われる。

2.風見の旗

風に弄ばれる旗に自らの心をなぞらえる。「この家に誠実な娘など居る訳はないのに、なぜそれに気づかなかったのか」と嘆く。娘が金持ちと結婚したであろうことが暗示される。

3.つめたい涙

外に流れた「雫」に対し、まだそれが何かわからない、という姿勢。ところが、詩が進むにつれ、涙が湧き出す「心」は熱く悲しんでいる。詩の中に、温度のグラディエーションがある。

4.凍結

泣きながら、彼女の思い出を探す。未練の情を爆発させる。

5.菩提樹

歌詞に「市門」が出てくるが、曲集の中でも一つの転換点になる。未練を振り払って旅に出る決意をする。そして、菩提樹が「憩い(死)」を誘う。誘う、と表現したが、主人公の心に死への意識があることがしだいに明確になる。「おやすみ」よりも明確に死が暗示されていると言えるだろう。しかし、風が顔に吹きつけ、旅立ちを促す。この曲集の中では、「憩い(死)⇔風」の対立を見ることができる。そして、旅立ちの後も「憩い」への思いがしばしば湧きあがる。

6.あふれる涙

自分の涙が、小川に混ざって町に流れて行ったら、彼女の家の前で熱くなるだろう、と歌われる。これ以降の詩で、「恋人を想っての涙」は登場しない。

7.川の上で

あたかも〈決別〉のための儀式として凍った川の氷に未練を書き記す。そして、凍って盛り上がった川面に自らの心を投影する。

8.かえりみ

逃げるように町から出て行く様子が表現されている。しかし、一段落すると楽しかった頃の想い出が浮かび、恋人の家の前にはじめて立った時に帰りたい、とつぶやく。

9.鬼火

出口などわからなくてもかまわない、と鬼火に誘われて、乾いた河床を降りて行く。そして、「どんな苦しみにも、それぞれの墓がある」と歌う。ストーリー展開上、この詩には大きな意味がある。それは、後に出てくる「道しるべ」との対比である。形は違っていても、どちらとも主人公に道を示している。

10.休息

「鬼火」で示された道を進んだ結果として「憩い」があった。しかし、痛みの中でちっとも憩うことはできない。また、ここでも風が自分を後押しするというモチーフが現れる。

11.春の夢

甘い夢と冷たい現実が交互に現れる詩。

12.孤独

主人公は、別な町を、挨拶を交わすこともなく〈あそこ〉へと歩いている。その穏やかな世界を自分とは異質なものと感じ、「嵐であったら、こんなにも惨めではなかったのに」、と歌う。

13.郵便馬車

郵便馬車に心が高鳴り、恋人の居る町のことが知りたいのか、と自問する。明確に「恋人」が現れるのは、この曲集ではこの曲が最後である。

14.白髪

「老い」、そして「棺へはまだなんと遠いことか」と死への憧れを歌う。

15.鴉(カラス)

自分にまつわりついてくるカラスに、自分を「看取ってくれるか」と尋ねる。死が遠くないことをほのめかしている。

16.最後の望み

枝にぶら下がった枯葉に自分の希望を投影する。しかし、それは風に吹き飛ばされ、最後の希望が葬られる。

17.ある村で

まどろむ村にたどりつく。しかし、小市民と夢を失ってしまった自分が異質であることを確認するだけであった。

18.嵐の朝

荒々しい嵐の朝に親近感を覚え、その荒れたそらに自らの姿を見る。第12曲の「孤独」に歌われた内容が、第17曲「ある村で」と第18曲の「嵐の朝」で形を変えて再び登場する。

19.幻

幻であることがわかっていても、自暴自棄にその光りに向かっていく自分を描いている。これはもちろん、第9曲の「鬼火」とよく似たモチーフである。そして、その対極である第20曲「道しるべ」を際立たせる働きをする。

20.道しるべ

他人の行かない険しい道をさまよい、「憩い」を求めて、とうとう道しるべと出会う。それをまじまじと見つめ、誰一人戻った者のない道を進もうとする。

21.宿屋

20曲で見つけた道を進み、墓場にたどり着く。そして、死者を弔う緑の輪がさらに自分を誘う。そして、そこで死を懇願する。しかし、その願いが拒絶されてしまうのだ。そして、ただただ先に進む以外に道はなくなってしまう。

22.勇気

「憩い」が否定され、再び風が主人公を先へと進ませる。そして、虚勢ではあるが、「神は地上におられたくはないのだ。私たち自身が神々なのだ」、と歌う。

23.幻の太陽

主人公は幻想の世界に入っている。三つの太陽を見るが、その二つは沈んでしまう、と歌う。この三つの太陽が何を示すのかは、さまざまな解釈があるという。そして、三つのうちの二つは、「恋人の目」であるという解釈もあるという。これも多義的であると見るのが妥当であろう。こうして、曲集の始まりでは、死が「おやすみ」という言葉で微かに暗示されたのと同じように、それと対称形をなして、曲集の終盤で恋人が微かに暗示される。

24.辻音楽師

最後に、若者が出会うのは、年老い、誰も見向きもしない、しかし、わずかではあっても自分のできることを続けている辻音楽師である。若者は彼を客観的に見ている。しかしふいにその老人に共感を覚え、「自分の歌の伴奏をしてくれるか」という問いで曲集が閉じる。

ソリスト・プロフィール                                       

吉田章一(よしだ あきかず)Br

鳥取大学教育学部卒業。広島大学大学院学校教育研究科修了。声楽を小松英典、西岡千秋、佐藤晨、吉田征夫、平野弘子の各氏に師事。ソロ・コンサート、ジョイント・コンサートのほか、モーツァルトやフォーレのレクイエム、バッハのヨハネ受難曲、ヘンデルのメサイア、ベートーヴェンの第九等のソリストを務める。オペラでは、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」に出演。特に2002年の国民文化祭オペラ公演「ポラーノの広場」では、主役のキューストを歌い圧倒的な成功をおさめた。昨年の再演では、更にバージョンアップしたキューストを歌い、全国レベルで通用する風格を見せた。又、特筆に価するのはドイツリートに対する造詣の深さと演奏力の高さである。既にCDリリースされているシューベルトの「冬の旅」は、高く評価されている。現在、淀江小学校勤務。鳥取オペラ協会理事。

兼田恵理子(かねだ えりこ)Piano

武蔵野音楽大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。ピアノを藤井俊子、新田恵理子、コッホ幸子の各氏に師事。1994年アザレアのまち音楽祭でアザレア室内オーケストラと共演。現在、後進の指導にあたるとともに、声楽器楽のアンザンブルピアニストとして各地で音楽活動を行っている。倉吉市在住。鳥取オペラ協会ピアニスト。

ご案内                                               

 吉田さんの「冬の旅」は、ご自身のライフワークであり、最も大切にされている歌曲集です。私が、吉田氏の「冬の旅」をはじめて聴いたのは、吉田氏が20歳代から30歳代になったばかりの頃だったかと記憶しています。私の意識の中では、昨日のように鮮明にその歌声が残っています。随分前のはずなのに、若者の挫折感と痛みが、今でも時々胸を刺すことがあります。いつも心の隅で、「春の夢」が、静かに鳴っているのです。

 かつて、私がプロデュースしたカウベルCD選集の第四号で、この「冬の旅」を吉田氏の演奏で収録しましたが、いつまでも色あせない新鮮な演奏であったと今でも自負しています。一般的に、若いころの「冬の旅」はテンポも早く、絶望感の中にも希望を宿した生命力が見られますが、よわいを重ねると、生命力の復元力が衰退し、底の深い絶望感に変わっていくといわれます。アザレアのまち音楽祭では、吉田氏による三度目の「冬の旅」ですが、はたして、今の吉田氏はどんなスタンスで歌うか楽しみでもあります。先回の「冬の旅」では、字幕スーパーで言葉の意味を追いかけていただきましたが、大筋の流れをつかんだ上で、聴く者自身の感受性に任せた聴き方も、鑑賞するという芸術行動に最も近いものとなるはずです。筋書きの分かったドラマを楽しむ要領で、あなた自身の「冬の旅」を鑑賞しながら創造されることを願っています。これこそが最高の鑑賞となるでしょう。